第44話 仲良きことは何とやら
なんだかんだで半月も顔を見ていない皇帝の安否については、アデルたちから聞いてはいた。
重体、というほどのものでもないけど、まあ骨は二、三本折れたりひび入ったりしているから、それなりに重傷の俺と違って、身体は無事。
ただ、ぶっ壊れた(というか俺がぶっ壊した)教団本部の後始末とか、先帝暗殺のほかにも叩けばいくらでも埃が出てきそうな教団長の追求とか、わらわら出てきた魔族の処遇をどうするかとか、ただでさえ忙しいところに新しい仕事が山積みになって、ほとんど寝る暇もないらしい。
「やっぱあいつ、まだ忙しそう?」
むいてもらった林檎をかじりながらそう訊くと、バラーシュは「かなり」とうなずいた。
「オレグ殿ほどではないようですが。オレグ殿だけでなく補佐官の皆様があまりにお辛そうでしたので、昨夜は補佐官室に薬湯をお持ちしましたよ。余計なお世話かとも思いましたが、皆様たいへん喜んでくださいましてね」
……なんでこいつ、皇帝補佐官と仲良くなってんの。いや、いいんだけどさ。べつにいいんだけど、なんか、今後が怖い。なにがどう怖いのか、たぶんギルベルトならわかってくれると思う。
「気になりますか?」
バラーシュが二個目の林檎をむきはじめたので、「もういらないけど」と言ったら「私の分です」と返ってきた。ほんと遠慮のないやつだよな。言葉だけじゃなくて行動も。
「気になるっつうか、まあ……いろいろ話したいこともあるし」
「ははあ、愛人契約の延長についてですか」
林檎が喉につまって危うく死にかけた。げほげほと咳きこむ俺の背中を、バラーシュがけっこう強めにたたいてくる。あ、もういいです。ほんともう痛いから!
「……どっから聞いた」
ぎろりとにらみつけてやると、俺の参謀役は涼しい顔で「あらゆるところから」と答えた。
「あのな、わかってると思うけど、俺、被害者だから」
げんなりした気持ちで訴えると、バラーシュは心底愉快そうに口の端をつり上げた。
「わかってますよ。あなたが天性の人たらしだということは」
「なんだそれ」
「さあ、なんでしょうね」
さくさくといい音を立ててバラーシュは林檎をかじる。俺も残りの林檎に手をのばし、しばらく二人で黙々と林檎を片づけた。
「冗談じゃなくてさ、あいつとはいろいろ話さなくちゃいけないことがあるんだよ。まずは賠償請求だな。おまえらをひどい目に遭わせた責任はきっちりとってもらわないと。それから城の建て直し費用も……」
「エリアス様」
不意に、バラーシュが俺の名を呼んだ。正確には俺の地位に付随する名を。背筋を伸ばして俺を見る参謀役は、瑠璃色の瞳に静かな光をたたえていた。初めて俺の前で膝をついた日のように。
「我らを救っていただいたことに、改めて感謝いたします。あなたが我らの王でよかった。いま心からそう思います」
……ずるいじゃないか、バラーシュ。普段はめちゃくちゃ陰険なくせに、たまーに殺し文句を投げてくるとかさ。人たらしはおまえの方だろうが。
「……べつに、そんなの当たり前だし」
「その当たり前ができない者の方が多いのですよ。あなたはもっと自信をお持ちください」
その自信を日々粉々にしてくれてるのはどちら様でしたっけ? とは口に出さなかった。言ったら百倍になって返ってくるのは目に見えていたし、バラーシュの言葉は正直──それこそ絶対に本人には言いたくないけど──ものすごく嬉しかったし。
「それから、もう少し素直になられてもよいのではありませんか」
「はあ?」
なんだか、今日のバラーシュは自分のことを棚にあげて言いたい放題だな。おまえに比べりゃ俺は三歳児なみに素直だぞ。
「我らのことを気にかけてくださるのは有難いですがね、ご自分のお気持ちも大事になさったらいかがです。気になるのでしょう? あの方が」
話がそこに戻りますか。いや、気になるっていうか……まあ、ちっとばかし面白くないのは確かかな。
あの能天気野郎、ちょっと前まではうるさいくらいにまとわりついてたくせに、あの日から一度も会いに来ないとかさ。忙しいったって、ちょっと顔見せに来るくらいはできるだろうが。どうせここに寝に帰ってんだろ? それとも何か、寝てねえの?
「あなたにそんな顔をさせるとは、ますますあの方に興味がわきますね」
そんな顔ってどんな顔、と返す気にもなれず、俺は抱きかかえた枕に顔を埋めた。
「もしかして、俺いますごく格好悪い?」
「安心してください。あなたはいつも少々格好悪いですよ」
何の慰めにもならない暴言を吐き、バラーシュはやれやれと言いたげに首をかしげた。
「気になるなら会いに行かれてはいかがです。どうせ暇でしょう? あなた」
仮にも療養中の主に向かって言うことか、それ。
俺の味方は枕だけ……という気持ちでうつむいていた俺の頭に、かさりと軽いものが当たった。
「オレグ殿によりますと、今夜はずっとその執務室にいらっしゃるそうですよ。お一人で」
俺は、手の中の紙片とバラーシュの顔を見比べた。小さな紙に書かれた簡単な見取り図と、見たことのないほど穏やかな笑みを浮かべている参謀役を。
「どうしよう、バラーシュが優しい……明日はきっと血の雨が……」
「明日と言わず今この場で降らせてさしあげましょうか」
冷え冷えとした笑顔で手の中のナイフをひらめかせる参謀に、俺は「バラーシュ」と呼びかけた。
「ありがとな」
どういたしまして、とすました顔で返す参謀の、百年に一度の優しさに、俺はもう少しつけこんでみることにした。
「あと、やっぱもう一個むいて」
「よく食べる人ですね」
呆れながらバラーシュがむいてくれた林檎を腹におさめて、俺はまた少し眠った。
次に目が覚めたときはすっかり陽が落ちていて、暗い部屋には誰もいなかった。俺はそろそろと寝台を降り、簡単に身支度を整えると、片手にバラーシュがくれた紙片を持った。
「さあて……」
まぶたを閉じて呼吸を整え、頭の中に地図を描く。目に焼きつけた図をそのままに。久しぶりだけど上手くいくかな。一足飛びで目的地まで移動するこの術は。まあ、これだけ短距離なら大丈夫だろう。
せえの、でタン、と床を蹴る。視界が暗転し、ふわりと身体が浮いて──
「──のわっ!」
一気に下降した。
「ノア!?」
べしゃっと床に崩れ落ちた俺の身体を、力強い腕が抱き起こしてくれる。聞き覚えのある低い声。目に鮮やかな赤い髪。
「よお……」
したたかに打ちつけた額をさすりながら、俺は久しぶりに会った皇帝に挨拶をした。
「今ちょっといいか?」
少々どころではなく格好悪い俺を前にして、深い緑の瞳がふっとゆるんだ。




