第三話「ヒナギクハワラエナイ」
1
昼下がりの商店街では青いマントのとんがり帽子姿は、とてつもなく不釣り合いだった。ケンゾーと金時は商店街の入り口に立っていた。一車線ほどの幅のレンガ敷きの道路。両脇に古い造りの商店が軒を列ねる。
ここは結野山商店街。
結野山駅から伸びるバス通りを進むと、結野山商店街にぶつかる。バス通りといっても極端に狭い。バスは無造作に駐輪されたママチャリや歩行者スレスレに走っていくわけで、老人がバスを避けて脇によろうとすると、途端にバスも老人もスローモーションの世界に突入する。
「サム・ペキンパーだ」
普段、バスを利用しない金時がつぶやいた。ケンゾーはペキンパーって誰だろうとしばし考える。
「レンムちゃんがクラスの準備に顔を出さないのよー。ケンゾーちゃんと金時ちゃんは仲がいいんでしょ? 連れて来て下さらないかしら」
マルクトの学園祭が近いのだが、レンムは授業が終わるとすぐに帰ってしまう。家の用事を理由に準備には顔を出していないそうだ。
そんなわけで同じクラスのママさんこと対馬礼子に、ケンゾーと金時はレンム強制連行を頼まれたのである。最初は晩御飯の用意がとか、この時期コンビニむちゃくちゃ混むんで、などとケンゾーと金時ものらくら断ってみたのだ。二つ返事で引き受けても良かったのだが、なんだかそれでは小学生のお使いみたいで気恥ずかしかったのである。ママさんはバーを経営する正真正銘のママさんでかなりのヤリ手らしい。なんでマルクトに通っているのかは皆目不明なママさんではあるが、礼子ママのお願い攻撃はケンゾー&金時ののらくら回避術よりも勝っていた。まあ、逃げる事に積極的な情熱を傾けていたのは金時だけだったのではあるが。どちらかというとケンゾーは和菓子職人の手の動きを間近で見ることのできるチャンスだと思っていたようだ。
「和菓子司明樂だっけ?」
そういって金時はケンゾーを振り返った。しかし、そこにケンゾーの姿はない。つきあいが長いせいか金時は慣れたもので、近くに総菜屋はないかと探し始めた。青いマントが総菜屋の前で立ち止まっているのはすぐに見つかった。
「すごいなあ、ぴったり100グラム」
「こんなの毎日やってたら、簡単よー」
ケンゾーは総菜屋のおばさんがカップにポテトサラダを盛りつけているのを眺めている。おばさんは無造作に盛りつけているのだが、デジタル秤に乗せると重さは100グラムぴったりが表示される。ケンゾーの驚きようにおばさんもまんざらじゃない。金時の気配に気づいたケンゾーは、コロッケを2つ買うとひとつを金時に渡す。受け取った金時はしょうがないなあという顔をしながらアツアツのコロッケをぱくり。
「コンビニの冷凍物もそこそこだけど、手作りにはかなわないね」
金時の言葉にケンゾーは、そうだろというようににこり。ノッポの青マントがふたり、総菜屋の前でコロッケを食べる。おばさんはふたりの制服姿に初めて気がついたらしい。
「あんたたち、レン坊と同じ学校かい?」
「そうですけど」
「レン坊は大学行くって聞いてたんだ。そしたら、あんたらには悪いけどさあ、よくわかんない魔法の専門学校でしょ。わたしゃ驚いたよー」
ケンゾーと金時は顔を見合わせた。レンムから大学に行くつもりだったという話は一度も聞いた事がなかったからだ。彼女は最初からマルクトに決めていた、そういうニュアンスのことしか話していない。やむなく変更しなくてはいけないことがあったんだろうか?
「その辺の事情はさすがに知らないよー。仲良かった菊乃ちゃんなら知ってるかもね」
そんなケンゾーの疑問は表情に現れていたらしい。おばさんはポテトサラダをカップにつめながら大声で言った。
「キクノ?」
「小松屋さんとこだよ。レン坊んちの隣の酒屋さん……って、ごめんごめん。あんたらに話してもちんぷんかんぷんだったね」
ケンゾーと金時は張りついた笑いでおばさんにこたえる。ケンゾーはハムカツを買うと、おばさんにレンムの店がどこか訊ねた。
「ここまっすぐ行って、十字路を二つ越えて右側の三軒目。麩饅頭の看板が出てるからすぐにわかるさ」
おばさんに言われた通りに商店街を進んでいく。商店街ができた頃からあったに違いない古びた文具店、その向かいの蕎麦屋の前で、出前用のバイクがエンジンをかけたままぶるぶると待機している。腹に響くクラクションを鳴らしてゆっくりと路線バスが通り過ぎていく。その後ろから荷物を満杯にしたママチャリと補助輪をきしませて子供の自転車が続く。老婆は立ち止まって関節痛や内臓疾患といった病気の自慢、近所の家庭不和といったうわさ話に花を咲かせている。路地裏から金木犀の香りが漂ってきた。
「金木犀ってのは樹皮がサイに似てるんだそうだ」
金時が思いだしたかのようにつぶやいた。
「アフリカの? あの角の生えてるやつ? うーん、でもサイの肌触りって言われてもなー。サメ皮のわさびおろしよりは肌理は荒いんだろうね」
「たぶん、ごつごつしてるんだろうけど、わさびをおろせるほどザラザラしてないと思うぞ」
「うん、なんとなくそんな気がする」
サイ皮の肌触りについて考えているうちに、二人は和菓子司明樂を通り過ぎて小松屋まで来てしまった。来た道を戻るとすぐに“麩饅頭”の看板がみつかった。見上げると大きな看板に金の太い文字で店名が標されている。
かなり年期の入った和菓子司であるらしい。
「へえー」
金時が看板を見上げながら、感心して声をあげる。商店街にやって来た青いとんがり帽子がふたつ。古い店構えの和菓子司の前に立つ。
「ぼくらはまるでちんどん屋だ」
ケンゾーが困ったように笑った。
2
「ノリノリなんですよね」
「ノリノリ?」
「ほら、制服リニューアルしたでしょ? あれからイメージ湧いちゃって、勝手にデザイン起こしちゃったんすよ」
5本足の作業用椅子、背もたれにアゴを乗せてくるくると回りながら、人より少しだけ高いテンションで誰袖はニコニコと喋りだした。それが如月が制服リニューアル後に、お礼がてらVespertineに顔を出したときの誰袖だった。
そう広くはない1ルーム賃貸マンション。如月は接客用の子鹿の絵柄の丸椅子に腰掛けて、両手に挟むのは緑茶の入った湯飲み茶碗。日没間近の太陽の光が斜めに差し込む作業机の上。並べられたデザイン画を見せられた。
「う……ゴシック」
「うん。ゴシック。TOMOさん、ゴシック好きっしょ? ライブの衣装、そっち系だったから」
ああ、やっぱりすきなんだなあ。断言しよう。私、如月智子はやはりゴシック系にむちゃくちゃ弱い。
「好きなんだけどね……」
振り切ったはずの迷いがまたまた頭をもたげてくる。如月智子にゴシックはありなのか?
「好きなんだけど? うーん、誰袖はそんなに信用できないんすか?」
そういうと誰袖はがっくりと肩を落した。誰袖は喋る言葉に必ず手がふにゃふにゃとシンクロする。感情をストレートに表現するために手足があるみたいに、いっつもオーバーアクションだ。おまけに微妙に人よりもテンションが高い。如月は誰袖のそんな人との接し方は、なーんとなく自分に自信がないことの裏返しなんじゃないかと考えていた。多分、それは当たっているんだと思う。
「誰袖を信用してるかって聞かれたら、そりゃヤボな質問だって答えるよ。そういうことじゃなくて、これは私自身の問題なの」
「っていうと」
ガクっと落ちた肩をぴきんと上げて、誰袖は椅子の背もたれに両手を乗せて乗り出してきた。まるで御馳走を待ちながらシッポを振るハカセ犬みたいだ。
「好きなことと、それが似合うかどうかは別でしょ。まあなんつうか、結局のところ堂廻目眩っていうか、メビウスの輪っていうかね。考えてもしょうがないのよね」
「やだなー。似合わないもの作るわけないでしょ。私のこと誰だと思ってんの? 誰袖だよ。キラビヤかなものはわちきにまかしておくれやす~、ってね」
花魁の真似でおどける誰袖。笑いかけた如月がりんと言い放った。
「よし、任せた。誰袖は私の聖剣エクスカリバーを作るべし!」
「あうー、十拳剣じゃだめ? あれなら何本もあるみたいだから、選んで着られるでしょ」
日本神話にちょくちょく登場する十拳剣のことを、なぜ誰袖が知っていたのかはわからない。魔法の学校に通っているわりに、ファンタジー系の知識はからっきしな如月は、選んで着られるという言葉に反応して大きくうなずいた。
「うん、お願いね」
そんなわけで、ケンゾー達がクラシックな商店街を探険している頃、如月はライブ衣装の打ち合わせで、再びVespertineを訪れていた。またも応対に出たのは金刺さん。
「こないだはごめんネー、ワタシ、テンパってたから」
前回訪ねたときと正反対、にこにこと謝ってくれたけど、眼が笑っていないよ。やっぱり青マントの相手はしたくないのが本音なんだろうね。
「誰袖さんはいますか?」
如月は金刺に不自然な笑顔で訊ねた。私が誰袖と約束があることを、おそらく金刺さんは知らない。そりゃ、面白いわきゃないってのはわかる。でも、も少し愛想良くされてみたいと思うのはわがままかな。パタパタとスリッパの音が玄関に近づいてくる。
「オイっす!」
誰袖はいつものタンクトップにジーンズのいでたちで元気に挨拶した。
「そんじゃ、十拳の剣のお披露目といきますかっ!」
誰袖の大きな口は豪快な笑顔を作る瞬間がたまらなく魅力的だ。如月智子はそう思った。
3
携帯電話の振動が、机と共鳴して大きな音になった。レンムは肩をびくりとさせて驚いた。おそるおそる携帯に手を伸ばして、ボタンを操作してバイブ機能を解除する。最初から着信音はオフにしていたが、マナーモードのままだったため、着信と同時に携帯は振動してみせたのだ。
『また あえる たのしみに まってて ね』
またも送り主不明のストークメール。レンムには送り主が誰か、見当がついていた。いっそのこと電源を切ってしまいたいのだが、ふんぎりがつかない。携帯を完全に止めてしまうと、自分が閉じてしまう。
レンムは昔の自分に戻ってしまいそうで怖いのだ。いつ彼女に出会うかもしれないと怯えながら、それでも学校に通うのは自分が負けないための行為だった。怖いと感じている。怯えてもいる。今、彼女と面と向かっても勝ち目はないとも思う。会えば、手に入れた自由も、ずるずると彼女にひきずられて終わってしまう。
レンムが彼女に出会ったのは中学校の時だった。彼女は幼馴染みなのだと強く主張するのだが、レンムには小さい頃に彼女と遊んだ記憶はなかった。正気に戻ってからはなんとなくそんなコがいたような記憶が浮かぶことはあった。
でも、自分がどんなふうにそのコと遊んでいたのか、どのくらいのつき合いをしていたのかは判然としない。
最初はなにかと頼ってくるコだなくらいの存在だった。友達の距離にも限度というものがあるはずだが、彼女には距離など最初からなかったのだ。当時は彼女の強引過ぎる拘束を、特に変だとは思わなかった。おじさんが死んで、家の中がゴタゴタして、自然と彼女と距離を置く機会ができた。そうなってようやく自分と彼女の関係を、客観的にみることができた。お隣の菊乃と親しくなっていくうちに、彼女と自分の関係は友達というにはおかしいような気がしてきた。意識して少し、距離をとってみようと考えた。菊乃が怪我をしたのは……。
思い返した途端、レンムの身体が不自然に震えだした。メール着信を知らせる発光ダイオードの点滅を追いこして、レンムの心臓の鼓動が早くなっていった。
4
明樂はいかにも街の和菓子屋さんという店構えだった。六畳ほどのコンクリートの三和土に、年代物のガラスケースが置かれている。その奥になんとなくスリガラスで仕切られた作業場がある。そこには製菓台と回転式の餡練機などが整然と並んでいた。開店当初から使われているに違いない木枠のガラスケースの中に、看板に謳われた麩饅頭、栗、柿、菊といった季節を感じさせる練切などが、きちんと整列して並べられている。
もちもちとした食感がたまらない麩饅頭なのだが、いったいグルテンと餅粉の割合はどのくらいなのかと、ケンゾーはガラスケースを覗き込みながらふと思う。少し遅れて店内に入った金時が、店の人はどこだろうと奥の方に視線を移す。人の気配で奥から現れたのは、年格好からするとレンムの母親らしい。
「いらっしゃい……ませ」
とんがり帽子の青マント姿が視界に飛び込んで来たためか、店員は動きを止めていた。金時が慌てて挨拶を始めた。
「はじめまして。レンムさんと同じ学校に通っている金時と申します。レンムさんはいらっしゃいますか?」
母親は呼んだ方がいいのか、やめた方がいいのか、奥の方をちらちら眺めながら、少し困ったような顔をしている。
「手品学校の生徒が何の用かな?」
奥から手ぬぐいで手を拭きながら、作業衣姿の老人が現れた。見るからに頑固な職人という雰囲気を漂わせている。金時は少したじろいだ。ケンゾーは相変わらずガラスケースの和菓子を眺めている。金時は自分達がレンムを迎えに来たことを伝えた。老人はアゴに手をやってしばし考える。居心地の悪い沈黙を嫌ったのか、母親が途端に喋り始めた。
「どうもごめんなさいねー。ほら、こうやってお友達も迎えに来てくれたんだから、お父さんも許してあげたらいいじゃない。いや、わたしはね、いい年なんだからああだこうだと指図するのはどうかと思うんだけどねえ。お父さんは言い出したら聞かないのよ」
レンムの母親は愛想笑いを浮かべながらとりなす。つられて金時も笑い出す。
でも老職人は渋い表情のまま。
「うーん、学校に行くのは許したけどね。そのー、なんだ。それ以外はね」
腕を組みあらぬ方向を見ながら、老職人はぼそり。
「いや、でもそうはいっても、学園祭は学校の行事ですし」
金時は言葉を継いだが、老職人は聞いてはいない。金時はすでにとりつくしまがないと諦めの顔。それまでケースを覗き込んでいたケンゾーが顔を上げた。おやもう一人いたのかと、老職人もケンゾーを見遣る。
「麩饅頭って、小麦のグルテン使うんですよね?」
てっきり説得されるもんだと思っていた老職人は、意外な質問にしばし固まった。動作の途中で凍りつくように止まるのは、レンムが驚いたときの仕種とそっくりだった。
「グルテンを取り出すまではうまくいったんですよ。餅粉がなかったんで白玉粉を加えたんだけど、分量を間違えたみたいで。できあがったのはもちもちとは程遠いもんでした」
ケンゾーは麩饅頭の生地を作る段階の微妙な分量が、もちもち感を出すポイントだろうと自分の分析をのべ始めた。固まっていた老職人は、真剣なケンゾーの表情を見て、大笑いしだした。
「面白いな」
ひとしきり笑った後、老職人はケースから身体を乗り出してケンゾーに顔を近づけた。
「仕事場、みるかい?」
ついていけない展開に金時はおどおどし、レンムの母はなんとなくおかしそうな表情を浮かべている。どうやらケンゾーは老職人のプライドをうまくくすぐったらしい。ケンゾーはきらきらと目を輝かせて、こくんこくんと大きくうなずいた。
5
「ケンゾー、すまん。タイムリミット」
金時はケンゾーにそう告げて、レンム祖父に深々とおじぎをすると、バイト先へ向かった。ケンゾーは相変わらず大きくうなずいていた。ケンゾーに後を任せたことに不安は感じたが、バイトの時間が迫っている。計算じゃないんだよなあ、ケンゾーの場合は。金時はケンゾーの突拍子のない言動には慣れたつもりでいたが、実際にその場に直面すると同類とみられるのが恥ずかしいのか、アドリブが効かない自分が嫌になるのか、なんともいえない気分に襲われる。そうは思いながらも、ケンゾーのつくり出す微妙な空気を共有することが楽しくもあった。
「だから一緒にいるんだろうなあ」
金時はラッシュ前なのか客の少ない電車の座席で脚を投げ出し、中吊り広告の文字を追いながら呟いてみる。学校の最寄り駅に着いた金時は、少し離れた無料の駐輪場に向かった。この駐輪場、早朝の通勤組が奥に止めたのを皮切りに、通学組、買い物主婦組と自転車を止めていく。その結果、駅近くの有料の駐輪場の、整然と並んだ自転車と違い、無料駐輪場はぐちゃぐちゃになる。
金時は乱雑に並べられた自転車の間をするする抜けると、奥に止めた自分の自転車に辿り着いた。昔は学校前の公園に止めることができたのだが、自転車放置禁止区域になってしまった。自転車は消えたのだが駐輪防止の不粋なロープがぶらぶら揺れることとなった。公園の景観がどうのこうのって理由らしいが、金時はシマシマロープの黄色と黒色の方が、刺々しくって見た目はよろしくないと思っている。折り畳んだ自転車を、ひょいっと肩に担ぎ上げた金時は、来た道のりを引き返していく。慣れた手つきで自転車を組み立てると軽快にとサドルにまたがった。
「マメちゃーん!」
金時の後ろから声がかかった。何気なく振り返ると短いジージャンを羽織った、背の高い女のコが手を振っている。その隣にはギターケースを背負った眼鏡少女がぽつんと立っていた。あれは確か如月じゃないか、隣のコはどこかで見たことがあるが誰だろう? 近づいて来てわかった。コンビニでよく見かける女のコだった。ハーフっぽくてキレイな顔だちのため、バイト仲間の間ではアンジェラさんと呼ばれていた。いつも一緒に来るコの感じから、桑原のファッションモデル科のコだろうとみんなは推測していた。“マメちゃん”ってのは彼女の知り合いなのだろうと、アンジェラさんが手を振る方を金時は見遣るのだが、それらしき人物はいない。
「マメちゃんはTOMOさんと同じ学校だったんすね」
アンジェラさんは金時の目の前で立ち止まると、にひひと笑う。“マメちゃん”って俺のこと?
「マメ…ちゃん?」
金時の素直な気持ちがそのまま言葉になった。アンジェラさんは金時を指差してそうそうと大きくうなずいた。
「うん、金時さんだから、マメちゃんっス」
ああ、また金時豆か。金時はちょっぴりだけがっくりした。友達から金時豆とはやされて深刻に悩んだ、小学校時代の苦い記憶が一瞬だけよみがえる。しかし、洟垂れ小憎に言われるよりは、キレイなコに言われる方がはるかに気分が良い。遅れてやってきた如月が、金時におずおずと挨拶をする。
「誰袖さん、知り合いだったの?」
誰袖? ああ、ケンゾーとレンムが言ってた、テンションの高いコってアンジェラさんだったのかあ。ファッションモデル科じゃなくて服飾だったのか。バイト仲間に少しジマンできるなと金時は考えた。金時は如月に向き直った。
「ケンゾーから聞いてるよ」
如月はケンゾーの名前を聞いて一瞬、塩辛をとるんと丸呑みした時の表情をする。すぐに立ち直ると、眉間にシワをよせてぷいっと横を向いた。
「どうせ、ヘンテコなあだなで話してたんでしょ」
「まあね。でも、俺はアンパンさんだよ。そりゃ、アンパンは好きだけどさ。なんかなあ」
金時は朗らかに笑う。如月は複雑な表情を浮かべた。頭の中でゴスロリさんと呼ばれることと、アンパンさんと呼ばれることのどちらがマシか考えているようだった。
「アンジェ……じゃないや。誰袖さんは、ケンゾーになんて呼ばれたの?」
金時の問いかけに誰袖は大げさに腕組みする。
「わたし、あだなで呼ばれてない。そのまんま誰袖だった。うあー、わたしもあだなで呼ばれたいー!」
金時と如月はどちらからともなく顔を見合わせた。納得いかないよねーという気持ちを目配せで共感している。
「あー、今の目配せは、あだなを持つ者同士の憂鬱な悩みってやつっしょ! あー、いいなー」
誰袖は真剣にあだなをうらやましがっている。如月と誰袖はコンビニに買い出しに出かける途中だった。3人の足は自然とコンビニに向かう。金時がバイトするコンビニは、マルクト学園のすぐそばにあった。位置関係から学園ご用達なコンビニになっていた。常連客が増えるのはありがたいのだが、行儀の良いお客さんばかりとは限らない。学園の生徒がゴミを散らかすと、店長のイヤミの標的になるのはいつも金時だった。青い服を着てれば、みんなマルクトの生徒だと思い込む、店長にもいろいろと問題はあるのだけど。
ガラス張りのコンビニが視界に入ってきた。店内は青いとんがり帽子とマントで溢れかえっていた。バイトが泣きそうな顔で客の応対をしている。
「うあー」
誰袖が感嘆の声をあげる。如月は噂で聞いていた、学祭前コンビニ修羅場之絵巻のを初めて目撃し、これほどのものだったのかと固まった。金時は大きくため息をつく。
「こりゃ、弁当とカップ麺は全滅だな」
金時はコンビニに向かって走り出した。
6
「レンム、下にホリウチくんが来てるよ」
母の声に何をするでもなく部屋で縮こまっていたレンムは、頭だけ部屋のドアへ巡らせた。社宅にいた頃、共働きの両親が留守の間は、結野山児童館で時間を潰していた。結野山児童館はハイキングや運動会といったイベントを頻繁に行っていることで有名だった。雨天中止や伝達事項を伝えるための連絡網があったのだけど、レンムのところに連絡してくるのが決まってホリウチくんだった。大抵電話は母が受ける。以来、母の中では男のコ=ホリウチくんと変換されている。
小学校6年のときに憧れていた男のコから、電話をもらったことがあった。
「レンム、ホリウチくんからー!」
保留にするなんて考えない母の声は、憧れのキミに丸聞こえだった。レンムが電話に出たときはすでに電話は切れていた。同窓会で直接憧れのキミから聞いた話では、あのときは告白しようと意を決して電話をかけたのだという。憧れのキミはレンムにはすでに“ホリウチくん”という彼氏がいるのだと思い込み、勝手に轟沈したのだそうだ。なんで、携帯にかけてこないのかと疑問に思ったが、レンムが携帯を買ってもらったのは中学に入ってからだった。
そんなわけでレンムは母の“ホリウチくん”という発言にはあまりいい思い出がなかった。
母の口から久々に聞いた“ホリウチくん”。ん? ということは男のコの知り合いが来ているということになる。はて? 自分に男のコの知り合いなんて……。脳裏に罪のない笑顔で、厚焼き卵をもぐもぐ食べるあの顔が浮かんだ。なんで厚焼き卵なのか、そんな疑問を感じながら鏡に向かった。泣いていたわけではないがあまり寝ていないので、マスカラを失敗したときのようにクマができていた。慌てて簡単に化粧をして、部屋着から人前に出てもおかしくない格好に着替える。
人に会う準備をしているうちに、レンムは自分が過去に怯えていたことなど、すっかり忘れたようだ。レンムは鏡の前で顔にそっと触れてみる。
「うー、肌ぼろぼろー。むくんでるよー」
アポなしの訪問はほんとに困る。女のコにはいつだって準備する時間が必要なのだ。
7
「初めてにしちゃ、やる、ね」
祖父は独特のセンテンスで言葉を紡ぐ。機嫌がいいと、どんどんセンテンスは細切れになっていく。店に降りてきたレンムは信じられない光景を目にしていた。製菓台の横で祖父とケンゾーがきんとん箸を削っている。まあ、そのくらいはレンムにも想像ができた。しかし、レンムが一番驚いたのはいつも仏頂面のタケウチさんが、二人の作業をニコニコ見守っていることだった。
「レン坊、ケンゾー君はなかなか筋がいいよ」
タケウチさんが目の前の姫菊を指差しながら、ニコニコとレンムに話しかけた。レンムが部屋で鬱々と閉じこもっている間に、ケンゾーは練切まで教えてもらったらしい。
「でも、麩饅頭。教えない、よ」
嬉しそうに祖父はケンゾーに話しかけた。ケンゾーは少し残念そうな顔をする。祖父はそこでようやくレンムを見遣った。
「ようやく、グズの、おでまし、だ」
「グ、グズって…」
“グズ”は祖父の口癖だった。祖父は怒るときにも、バカとかアホとかダイレクトなののしり言葉は使わない。優しいイントネーションで“グズ”と言う。これが一番応えた。ケンゾーはレンムの姿を見て、自分が何しにきたのか思いだした。
「ママさんに頼まれて迎えにきたんだけど、おじいちゃんが駄目だっていうから」
「それで迎えにきたキミは、みんなと仲良くきんとん箸を削っているわけ?」
祖父にグズ呼ばわりされ、迎えにきたといいながら遊んでいるふうにしか見えないケンゾーの姿に、レンムは仲間はずれにされたような気がして、だんだんと腹立たしくなってきた。そんなレンムの心の内を見透かすように、祖父が口を開いた。
「言い訳する、グズは、きらい」
レンムの中でカチリと何かのスイッチが入った。自分の部屋へ急いで戻ると制服とデッキを手にして、再び作業場へ。
「学校、行ってくる」
台所仕事をしていたレンムの母が心配そうに顔をのぞかせた。ケンゾーが居心地悪そうにレンムの顔色をうかがっている。タケウチさんは首筋をぽりぽりかきながら、またかという顔をする。レンムと祖父の衝突は、毎回のことらしい。すると祖父はレンムの前にのそりと移動した。にらみ合うふたり。重苦しい沈黙。
「じゃあ、なんだ。おめえが通ってる、手品学校のトランプで勝ったら、な」
そういった祖父はいたずら小僧の目だった。レンムはふんと挑むように祖父を見つめる。
「手品じゃなくて魔法だし、トランプじゃなくて幻獣闘技! まあ、ここでできないこともないけどね」
正式な試合の場合は幻獣闘技場を使う。しかし、授業等で詰め将棋ならぬ詰め闘技をやる場合は、ゲーム盤のような簡易闘技盤を使うから、やろうと思えばどこでもできる。
「うん。じゃやろう」
「って爺ちゃん」
「あー、幻獣闘技はいろいろルールがややこしいし…」
とケンゾーがレンムの言いたいことを代弁する。祖父はしばらく考えてから製菓台の下をごそごそと探しだした。製菓台の上にどんと置かれたのは、かるたのような花札のようなものだった。祖父はにやりと笑う。
「じゃ、うんすんかるた」
「人数足りないじゃん」
間髪を入れずにレンムがツッコむ。祖父はレンムに掌を向けて、待ての合図を出すと再び製菓台の下をごそごそ。
「んじゃ、こいこい。ニンテンドールール」
「私が勝ったら、文句は言わないんだね」
「あたりまえ、でしょ。 和菓子屋に、二言はないって、ね」
花札を二組右手に持った祖父が、可笑しそうにレンムを見つめた。
8
製菓台の上はきれいに片付けられた。そこに風呂敷が敷かれて場が作られた。向かい合ったレンムと祖父は札を一枚ずつめくる。
レンムが牡丹に蝶。
祖父が桜。
月の早い方が親になるので、最初の親は祖父。札の枚数は1年12か月、それぞれの月を表す花鳥風月が描かれた札が4枚ずつ。ひと組全部で48枚。
なぜか祖父はこれを2セット持っている。表の柄も赤と黒。これを交互に使って、時間を短縮するというわけだ。なんで時間を短縮するのかは知らないけど。
祖父が札を配り始めた。子、場、親の順に2枚ずつ配っていく。手元に裏向けて8枚。場に表向けて8枚。場のまん中に残りの札、山札が置かれる。爺ちゃんの札さばきは手慣れている。そういえば昔、母から聞いたことがある。爺ちゃんは若い頃は相当のタマだったって。親から順番に手札を一枚ずつ場に出していく。月が同じ札だったら合札となる。山札から一枚をめくり、月が同じ札があったら合札となる。どちらの時も合い札がない場合は捨て札となり、そのまま場に残しておく。合札は自分の前に、表を向けて並べておく。勝敗はポーカー同様に出来役を先に作方の勝ちだ。
「月見で、一杯」
菊に盃、月にススキで5点。いきなりの出来役だ。
「こいこい……は、しないよ」
大きな役が出来ると思えば、こいこいをする。その場合は試合続行だ。ただ、自分が出来役を作る前に相手が出来役を完成させた場合、相手の得点は倍になる。初戦は様子見なのか、祖父はこいこいをせずに試合を終わらせた。ニンテンドールールでは12回試合い、点数の多い方が勝ちとなる。
2試合目は菊、牡丹、紅葉の青短を集めた祖父の勝ち。3試合目は萩に猪、手札に7月が4枚あったレンムが手役で6点を取った。点数計算の時点で7点以上あった場合は、点数が倍になる。これで一気に逆転も見込めるのだが、早々うまくはいってはくれない。レンムが親になった4試合目はどちらも役が出来ずに場が流れた。
「次は、おれが、親」
祖父はどうみても猪鹿蝶狙いなのがわかる。そういう合札の取り方をしていく。レンムはそんな祖父のそぶりに違和感を憶えた。憶えたものの、疑念は振払って、祖父の猪鹿蝶狙いを崩そうとやっきになった。
「タネ」
絵札5枚を集めると出来役となる。猪鹿蝶にとらわれたばかりに、レンムは祖父の罠に見事にハマった。レンムは悔しくて、製菓台の上に突っ伏した。
違和感を感じたときに冷静に考えれば良かったんだ。熱くなりすぎている。祖父がそんなレンムの頭をわしわしと撫でた。涙目のレンムの視界にケンゾーの姿が入った。ケンゾーは花札の横で相変わらずタケウチさんときんとん箸を削っていた。一応、こちらの様子を心配はしているようだ。
「なんかムカつく」
声に出して顔を上げたレンムは、祖父の
「もう、あきらめる、かい?」
という笑い顔と目があった。ますます熱くなってきた。レンムはあきらめずに最後まで、やってみようと思い直した。祖父はレンムの顔つきが変わったことに気づいたのか、うれしそうに札を配り始めた。
作業場に花札のたてる乾いた音が響いた。
9
レンムは負けてしまった。最終戦で三光は取ったものの、ずっと負け続けた後の辛勝だった。圧倒的な差をつけられたレンムの大敗だった。
レンムは熱くなった自分が、なんだかばかばかしくって、悲しい気持ちでいっぱいになった。彼女から突然来たメールに怯えて、部屋に閉じこもった。彼女との闘いーそう、縁を切るためのあれは闘いだったーでの落ち込みようを知っている祖父は心配になったのだろう。私に夜間外出禁止を言い渡した。迎えにきたというケンゾーは、楽しそうにきんとん箸を削っていた。なんだか見放された気分で腹立たしくなった。冷静さを欠いて花札勝負をした挙げ句、ぶざまに負けてしまった。ごちゃごちゃとした思いが胸の中で絡まりあっている。ぽろぽろと涙がこぼれた。
「行ってきても、いいよ」
花札を片付けながら、祖父がぼそりと言った。意外な言葉にレンムは顔を上げた。祖父が、ケンゾーを指差しながらにっと笑った。
「だけど、送り迎えは、してもらって」
ケンゾーはきょとんとした顔でレンムを見つめた。
「爺ちゃん…」
「ゆっくり、ね」
祖父はレンムにつぶやくと、ケンゾーの削ったきんとん箸を手に取り、目を細めた。
「レンム良かったじゃない。おじいちゃんの許しがもらえて。ホリウチくんがいれば安心ね」
ずっと様子を見守っていたレンムの母の、明るい声が響いた。状況が掴めないケンゾーはホリウチくんって誰? という怪訝な顔になった。レンムはそんなケンゾーの様子を見て、今度はぽろぽろけらけらと泣き笑いになった。
10
レンムが学祭準備参加許可を獲得したちょうど同じ頃。マルクト学園近くの貸しスタジオで、如月智子とスィッチブレイドのメンバーが練習に勤しんでいた。学祭でライブを行う予定なのだ。それぞれ別々に自分のパートを練習している。というのも、リードギターのハウさんが遅れているため、セッションができないからだった。発声練習をしていた如月の携帯が振動した。
如月は携帯を手にスタジオの外へ向かった。
「あ、ハウさん。おっそいよー。どうしたの」
『ごめん、怪我しちゃった』
「え? どういうことよ! 大丈夫?」
『うん。でも右手がね。噛まれちゃって…。ギターはちょっと無理』
「噛まれたって犬?」
『うーん、よくわかんない。言っても、信じないよ」
「なんでよ?」
『ゴブリンだもん』
「どんな?」
『『ローラ』のジャケットみたいなやつ』
イタリアのプログレバンド・ゴブリン3枚目のアルバム「ローラ」。白地に赤いゴブリンがバイオリンを弾くイラストがあしらわれたジャケットだ。
ゴブリンって、幻獣闘技じゃあるまいし。ただ、ハウさんは悪ふざけで人をだますことはしない。如月はハウさんがパニクってるだけだと思いたかった。
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用語解説
ヒメギク:姫菊 練切を使って花などをかたどった上生菓子の一種。菊なので秋の和菓子ということになる。
サム・ペキンパー:映画監督。バイオレンス派のドン・シーゲルに師事。デビュー作『荒野のガンマン』から10年間一貫して西部劇映画を撮り続けた。スローモーションを巧みに使った演出は、代表作『ワイルドバンチ』の“流血のワルツ”と言われるクライマックスを生み出した。『ゲッタウエイ』『戦争のはらわた』など男臭い世界を描かせたら右に出るものはいない、男の中の男といえる映画監督。
堂廻目眩:異端の小説家・夢野久作の『ドグラ・マグラ』文中に登場する言葉。どうやら如月智子は堂々回りと言いたかったらしい。ちなみに『ドグラ・マグラ』を書き上げて夢野は急逝。1988年に松本俊夫監督、上方落語家の桂枝雀主演で映画化されている。
麩饅頭:小麦から取り出したグルテンと餅粉を混ぜて生地に餡を包んで蒸した饅頭。笹の葉にくるんだり、生地に笹、よもぎの粉末を混ぜたものもあり、香ばしくモチモチした食感の和菓子である。
アンジェラさん:スーパーモデル、アンジェラ・リンドヴァルのこと。オフィシャルサイトはここ。でも誰袖さんのイメージは土屋アンナだったりする。
うんすんかるた:安土桃山時代に渡来した南蛮カルタの進化系。主に江戸時代に賭博の道具として流行。レンムの「人数が足りない」発言は、うんすんかるたの最もポピュラーな遊び方、8人メリを指している。名前の通り8人いないと遊べない。京都大石天狗堂本店で画像が確認できる。
ニンテンドールール:任天堂発売の花札に添付された、現代版花札の遊び方のこと。ちなみにうんすんかるたの進化系が花札でもある。
ハウ:スティーブ・ハウ プログレバンドの大御所yesのリードギター。もうかなりのヨイヨイのはず。yesのオフィシャルサイトyesworldはここ。ハウのオフィシャルサイトはここ。
ゴブリン:イタリアが世界に誇るプログレッシブロックの大御所。日本ではホラー映画『サスペリア』、ダリオ・アルジェント版『ゾンビ』のサントラで有名。