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まほうはせかいをすくわない  作者: 加藤岡拇指
4/10

第四話「ハダシノショウジョニトモハナイ Part1 of 2」


「まいった、まいった」


 恥ずかしそうな苦笑いとともにレンタルスタジオに現れたハウさんは、右腕を三角巾で吊っていた。スイッチブレイドはヴォーカルの如月、ギターのハウさん、ベースのイソメ、ドラムのショッポの4人がメンバーだ。


「その右手じゃ、しばらくライブは無理だね」


 イソメがベースをボボ、ボ、ボベボンと鳴らす。ハウさんは残念そうにうなずき、ベンチに腰を下ろした。慣れない左手で、たばこを取り出して四苦八苦しながら火をつける。ハウさんの一連の仕種を見ていたショッポが、『ハートに火をつけて』のドラムリズムを刻んでにやりと笑う。ハウさんも紫煙をたなびかせながら苦笑いしてみせる。神妙な顔つきの如月がマイクスタンドに身体を預けながら、物憂気にハウさんに訊ねた。


「ゴブリンに襲われたっていうけど、マジ?」


 ハウさんは三角巾に隠された右腕をちらりとみつめてから、如月に視線を移す。


「マジ。警察には小柄な男って証言したけどね」


「ひょっとして、こんなやつだったとか?」


 如月がポケットからごそごそとカードデッキを取り出す。その中から1枚のカードを抜き出し、ハウさんの目の前に持っていく。カードの上にゆっくりとゴブリンの3Dグラフィックが浮き上がった。ハウさんが少しだけ目を見張る。


「まさしく、それ。羽根があったように見えたのは勘違いだね。ゴブリンでGoblinを思い出しちゃったんだろ。我ながら混乱してたんだなあ」


 ハウさんのゴブリン発言に半信半疑だった、如月の顔が真剣さを帯びた。


「マジ?」


「マジで」


 如月はマイクスタンドから離れて、ハウさんの座るベンチに身体を投げ出すようにどかりと座った。マルクト学園の使うカードデッキは、一応学園オリジナル。カードに印されたモンスターたちは、実際に実体化するわけではなく、人の思念に応じて3Dグラフィクスがつくり出すまがい物の実体化だ。そんなわけだから、カードのモンスターが人様に物理的な悪さをするわけがないのだ。クローン技術でホムンクルスでも作りましたとか、転送装置で人間とマイクロノウツが遺伝子融合したとか、SF映画じゃあるまいしありえっこない。じゃあ、本当に魔法で化け物を呼び出したのか?


「魔法でモンスターを召還……できるわきゃないか」


 如月はスタジオの白い天井を見上げると、ぼそりとつぶやいた。



 ケンゾーはレンム祖父との約束で、彼女の送り迎えをすることになった。


そのために自宅の夕飯を、早朝の弁当作りと同時に済ませなくてはならなくなった。こうしておけば帰宅してから下ごしらえしておいた惣菜を暖め直すなり、少し手を加えるだけで夕飯が準備できる。これがケンゾーにとっては、すこぶる効率的だった。レンムの送り迎え期間が終わっても、朝に食事の準備を全部済ませてしまうのは有効だなと考えていた。父は都内の仕事が一段落したらしく、今は地方巡業へ出かけている。姉はいつも同様にムスッと起きてきた。しかし、今日は通勤仕様の地味な服装ではなかった。モノトーンのキャスケットに、ピンクのボーダーのタートルネック、オレンジ色のエナメルのミニスカという出立ちだ。いつもと違う姉の姿に、ケンゾーの薄焼き卵を作る手が止まった。


「驚いたか、ケンゾー」


「うん。素直に驚いた」


「まあ、心境の劇的変化が外見に顕われたということだよ」


 そういうと姉はいつものように冷蔵庫から牛乳を取り出し、ひとくちぐびり。飲み口がうっすら紅く染まる。


「あ。口紅ついちまった。慣れないことをしてはいかんね」


 通勤仕様で地味衣装バージョンの姉は、いつもリップグロスだったので、ぐびりとやっても飲み口にキスマークがつくことがなかった。まあ、姉専用牛乳パックなので、だれも文句は言わなかったわけだけど。寝起きでムスっとしているわりに、姉はいつもよりも言葉が多かった。


「キミの姉は会社を辞めるのだよ」


 ケンゾーはこげだした薄焼き卵を慌てて取り出した。そんなケンゾーをみつめて、姉はにやり。

「私の中身がどんなもんかは、一緒に暮らしているケンゾーならわかるでしょ。ところが、会社の連中は外見でしか判断しない。まあ、人並み以上だった私の外見も良くなかったね。連中に調子あわせて、か弱い女を演じるのはもう、あきちゃった」


 ケンゾーはとりあえず薄焼き卵作りを止めて、しばし考えてから口を開いた。


「受付嬢って、姉さんの柄じゃないと思ってた。いつ、爆発するんだろうって」


「あはは。爆発しちゃったよ。今日、辞表をばしっと出して、今月一杯のんびりしてやるんだ。男どもより受付仲間のランチ集団ってのが一番うんざりだったな。彼女くんたちはつるむだけじゃなくて、お互い監視しあってんだもん。そんなに一人になるのが不安かよってね」


「ばしっと頑張って」


 姉は大きくうなずくと黒いエナメルコートを羽織って玄関へ向かった。玄関でこれまたエナメルのロングブーツと格闘する。


「ケンゾー! 今日はできたてあっつあっつのゴハンが喰いたい!」


 と姉が玄関で叫ぶ。再び薄焼き卵に取りかかったケンゾーは背中越しに大きな声で言った。


「約束しちゃったからダメー。それにまだ麩饅頭の作り方教わってないしね」


「それ知ってる。ピーター・セラーズの遺作でしょ?」


 フー・マンチューは知っていても、姉は麩饅頭を知らなかった。



「誰かギター出来るひといないかなあ。TOMOさん、大ピンチみたいで、衣装打ち合わせも気が引けちゃうのよねー」


 誰袖はコンビニでバイト中の金時にぼやいた。買い出しにやってきた誰袖が金時に、スイッチブレイドのハウさん負傷の話を聞かせたのだ。ちょうど弁当やらなにやらが届いて、品物の入れ替えで忙しいときなのだが、コンビニのアイドル・アンジェラさんを邪険にはできない。金時はなにやら思案顔で弁当を陳列する。誰袖はその横で腕組みして、うんうん唸っている。一列並べ終えた金時は誰袖に声をかけた。


「アンジェ……じゃないや、誰袖さん」


「ほい。あのー、前から気になってたんだけど、言いかけてやめちゃう“アンジェ”ってなんすか?」


「ああ、アンジェラ。誰袖さんのこと、モデルみたいだってんで、ここのバイト仲間はそう呼んでる。それはどうでもよくて、ちょっとお願いがあるんだけど、いい?」


 誰袖は自分にもあだながあったことを知って、大きな口をにーんと笑顔にして喜んだ。


「へー、私にもあだなあったんだー。そっかー、モデルですかあ……エヘヘヘ。で、お願いってなに?」


 頭をかいてニヤニヤと照れまくる誰袖に、金時は言葉を継ごうとしたのだが、タイミング悪く店長に声をかけられてしまった。焼き餅焼きめ。


「後で、連絡するよ。あ、連絡先は……」


「携帯番号教えて」


 金時は言われるままに番号を教えた。誰袖は素早くボタンを操作する。


「へー、番号、ソラで言えるんだ。私は番号憶えるの苦手なんだよね。マメちゃんとこにワンギリしといたから、着信履歴から宜しくッス」


 そういうと誰袖は店長に愛想笑いをして、コンビニを後にした。店長がうらめしそうに金時を見つめている。


 その日の夜。金時が駅前の細い路地を入った建物の小さなドアを潜り地下に降りていく。そこはカウンターと小さなステージがあるバーだった。壁面はガラスケースが埋めている。飾られているのは、アコースティックギターやエレキギター、シタール、マンドリンなどの弦楽器。中には大弦などといった見たこともないような楽器も並べられていた。カウンターの奥には小柄な老マスターが、店と気配を一体化して鎮座ましましている。


「よう、金ちゃん。久しぶり」


「マスター、これ借りていい?」


 金時が指を指したのは、ちんまりとしたギターだった。


「金ちゃん、ギターは弾けたんだっけ?」


「ウクレレだけ。でも、4弦も6弦も変わりはないでしょ」


 マスターはそれはどうだろうね、という笑いを浮かべて飲み物を作り始める。


ギターを弾き始めた金時は少しだけ弾いてみて、まったくギターのコードがわかっていない自分に気づいた。


「コード知らなきゃやっぱり、無理だよねえ」


「だねえ」


 金時は仕方なくという感じでウクレレ(KOALOHA)に手を伸ばした。


コードを押さえずに解放した弦を上から一つずつ鳴らしていく。


 ソ。

 ド。

 ミ。

 ラ。


 KOALOHAは少し歪んだ声でソドミラ(ハナコサーン)と歌った。金時の調弦する手つきは慣れたものだった。KOALOHAのハナコサーンが調子を取り戻したとき、バーにおっかなびっくり顔を出したのは誰袖だった。金時は誰袖を見つけると、KOALOHAを弾き始めた。誰袖はKOALOHAが奏でる聴き慣れたメロディに感嘆の声をあげる。早くおいでよ! とバーの入り口の方に声をかけた。金時は弦を弾きながら入り口に視線を移す。


「へー、やるじゃん」


 入り口に現れた相手の声と姿に緊張したのか、金時は押さえるコードを間違えた。KOALOHAが調子外れの高音を鳴いた。


「みんなはマーチンが最高だっていうんだけど、僕はKOALOHAの音が好きなんですよ」


 金時は照れたのか、聞かれてもいないことを説明しだした。



 マルクト魔法学園の学園祭は、特に他の学校と違うことをやるわけでもない。


高校や大学、その他専門学校と同じように学園祭は文化部の唯一の発表の場となる。元々、マルクト学園は文化部系活動が幅を利かせている。とはいっても、学祭ではお馴染みの焼そば、たこ焼き、豚汁屋なんていう露店が軒を連ねるし、各クラスが喫茶店やお化け屋敷や駄菓子屋やバザーなんていう企画で出店もする。ミスコンだってある。


「Mー1の開催時間には、なるべく重ならないようにしないといかんよなあ」


「あれやってる間は客、来ないもんなー」


「去年3年がやったMー1カフェは結構客入っていたじゃん」


「あれ、企画したやつが途中で負けちゃって、出店権利とりあげられちゃったって聞いたぞ」


「優勝したカノマタは、あれから見ないけど」


「ああ、なんかどっかの研究職に就いたとか聞いたけど」


 食堂で学生達が噂しているMー1とは、学園内の有志とネット放送『King of Wands』の上位ランキング者を招聘して行われる、幻獣闘技トーナメントのことだ。この闘いで優勝すれば成績はもちろんのこと、まあいろいろとおいしい特典がいただけるという。学費全額無料とか、まことしやかに存在が噂されているスペシャルクラス編入権利とか、いろいろ言われているのだが、おいしい特典の詳細は定かではない。


「ケンゾー、聞いた? 吉田さんてば、Mー1に出るらしいよ」


 レンムはタピオカスターチと粉チーズたっぷりで、外はカリカリ、中はしっとりのポンデケージョを頬張りながらケンゾーの真ん前に座った。学校ではいつも通りに振る舞おうとレンムは心掛けている。金時や如月に対しては少しギクシャクするのだが、ケンゾーの前では案外リラックスできるらしい。爺ちゃんとの約束を律儀に守って送り迎えしてくれるし、花札勝負の顛末を知られているというせいもあるのだろう。


「知ってる。学費全額免除を狙うって」


 ケンゾーはパイナップル炒飯コム・チェン・トームにニョクマムをかけながらうなずいた。


「吉田さん、やっぱり養育費払いながら、学園生活って辛いんだろうなあ」


「バイトの掛け持ちも辛そうだもん。ところでマスカラさんは対馬ママのお店で何担当?」


「ホ、ホステス……。純喫茶だって聞いていたのに、内装はむちゃくちゃ怪しいクラブなんだもの」


「見たよ。衣装がいいよね、怪しい雰囲気満載だし」


「ほほー、ケンゾーはああゆーアンミラみたいな制服もんが好きなのか?」


 レンムは学祭の準備をしばらく休んでいたので勝手にホステス役に選ばれていた。対馬ママの有無を言わさぬ気迫もあって、レンムは女子達が一番に敬遠していたアンナミラーズ風の衣装が割り当てられた。肩ヒモはスカートのほうじゃなくて、エプロンのヒモだったのか、などとアンミラ制服に感心はしたものの、レンムはなんとも恥ずかしかった。


「レンムちゃんたら、着痩せするのね。こうじゃないとこの衣装は似合わないのよーっ!」


 自分でもかなり着痩せするなとは思っていたものの、対馬ママのような他人から指摘されるとますます意識してしまう。露出部分が多いものは他にもあったのだけど、胸が強調されて身体の線がはっきりと出てしまうアンミラ制服はかなりやっかいだなあとレンムは思っていた。


「え? 全員胸元の開いたキラキラスパンコールのあやしいドレスじゃないの?」


「みんな、いろいろ違うんだ。なんか、バドガールみたいなのもいたなあ」


「それって、あやしいクラブっていうより、コスプレ喫茶じゃないの?」


 コム・チェン・トームをもぐもぐしながら、ケンゾーが指摘した。レンムは初めて合点がいき、対馬ママにだまされたという顔になる。


「あんたは楽しそうでいいわねえ」


 いつのまにやってきたのか、如月がケンゾーの横からレンムに声をかけた。


ライブ中止か? という噂を裏付けるように如月はピリピリしていた。


「だいじょうぶ、なの?」


 レンムは如月にポンデケージョを差し出しながら恐る恐る訊ねた。


「ハウさんがギター探してくれてるんだけどね、

これがなかなかみつかんないんだ。ウチの歌はかなり天の邪鬼だから、そこそこ腕がないとダメなのよね」


 テーブルにアゴをつけてカクカクと喋りながら、如月はポンデケージョを器用に千切ると口に頬張った。意外にイケるじゃんとレンムに目で合図する。


レンムはどうもと笑う。如月はぐいーんとテーブルの上に手を伸ばすと、クロールの息継ぎのように身体をそらした。


「でもね、ハウさんも誰袖さんものんびりしてるのよね。ギター見つかんなきゃライブはできないし、誰袖さんも衣装のお披露目できないってのに」


 如月はケンゾーの弁当から、出汁巻卵らしきものをつまむとぱくり。


「あれ? これ卵じゃない」


 如月の声にケンゾーが悲しそうに答えた。


「ハムの卵巻チャー・ドゥオイ・フーン。最後に食べようと思ってたのに……」


 如月は口に拇指と人さし指を持っていった。戻そうか? と口に指を入れるジェスチャー。それを見たケンゾーが激しく大きく首を横に振った。



 学園祭前というのはなにかと忙しい。学祭当日に間に合わせようとあらゆる場所で突貫作業が続く。遅い時間まで残って作業をするため、職員室に許可を取りに走る者。足りなくなったポスターカラーや木材を手に入れるため、ホームセンターに駆ける者。働く下僕が燃料切れをおこさないように、飲み物やスナック菓子や弁当を奪取すべくコンビニに部隊を派遣する者。限界を超えて立ち働いたために廊下でそのまま眠りに就く者。


 修羅場がピークを迎える学祭前日。


 いつものようにレンムを送るケンゾーの姿が、結野山商店街にあった。相変わらずぬぼーっとしているケンゾーなのだが、連日の準備の疲れがでたのか少々無精髭などを伸ばしている。


 レンムは送ってもらえることは感謝していた。しかし、知らないうちにケンゾーが結野山商店街の店主達と仲良くなっていたのにはまいった。駅前の総菜屋のおばさんはどんなに説明してもケンゾーを彼氏だと思っているし、同級だった八百屋のヒサシなんかは、なぜかケンゾーをえらく気に入ってなにかと声をかけてくる。結野山商店街で築いてきた自分のキャラクターが、どんどん侵食されていくのが居心地が悪くて仕方がない。人間は常に変わっていくのだと割り切れば、まあそれもしょうがないことなのかと考えられるようにはなってきた。ケンゾーのペースに巻き込まれているのかもしれない。ただ、辛いのはケンゾーと自分が仲良くしている姿を、菊乃の母親に見られることだった。やっと彼氏が出来たのね、みたいな安堵感の混じった笑顔を向けられると、レンムは強烈にダメージを受けてしまうのだ。


「あと少しで送り迎えもおしまいだね」


 ケンゾーはそう言うとヒサシの店で持たされた、天津甘栗の1キロ入りをがさごそとカバンに納めている。送り迎えは学祭終了までという約束だった。


「重労働から解放されて、少しは嬉しいんじゃないか?」


「うーん、そんなにしんどくはないよ。一日のサイクルに組みこんだからね。

最初は少し辛かったかな。でもね……」


 ようやく甘栗をしまったケンゾーがレンムの方を向いた。


「麩饅頭の秘密を知らないまま学祭が終わってしまう方が悲しいんだけど。おじいさん、教えてくれないかなあ」


「ははは。無理無理。あれは腐っても明樂ウチの一子相伝のレシピだからね」


 麩饅頭の仕上げは常にレンムの祖父が行っている。タケウチさんもレンムも、あのふっくらもちもちの食感の秘密は知らないのだ。


「どんなに練切巧く作っても?」


「うん」


「花札勝負で勝っても、ダメかな?」


「ダメー。うちの店継ぐって言ったら教えてくれるかもよ」


「どうやって?」


「そりゃ……」


 レンムは“婿に入るのが手っ取り早い”と言いかけて、それを寸前でやめた。


途端に頭の中のロマンチックな部位が高速回転し始めた。ということは私がケンゾーと結婚てことで、そんなふうにケンゾーのことを見たことも意識したことも今までなかったわけで、はたとそんな考えが頭にのぼったってことはなんとなくケンゾーに気を許しているってことで、無意識のうちにそんなのもいいかなとか思っていたとかいないとか、ありゃりゃ、そもそも言いかけてやめてしまうということが意識しているってことで……。


「ああうあう、な、なんでもない」


 レンムはうわずった声でようやく言葉を継いだ。私、せ、赤面してるかもしれない。そんな顔はみ、見られたくないぞ。


「と、いうことは僕がおじいさんと養子縁組すればいいのかなあ? レンムのお父さんの弟ってことでさ」


 ケンゾーは商店街の鈴蘭を模したクリアガラス製の街灯を眺めながらぼんやりつぶやく。レンムは目に見えてがっくりと肩を落して歎息した。そういうリアクションをするんだよ、ケンゾーってば。レンムが一人で脳内暴走を繰り広げているうちに、ふたりは店の前に着いていた。


「じゃ、また明日」


 ケンゾーがさよならの挨拶をする。いつもなら店に入ってひと休みしていくのだが、やっぱり学祭準備の大騒動でケンゾーも疲れているらしい。

レンムがねぎらいの言葉をかけようとしたとき、隣の小松酒店の自動ドアが開く音が聞こえてきた。


「レーンムっ!」


 嬉しさを隠せない、そんな響きの声がレンムを呼んだ。レンムはビクリとして、声のした方を振り向いた。街灯の明かりに照らしだされたのは、前髪をまっすぐに揃えて背中まで伸びた長髪をなびかせる松葉杖の少女だった。


「……き、くちゃん」

 レンムは視線を合わせないでぺこっと頭を下げると、急いで店の中へと消えてしまった。何が起こっているのかわからないケンゾーと、松葉杖の少女だけが明樂の前に残された。



「また逃げられちゃった」


 右足をかばいながらケンゾーに近づいてきた松葉杖の少女は、等身大の日本人形を思わせた。ケンゾーは総菜屋のおばちゃんの言葉を思いだした。


「あなたがキクノちゃん?」


「レンムから聞いてました?」


「あ、いや、総菜屋のおばさんが……」


「レンムったら私に会うといっつも、ああなんですよ」


 松葉杖の少女、小松菊乃はさびしそうに笑った。


「理由は言わないんだけど、レンムは自分のせいで私が怪我をしたと思い込んでいるんです」


 そう言うと菊乃は金属製の松葉杖を腰まで持ち上げると、小刻みにカタカタと揺らした。


「ケンゾーさんでしょ? レンムの彼氏の」


「いいえ。僕はおじいさんに送り迎えを頼まれただけのクラスメイトで、彼氏じゃありません」


 ケンゾーがきっぱりと言い切る。そんなケンゾーを見て菊乃が小さく笑った。


「レンムの送り迎えを任されたんだったら、それだけ信頼されているってことでしょ」


「そうなんですか?」


「普通は、そうじゃないかな」


「そんなもんかなあ」


 ケンゾーは菊乃に指摘されて、初めて周りに自分とレンムがつきあっているふうに見えていたことに気がついたようだった。


 なんで逃げちゃうんだろう? 部屋に戻ったレンムは着替えもせずに椅子に座ってうなだれた。爺ちゃんのところに遊びにきていた頃は、いつもいっしょだったのにな。おじさんが亡くなって店を手伝うからって、中学2年の時にこっちに引っ越してきて、一番喜んだのはきくちゃんだったっけ。


レンムはでれんと伸ばした足で椅子を左右に揺らした。


「レンムはお父さんの仕事の関係で別の町に住んでたんですよ。レンムが遊びに来る夏休みや春休みが待ち遠しかったな。ほら、商店街だから周りはおじさんやおばさんばっかりでしょ。同じ年頃の女のコはいなかったし。

レンムがこっちに引っ越してくるって聞いたときは、これでいつでも会えるんだって大喜びでした」


 ケンゾーと菊乃は並んで歩いた。レンムとのつき合いを菊乃は嬉しそうに話す。


「そんなに仲がよかったのにどうして?」


 ケンゾーが菊乃に訊ねた。菊乃は立ち止まると商店街から伸びる路地を指差した。


「ケンゾーさん、駅まで回り道していきません?」


 ケンゾーはゆっくりうなずいた。


 あの娘に振り回されてるお前を見るのが辛かった。最近、母が私に言った言葉だ。あの頃の記憶はなんだかもやもやしていて、細かく思い出すことがいまだにできない。今、思えば彼女に言い様に操られることを、私も甘んじて受け入れていた節がある。


 キョーイゾンとかいうんだっけ。お母さんに騙されて、カウンセリング受けさせられたっけ。あれ? ちょうど引っ越す前だったな。


「私の右脚は交通事故で動かなくなったんです。その場にレンムがいたわけじゃないし。だから全然、レンムのせいじゃないんですよ」


 路地を薄暗く照らす街灯の下、菊乃の話をケンゾーは黙って聞いていた。


「事故に遭ってから、なぜか避けられちゃってるんですよね。ちょうど引っ越してきたときみたいに、塞ぎ込んじゃってね」


「へえー」


「レンムが引っ越してきてしばらく経ってから、私、ヘンなコにつけられたことがあるんです。何をするわけでもなくって、ただ暗い目でこっちを睨みつけているんですよ」


 突然、話が飛んだのでケンゾーは戸惑った。菊乃はほんとにレンムのことを心配している。同時になぜ自分が避けられているのか、その理由も知りたいのだ。理由もわからず母親がいなくなった経験があるから、ケンゾーも素直にそう感じることができたのだろう。



 菊乃からヘンなコにつきまとわれているって聞いたときに、すぐに彼女がやって来たんだと思ったんだ。私を取りかえしに来たんだって。その後だっけ、彼女が店に押し掛けて来て、お母さんに連れていかれたのは。レンムは椅子からずるっと滑り落ちると、そのまま畳に寝転がった。私と仲良くなったら傷つけてしまう。そう思いながらも私は、やっぱり友達を作ってしまった。大学行くのをやめて誰も知り合いのいないマルクト学園に行ったのに。きくちゃんに申し訳なくて、なるべく会わないように気をつけていたのに。レンムは頬を畳にそっと押しつけてみる。冷たかった。


「そのコ、レンムの知り合いだったんですよ。谷山さん、っていったかな。私が事故に遭ったのはそのすぐ後。だからなのかなあ、レンムが私を避けてるの」


「どうして?」


「うちの母から聞いたんだけど、谷山さんはレンムを独り占めしたかったんですって。だからレンムに近づく人を許さないって言ってたそうです。私、レンムと仲良かったでしょう。これ以上仲良くすると事故くらいじゃすまなくなるんじゃないかって」


「レンムがそう思っているの?」


「へへへ、私が勝手にそう推測してるんですけどね。レンムは最初はとっつきにくかったでしょ? でも本当はとっても優しくてね。人のことを一番に考えちゃって無理しちゃうの。レンムが悲しそうにしているのは許せないんです」


 金木犀の香りが立ち込める小さな路地。青マントの少年と松葉杖の少女がとぼとぼと歩む。ケンゾーが気づかないうちに、菊乃は泣いていた。鼻をすすりながら言った。


「谷山さんは保護観察みたいな感じで、今はカウンセリング受けてるらしいんです。もうレンムには安心してのんびりしてほしいって思うんだけど」


「わかる……。ひとりでグルグルしちゃうんだ」


 ケンゾーが切なそうに言葉を吐いたとき、結野山駅が見えてきた。


「わかんないよー……」


 苦し気な寝言。レンムは知らないうちに眠っていた。畳に涙の後が滲んでいる。


「隣に住んでいるのに、最近のレンムのことなんにも知らないの。とっても近いのにとっても遠い。ケンゾーさん、ごめんなさい」


「え?」


「私の愚痴につきあわせちゃったみたいで。レンムのことよろしくお願いします」


 菊乃はぺこりと頭を下げた。ケンゾーもつられてお辞儀をする。菊乃は駅前の本屋に用事があるという。ケンゾーは駅前のロータリーで菊乃と別れた。


 帰りの電車に乗ったケンゾーの顔は、菊乃の話で突然いなくなった母親のことを思い出したのか、どことなく悲し気だった。



---


用語解説


ハートに火をつけて:天才ジム・モリソンがヴォーカルを務めたザ・ドアーズの名曲。1967年に発表されたデビューアルバムのタイトルともなっている。アルバムには、映画『地獄の黙示録』で強烈な印象を残した名曲『ジ・エンド』も収録されている。


ピーター・セラーズ:映画『ピンクパンサー』に登場するクルーゾー警部役で有名なイギリス人俳優。1980年の『天才悪魔フー・マンチュー』が遺作となった。セラーズは『フー・マンチュー』でフー・マンチューとネイランド・スミス警部の一人二役をそつなく演じている。


KOALOHA:日系ファミリーのOkami一族がコア材を使って製造するハワイ産ウクレレブランド。1995年創業。家内制手工業っぽい工房で少数生産している。


ハナコサーン:ウクレレの弦を調律する際、上の弦からソドミラで合わせるが、この時の音が「ハナコサーン」と聞こえるらしい。ハワイではこれが“My Dog Has Fleas”となる。


マーチン:ギターのメーカーとして有名だが、ウクレレも作っている。ウクレレの神様、ハーブ・オオタも愛用とか。しかし、1965年以降は受注生産のみとなってしまったため、中古のマーチンウクレレでも結構な値段がついている。筆者が知ってるものでは48万円ってものがあった。量産タイプのウクレレもあるんだが、デザインはかっこいいクセにあんまり音は良くないのだ。


ポンデケージョ:タピオカの粉とチーズを使ったブラジル料理。一口サイズのパンと言えば分かりやすいか。


コム・チェン・トーム:パイナップルにソーセージ、赤パプリカなどを使った炒飯。ベトナム料理。


ニョクマム:イワシやアジといった小魚を塩漬けにして熟成、醗酵させた調味料。秋田のしょっつるや、タイのナンプラーと同じ魚醤である。これと香菜(ツァンサイ)がないことにはベトナム料理は始まらない。あと、唐辛子。


アンナミラーズ:アメリカ・ペンシルバニアダッチスタイルの素朴な家庭料理とデザートパイが中心のレストラン。独特のコスチュームで有名。経営元は意外にも和菓子などで有名な井村屋。


バドガール:アメリカのビールメーカー、バドワイザーのロゴが入った服を着るキャンペーンガールのこと。一般的に言われているワンピースの服は「バドスーツ」と呼ばれているらしい。


チャー・ドゥオイ・フーン:ベトナム王朝があったフエに伝わる宮廷料理。ペースト状にした豚肉を薄焼き卵で巻いて蒸したもの。


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