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本当に欲しいもの(1)

 帝位を望んだことなど、一度もなかった。


 それは父のものであり、兄のものであり、いずれは兄の子が受け継ぐものだった。


 物心ついた頃から当たり前のように受け容れていた未来。そこに狂いが生じたとき、最初に感じたのは苦々しい怒りだった。こんなもの、欲しくなかったのに、という。


 とはいえ、ひとたび手に転がり込んできた帝冠を放り投げることもできず──やってみたいと思ったことは一度ではない。丸く重いそれは、投げればさぞかしよく飛んだだろう──怒りと不満は押し隠して義務と責務を引き受けた。


 やるべきことはきりなくあった。欲しいものはこれではないと、駄々をこねている暇はなかった。


 そんな鬱々とした日々における唯一の息抜きは、身分を隠して城下を歩きまわることだった。側近たちは青くなって止めたが、意外にも筆頭補佐官だけは肩をすくめて三回に一回は見逃してくれた。


 どこかで休まないと人間死にますから、と、そっくりそのまま返してやりたくなる台詞を口にしながら。


「ですが、くれぐれもお気をつけください。陛下に何かあれば私どもは……」


 その先は言葉を濁したが、恨みがましそうな表情から察するに「死んだら許さん。仕事が増える」ということだろう。部下たちの心身の健康のためにも自分のためにも、毎回無事に帰ることを心がけていたのだが──


 ──今回は厳しいかもしれないな。


 木の陰に身を隠しながら、ギルベルトは声に出さずにつぶやいた。

 

 皇都郊外の、とある街道。木々が長い影を落とす街道は、むせかえるような血の匂いに満ちていた。


 匂いの元は、道に累々と横たわる野盗たちだ。つい先ほどまで剣やら斧を振りかざしてギルベルトたちを追い回していた男たちが、変わり果てた姿で地に伏している。


 襤褸ぼろ切れのような塊の間で立っているのはただ一人。野盗たちを素手で引き裂き、拳ひとつで粉砕してみせた、異形の大男だ。


 厄介なことになったものだと、ギルベルトはひそかにため息をついた。いささかどころではなくまずい状況に陥ってしまったのは誰のせいでもない。自分のせいだ。


 いつものように街へ出て、成り行きで旅の商人の護衛を引き受けてしまったのだ。


 往来で肩が当たっただのと難癖をつけてきた破落戸ごろつきを軽くひねってやったところまでは、まあよかった。が、そのならず者、じつは旅の商人の護衛に雇われていたとかで、使い物にならなくなったその男の代わりに、急遽ギルベルトが護衛の任につくことになったのだ。


 もとはといえば喧嘩をふっかけてきた方が悪いのだから、ギルベルトが責任をとる必要もなかったのだが、雇った護衛がいなくなったと嘆く商人がどことなく筆頭補佐官に似ていたため、つい日頃の罪滅ぼしのような気持ちで「なら俺が」と申し出てしまったのだ。


 あとは、商人の行き先である隣の街には近々視察に出向くつもりだったので、この際ちょうどいいと思ったせいでもある。


 何がちょうどいいのです、と当の補佐官が聞けばこの世の終わりのような顔をしたに違いないが。


 朝に皇都を出て、日中は何事もなく道を進んだ。雇い主の商人からさまざまな土地の話を聞くのも楽しかった。


 武装した一団に襲われたのは、目的地まであとひと息の夕暮れどきだった。


 腕に覚えはあるギルベルトだったが、さすがに今回は相手が多すぎた。しかも野盗の中には怪物のような巨漢も混じっており、どうにか隙をついて商人は逃したものの、ギルベルト自身は逃げ遅れては野盗に囲まれた。これまでかと覚悟を決めた瞬間──暴風に吹き飛ばされた。


 地に倒れて転がって、道沿いの木に頭をぶつけて一瞬気を失った。再び目を開けたとき、そこに広がっていたのはまさに地獄だった。


 千切れ飛ぶ手足。悲鳴と絶叫。肉がつぶれ、骨が砕ける音。


 呆然としながらも、とっさに這って木の後ろに身を隠した。吐き気を堪えてひそかに様子を窺うと、ちょうど最後の賊の一人が口から血を吐いて倒れるところだった。


 あとに残ったのは静寂と、両腕を血に染めた男が一人。両のこめかみから捻じれた角を生やした、一見して魔族とわかる男だった。


 この魔族が、結果的に自分を救ってくれたことは理解できた。だからといって、礼を述べる気には到底なれなかった。


 いくら恩人とはいえ、この男が何のために野盗を屠ったのかわからない。である以上、のこのこと姿を現すのは危険で愚かな行為でしかない。この男がただ殺戮だけを目的としている可能性も充分にあるのだから。


 なにしろ、相手は魔族だ。野蛮で残忍、血を好むことこの上ない──


「派手にやったなあ、ゲイル」


 空から声が降ってきた。そう思うしかない唐突さで、からりとした声が耳を打った。


「これは陛下」


 異形の男が膝をついた。血と泥でぬかるんだ地面に、ためらいなく。


 一体いつの間に現れたのだろう。細身の青年が、そこに立っていた。黒い服をまとい、血臭を含んだ風に漆黒の髪をなびかせて。




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