第二話「ゴスロリハニアワナイ」
1
ケンゾーはいま、原宿にいる。
「明日、予定はあるだろうか?」
昨日、ぶっきらぼうな物言いでレンムに呼び止められた。原宿についてきてほしいというのだ。ケンゾーはいぶかしそうな顔をしたのに違いない。途端に、張り付いたような笑顔でレンムが一気にまくしたてはじめた。
「ほら、女の子が一人で行くと、勧誘とかあやしい募金、キャッチセールスっていうの? あれがすごいんだ。表参道の駅からこう、坂を下って目的地に着くまでに、何十人と声をかけられちゃって。ものの数分の距離が数十分になるんだよ」
「なるほど」
「まあ、大抵は無視するんだけど、中にはわしっと腕を掴んで、話だけでも聞いてくれと笑顔で懇願する勧誘もいるわけ。笑顔だけど目は全然笑ってなくて、なんとか早足で振り切るんだけど、
『ふさけんなっ! この●△@×女ぁっ!』
って怒鳴られちゃう。もう、なんで私が日焼けサロンで茶色になった人にののしられなくちゃいけないんだか、ねえ。そもそも、黄色人種の日焼け程、情けないものはないってのに」
いつもより饒舌なレンムが言うにはカップルならば、勧誘が声をかけてくることはないのだそうだ。ケンゾーは対勧誘用防波堤役をお願いされたのである。
「予定はないよ。晩御飯の用意があるから遅くまでつきあえないけど」
ケンゾーがにっこりと答えた。
「よろしくお願いします」
とレンムはぺこりと頭を下げる。
そんなわけで、ケンゾーは日曜日の原宿駅改札前で、うじゃうじゃと待ち合わせする人々の仲間入りをしたのだ。梅雨明けが遅かった空。
いつもどんよりしているのに、今日は青空が広がっている。ケンゾーはレンムを待つ間、今日の晩御飯はなににしようかと考えを巡らす。物思いにふけるケンゾーは、慌てて方向転換した女の子が如月智子だったなど気づくわけもない。それぐらい、ケンゾーは晩御飯に心を奪われていた。
待ち合わせ時間を少し回ったくらいにレンムが改札口に姿を現した。
「だから、買い物だって言ってるでしょ。店番? 今日はそんなに忙しくないって言ってたよ、母さんが。爺ちゃん、そういうのはカカンショーっていうの。嫌われちゃうんだから。もう、大丈夫だってば、ちゃんと帰るから」
携帯電話で喋るレンムは、ケンゾーの姿を見つけると目で軽く会釈した。
ケンゾーはレンムが困った顔で携帯電話に話し掛けているのを見ていた。
「遅れた上に電話しながらの登場、申し訳ない」
「いやいや」
いつものぶっきらぼうな物言い。通学用の大きなカバンを持たないレンムは身軽に見えた。とはいってもレンムのお出かけ用カバンは、周りの女のコのものよりひとまわりは大きかったのだけど。
2
「あちゃちゃ……」
ケンゾーはいつもそこそこオシャレな格好をしている。ということは割とセンスが良いのではないか。ケンゾーに洋服を見立ててもらったら、センスのよろしいものを選べるんじゃなかろうか。レンムはそんなことを考えていた。
服装に気を使わないわけではない。ファッション雑誌を買ってきては、こういう組み合わせは可愛く見える、これだとちと大胆だななどとあれこれ考えることが好きなほうだ。それはあくまで自分自身の好みであって、客観的に見たら似合わないんじゃないか、人にはダサく見えているんじゃないか、いつも不安がつきまとう。昔はそんなふうに思う余裕も無かったし、実際にやってみることさえできない状況にあった。マルクト学園に入ってからは、今までできなかった女のコっぽいことをするのが楽しくて仕方がない。今日は男のコとお買い物。一人で外に出ることも怖くなっていた昔の自分からは考えられないことだった。
「あんまり気にしたことないよ」
「でも、いっつもオシャレな格好してない?」
「姉がくれたものばかりだよ。それを、こう、適当に」
お姉さんが会社から、サンプルやら新製品やらを持って帰ってくる。ケンゾーはそれを適当に着ているだけらしい。それでレンムは
「あちゃちゃ……」
となった次第。だからといってバーゲンは人を待ってくれない。時間が経てば経つだけ、品薄になり選択の幅は狭まっていく。第三者の目は無いよりあった方が良い。そう結論づけたレンムはケンゾーを連れてセール中のショップを回ることにした。
「いらっしゃいませ~っ!」
高音の鼻声が額から抜ける。ショップの店員特有の呼び声がそこここから聞こえる。混雑するのが嫌だからバーゲン初日は外したというのに、どこのショップも人だかりができている。レンムは目当てのショップ目指して人混みを縫うように進んでいく。初めて来たけど、すごい場所なんだな。金時があそこは男が行くとこじゃない、ほんっとに疲れるだけだから、なんて言っていた。でも、焼き魚の香りや、洋菓子の甘い匂いがしないだけで、ごちゃごちゃしてるのはデパ地下と変わらないな。ケンゾーは時々人の壁で見えなくなるレンムを追いかけながら思う。レンムはお目当てのショップの前でケンゾーを振り返る。
「!」
ニッと笑うと店の方を指差し、中へと消えていった。ノリノリだなあ、マスカラさん。ケンゾーはショップへ向いかけた。
「あれ?」
ケンゾーはズボンに妙な熱さを感じた。ポケットの上から触ってみる。
なんとなく入れっぱなしになっていたカードが熱を帯びているらしい。ポケットから取り出してみる。カードの中心がもぞもぞと鼓動を繰り返していた。まるでカードに封じられた何かが這い出そうとしているように見えた。
3
マルクト魔法学園でまず最初に習うのは幻獣召還システムだ。幻獣は設計、想念、具現の順で実体化させる。設計で幻獣の詳細な情報を組み立てる。これは既にカードに刷り込まれている。プレイヤーが行うのは設計の次の段階、想念からとなる。想念は幻獣のイメージをリアルにイメージする作業だ。イメージがリアルであればあるほど召還される幻獣の容姿、能力もリアルなものになっていく。想念は設計で体系づけられたプログラムによって矛盾が生じないようになっている。想念により練りこまれたイメージが具現によって立体化を完了する。そんなことが詳しくテキストに書かれている。
カードが熱を帯びて生き物のように胎動する。これってカードに負荷がかかっているんだろうか? 『幻獣闘技トラブルシューティング』は重いから学校に置きっぱなしだし、何が原因かなんてすぐには調べられないな。
バーゲンの喧噪から少し離れた場所で、ケンゾーは考えを巡らす。
デパートのバーゲン。ショップに群がる女のコ。目を輝かせて自分の好きなブランド、似合うファッションを探している。女のコたちは目当ての服を身につけた自分の姿をイメージする? イメージ。イメージかあ。
「想念の過剰供給、とか?」
ケンゾーは今はピクリともしないカードを手につぶやいた。途端にケンゾーはジャケットの裾を引っ張られた。
「いなくなっちゃダメだ」
ケンゾーを恨めし気に見上げているのはレンムだった。あ、少し涙目だ。断りも無く消えたことをケンゾーはレンムに謝る。レンムはケンゾーの袖を握ったまんま、ショップの方へと引き返していく。ケンゾーはレンムの服の見立てをすることになった。
4
9号といっても結構でかいんだな。まあ、パニエやらなにやら重ねて着るもんだし。如月智子は黒を基調にしたゴシックなワンピースを手に取りながらため息をつく。レンムが服を物色し、ケンゾーがカードの異変に気づいた同じデパートの地下2階。如月智子はゴシック&ロリータ系のショップが並ぶ一角で逡巡していた。
ゴシック&ロリータ。如月智子はどこまでもいっても少女趣味な、このファッションに憧れている。一般的にはゴスロリと称されて一緒くたにされている。ゴシックとロリータというファッションはあるけど、ゴスロリというファッションは存在しない。まあ、そんなことを説明しても、きょとんとされるのがオチだ。友人達の多くは
「表参道やライブハウスとかによくいる」
「メイド、メイド!」
「ビジュアル系バンドのコンサートでコスプレしてるコ」
くらいにしか思ってないから、説明するだけ無駄なのだ。
それに自分の容姿では金魚みたいなヒラヒラやフリフリのロリータ服が似合うわけが無いと承知してもいる。しかし、ゴシックなこのワンピースならば……おそらく……たぶん……イケないこともないんじゃないか?
如月智子が手にしているのは黒地に小さな花が鏤められたワンピース。胸の部分が編み上げになっている。この編み上げがちょっと気になるけど……。
「お客さまぁ、とーってもラッキーですよー! このワンピースは今日入ったばっかりなんです~。よろしかったら着てみますぅ?」
如月智子に声をかけたのはすらっと背の高い細身の店員だった。はっきりロリータというよりも、なんとなくロリータっぽい格好をしている。ははは、この手の服は背が高くて細身じゃないと様になんないわね。
「は、はあ」
どうもこういう店で声をかけられるのは苦手だ。後をつけてきて手にした商品を事細かに説明する追尾型店員のいるショップはもっと嫌だ。特にこれこれを買おうと心に決めて、ショップを覗いているわけではないのだから、どう返事をすれば良いのかわからなくなる。
曖昧な返事とともに、にへらっと笑うしかない。今、自分の心が揺れているのが手に取るようにわかる。そうだ、私、如月智子はこのゴシックなワンピースを着てみたいと思っている。同時に似合わないはずだとも考えている。
細身の店員は裾のフリルもお尻が大きく見えないように工夫が凝らされているとか、胸の編み上げはちゃんと胸を潰しちゃわないようになっているんだなどと説明を始めている。私はどうしたいんだろう? 曲を作っているときはこんなに迷わない。自分の言葉を音符に乗せることができるのに。幻獣闘技だってそうだ豪快に相手を叩
き伏せることになんの躊躇も感じないというのに。なぜ、なぜ、たかが服の試着でこんなに迷うんだ?
「着てみますゥ~?」
「あう……はい」
あ、返事してる。つい返事をしてしまってる。不自然な笑みの店員は如月智子をフィッティングルームへと導いた。なんだか心臓の音が聞こえるような気がしてきた。心無しかめまいもする。如月智子はワンピースを着ながら、訳もわからず緊張していく自分を感じていた。
「いかがですかぁー?」
しばらく経ってから店員が外からノックしてきた。如月智子はゆっくりとフィッテイングルームのドアを開けた。怯えたウサギのようにびくびくしながら、大きな姿見の前に立ってみる。いつもの自分ではない自分がそこには映っていた。まあ、すごくとってもよくお似合いですゥ、と店員が褒めている。本当にそうなんだろうか? とても疑問に思う。第三者の客観的な意見が聞いてみたいものだ。如月智子にゴシック系のワンピースはありなのかと。
「あ…」
以前、聞いたことのある声が聞こえた。こんなところを知り合いには見られたくない。瞬間的に声のした方を振り向いた。そこに立っていたのは私のドラゴンを倒したあいつと立会人の女のコ。ああ、あいつは駅前でうまくかわせたと思ったのに。一番、見られたくない奴に見られてしまった気がする。如月智子は数秒ほど同じ態勢で固まった。
ケンゾーは買い物を終えたレンムと共に、雑貨屋を探して地下2階に降りてきた。そこで、たまたま如月智子と再会したのだった。如月智子にとっては見ちゃいやーんな状況であることなど、ケンゾーは知る由もない。
そんなわけでケンゾーはいつものように無邪気に笑った。
「ゴスロリさんだ」
「ち、ちがーう!」
如月智子は肩を震わせて叫ぶと、フィッティングルームのドアを思いきり閉めた。
5
デパートから通りを挟んだ路地を少し入ったところにクレープ屋がある。
ケンゾーはひとりぼっちにしちゃったお詫びだからと、レンムを連れてそこへ入った。
「オー、ケンゾー。久しぶりィ」
ケンゾーとレンムを出迎えたのは、普段着に無造作にエプロンをつけた無精髭のフランス人店長だった。どうやらケンゾーはクレープ屋の馴染み客だったらしい。クレープといってもデザート感覚なそれではなく、フランスの家庭料理としてポピュラーな蕎麦粉のクレープだ。大きなガラス窓に囲まれた店内に、陽の光が優しく降りそそぐ。古いミシン台に大きな古木の乗ったテーブルにクレープが運ばれてきた。蕎麦粉生地のクレープの上にチーズと厚めのハム、さらに目玉焼きが乗っている。
「目玉焼きの目玉は先? 後?」
ケンゾーはナイフとフォークを手にレンムに訊ねた。
「後。好物は先に食べちゃう方だけど、目玉はやっぱり後でしょ」
ケンゾーは満足そうにうなずくとクレープを端から切り始めた。
思ったよりもお腹に溜る。クレープを堪能したふたりはブレンドを飲みながらなんとなく話していた。
「なんだか悪いことしちゃったのかな、彼女」
「あ、ゴスロリさん」
「見られたくなかったんじゃないかなって、思ってさ」
「あ……」
雰囲気読めないのは男のコの共通項なのか。そのクセ、妙に細かいところには気がつくんだよな。レンムはつかみ所のないケンゾーも普通の男のコな部分があると知り、なぜだか少し安心した。
「家の用事は大丈夫?」
「駅の携帯? 大丈夫大丈夫。いつものことだから。ウチは和菓子屋なんだ。一応、父が三代目なんだけど、二代目がまだ頑張ってるわけ。これがまた昔ながらの頑固じじい。……で、いろいろとうるさく言ってくる」
口煩いのはあのことがあったからとは言えない。自分でもうまく整理ついてないのだから。どっから話したらいいもんだろう。というか、知り合ったばかりのケンゾーに話してどうするつもりなんだ? 私は。レンムが悩みながら、家庭の事情を話していると
「和菓子屋さんかあ。作っているところ見てみたいなあ」
と、何も知らないケンゾーは目をキラキラと輝かせた。我に返ったレンムは右手でマスカラを塗る真似をした。
「器用な手ってやつ?」
「うん」
「ケンゾーのお父さんは何やってんの? なんか細かいもの作ったりするの?」
「全然違う。さく井業」
「サクセイギョウ?」
「うん、井戸を掘る仕事。最近は温泉を掘ってる」
じゃ、ケンゾーの手先が器用マニアの原因はお母さんだったのか、どんな人だったのか? と思ったものの、行方不明だと聞いているためなんとなく訊ねづらい。温泉を掘ると言われても、なんだかピンと来ないなあ、ととりあえず驚いてみる。
「1回だけ連れていってもらったことがあったかな。なんだかでっかいボウリングの機械でわしわしと穴を掘ってたよ。
『お前のオヤジはすぐに水を嗅ぎつける。天下一の鼻の持ち主だ』
って、ヒゲクマさんーーオヤジの会社の人ね。ーーに髪の毛クシャクシャってやられて泣いちゃったんだ。ほんと熊みたいに体は大きいし、剛毛が生えているおじさんで、小さいときはクマの化身で、子供を食べちゃうと勝手に思い込んでいたから」
「ああ、なんとなくわかる。うちもタケウチさんって職人さんがいたんだけど、いつもムッとしている人でね。私はなんだか嫌われているんじゃないかって気持ちになってて、タケウチさんがいるとビクビクしてたよ」
「そうそう、子供の頃って世界が狭いから、第一印象でなんとなくこの人はこういう人なんじゃないかって思っちゃう」
「今でも私は第一印象を後々まで引きずる方だからなあ。タケウチさんのことコワくなくなったのは、きんとん箸を削らせてくれたからかな」
「きんとん箸って?」
「栗きんとんなんかで使うきんとん飴を餡玉に植えるときなんかに使うんだけど、先端が針のように細くなってるんだ。これは自分で削って、使いやすい細さにしていくんだけどね。ある日、タケウチさんがいつもの仏頂面で、きんとん箸を削っていた。それを恐る恐る覗いてたら
『レン坊、やってみるか?』
って、きんとん箸を削らせてくれたことがあったんだ。まあ、子供が削るわけだからどうしても不細工なものができあがっちゃったんだけどね。なんだか嬉しそうにながめてたな、タケウチさん」
ケンゾーはうんうんとうなずきながらブレンドを一口すする。
「だからといって、タケウチさんと仲良くなったってわけでもないんだな。相変わらずムッとしながら和菓子作ってたし、私もぺこっと挨拶するだけだったし」
「それが二人のちょうど良い距離だったんだ」
距離かあ。たしかにそうだったのかもしれない。互いがストレスを感じない距離ってわかりそうでいて、わからないものなんだな。ケンゾーになら、あの出来事を説明してもいいんじゃないかとレンムは考えるが、なにか呪いのように災いが伝染しそうな気がして言い出せなかった。
6
「あれは、着てみたかっただけなの」
マルクト学園の休憩用のロビーで、レンムに向かってはっきりとした声で言い放ったのは如月智子だった。
「あ、如月…さん?」
「私はゴシックは好きなんだ。でも、似合わないとわかっている。着てみたらあきらめもつくんじゃないかと思って」
そこまで一気にまくしたてると如月さんはふーっと大きく息を吐いた。続けて何かを言おうとしたのだが、それまで目を丸くして固まっていたレンムが
「と、とにかく座りたまえ」
とようやく不自然な言葉を紡ぎ出し、自分の隣の椅子を指差した。如月智子は素直に応じて、レンムの横にちょこんと座った。
フィッティングルームに隠れた時、如月智子は無性に腹立たしかったのだ。
自分が好きなファッションを試着することになぜ後ろめたく考えてしまうのか? 幻獣闘技で負けた相手に見られて、途端に恥ずかしくなってしまったのも悔しい。自分の弱い部分を見られたような気がしたのだ。このままでは自分の気持ちが収まらない。とにかくなぜ自分があの場所にいたのか、それだけでもケンゾー達に言っておこうと後を追いかけた。
「見失っちゃった。自分でもイタイなあとは思ったんだけどね。このまんま学校で会ったらどういう顔をして良いのかわからないし。まあ、もう会っちゃったんだけどさ」
確かにあのときのケンゾーは無神経な物言いをしていた。私もそれについて諭すでもなかった。自分は人の痛みがわかるほうだとは思っていたけど、あれから他人の感情の機微を感じる能力がマヒしているのかもしれない。反省したレンムの口から自然と言葉がもれた。
「自分が好きなファッションが必ず似合うわけじゃないもん。でも似合うと思い込んでいる人もいる。そういう人ほどあんたに明るい色は似合わないとか、やれセンスが悪いとか、ワイドショーみたくファッションチェックしてくるんだ」
何か見えないものを嫌悪するようなレンムの声に如月智子は少しびっくりする。如月はレンムが適当に話を合わせて、愛想笑いをするに違いないと思い込んでいたのだ。
「似合うとか似合わないってのは、自分でもよくわかんない。私の場合は着てみて、なんとなく居心地悪いなって感じたら、その服はやめておく。ケンゾーはお姉さんが見立ててるみたいだから、今まで服が似合っているのかいないのか、そんなこと考えたこともないんじゃないかな」
レンムは手を胸の前で組んでピンと伸ばし、かかとで床をコツンコツン。
「たぶん、服はエクスカリバーと一緒なんだよ」
「え? リック・ウェイクマンの『アーサー王と円卓の騎士』の?」
如月智子はKORGを弾く真似をしながら、レンムの方へ首を傾げる。
「リックさんは知らない。でも、伝説の剣エクスカリバーを手に入れるためには王である資格が必要だったんでしょ。それと一緒なんじゃないのかな」
「着たい服が似合うためには、それに見合ったレベルが必要なわけね……。ははは、まるで『ウイザードリィ』ね。なんか力が抜けちゃうな」
並んで座った二人の間に気持ちいい沈黙が流れた。しばらく考えていたレンムが口を開いた。
「自分に合ったエクスカリバーを探すのも楽しいけど、自分のためのエクスカリバーを作っちゃうって手もあるね。とはいってもそんな技量は私にはないからなあ。そんな知り合いもいないし」
「あ」
如月智子は最近、疎遠になった友人の顔が思い浮かべて、 少しだけ顔が曇らせた。
「え? いるの」
「うん、最近連絡取ってないのよね」
7
親身になって相談に乗るだけ損なやつはいる。でも、だけどと理由を作って、結局は動くことがない。自分では何も決められず、誰かの真似をする。服飾に興味があった如月智子は、文化桑原服装専門学校を受けようと考えていた。
「わたしもそこ受けるんだよ」
それを聞きつけたアヤコが先回りした。真似をするなと怒るわけにもいかず、その場は適当な言葉でやり過ごしてしまった。好きな音楽を教えれば、次の日にはアヤコもアルバムを揃えている。自分が軽音楽部に入ったら、アヤコも遅れて入ってきた。バンドを組めば、私も仲間に入れてくれと頼んでくる。
そして、今度は進学先だ。途端に嫌になった。どこでも良かったのだけど、なぜかカードを使った魔法に惹かれてマルクト魔法学園を受験した。受かったことはアヤコには黙っていた。当然、気まずくなった。
高校時代の友人からアヤコの連絡先を聞いた。連絡は取れなかった。当たり前だ。服のリメイクを頼もうだなんて、甘いことを考えているわけだから。
自分が後味悪いから、なんとかしようとしているだけなのも充分承知している。万が一、仲直りできたとしてもまた真似をされるのだろう。でも、今はどうでもいいことのような気がしてきた。真似したいなら真似をすればいい。
それが自分に似合うか似合わないかは別問題なのだから。今は専門学校仲間と立ち上げたインディーズブランド:Vespertineにいると聞いたので訪ねてみることにした。如月智子は応対に出た長身の女のコに用件を伝える。
「なに? あのコはもうここには来ないよ」
アヤコは既に専門学校もインディーズブランドからもドロップアウトした後だった。なんともアヤコらしいと思うと、なぜか笑みが洩れてしまった。
ギターケースからはみだしていた制服を見つけたんだろう、応対していた女のコは途端に不機嫌な顔になった。
「アヤコが言ってた友達ってあんたか。魔法を憶えたってさあ、卒業したら就職先とかあんの? ないよねえ」
確かに。就職先は……どこがあるんだろう? 遊んでいるって見えるのだろうな。
「金刺、お客?」
ミシンが数台置かれた自習室兼仕事場といったワンルーム。奥にいたもう一人が金刺と呼ばれた不機嫌顔に声をかけた。ゆらりと姿を現したのは、なにやらハーフっぽい顔だちの女のコだった。タンクトップにジーンズという、ラフな格好が妙にキマっている。
「あれ? スイッチブレイドのTOMOさんだよね?」
「!」
スイッチブレイドとは如月智子がヴォーカルを担当するインディーズバンドだ。この人は普段の私とライブの私が同じ如月智子だと知っている。如月智子は驚くと同時にうなずいた。初めての体験だった。よく仲間にはライブのときは智子は別人格になると言われる。自分では意識していないのだが、ライブの打ち上げで自己紹介すると
「本当にTOMOなのか?」
と必ず驚かれる。
「よくライブ観るよ。あんたの声、スキだな。うん」
「どうも」
「金刺はさ、課題やらフリマやら重なっちゃってピリピリしてんの。気にしないでいいから。あ、私はタガソデ。誰の袖って書いてたがそで。TOMOさんてマルクトだよね」
「そうだけど」
如月智子の答えを聞いた誰袖はいたずらっぽく目をぐるりと回すと顔いっぱいでにんまりする。そして、誰袖は如月のギターケースからはみだしたマントを激しく指差す。
「見てもいい?」
特に断ることでもなかったので、如月智子はギターケースから真っ青なマントを取り出すと誰袖に手渡した。
「へへへ、こりゃすごいや。さて、今の私の気分は?」
「いや、気分て言われても。極めつけにダサイ、とか?」
「いやあ違う違う。食いしん坊が可もなく不可もなくな郷土料理に遭遇した心境。誉めるべきなんだろうけど誉めきれないってね。TOMOさん、私に同情してくれる?」
こういうタイプは苦手だ。知らないうちに相手のペースに乗せられてしまう。自分が上滑りしていくのがわかりながら、止めることができない。如月智子が返事に困ってアウアウ口を動かしていると、誰袖は
「ねえ、マントと帽子、私に1日預けない?」
と切り出してきた。私、如月智子はライブで客を煽るほどには普段の生活は臨機応変な対応ができないんだ。きっと断れないぞ。
「いや、制服がないと困ります」
「1日くらいなんとかなるっしょ。そうだなあ、明日のお昼くらいに学校に届けるからさ」
誰袖は有無を言わせない。
明日は普段着で授業を受けるために、朝から幻獣闘技かあ。って何考えてんのよ、私。眉間にシワを寄せて困ってるふうな如月智子なのだが、思わぬ申し出になんとなく楽しそうにも見えた。
8
昼休み。ケンゾーはいつものように喫茶部で弁当を広げる。傍らに分厚い『幻獣闘技トラブルシューティング』を広げている。
「ケンゾーが勉強してる」
レンムがイジメッコな笑顔で話しかけ、喫茶部で買ったケバブサンドにかぷりと噛みついた。
「いや、勉強っていうか、こないだ少し困ったことがあって、その解決方法が載ってないかなあと。パソコンと一緒でトラブルシューティングはやっぱり役に立たないや」
「ふーん。どんなふうに少し困ったんだね? 私が聞いてあげよう」
「ほら、原宿行ったでしょ。バーゲンの人混みの中でカードが……」
言いかけてケンゾーは途中で説明をやめてしまった。レンムは何があったのか? というふうに右マユをつり上げた。彼の視線を追ってレンムが振り返る。レンムは如月の姿をみつけて、喉にケバブを詰まらせてしまった。
如月は制服ではなく普段着のままだったからだ。普段着では学校に入れないはずなのに。皆まで言うなといわんばかりに右手を前へ突き出し、ケンゾーにゴスロリさんなんて言うなよと前置きして、
「あー、制服無しで学園に入るために守衛と幻獣闘技、授業を受けるために2年のクラス担任と幻獣闘技、そんでもって授業でやっぱり幻獣闘技。わたしゃもう疲れたわよ」
と如月智子はレンムの隣の椅子に座ると、テーブルにグテーっと突っ伏した。
レンムとケンゾーはいま一つ、状況がつかめない。なんとなく首筋を伸ばして大きく目を見開いている。いわゆる鳩が豆鉄砲をくらったとかいう状態。
如月は突っ伏したまま顔だけ、レンム達に向けると昨日のVespertineでの出来事を説明した。アゴはテーブルにつけたまんまなので喋ると同時に頭がカクカクと揺れる。
「決断したのは私なんだから、まあ誰のせいでもありゃしないんだけど。私をそそのかしたのはあんたらなんだから、お昼御飯おごるくらいしてもらってもいいわよね」
「うー、出汁巻き卵ならあげるよ」
「あー、じゃ私は調理パンなんぞを」
ケンゾーとレンムの答えに、如月はにひひと笑う。そのおどけた笑いは何か吹っ切れたような笑いだった。そのとき食堂の入り口に一人の学生が現れた。
その学生は周りとは少しだけ様子が違って見えた。学生はまっすぐにテーブルに突っ伏す如月に向かっていく。如月がうな重くらいはおごってもらわなくちゃ、割りが合わないとごねていると、学生が声をかけてきた。
「TOMOさんがうな重なら、わたしはふぐちりっ!」
青いマントを羽織っているからマルクトの学生だとばかり思っていたが、実はVespertineの誰袖だった。
「た、誰袖さん! どうやってここまで入ってきたの?」
「え? TOMOさんのマントでOKしたぁ!」
誰袖が羽織っているのはマルクト学園の青い制服だった。しかし、見なれた制服と比べてどこかしらスマートな印象があり、まるで別物のようだ。
「へへへ。リメイクしちゃった。ちょっとしかいじってないからネ」
誰袖はワクワクしながらマントを脱ぐと如月の肩にかけた。誰袖の着て着てのジェスチャーにうなずきながら、如月は渡されたマントに袖を通してみる。
ちょっとだけぶかぶかだと感じていたはずのマントが、今は身体にぴったりフィットしている。如月は魔法でもみたかのように驚いて、誰袖をみつめた。
「あ、ありがとう」
「イエスッ!」
誰袖は叫びながら腰だめに拳を握る。ケンゾーとレンムは一連の展開に呆気にとられ、顔を見合わせた。如月はオイテケボリな二人に誰袖を紹介すると、立ち上がってうれしそうにぐるりとターン。そのとき、満足そうにうなずいていた誰袖がなにかを思い出したように声をあげた。
「途中でここの学生じゃないってばれちゃって何度かゲンジュウなんとかだ! って言われたんだけど、TOMOさん、ゲンジュウなんとかって一体なに?」
「幻獣闘技のことだけど、それで誰袖さん、どうしたの?」
「TOMOさんが責任者ですって言っといたんだけど、マズかったかな?」
「あうー。放課後はまたまた幻獣闘技なのー!」
如月は再びテーブルに突っ伏した。
レンムが如月と誰袖のやりとりににんまりしていると、携帯電話のメール着信音が鳴った。誰からのメールだろう? レンムはくるくるとダイヤルを操作する。
『私が 居ないのに 随分 楽しそう ね』
マルクト学園に入ってから携帯メールを交換した相手は少ない。例の事件があってから極端に人付き合いが悪くなったせいだ。送信者は事件を起こした張本人からだった。レンムは自分の思考が断線し、真っ白になっていくのを感じた。
用語解説
Vespertine:ヴェスパタイン。ビョーク4枚目のアルバムタイトル。ヴェスパタインは植物学や動物学、天文学で使われる言葉であると同時に、
スピリチュアルな事象を表現する際にも使用されることがある。
リック・ウェイクマン:RICK WAKEMAN キーボードプレイヤー。プログレッシブロックの代表格Yesの第3期&第6期のメンバーとして有名。Yes時代の代表作は「こわれもの」「究極」。如月さんが語る『アーサー王と円卓の騎士』は1975年に発表されたソロアルバム“The Myths & Legends of King Arthur & The Knights of the Round Table ”のこと。