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第45話 囚われの魔王様

 怪我の具合はどうだとか、おまえこそ忙しそうだが大丈夫か、とか。執務室の長椅子に並んで座って、そんな儀礼的な言葉をぽつぽつ交わしたところで、俺は「あのさ」と切り出した。


「おまえ、もしかして怒ってる?」

「……なんだって?」


 あれ、違ったかな。こいつが訪ねてこないのって、絶対そのせいだと思っていたんだけど。


「いやさ、俺もちょっとは反省してるんだぜ? あの聖堂ぶっ壊したのはやりすぎだったかなー……って。でも、それはさあ」

「ノア」


 ギルベルトが俺の言い訳をさえぎった。


「それはない」


 短く、きっぱりと否定されて少しだけほっとする。


「私がきみに怒っているなどと……それだけはない」


 いや、やっぱり違うだろ。だったらおまえ、なんでそんなによそよそしいんだよ。口調も元に戻ってるぞ。もとの、あの善人を取り繕ったような、下手くそな役者のような。


 反論しかけた俺を制するように、ギルベルトは片手をあげた。それからゆるく首をふり、自嘲気味に目を伏せる。


「むしろ逆だな」


 ぼそりとつぶやいたきり後が続かない皇帝を、俺も黙って眺めていた。


 なんというか、めずらしいこともあるもんだ。口から先に生まれてきたようなこの男が、言葉を探して考えこむなんて。


「……正直、いたたまれなかった」


 ゆっくりと、かみしめるようにギルベルトは語る。もろい道を一歩ずつ、確かめながら歩くように。


「合わせる顔がなかった、というのが正しいのだろうな」


 いや、本当にめずらしいな。こいつのそんな顔は初めてみる。まったくこいつらしくない。そんな、完全にあきらめたような、白旗を掲げたようなその表情かおは。


「なんだよ、それ」

「そのままの意味だ。きみに合わせる顔がなかった。自分が情けなくてな。あのとき、私はなにもできなかっただろう?」


 言葉どおり情けない皇帝を前にして、俺は先ほどから奇妙な居心地の悪さに襲われていた。もっと単純に言ってしまえば、苛ついていた。


「あの気味の悪い勇者も、教団長も、すべてきみ一人で片づけてしまった。きみもさぞかし失望したことだろう。こんな足手まといを……」

「おまえ馬鹿だろ」


 苛ついた気持ちそのままに、俺はギルベルトを罵倒した。ついでに音高く舌打ちもしてやる。バラーシュがいたら絶対に「行儀が悪い」と怒られるやつだ。いなくてよかった。今からやろうとしていることを、あいつに見られるのは具合が悪い。


「あのな、ギルベルト」


 赤毛野郎の胸倉を、俺はつかんで引き寄せた。まったく気はすすまないが、こいつが馬鹿なのだから仕方ない。一度だけだぞ、この野郎。その耳かっぽじってよく聞きやがれ。


「おまえがいてくれて、よかったよ」


 深緑の瞳がまたたく。その目にたたきつけるように、俺は言葉を続けた。


「俺ひとりじゃだめだった。ハロルドを倒せたのも、仲間を助けられたのも、おまえのおかげだ」


 おまえと、皆と、あとは例のふざけた先代様のおかげだろう。俺、前にもそう言ったよな? あれ、言ってなかったっけ? でも言わなくてもわかれよ、これくらい。こいつ、普段はめちゃくちゃ勘がいいくせに、肝心なところで鈍いのな。


「おまえには、感謝している」


 あーくそ、言っているうちにだんだん恥ずかしくなってきた。もういいか? いいよな。いくらこいつが馬鹿で間抜けで鈍感でも、これだけ言っときゃ十分だろ。


 気恥ずかしさをまぎらわすように、俺はやつの胸を軽くたたいた。


「だから、その情けない面をさっさとしまえよ。おまえがそんなだと調子狂うだろうが。ちょっと腹立つけど、俺も前のおまえのほうが好きだし……っ」


 ぐい、と強い力で腕が引かれた。え、なにこれ。


「ノア」


 間近できらめく緑の瞳。獲物を前にした獣のような……あ、なんか嫌な予感がする。いや、予感じゃなくて、現在進行形で背中がざわざわする。気づかないうちに非常にまずい状況に陥ってしまったような……


「言ったな?」

「……言ったって、なにを」

「俺のことが好きだと」

「………………言ってない」

「嘘をつくな」


 だあああっ、嘘だとわかってんなら訊くな! あと顔を近づけるな! 落ち着かないからちょっと離れろ、この馬鹿皇帝!


「……言い……まし、たっ」


 両手でギルベルトの胸を押しやって、俺はどうにか自由をとりもどした。


「けど、それはさ……この世に好きか嫌いかの二択しかなかったら……まあ、嫌いじゃない方に分類してやってもいいかなって意味で……あと、そもそも好きって定義にもいろいろあってだな……」

「“塔”の魔術師どのは理屈がお好きだ」


 くつくつとギルベルトが喉を鳴らす。おい、さっきまでとずいぶん態度が違うじゃないか。切り替えが早いのはいいことだが、おまえの場合は早すぎだ。ひとの言葉でそんなにころころ機嫌を変えるんじゃないよ。おまえ仮にも詐欺師だろ? じゃなかった。皇帝か。


「やはりおまえは最高だな。さすがは俺の愛人」

「……それ、まだ続けんのかよ」

「もちろん」


 見上げた先で、緑の瞳が愉快そうに躍った。


「いまさら逃がすわけないだろう」

「……左様で」


 ぐったりした気持ちで俺は額を押さえた。


 なんだろうな。こいつといると、とにかく疲れる。疲れて何もかもがどうでもよくなる。思えば、最初からそうだった。振り回されて乗せられて、いいように言いくるめられる。


 まったくもって厄介だな。何が厄介かというと、もうそれでいいかなと、思ってしまう自分がいることだ。俺はいつからこんなに流されやすい性格になってしまったのだろう。いや違うな。悪いのは俺じゃない。こいつのせいだ。たかだか俺の言葉ひとつで馬鹿みたいに嬉しそうな顔をする、この赤毛の駄犬のせいだ。


「ギルベルト」


 名を呼ぶと、濃い緑の瞳がゆるんだ。ああ、これはいい。最初から、この色は好きだった。深い森の色。故郷の色だ。


「趣味悪いな、おまえ」


 ため息混じりのつぶやきは、同時に降伏宣言でもあった。それはギルベルトにも伝わったことだろう。落ちてきた口づけの合間に、やつはこの上なく満足そうな笑みを返した。


「お互い様だ」


 かくして善良な魔王様は、まんまと腹黒の皇帝陛下のとっ捕まったというわけだ。我ながら、まったく趣味の悪いことに。




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