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まほうはせかいをすくわない  作者: 加藤岡拇指
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第八話「ケジメヲツケナキャハジマラナイ」


 夢だった。


 今はロングフィードタイプが主流となったため、大きなボーリング櫓は必要が無くなった。ボーリング櫓が立っている。ということは昔なのだ、ケンゾーは思う。気がつくと手には見慣れたトランプのジョーカーが握られていた。このカードで遊べるのは母が一緒のときだけだった。お風呂を掘っている父ーー昔はそう思っていた。間違いじゃないんだが、今は少し恥ずかしいーーのもとへ遊びに行く。そう決まったときに、母の仕事部屋から無断で持ち出したものだった。


 どこからともなく小さな子供が現れた。自分よりも少しだけ小さい。姉が自分の方を向いた。


「内緒だよ」


「うん。リンも行く?」


 自分がリンと呼んだ子供がうなずいた。リンじゃない。もっとちゃんとした名前があった気がする。3人は手をつないでボーリング櫓に向かって歩いていった。


 ケンゾーはスーパーで買い物をしながら思い出していた。久しく見ない夢だったが、最近頻繁に見るようになった夢だった。如月はカートを使いたがった。ケンゾーとレンムから、カートはカゴにどのくらい物が入っているか重さが実感できないから、余計なものまで買ってしまうと注意された。


「故に却下」


 少しむくれた如月は呟いた。


「せっかく、カードの謎が分かると思ったのにさー。ケンゾー父は『まずは腹ごしらえだ』って、期待持たせ過ぎだ」


「わたしは想像はつくのよね。『スターウォーズ』みたいっていってたからさあ」


 レンムはエリンギを品定めしながらもらした。


「古典で名作って、親父世代はこぞって絶賛するけど、俺はだめだなあ」


「まあねー、銀河系を股にかけて痴話ゲンカやられても困っちゃうよね。しかも、オチがお姫さまは主人公の妹でした、だもんなあ」


 レンムがうなずきながら、水菜と壬生菜を手にする。


「うへえ、そりゃだめだ。おんなじ古典でもハルコオネン男爵の方が好きだなあ。砂漠ででっかい芋虫が這いずるヤツ」


 水菜を指差した右手を波乗りのようにクネクネ動かして答える。


「『スター・ウォーズ』ってことは、俺がさんざん悩んでいたことや、カードの秘密って元々、痴話ゲンカが原因ってことなのかなあ。カッコ悪いよ、それ」


 ケンゾーは野菜売り場でがっくりと肩を落した。春菊を手にしたレンムが、ケンゾーを見て笑った。


「まあまあ、痴話ゲンカって決まったわけじゃないんだから。落ち込んだら、また練切を練りにきていいんだからさ」


 ケンゾーが素直にこくりと頷く。二人の様子を見ていた如月が、ちょっとうらやましそうな目になる。指をピストル形にすると叫んだ。


「ムアぁぁティヴっ!」


『砂の惑星』を知らないケンゾーとレンムはきょとんとなった。



「ここに名前を書いて」


 いわれた通りに金時は名前を書いた。“谷山ノリアキ”。齧り屋キムはいい仕事をする。名前は谷山の兄のもの。ヒキコモリの兄貴に、ストークが趣味の妹。ウチの子は悪くないと開き直る親。何ごとも猫可愛がりはよくない。


 吾妻病院、深夜受付窓口。警備員は疑いもせずに金時に訪問者カードを手渡した。金時はゆっくりと歩いて、待ち合い室へと向かった。


「さて、ここからが問題」


 谷山がどこの病室にいるのかわからない。金時は病院の案内図とにらめっこをすることになった。まずはナースセンターへ行くことにしよう。


「金ちゃんは来ないの?」


 マスターはハウさんに訊ねた。金時とハウさんの内緒の練習以来、スイッチブレイドのメンバーは地下1階の謎のバーの常連になっていた。ハウさんの腕は完治したものの、金時はまだギブスが取れない状態。今度はツインギターで行こうかなどと話していた矢先に金時の怪我である。というか、既に金時は正式にバンドメンバーに加えられていたらしい。


「なんでも奇人達と晩餐会だったらしいよ。ハウさんの怪我もそいつらのお陰」


 ベースのイソメがブラックブッシュを嘗めながらぼそりと言った。


「そうそう。どうも、スイッチブレイドは変なもんに取り憑かれたらしくってね。俺もマメもゴブリンに襲われたんだ」


 ハウさんがバンドに起こった災難を語り始める。その横で、ショッポが詰まらなそうにしている。いろんな所で化物の襲撃に遭ったと喋っているからか、ハウさんは妙に説明が上手かった。ハウさんがゴブリンの姿形がTOMOの持ってるカードとそくっりだったというオチを話し始めたとき、カウンターに近づいてくる影があった。クルクルっと軽くうねる黒髪に細身の眼鏡、黒地に金で鯉が染め抜かれた細身のワンピースを纏う女性だった。


「あ、園長さん」


「園長じゃなくって校長だってばさ」


 マスターはでも学園だから園長じゃないのかと、笑いながら答える。


どうも二人のお約束のやりとりらしい。マスターに園長と呼ばれたのは、もちろん我らがマルクト学園のくるみ校長だった。


「ねえ、ねえ。ゴブリンの話、も少し詳しく聞かせて頂戴な」


 くるみ校長はマスターから村尾の一升瓶を受け取りながら、ハウさんに向かって言葉を投げかけた。相手がくるみ校長とは知らないハウさんは、得意になって再びゴブリンの話を始めた。先ほどよりは少しだけ描写が詳しくなっていた。ショッポが面白く無いといわんばかりにショートホープの空箱をくしゃりと潰した。


「こんな奴?」


 くるみ校長は胸元からカードを取り出した。ハウさん達が見守る中、幽かだったカードの脈動が激しくなる。カードはまばゆい光を発し始めた。光が収まると、バーのガラスケースの前にゴブリンが立っていた。マスターはまた始まったとにやにや笑う。イソメの背筋が伸びる。ショッポが面白そうに覗き込む。そして、ハウさんの顔が瞬時に引き攣った。ゴブリンはハウさんのリアクションに首を傾げて、周囲を見回した。くるみ校長を視界に捉えると、ずんぐりむっくりはペコリとお辞儀をした。


「大丈夫。私のゴブリンは人を襲う趣味は無いから」


 ゴブリンは止まり木によじ登ると、一升瓶を手に取った。あぶなっかしい手つきでくるみ校長のコップに村尾をなみなみと注いだ。


「で、そのケンゾーくんとやらはどうなったのさ?」


 凍りつくハウさんに向かって、くるみ校長はにんまりと微笑んでみせた。



 自室のデスクに腰掛けた桐崎は、親指の爪をかじかじと噛んでいた。


ストレスが溜ってくると自然とやってしまうクセだった。小さい頃は噛み過ぎて、噛む爪がなくなってしまうくらいひどかった。小さい頃の桐崎の写真に指に包帯を巻いたものが多いのは、爪噛み防止のための親の苦肉の策の痕跡だった。


 カードリーダーを持ち出した吉田は口を割らない。あれが無くてはカードのプログラム改竄は不可能だ。やつらが提供した物でもあるし、紛失したことが表沙汰になったら面倒なことになる。松戸に全て任せてしまったのは失敗だったのだろうか? しかし、あれは松戸の立てた仮説だ。検証するのも松戸の権利だ。吉田をサポート役に指名したのも彼だ。


「っ!」


 噛み過ぎた親指、爪と肉の間からうっすらと血が滲み始めた。机の上の携帯が振動する。取り上げると聞き慣れた松戸の声が響いた。


「処理は任せたよ。承知とは思うけど、証拠は残さないで欲しいな」


 意外に簡単なものだった。看護士が案内してくれた。この病院では比較的大人しくしているのか、谷山は解放治療中だという。


「病棟を出るときはインターホンで声をかけてくださいね。ここの自動ドア、内側からは開かないから」


 それでも、自由は限定されているわけか。優しい薄緑色の病棟内谷山との面会に何を求めているのか? 金時は自問する。ケンゾーはどうかは知らないが、レンムはあの時の直接対決が精一杯だろう。それにあの谷山が一度否定されたくらいで引き下がるとも思えない。まあ、部外者の俺が説教したところで、納得するわけはないだろう。モンスターを実体化させるカードは一体どこから来たものなのか? 多分、自分はそれを知りたいのだろう。


「『ケンゾーとつるんでると面白い』、なんてとこからずいぶん遠くへきたもんだ」


 白いドアの前で金時は自嘲した。



「母さんが齧り屋さんだったのは知ってるよな」


「ははは。初耳だよ」


 そうだっけ? 話してなかったか、と父親はタラを頬張った。ケンゾー家族とレンム、如月が鍋を囲んでテーブルに座っている。鶏ガラスープベースの鍋にしめじ、椎茸、大根、白滝、絹ごし豆腐、白菜、鱈、鶏もも肉などが煮えている。各自の取り皿にはポン酢が入っている。紅葉おろしに柚子胡椒、七味といった薬味は好みで入れろとばかりに、無造作にテーブルの上に並んでいた。


「アンダーグラウンドな世界ではかなり有名だったらしい。そんなことはまったく知らなかったんだよなあ。家でパソコン使って内職してるとしか思ってなかったからさあ。今、思えば、あんなごついお手製パソコンがデータ入力に必要かとか、いろんな種類のカードリーダーは何に使うのかとか、ツッコミどころは満載だったんだけどな。ある日、母さんはソイツを見つけちゃった。家庭崩壊の始まり、始まり」


 ケンゾー父はケンゾーのカードデッキに視線を移した。


「ネットに転がってたのは、根幹となったプログラムだけだったらしいんだけどね。実体化のシステムがどういうもんなのかは知らないよ。魔術のプログラム化とかなんとか、そんな妖しい研究やってる機関があって、そこの関係者のパソコンの中に放り込まれていたデータを持って来ちゃったんだそうだ。全部、母さんが出ていってから知ったんだけど、どうやらプログラムをいじくり倒して、カードの基本を作ったらしいんだな。まあ、ボーリングの事は知ってても、0と1のトロンな世界はてんで素人だったからさ。母さんは普通に内職してるんだと思い込んでいたんだよ。まあ、カードに関わったお陰で出ていっちゃったようなもんだけどな」


「しばらくは家の中、すごいことになってたからねえ」


 ケンゾー姉が如月の取り皿に長葱を放り込みながら苦笑する。如月は長葱が苦手なのか、喉元を右手で押さえて露骨に嫌な顔をする。如月はそっとレンムの皿に長葱を移動する。如月の行動に気づいていたレンムは、彼女の顔をマジマジと見つめて『おこちゃま』と口だけ動かした。


 ケンゾーは密談する父と姉の姿に、疎外感を感じた幼い頃を思い出す。今でもたまーに感じる共有感覚の欠落が煽る焦燥感。その根幹が母親の家出だったとケンゾーは納得する。


「ケンゾー、“リン”って憶えてるか?」


 鷲掴みにした万能葱を取り皿に入れながら、ケンゾー父が訊ねた。ケンゾーは右上を見遣りながら、記憶を辿る。


「えーと、親父の仕事先で一緒に遊んだコ。……だと思うけど」


「家でも遊んでたよ」


 姉が面白そうに頷きながら、ケンゾーの方を向いた。


「?」


「お前が召還んだんだ。ソイツでね」


“リン”。うまく喋られなかった俺は、そのコの名前をきちんと呼べなかった。


だから、リンと呼んでいた。リンってのは、男のコだったのか、女のコだったのか、そのあたりはまったく記憶にない。単に“友達”だと記憶している。“友達”は“友達”だから。それ以外の何ものでもない。小さい頃はそれで全く支障がなかった。じゃ、俺が“友達”と認めてたものは人間じゃなかったってこと? カードで召還びだしたバケモンと遊んでいたわけ? 


その時、ケンゾーの脳裏に母親がリンを呼ぶ時の言葉が蘇った。途端にケンゾーは笑い出した。


「ごぶ……リン。ゴブリン。なんだ、リンってゴブリンだったのかあ」


 幼い頃に友として遊んだ存在が人外の物だと判明した衝撃の瞬間! 


のはずなのだが、ケンゾーは一人で納得しながら笑っている。意外なリアクションにケンゾー父も姉も、変な物を見るような顔になった。レンムは如月の取り皿に長葱を戻しかけたまま、一時停止している。如月もそんなレンムに気づかないほど驚いている。ケンゾーは大いに得心したというようにひとりニヤニヤしながら、はふはふと鱈を頬張った。



「わたし、笑われるのは好きじゃないの」


「おれだって頭がおかしい奴を笑うほど悪趣味じゃない」


「失礼な人ね。じゃあ、なんで此処に来たの?」


「教えて欲しい」


「教えないわ」


 純白のワンピースの少女は、腰掛けたベッドの上でそっぽを向いた。薄緑色の室内にぽつんと置かれたベッドとスタンド机。ほの暗い部屋の中で冷たく光を放つリノリウムの床。蛍光灯の青白い光に照らされた谷山の白い肌は、さらに白く浮かび上がっていた。一見すれば華奢な少女という外見は変わっていない。


病室に現れた金時を見ても、谷山はまったく動じなかった。


「キミがレンムに執着する理由も、そんなキミを作り上げた家庭環境にも、全く興味はない。ただ知りたいことがあるんだ」


「れんむは変わりないのかしら?」


 人の話を聞いていない。


「さあ、キミのお陰で病院暮しだったものでね。最近の動向は知らないよ」


「ふん。あなたも知らないのね」


「それは、どうかな」


 谷山の顔に険しい縦ジワが刻まれた。やっぱり。谷山みたいな手合いは拒絶されればされるほど、熱烈に拒絶した相手に執着する。レンムからはっきりした拒絶を受けたのは、明樂前での絶交宣言が初めてのことだったのだろう。歪なベクトルだ。


「キミはレンムの生きる世界に存在しないと言われたんだろ?」


 あの場にいなかったこの男が、あの時レンムが叫んだ言葉を知っている。


あれは誤解だ。きちんと話をしたならわかってくれるはずなのに。わたしはその機会を奪われている。誰に? わたしとレンムが仲良しなことを妬んでいるやつら。今、わたしの目の前にいるようなやつら。


「レンムが嫌っている相手に親切にするつもりはない」


 谷山はシーツをきつく握りしめた。金時は怒りと嫉妬に震える谷山を冷ややかにみつめた。


「だから、教えて欲しいのさ」


「教えたらどうなのよ」


「教えてあげるよ。レンムのことを」


 谷山は戸惑いながら、金時に向き直った。優位を保とうとしているのか、不服そうな表情を浮かべている。本人は余裕のつもりなのだろう。


「何を知りたいのよ」


「お母さんは今でもキミに優しいのかい?」


 金時の冷たい視線と意外な質問に、谷山はなんともいえない複雑な表情を浮かべた。



 レンムちゃんは出かけている。TOMOちゃんも電話に出ない。それじゃあケンゾーくんはと……。くるみ校長はモニターに映し出した住所録を見ながらマウスをすっと動かした。彼女は、ゴブリンにびびるハウさんから聞き出したいろいろな事柄をもとに、実体化の一件を知っているであろう人物に連絡を取り始めた。ところが関係者は全員不在。残るケンゾーに連絡を取ろうとしていたのだが。


「あれ? この住所って……」


 くるみ校長は立ち上がり資料用書類の詰まった引き出しの前へ素早く移動した。しばらく中腰で引き出しを探ってようやく目的のものを取り出した。あまり整理整頓は得意ではないらしい。くるみ校長は皮張りの豪勢な手帳をめくり、モニターの住所録と見比べる。


 同じだ。どこまで尻拭かせりゃ気が済むんだろうか、あの人は。椅子に座り直すと携帯を手にした。


「ベビーシッターまでやらせるのかよー」


 くるみ校長はムッとした。モニター横のガラス製菓子瓶を取り上げる。コルクの蓋を外すと、おもむろにゼリービーンズをがっと掴んだ。耳にあてた携帯が囁く呼び出し音を聞きながら、くるみ校長は七色のゼリービーンズを一粒、また一粒と口の中に放り込んだ。


「兄さんは悪くないんだろ? キミの家ではさ」


「……」


「たまにキミが全うな意見を口にする。『お兄ちゃんなんてヒキコモリじゃない。そんなダメな奴の妹でいるなんて耐えられない』ってさ」


「……」


「家族の中でキミの味方はいない。『バカなことを言うな。お兄ちゃんは悪くない。その気になればいっだって社会戻れるんだ』ってね」


「……」


「親の愛は全部、ノリアキ兄ちゃんが独占してたんだろ? キミには溢れた愛情のおこぼれくらいしか無かった」


 谷山は反論しようと口を開きかけるのだが、途中で止めてしまう。父親が兄に期待しているのはなんとなく分かっていた。だけど、母親も追随して調子を合わせる。結果、自分はないがしろにされる。誕生日プレゼントの大きな差で思い知らされた。誕生日にケーキがあるのはヤツだけ。わたしの時はイベントもなく、普通の夕御飯。それを当然のように甘受する出来損ないの兄。なぜ目の前のコイツはわたしの記憶をえぐるんだろう?


 金時は自分でもどうしてこんなに嫌らしい言葉が口先から流れ出すのかわからなかった。心苦しいがレンムの近況を取り引き材料に、カードの出所を聞き出すつもりだったのに。自分はなぜふつふつとした怒りを谷山にぶつけている? 自分を睨みつける谷山の眼はやっぱり、あの眼といっしょだった。だからなのか? え? 俺は俺でこいつに怒りをぶつけて、親への失望を埋めようとしてるのか?


「なんてこった……」


 谷山の眼にじんわりと涙が浮かんできた。自分の心の内に呆然としていた金時がそれに気づき、新たな怒りがふつふつと沸き上がる。


「レンムなら応えてくれると思ったのか?」


「そうよ…れんむは裏切らない」


「愛しているのか、愛していないのか、確かめるために相手を振り回すのかい?」


 彼女は首を左右に振りながら下を向いた。幼稚園から俺を連れ出した女性。


父親の愛人。母親が自分を連れてわざわざ女性に会いにいった。うつむく女性。誇らし気な母親。容認するふりをしながら相手を牽制する。冷えきった家の中で、父親と母親を繋いでいたのは自分だった。父親は母親不在のときに、母親は父親不在のときに奇妙に優しかった。子供を自分の味方につけたいだけの薄っぺらな愛情。父と母の顔色をうかがう生活に息が詰まった。お愛想に費やされるエネルギー。自分の中から親への愛情がどんどん吸い出されていく。


いつしか人を愛する感情は無くなっていった。代わりに愛を装うことはできるようになった。


「キミがレンムのことをちゃんと考えて行動していれば、彼女がキミを邪険にすることは無かったかもしれない。でも、キミみたいな手合いは人の話は聞かないし、自分中心で物事を考えているから、悪いのは他人なんだろ? 決して自分は悪くない」


 谷山は黙り込んでしまう。


「ま、いいや。キミを責めても仕方ない。カードの出所を知りたかっただけなのに。なんでだろうな……すまん」


 溜息混じりに金時は立ち上がった。谷山はそのまま動かない。金時は部屋から出ていこうと歩きかけた。


「あなたと同じ」


「え?」


「カードを貰ったの。あなたと同じマントを着てた」


 振り返った金時に谷山は、絞り出すような幽かな声で告げた。



 ケンゾー母は有名な齧り屋だった。彼女がネットでたまたま見つけたプログラムは、魔術をプログラム化したデータ群だった。齧り取ってきたのは召還用プログラム。そのプログラムをいじくり倒してバグを取り除いて使えるものにした。それをどのようにして知ったかは定かではないが、元々プログラム開発をしていた機関がケンゾー母に接触した。カードへのプログラム移植が行われて、プロトタイプのカードが生まれた。


「その頃なんだろうな、お前がまだ幼稚園に上がる前だ。愚図るお前に母さんは、冗談半分でカードを手渡した」


 ケンゾー父が良い感じで出汁の出た鍋に冷や飯を投入する。


「その時、ゴブリンが実体化したわけさ。俺は温泉掘っていたから知ったのはだいぶ後」


「初めてゴブリンを見た時は、恐ろしくてビビったけどね。だって子供部屋でケンゾーとゴブリンが人生ゲームしてるんだからね。なかなか、シュールな光景だったね。おもしろくなって来たんで、一緒になって遊んだっけ」


 ケンゾー姉がみつばと卵をテーブルに置いた。ケンゾーは思い出そうとするのだが、全然思い出せない様子。レンムと如月はゴブリンと人生ゲームをするケンゾーを想像して、顔を見合わせながらにやにやしている。来るものは拒まずなところがいかにもケンゾーらしい。


「ゴブリンに気づいたのは、お前らが俺のところに遊びに来たときだった。あん時、櫓に登るなって言ったのに、登っただろ? しかも、夜中に。心配して捜しに行ったら、3人…じゃないか、2人と一頭…うーん、ゴブリンはどう数えるんだ? 一パイじゃねえよな」


「うん。それは今でも夢にみる。しかし、なんで憶えていないんだろう? 話を聞いているといつも一緒にいたみたいじゃない」


 ケンゾーがらっきょを齧りながら答えた。ケンゾー父が珍しく躊躇した。


ケンゾー姉が鍋の中に卵を流し込む。煙草をくわえながらケンゾー父が口を開きかけたとき、居間の電話が鳴った。



 ゴブリンのカードとゾンビのカード。実体化はできないけどね、そう言って金時が置いていった。谷山はベッドの上で二枚のカードを弄ぶ。3Dホログラフのモンスターがカードの上でくるくる廻る。カードの実験につきあえばレンムに会わせてくれると、マントの男は言った。下品な笑いが張りついたイヤな男だった。でも会わせてはくれなかった。だから抜け出した。


 谷山の想念に呼応したのか、手の中の2枚のカードがどくんと脈動する。


普通のカードは想念の出口が無いのだそうだ。詳しいことは知らなかったが、マントの男の説明では実体化にプロテクトがかかっているからということだった。


「寒かっただろう?」


 ふいに声をかけられた谷山がドアを見上げると、そこにマントの男が立っていた。口に張りついた嫌らしい笑いは相変わらずだった。


「季節の寒さに、心の寒さに、凍えたことだろうな」


 マントの男は懐からカードを取り出した。カードの中心が円錐状に隆起する。


円錐の頂点が綻び始め、内側から金属製のゴーグルをつけた女性の顔が覘いた。


「彼女が挨拶をしたがっている」


 カードの中から大きな錠前がついた首輪、錠前の影から見え隠れするふたつの乳房、そして背中から天に伸びる大きな翼が姿を現した。彼女とはルシファだった。谷山はカードを握りしめると病室の隅へと退いた。邪魔ばかり。


レンムに会いたい。会って話がしたい。それだけなのに、邪魔ばかり。レンムを騙すマルクトの連中も、笑ってばかりのマントの男も、閉じ込めれば済むと思ってるお父さんもお母さんも、みんな、邪魔ばかり。


 谷山の怒りが手にしたカードに流れ込む。出口の無いカードの中で想念が猛り狂った。


 吾妻病院心療内科病棟の一室。轟音とともに爆発が起こり、窓ガラスが吹き飛んだ。窓枠にはまった鉄格子が爆ぜた。


---


用語解説


スター・ウォーズ:ジョージ・ルーカスが監督したスペースオペラの大傑作。最初の構想では全12作という壮大なサーガだった。途中でルーカスが嫌になったのかどうかは知らないが、全6作に規模縮小となった。『スター・ウォーズ 新たなる希望』はほんとにエポックメーキングだったが、シリーズ最新作が公開されるに従い、テンションは下がっていく一方だった。デジタル技術の進歩で可能となった『スターウォーズ:エピソードI ファントム・メナス』は、単なるVFX品評会になっていた。79年公開当時の衝撃は現在どこにも存在しない。おまけに『スター・ウォーズ トリロジー』としてエピソード4~5は、デジタル技術で新たに編集、新撮部分が加えられた。しかし、これは改悪以外の何ものでもない。まあ、単純に私は79年公開版しか評価してないってことっス。エピソードⅦ以降はなんと言うか、複雑な心境になるなあ。


春菊:11~3月が旬の野菜。カロテン、ビタミンB2、C、カルシウム、鉄分などを多く含む。原産地はヨーロッパ南部の地中海沿岸。日本には15世紀ころに渡来した。ヨーロッパでは鑑賞用だが中国、日本、東南アジアでは食用とされている。


水菜:アブラナ科の緑黄色野菜。水菜は日本の京都が原産といわれている。 関西では千筋京水菜、関東地方では茎広京菜が多く栽培されている。


壬生菜:関西壬生地方原産の野菜で、現在でもほとんど京阪神地区で作られている。


『砂の惑星』:フランク・ハーバートのベストセラー小説の映画化作品。ディノ・デ・ラウレンティスが『エレファントマン』のデビッド・リンチ監督を起用して製作。リンチの独特のセンスが炸裂する絢爛豪華でフリークス満載、特撮はしょぼーんな傑作。音楽を担当したのは『99』『ロザーナ』のヒットで知られるTOTO。


ブラックブッシュ:アイリッシュウィスキー、ブッシュミルズのブランドの一つ。ハードボイルド小説でよく登場するお酒だったりする。


黒地に金で鯉が染め抜かれた細身のワンピース:このワンピースは実在する。原宿辺りの店で見ました。ハイ。


村尾:鹿児島県川内市陽成町の村尾酒造、杜氏村尾寿彦氏が拵えられた芋焼酎。昨今の芋焼酎ブームの影響で偽物まで出現した。村尾酒造製の芋焼酎は、ほかに薩摩茶屋がある。ほんとに一人で全部やってるので、生産量が少ないのだ。


齧り屋:この作品世界でのハッカーの俗称。


トロン:理想的なコンピュータアーキテクチャの構築を目的として、1984年に東京大学の坂村健博士によって提案されたコンピュータのOS。The Real-time Operating system Nucleusの頭文字を取ってTRONと呼ぶ。しかし、ケンゾー父が思い描いているトロンはたぶん、というか絶対に1982年に劇場公開されたディズニー映画『トロン』だろう。『ゴルゴ13』劇場版アニメと並ぶ、すごいデジタル映像&もどき満載の怪作(笑)。


ゼリービーンズ:19世紀末にアメリカで商業生産が始まった、豆の形にしたゼリーに砂糖をかぶせた菓子。小麦粉に香料、果汁などとシロップを加えて固めたトルコのお菓子・ロクムがルーツ。


らっきょ:ユリ科の多年草で中国原産のらっきょうのこと。ネギ類はなんでもそうだが、特有のにおいがする。初夏に茎を収穫して漬物にする。嫌いな人はとことん嫌いならっきょう漬である。


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