出会いの山道(2)
5月の新緑を駆け抜ける車の後部座席に座る百瀬香菜はイヤホンから流れる音楽を聴きながら、窓の外に流れる風景をぼんやりと眺めていた。車内には両親の会話が控えめに聞こえてくるが、香菜はどこかその空間に完全には馴染めず、まるで透明なガラスで仕切られた世界にいるような感覚だった。
高校二年生になったばかりの香菜。正直、あまり気乗りはしていなかった。カレンダーに並ぶ連休の文字に胸が弾むというより、どこか空白を感じる。
「せっかくの連休なんだし、自然に触れてリフレッシュしようよ」
母がそう言い、父も「たまには外で身体を動かした方がいい」と同意した。反論する理由もなく、香菜は頷いた。少しばかりのため息とともに。
けれど、本心では家にいたかった。最近、学校での人間関係に少し疲れていた。教室での何気ない空気が、自分だけを置いていくような気がしていた。
香菜は、自他ともに認める「可愛い系」だった。背が低く、丸い瞳に整った小さな顔立ち。小動物のようだと男子にからかわれたこともある。だが、その外見が原因で、女子の一部から微妙な距離を取られていることを、彼女自身は痛いほど感じていた。
誰かに直接意地悪をされたわけではない。けれど、グループで話すときの視線、話題から外される空気、帰り道に一人だけ誘われない沈黙──そういう積み重ねが、知らず知らずのうちに心を削っていた。
教室での休み時間、香菜はスマホを見つめながら一人でいることが多かった。隣の席の子は悪い子ではないのに、どこか壁がある。その距離を自分から詰める勇気も、うまく見つからなかった。
放課後、誰にも声をかけられないまま帰る日々が続くと、自分の存在が薄れていくような感覚さえ覚える。家に帰れば安心はあるけれど、その分だけ、翌朝また現実に戻るのが少し憂鬱になる。
今日の登山も、気分転換になればいいとは思っていたけれど、両親が隣にいるだけでは気が晴れるわけでもない。むしろ、両親の会話に混ざれず、二人の世界に取り残されたような寂しさを感じていた。
それでも山に入ってからの空気は、少しだけ気持ちを和らげてくれた。木々の緑、風の匂い、足音以外の音がしない空間。学校とは全く異なる世界に、少しずつ心がほどけていくのを感じていた。
登山道を登っていく途中、すれ違った男子──その青年のことを、なぜか印象深く覚えていた。無言だったのに、不思議と記憶に残っている。落ち着いた雰囲気と、自然に馴染んだ身のこなし。それだけで、どこか気になってしまう自分がいた。
そのときは一瞬すれ違っただけだったのに、なぜか意識が彼に引き寄せられていた。別に特別な会話をしたわけでも、目が合ったわけでもない。ただその存在感が、空気の中で確かに香菜の心に触れた気がした。
──どうせ、もう会うこともない。
そう思いながらも、山頂近くで彼と再会したとき、胸が少しだけ高鳴ったのは、否定できなかった。風が吹いた瞬間、髪が頬にかかる。思わず手で押さえながらも、視線は自然と彼に向かっていた。
この山で出会う偶然なんて、ほんの一握り。にもかかわらず、再び彼の姿を目にしたことで、香菜の中に何かが確かに動いた。心の奥に、そっと火が灯るような感覚。