第1話 はじまりは森の中
鳥のさえずりが聞こえる。馬鹿みたいに明るくて、騒々しいくらい賑やかな。それから、まぶたに感じるやわらかな光。
ああもう朝か。もうちょっと寝ていたい……
「……ってえ」
と思ったところで、俺は痛みにたたき起こされた。頭が痛い。背中が痛い。それより何より左足が痛い。ためしにそっと足首を動かしてみると、飛び上がるような激痛が全身を走った。
「あー……くそ」
なんとか悲鳴を呑み込んだところで、俺は失笑した。なに格好つけてんだか。もう俺のまわりには見栄を張る相手も残っていないというのに。
痛みに耐えながら、俺はそろそろと体を動かした。首は問題なし。腕も、両方無事らしい。問題は左足だ。かろうじて上半身を起こして見れば、足首が妙な方向に曲がっていた。
これは折れたな。まあ、あの崖を転がり落ちて足一本で済んだのは、幸運の女神の微笑みってやつかもしれない。けど、どうせなら腕にしてくれればよかったのに。これではゆっくり死を待つのと変わりないじゃないか。
ひととおり体をあらためると、俺はまた草むらに寝転がった。足がきかない以上、もうどうしようもない。昨夜の大立ち回りで、身のうちには魔力のかけらも残ってないし。
見上げた空は澄んだ水色。鳥は相変わらずやかましく、そして俺という存在を気にもかけていない。この森で、俺は完全に独りだった。
そういう状況は、ずいぶん久しぶりだった。つい先日まで、いや昨夜まで、俺のまわりには絶えず人が──俗に魔族と呼ばれる者たちが大勢いたから。
参謀のバラーシュ、軍団長のゲイル、従者のフィルと護衛のトール。みんな無事に逃げられたかなあ。特にトール。あいつ図体がでかいわりにどんくさいから。
まあ、バラーシュにまかせたから大丈夫か。いつも面倒なこと押しつけてごめんな、バラーシュ。今度会ったら反省文書くから。なんなら石碑に刻んで玉座の後ろに飾ってもいい。ああでも、そうするとフィル坊の掃除の手間が増えるか。そしたらゲイルのとこから人借りてもいいかな。最近部下がたるんでるって愚痴ってたし。
なんて、くだらないことばかり頭に浮かぶのは、俺もいよいよ最期のときが近づいてるって証拠だろうか。
「……死ぬのかねえ」
うん、死ぬんだろう。いまごろ、勇者率いる神聖騎士団とやらは血眼になって俺を探していることだろうし。
この俺、やつらの言葉を借りるなら、冷酷無比、悪逆非道の闇の眷属、魔王エリアスを。
何度聞いても笑えるな。誰だよ、いったい。あんな仰々しい呼称を俺にかぶせたのは。
そりゃあガキの頃は天才だ神童だとさんざん持ち上げられていた俺だけどさ、二十歳すぎれば何とやらって、あれ本当だから。
ちょっと腕のいい魔術師、くらいだった俺が、偶然となりゆきと、あとは俺の外見──黒髪に紫の瞳という、かつての魔王と同じだという配色のせいで、あれよあれよという間に魔王に祭り上げられただけだから。
それをあのクソ勇者、皇帝の勅命だか何だか知らないが、魔族が平和に暮らしてるとこにどのツラさげて……おっと、汚い言葉はつつしむようにバラーシュに言われてたっけ。反省文追加だな、こりゃ。
まずい。あんなに鬱陶しかったバラーシュの小言が無性に聞きたいとか、これはもう末期だ。
ほら、聞こえてきたじゃないか。草を蹴る音が。こちらに駆けてくる猟犬の足音と、地を震わせる馬蹄の響きが。
なあ幸運の女神様、さっきはどうせなら腕にしてくれればいいなんて罰当たりなこと言って悪かった。あんた、なかなか気がきいてるよ。俺をここに連れてきてくれたんだから。
俺の好きな土の匂い。草の香り。故郷の匂いだ。ここで終われるなら、そう悪くない。
さて、恐怖の魔王様はどんな最期を迎えるのかな。猟犬に喉笛を食いちぎられるか、馬上の騎士に槍で一突きされるか。なんにせよ、あまり苦しまずに済みますように──
「──わふっ!」
「ぐへっ!」
大きくて白いものが胸の上にどかんと降ってきて、俺は変な声をもらしてしまった。
肋骨いった!? ってくらいの衝撃が去らないうちに、今度は顔中を生温かい舌で舐めまわされる。
「ちょっ……こら、まっ……」
猟犬を押しのけようとした俺だったが、逆に遊んでもらえると勘違いしたのか、犬はさらに興奮して俺にのしかかってくる。
犬は嫌いじゃないが、なんなら大好きだが、俺が好きなのは躾のいい犬だ。城で飼っていた犬たちは、ゲイルの薫陶が行き届いてそりゃあびしっと……って、だから鎮まれ、この馬鹿犬が!
「──お座り!!」
「バルト!」
頭の血管が切れる勢いで叫んだ俺の指令がきいたのか、はたまた突如割り込んできた男の呼びかけに反応したのか、白犬は地面にぺたんと腹をついた。
やっぱり馬鹿だな。それは伏せだ。お座りじゃない。
「きみ、大丈夫か!」
いや、犬の躾うんぬん言ってる場合じゃなかった。
犬に一足遅れてやってきた騎士が、ひらりと鞍から降りて駆け寄ってくる。
「本当にすまない、私の犬が……」
詫びながら、俺を助け起こそうとしたその騎士は、夕陽のような赤い髪と──
──あ、
間近で見たその瞳の色に、俺は目を見ひらいた。
そこにあったのは、深い緑。懐かしい故郷の森の色だ。
「──ってええええ!」
などと感慨にふけっている間もなく、俺は絶叫した。強い力で引っ張られた拍子に足が、ばっきり折れた俺の左足が地面を擦って激痛をもたらしたからだ。
「えっ? あっ? いや、すまな……」
「悪いと思ってんなら、そこに直れえっ!!」
俺に怒鳴りつけられた赤毛の騎士は、ぺたりと地面に正座した。白い馬鹿犬とならんで、肩を落として。




