表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まほうはせかいをすくわない  作者: 加藤岡拇指
6/10

第六話「ヒメギクハアキラメナイ」


 掘さく機がうなりを上げている。掘さくの“さく”は「鑿」と書く。さく井業のさくもこの漢字を書く。


「難しいし、第一、読めんでしょ」


 依頼主に尋ねられたケンゾーの父は苦笑いした。ヒゲクマさんが依頼主に堀さく機の仕様を説明する。ちょうどそこに現れたのがケンゾー姉だった。最近の温泉掘さくはロータリー式が主流だが、個人的にはダウン・ザ・ホールハンマー式が好きだ。なんといっても響きが男らしくっていい。そう思いながらケンゾー姉は掘さく機を見上げた。


「最近のはボーリング櫓がいらないんだな。小さい頃見たヤツは異様にデカかった気がしたんだけど」


「まあな。ロングフィードタイプが出てからは設置面積も少なくなったし、街中での作業も楽になったよ」


「ふーん、櫓は櫓で面白かったんだけどね」


「ちっちゃい頃のお前ら、櫓に登るってダダこねやがって、往生したんだぞ」


 姉は腕組みしながら大きくうなずく。


「ありゃあ、登り甲斐があったなあ」


「ったく。やっぱりこっそり登ってたのかよ」


 笑いながらケンゾー父はハイライトに火をつけた。父の姿を視線の端で捉えながら、姉は話しかけようとした。


「ケンゾーのことだろ?」


 紫煙を吐き出しながら父が先に切り出した。


「まあね。母さん、関係あるんでしょ?」


「うーん。あるって言えばあるし、無いと言えば無い」


「どっちなんだよ」


 ケンゾー姉に真顔でツッコまれた父は苦笑いする。肩を震わせる仕種と同時に、紫煙が断続的に口元から洩れた。


「近いうちに帰る。そのときに全部話すとするか。まだ、ケンゾー、大丈夫だろ?」


「うーん、本人は気づいちゃいないみたいだけどね。かなり煮詰まってる、かな」


 父の問いかけに、姉はしばし考える。父はフィルターギリギリまで喫ったハイライトを指先で摘むとぴいんと拇指で弾いた。フィルターはくるくると回りながら地面に落ちていく。


「そうか……。まあ、ケンゾーくんが男になるにはちょうどいい機会なんじゃねえか」


「それが、保護者の言い分かねえ」


「うん、言い分だね」


 会話はそこで途切れた。父娘はしばらく黙ったまま掘さく機を眺め続けた。



 マルクト学園に行こうと思ったきっかけは、母親との思い出に関係がある。


ケンゾーはそう考えていた。写真で顔は知っている。アルバムに貼られた写真の中で、赤ん坊を抱いている女性が母親で、その赤ん坊が自分なんだろうと理解はできる。父と姉からそう教えられたから。しかし、母親が自分と一緒にいたのだというぬくもりの実感は伴わなかった。小さい頃のあやふやな記憶の中にしか母親はいない。そんな不確かな記憶だったけど、唯一鮮明に憶えていることがあった。それは、母親がぐずる自分をあやすのに使ったトランプだった。赤と黒、曲線と直線で描かれた4つの模様、1から13の記号が割り振られた52枚のカード。ケンゾーが母親から手渡されたトランプ。1枚だけのイレギュラーカード・ジョーカーは誰もが知るカードとは少し形が違ったような気がする。母が手にしていたカードはほんとにトランプのジョーカーだったのだろうか? そんな幼少の記憶を持つケンゾーがマルクト学園のカードバトルに敏感に反応した結果が、学園入学となったわけである。


 ケンゾーは自分のカードの脈動は、谷山の(おも)いに共振した結果起こったことだと考えていた。そんな事例がどこかに転がっていないだろうかと、学園の図書館で資料を漁ってみる。しかし、どこにもそれらしいものはない。


 スイッチブレイドのハウさんを襲ったのは、谷山のゴブリンなのだろう。


あれからレンムには会っていない。だけどなんとなくわかる。菊乃の話や谷山の言動から推理すれば、狙いはレンムだ。レンムから友人を引き離す姑息な手段。本丸を落すにはまずは外堀から。次に狙われるのは誰だろうか? 


「レンムを助けにきたよ。わたしとレンムの絆は、誰にも切り裂くことは出来ないもの」


 怯えて震えるレンムの前に立った、谷山が微笑みとともに残した言葉。


「ふざけるんじゃない。メーワクって言葉がわからん輩はさっさと消えろっ!」


 姉の罵声にも臆することの無い谷山の危うさ。背後で地面に落下して耳障りな破砕音をあげる街灯。視線をそちらに移せば街灯に取り付いたゴブリンが、めきめきと照明を分解している。派手な破砕音と谷山の嬌笑が重なり合う。


 レンムが悲鳴にならない悲鳴を上げている。


 ゴブリンは数十匹はいた。あの場にいた全部が実体を持っていたのか? なぜ自分のカードは共振するのか?


 深夜の出来事がぶつ切れに甦る。ケンゾーは硬い図書館のイスに背をもたれながら大きく溜め息をつく。


「姉さん、晩御飯はいるのかな?」


 混乱した頭を再起動するかのようにケンゾーは独り口した。



 学園の前には大きな公園が広がっている。学校から公園へと続く大きな散策路のベンチに、如月と金時は座っていた。如月はチュッパチャップスをくわえながら、相変わらずの格好でベンチにでれんと伸びている。その横に座った金時はウクレレで『アクアマン』をつま弾いていた。


「絶対に実体だった」


 韻を踏んで呟いたのは如月だった。如月は呟いたつもりだったが、かなり大きな声だったようで、驚いた金時のウクレレが音を外して鳴り止んだ。


「そもそも、なんであの女、カード持ってるのよ」


「確かに。ハウさん襲ったのもあいつだし。そんでもって今度は我々の前に姿を現した。っていうか狙いはマスカラさん、なんだろうなあ」


 気を取り直して金時はデモニアの『Opera』を弾きだしながら、如月に答えた。


「レンムは彼女知ってるみたいだったしね。でも、レンムを孤立させようっていうなら、もっとこう、狙う相手がいるんじゃないの? 例えばケンゾーとか。そっちの方が効果絶大でしょうに」


「うーん、からめ手で行こうとしたんじゃないの? レンムが関係ある人ーーこの際、親しさとかは二の次でーーを軒並み襲っていけば自然と……」


「『レンムに関わるとひどい目に遭う』とみんなは思い込む。なるほど。ライブできなくなって困るのはわたしだったもんね」


「ところがお節介な野郎がライブを可能にしてしまった。で、作戦変更。姿を見せて次に狙われるのは誰かって、みんなを不安にさせる」


 再び音を外して、金時が自嘲ぎみに笑う。如月が複雑な表情を浮かべたとき、二人の前をリストラ吉田さんが通り過ぎた。大穴だった吉田さんはM-1で優勝を勝ち取った。どんなオイシイことが吉田さんの身の上に起こったのかを誰も知らない。しかし、学園祭が終わってから吉田さんは、明らかにケンゾーや金時を避けていた。金時はそんな偉そうな態度をとる吉田さんが、なんとなく気に入らなかった。優勝するために吉田さんは修行と称して、結構、外でカードバトルをしたという噂もあった。ストリートバトルはその場、その場でローカルルールが違うから、バトルではアドリブは効くようになるんだろう。


 金時と如月のベンチに影が差した。通り過ぎたはずの吉田さんの影だった。吉田さんはなにか迷っているような表情で、金時をみつめていた。顔を上げた金時が『ラッキーマン』をつま弾く。吉田さんは金時の前におもむろにメモ用紙を突き出した。


「正直言ってこんなことするのだっていけないんだ」


 吉田さんの顔には歪んだ苦悩の表情が張りついていた。金時が受け取ったメモにはURLが書きなぐられていた。



 ケンゾーはキッチンにぼんやりと座り、リビングを見渡していた。実体化したゴブリンの姿が頭から離れない。


「辛気くさいな、青年。親父から伝言。『帰るまでぐるぐる悩んでろ』って」


 帰宅した姉が牛乳片手にいじわるそうに笑った。ケンゾーは迷惑そうに眉を寄せた。気分転換を考えたケンゾーは外へと飛び出した。特に目的があったわけでは無いのだが、自然と脚が向いたのは鈴蘭の街灯が等間隔で立ち並ぶ、結野山商店街だった。明樂はちょうど店じまいしているところだった。


「今日は、外套は、なしかい?」


 レンムの祖父がにこりと声をかける。ケンゾーは自分の気持ちをどう伝えていいのかわからずに、黙ったまましばらく立ち尽くした。いぶかしそうに祖父がケンゾーをのぞきこむ。


「頭の中がぱらぱらぱーで。その、くるくるです」


 祖父がしょうがねえなあという表情で短く笑った。レンム祖父は煮詰まったケンゾーを手招きで店の中へと誘った。作業台の上には白生餡とグラニュー糖、求肥があった。


「練切、作る、かい?」


 肩ごしに振り向いた祖父がにかっと笑う。ケンゾーは呆然としながら、頷いた。


 さて、レンムである。学園祭の夜から彼女の時間は、結野山商店街に引っ越してきた時に戻ってしまった。暗い気持ちで塞ぎ込んでいる。レンムは自室の窓から隣の小松屋を眺めていた。しばらくすると菊乃が店から出て来る姿が見えた。菊乃はいつもの習慣なのか、レンムの部屋を見上げている。そこにレンムの姿をみつけた菊乃が笑顔で手を振った。レンムはなんとなくおどおどしながら手を振り返した。


 あれ? なんで私泣いているんだろう。レンムは涙が頬を伝う感触に驚いた。


菊乃は心配そうにこっちを見上げている。自分の周りを消去して、再起動をかけたつもりでいても、生きてきた時間は消せはしない。楽しかった記憶は思い出に昇華し、消し去りたい記憶は澱のように心の底に沈んでいく。澱はちょっとした衝撃でかき乱され、心を覆ってしまう。だからって目をつむっちゃいけない。それじゃ、同じことを繰り返すだけ。無くしちゃいけないものもあるんだ。友達は現れてすぐに去る。どうもそうではないらしい。マルクト学園に通い始めてそう思った。教えてくれたのは金時だし、如月さんだし、それにケンゾーだ。


 レンムは言葉に出来ない衝動に動かされて階段を駆け降りていた。


「きくちゃん!」


 呼ばれた菊乃が振り返る。レンムは裸足で通りに立っている。菊乃はゆっくりとレンムに近づいていった。


「なに? どうしちゃったのレンム?」


 久しぶりに面と向き合ったはずなのに、菊乃は戸惑うことも無くレンムを受け止める。何気ない言葉がレンムの胸を打つ。新しい涙が頬を流れ落ちる。


「きくちゃん!」


 レンムは心の内を伝えたいのに、泣いてしまってうまく喋られない自分をもどかしく思う。レンムを気づかう菊乃が、ふいと視線を外して軽くお辞儀をした。泣きながらレンムが振り向くと、そこにはサンダルを手にした祖父が立っていた。その後ろには心配そうなケンゾーの顔も見える。


「グズ……。サンダルぐらい、履いときな」


 レンムはたまらず大声を上げて泣きだしてしまった。



「チートは当たり前だよ」


 そう言うとチーターの沙E弩はにやりと笑った。リストラ吉田さんが金時に手渡したメモに書かれたURLは、ストリートカードバトルのアングラサイトのアドレスだった。サイトではいつ、どこで、カードバトルが行われるかが、サイト内スラングで告知されていた。そこからが大変だったのだが、とにかくいろいろ調べて金時と如月はこのカラオケスタジオに辿り着いた。ストリートだからといってどこかの路地裏というわけではなく、イベント会場の片隅や、インターネットカフェの一角でバトることもあるんだそうだ。


 チートとはコンピューターゲームから生まれた言葉で、プレイヤーがゲームの進行にかかわる内部的なデータを改変することだ。カードバトルの場合は、カードのプログラムをいじって、記録されているモンスターのステータスなんかを操作することを言う。カードリーダーなんかを使ったチートツールで書き換えは可能らしい。さすがに無敵なんてむちゃな設定はだめだが、場所によって許されるチートと許されないチートがある。沙E弩が言うにはモンスター実体化のチートなんて、ファンタジーでばかばかしいことなのだそうだ。

「夢だよ。半分は都市伝説だよ。そりゃ念いが強ければ強いほど、モンスターの精度は上がるけどさ。だからって実体化なんて、あるわけないよ」

 実体化には特別のチートツールが必要らしいとか、俺はもしくは私は実体化したモンスターを見たとか、信憑性が全くない噂ばかりがあるだけだという。金時と如月はがっくりとうなだれた。


「まあ、あんなもんだよな」


「そうよね。所詮は夢物語……」


 しかし、自分達が目撃したゴブリンは、都市伝説でも何でも無い。本物だった。カードを実体化させる方法は必ずあるはずなのだ。如月はそんな思いを振り切るように明るい声で切り出した。


「そんじゃ、わたしはスタジオで絶叫してくるね」


「了解。俺はバイトに行くとしますかね。ハウさんによろしく」


「ウぃーっす」


 バンド練習だという如月と別れた金時は、駐輪場から自転車を漕ぎだして、コンビニへと向かった。いつものように公園の中を通って近道をする。少し前に嗅いだ嫌な臭いが金時の鼻を襲った。その瞬間、金時の身体は宙を浮いていた。


背中から落下したため、呼吸がうまく出来ずに地面をのたうつ。倒れたまま荒い息で前方を睨み据えた金時の逆さまの視線に、フレームインしてくる素足があった。


「あ、やっぱり……。次は、俺なんだ」


 身体を起こした金時の目の前に立っていたのは、白いワンピースの少女・谷山とゴブリンたちだった。手にしたカードから谷山は、ゴブリンを沸き出すように召還している。金時はごくりと生つばを呑込んだ。谷山はゴブリンたちを見渡しながら、人さし指を下顎にあてた。小首をかしげて考えている姿は、この非常識な状況じゃなければ、儚気にみえたことだろう。谷山は金時にぴたりと視線を合わせると、例のいやな笑いを張りつかせる。


「それじゃあねぇ、うーん……ツノ」


 ツノは攻撃力が上がるパワーカードだ。たちまちゴブリンはツノゴブリンへと姿を変えていく。金時は自転車から空気入れを取り外すと、右手で持ち直した。武器にしては心もとないが、そう都合良く鉄パイプや角材が落ちているわけも無い。圧倒的に不利な状況だ。ヘタしたら殺されかねない。だけど一矢報いておかないとね。


「片思いも度が過ぎると、はた迷惑なだけだ。そうだよね? 谷山さん……だっけ?」


 金時は険しい目つきで谷山を挑発した。谷山の怒りを代弁するように、ゴブリンたちがごおと吼えた。



 レンムが谷山に出会ったのは中学校に入学した時だった。


「れんむ、あなたと小さい頃良く遊んだわよね。憶えてる?」


 初めて声をかけてきた谷山は、優しい表情だったのを憶えている。社宅住まいだったレンムは、転勤や何かの理由で人が激しく入れ代わる様を見てきた。4月に出来た友達が秋にはいなくなることなど、いつものことだった。レンムは憶えていないだけで、谷山が小さい頃に遊んだというならばそうなのだろうと思った。


 最初はなにかと頼ってくるコだなくらいの存在だった。それは少しの間だけだった。レンムが他の友達と話していると、横から現れて無理矢理会話に参加する。谷山は学校にいる間はどんなときでも常に、レンムの側にいるようになった。レンムは今までの友達と疎遠になっていった。谷山がレンムを拘束していることは、周りにもわかるほどだった。レンムは谷山の行動が原因で、以前からの友人がよそよそしくなったことを特に変だとは思わなかった。それはレンムが社宅住まいだったからかもしれない。友達が出来ても、親しくなる前に親の栄転や左遷で、すぐにいなくなってしまう。友達というものはそういうものなのだと、あきらめ半分にレンムは思っていたのだ。


 だけど、レンムは商店街の友達・菊乃だけはほんとの友達だと信じていた。夏休みや春休みになると祖父のもとへ遊びに行く。そこには必ず菊乃が待っていた。会いにいけば必ずいてくれる。社宅の友達とは違う、確かな存在。レンムは菊乃に会うと、自分はひとりぼっちじゃないのだと安心することが出来た。


 谷山も社宅の友達と一緒だ。レンムは谷山のことはその程度にしか考えていなかった。さすがに周囲も良心が咎めたのか、ある日、谷山を諌めたことがある。友達との距離には限度があるはずだ。レンムはあなただけの友達ではないのだ。あなたの行動でクラスのみんなが迷惑をしている。最初こそ、冷静な話し合いだったのだが、谷山自身に反省の色が全くなかったため、最後は全員が感情的になった。そう、谷山は自分のどこが悪いのか、全く自覚がなかった。彼女には距離など最初から存在しなかったのだ。


 レンムはといえばクラスを巻き込んだこの一件で、友達はすぐに消えていくものという、これまた危うい考えを持っていることをみんなに知られてしまった。それまではレンムに同情的だったクラスメイトは、レンムのもとから去っていった。


 ノートの切れ端やメモなどに手紙を書いて、授業中にやり取りをする。レンムと谷山もそんな他愛無いことに興じていた。その手紙を谷山は大事に保管していると、嬉しそうに話したことがある。谷山はレンムのもとへ毎日のように電話をかけてきていた。その内容も録音して大切にしまってあるという。


「れんむはわたしの大切な友達なんだから」


 谷山の大切な友達でいることが、レンムには段々と重荷になってきた。しかし、相談したり愚痴をこぼす他の友達は、すでにクラスには一人もいなかった。自分で蒔いた種だった。谷山は週に何度もレンムの家を訪れた。


度重なる谷山の訪問に、母は不信感を抱いていた。レンムが家にいないと知ると、谷山はすぐに帰るのだが、ものの数分もしないうちに再びレンムの家を訪ねてくる。それが幾度となく繰り返された。母が諌めたことがあった。


「なんで、お母さんまで二人の仲を裂くようなことをいうのぉっ!」


 途端に谷山は半狂乱な状態になった。場所が社宅なだけに、大騒ぎされてはどんな噂が流れるかたまったものではない。やむなくその場はレンムの母が折れる形とになった。母は谷山の両親に苦言を呈したこともある。うちの娘がそんなことをするはずがない。言い掛かりをつけるのも大概にしてほしい。谷山の両親の反応は娘には落ち度はあるはずがないというものだった。


 後悔というのは先に訪れることは決して無い。レンムが後悔したのはすでに谷山につきまとわれて、がんじがらめになった状態が続くある日のことだった。


 谷山が遊びにきた。片手に持ったレジ袋に、紙袋に包まれた四角いそれがあった。


「もうそろそろかなと思って。れんむが使っているのはこれでしょ?」


 多いときも安心。


 スリムなフォルム。


 大きな羽根。


 それはレンムが愛用している生理用品だった。


 レンムは無言で谷山を追い出した。ドアをたたく音がずっと続いた。夜は執拗に電話が鳴った。しまいに母が電話線を引き抜いた。そのすぐ後だった。叔父が亡くなり、父がリストラに遭い、祖父に助けられたのは。


 夕暮れの公園のベンチ。風に揺れるブランコが長い影を砂場に落す。泣きながらレンムは胸につかえた思いを吐き出した。菊乃は黙って聞いていた。


「きくちゃんが事故に遭った後、彼女からメールがきて……これ以上、仲良くしてたら…」


「ふーん、それで私のこと避けてたんだ」


「だって…友達にひどいことされたくなかったもん」


「その友達を避けるのもひどいことだよ。なんで一言言ってくれなかったの」


 言えなかったのだ。自分が谷山に抗うことで周囲に被害が出ることがほんとに怖かったのだ。これ以上、大切なものを失うのは嫌だったのだ。


「きくちゃんがいなくなったら、私は…私は…」


 壊れてしまっていただろう。またレンムは大声で泣き出した。菊乃がレンムの頭を抱き寄せる。夕暮れの公園のベンチ。風が優しく吹く。



 誰袖と金刺はいつもの時間にコンビニに買い出しに出た。金刺は誰袖がマメに会いたいだけで、コンビニに買い出しに出かけるのだと知っていた。少し面白くはないが、まあ誰袖がきらきらしているのも悪くはないと放置している。誰袖はガードレールに腰かけた金時をみつけて声をかけた。走っていく誰袖の後ろ姿を見つめながら、金刺は思った。もう、マメはバイトの時間じゃなかったっけ? 金時は自分の名前を呼ばれて、惚けたように顔を上げた。金時の直前で誰袖が固まった。


「俺、バイト行かなくちゃ…」


 額から赤い血がだりりと垂れる。誰袖は自分の服が汚れるのも構わず、金時を抱きしめると金刺を振り向いた。


「マメちゃんが! ……に、煮豆っ!」


 パニック状態の誰袖のもとに、金刺が駆けつける。金時は金刺の姿を見つけると、右手を突き出した。金刺がいぶかしそうに見遣ると、右手にはゴブリンのカードが握りしめられていた。


 練切を作ることはぐるぐると煮詰まったケンゾーを解きほぐしていった。レンムのことは心配するなと笑う祖父に別れを告げて明樂を出たところで、ケンゾーは異変に気がついた。カードが脈動する。辺りに腐臭が漂っている。足元に何かが転がってきた。血に濡れた空気入れだった。


「次はあなたのバーン。ゴブリンが好きだったの。でも今はいないの。ちょっと臭いがすごいけど、このコたちもカワイイわ。クサヤと同じで慣れれば心地よいもの」


 白いワンピースのところどころに、深紅の飛沫をコラージュさせた谷山が謳う。外の異変に気づいた祖父が店から顔を出した。


「爺さん、来るなっ! シャッター閉めろっ、早く!」


 いつもののんびりしたケンゾーはどこかに消えていた。ケンゾーの気迫のこもった叫びに、祖父は掌を向けて合図を送ると、さっさとシャッターを閉めた。いくつもの濡れたモップが床をたたく音が聴こえる。それは谷山が召還したゾンビの足音だった。谷山はパワーカードを取り出した。


「これ、なーんだ」


 ドクのカード。モンスターに毒攻撃を付与するカードだ。はなっから毒を持つゾンビはこのカードで、100%の毒攻撃が可能になる。


「ああっ、クソっ! この役立たずがぁッ!」


 ケンゾーは自分の非力を呪うように、手にしたカードデッキに毒づいた。ケンゾーの怒りに呼応するようにカードの脈動は早くなった。その瞬間、ゾンビのぬるんとした拳が、ケンゾーの顔面を捉えた。



 ゾンビはケンゾーにとどめの一撃を加える寸前で動きを止めた。ずたぼろのケンゾーの前にレンムが立ちはだかったからだ。泣き腫らした目はきつく谷山を睨みつけている。公園から商店街へ戻ってきたレンムは、明樂の前に立つ白いワンピースをいち早くみつけていた。菊乃に逃げるように告げるとレンムは走り出していた。知らないうちに裸足になっていた。自分でも信じられないほどの素早さで、ケンゾーとゾンビの間に割って入ったのだった。


「れーんむっ、やっと来てくれた。みんなが邪魔してなかなか会えなかった。わたし寂しかったのよ。これで、また友達ね」


 谷山はにこりと笑った。レンムは頭を下げると、谷山の声なんて聞こえないというように大きく首を横に振る。頭を上げたレンムは真正面から谷山を見据えた。


「友達はそんなことはしないもの」


 レンムの意外な言葉に谷山が少し驚く。


「会えなかった分、取り戻さなくちゃね。明日は何して遊ぶ? わたしはねぇ…」


 レンムの言葉は聞こえなかったことにして、谷山は話題を変えようとした。言葉を畳み掛けて優位に立とうとする谷山を、レンムの言葉が遮った。


「わたしは、わたし自身が一番かわいいし、わたしはわたしのまわりの世界がいちばん大切で、生きていくことだって大変だと思っている。あなたが傷つけたきくちゃんだって、マメちゃんだって、如月さんとバンド仲間だって、みんなわたしの世界の大切な一部」


 レンムはよろよろと立ち上がろうとするケンゾーを一瞬振り返った。ケンゾーが申し訳なさそうにぺこりとお辞儀をする。ケンゾーのそういうとこ、気に入ってるよ。レンムは口の端で少しだけ笑うと、谷山に向き直った。


「そのなかでも、ケンゾーはいちばん大事なの! 彼がいなかったら今のわたしは絶対にいないっ!」


 え? レンムには何もしていないのになあ。切れ切れの意識でケンゾーは思った。


「立ち直ろうとするわたしの側に、ケンゾーはいつもいてくれた。何もしなくてもそれがどれだけ支えになったか、あなたは絶対わかんないわよ」


「わたしがあなたをいちばんわかっているのに……」


 谷山がぎりりと奥歯を噛み締めた。一緒に唇も噛んだのか、血が滲んでいる。


「いちばんわかってないのは谷山さん、あなたなのっ! あなたがいちばん大切で特別だと思っているのは自分のことだけなのよ!


 誰も自分をわかってくれないから、傷ついた自分は特別だから、だからみんなを傷つけていいわけ?


 どうしてあなたは自分に向き合わないの? めんどくさいからって、全部誰かに背負わせちゃうの? もう、うんざりよ。迷惑だから、わたしの世界に入ってこないで!」


 レンムは一旦言葉を切った。谷山の顔が険しくなる。それでもレンムは怯まなかった。レンムの心の叫びに谷山が絶叫で答えた。


「誰だって、誰かに理解されてるじゃない! 受け入れられてるじゃない! 愛されてるじゃない! 護られているじゃない! どうして? どうしてわたしには居ないのよ? レンムがそうじゃなかったの?」


 レンムは大きく息を吸い込んだ。


「わたしの世界にあなたはいない!」


 辺りに立ち込めたゾンビの体臭が消えた。地面にひざをつく谷山を残して、ゾンビはかき消すように消えてしまった。レンムはケンゾーを抱きしめた。白い自転車が2台、立ち漕ぎする警官を乗せて近づいてくる。その後ろに赤色灯を点滅させながらパトカーが姿を見せた。赤色灯に照らされた菊乃がレンムに近づいていく。松葉杖じゃなかったら、走っていけるのに。


「でも、これ松葉杖じゃないのよね。たしか……ロフストランド・クラッチ」


 言いにくいったらありゃしない。祖父が呼んだらしい警官の到着で、騒がしくなってきた明樂にゆっくりと近づきながら、菊乃は嬉しそうに笑った。



 ケンゾーは夢を見ていた。夢の中でケンゾーは親父に危ないから登るなと言われたボーリング櫓に登っていた。横には大はしゃぎの姉がいた。その横にもう一人がいた。親父の仕事場に遊びに行ったときに、仲良くなった子がいたんだろう。3人でずんずん櫓を登っていく。みんな楽しそうに笑っている。


 そこでケンゾーの目が覚めた。病院のベットの上。白い天井。横を見ると丸イスに座って、器用に居眠りするレンムがいる。ケンゾーは微笑んで眠い目をこすりながら考える。


 もう一人いた。


 うー。誰だっけ?


---


用語解説


ダウン・ザ・ホールハンマー式:軟岩層や硬質岩盤、または逸水の激しい地層の掘さくに最適な方式。ケンゾー姉が言うように、がつんがつんと岩盤を削る姿は男らしい。


ハイライト:1960年6月に発売が始まった煙草。20本入りで、タールは17mg、ニコチンは1.4mgとかなりキッツイ。1946年1月に発売されたショートピース(10本入りタール29mg、ニコチン2.5mg)よりもライトだが、ショートホープ(1957年7月発売。10本入り タール14mg ニコチン1.1mg)よりは強めな煙草として颯爽と登場した。両切りキャメルと共にある一時代を象徴する煙草である。いや、だって昔の映画やテレビドラマじゃ、役者がみんな喫っているんだもん。現在の主流である煙草はタール1mg。だが、こいつに慣れてしまうと軽い煙草はちゃんちゃらおかしく思っちゃいます。あんなもんは全然煙草でもなんでもないっす。やっぱ男は黙って、ピースかハイライトかホープです。あと、峰とチェリーも許す。キャスターなんかでヒヨリやがったら、ゴツゴブリンの刑。


アクアマン:大ヒットとなった『サスペリア2』のサントラに続いてプログレバンド、ゴブリンが1975年に発表したアルバム『ローラー』の2曲目。このアルバムは見込まれたほどのヒットにはならなかった。その後、ゴブリンはプログレバンドというよりも映画の劇伴音楽専門バンドとしての需要が増していくことになる。


Opera:ゴブリンのリーダーだったクラウディオ・シモネッティが率いるバンド・デモニアのアルバム『デモニア』の4曲目。このアルバムはダリオ・アルジェントが亡くなった後に、アルジェントに捧げられたものでもある。


ラッキーマン:エマーソン、レイク&パーマーのデビューアルバム『EMERSON, LAKE &PALMER』(1970年)の最後を飾る曲。リードボーカル&ベースのグレッグ・レイクが独唱する切ない歌。幸せだった男の歌なんてリストラ吉田さんにはぴったりかも。


求肥:白玉粉を水で溶いてこね、強火で蒸す。これを冷まして練った後、砂糖・水飴を加えたもの。唐菓子の技法が日本に伝来したもので、その感触が牛の皮に似て、柔らかいことから牛皮と呼ばれるようになった(中国では牛碑)。その後、獣の名がついていることを嫌い、現在の求肥という字に改められた。


沙E弩:ジョージ・アレック・エフィンジャーのSF小説『重力が衰えるとき』『太陽の炎』に登場する端役の名前のもじり。


煮豆:神話時代から日本人の食生活と結びついてきた最古の穀類料理。煮豆が無かったら納豆や豆腐という加工食品も生まれなかったに違いない。煮豆は一晩水で戻さなくちゃならないし、煮ている間も常に豆が湯から出ないように水を足さなくちゃいけないし、味付けも煮過ぎると豆が硬くなるから、煮汁だけ煮詰めて濃縮した煮汁に漬け込むことを数度繰り返さなくちゃいけない。それほど煮豆を作るということは大変なんである。ということで煮豆は偉大だ。


クサヤ:伊豆諸島の特産品。青ムロ、ムロアジ、トビウオを開いて、腸などを入れた塩分の強いくさや汁に漬け込んでから干した干物。焼くとすんごい臭いがする。焼くときは必ず背の方から焼くこと。通常の干物よりも水分が少ないので焦がさないように注意が必要。色がついたところで身の方を30秒ほどあぶって出来上がり。間違っても部屋の中で焼かないこと。ドリアンを食べたときの口腔内に広がるアノ臭いがずっと、部屋に充満すると思いたまヘ。


ロフストランド・クラッチ:介護用品。握力が弱くて一本杖などが使えない人のために、握り部分と前腕を支えるカフで構成されている。『ウルトラマンレオ』のモロボシ・ダン隊長の杖といえばわかるだろうか?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ