第二章:再会と芽生え(7)
香菜と遥も下山を終え、登山口のベンチで一息ついていた。
「ふぅ〜、意外と疲れたけど、達成感あるね」
「うん、でも下りも地味にキツかった……足が笑ってる」
二人は水筒を手に、足を伸ばしながら話していた。空はまだ明るく、駅までのバスが来るまで少し時間があった。
「ねえ香菜、帰りにちょっと駅前で寄り道しない? 最近オープンしたアクセサリーショップがあってさ、見に行きたいなって思ってたの」
「いいよ。私もちょっと見てみたいかも」
「それから、その近くにパンケーキがめちゃくちゃ美味しいカフェがあるらしいの! 山登り頑張ったご褒美に行こうよ!」
「ふふっ、遥ちゃん、しっかりしてるなあ。でも楽しみ」
そんな風に話しながら、ふたりはバスに揺られて駅へ向かった。そして、そこでもう一つの偶然が待っていた。
乗り換え駅で電車に乗り換えようとホームに立ったとき、
何気なく香菜は後ろを振り返った──
間違いなかった。あの時、山頂で出会った──百瀬さんだった。
そこには同級生らしき可愛い登山の服装をした女性と一緒に並ぶ香菜の姿があった。蒼真の胸がドクンと鳴る。電車のホームの雑踏の中で、その小さな後ろ姿が、記憶の中の印象とぴたりと重なる瞬間。
(……本当に…また会えるなんて…。)
一瞬、目を疑った。だが香菜がふとこちらを振り返り、その瞳が蒼真を見つけた瞬間、間違いないと確信する。
香菜もまた、蒼真に気づいて驚いたように目を見開いた。目が合った一瞬、時間がゆっくりと流れたような気がした。
「……えっ、春川くん?」
遥が目を丸くしながら、二人を交互に見て言った。
「え? え?登山の格好… まさかこれって、例の“山で出会った人”ってやつ? え、うそ、ほんとに運命ってあるの? なにこれドラマ? いやむしろ映画級なんだけど……!」
香菜は顔を真っ赤にしながら視線をそらし、蒼真もバツが悪そうに頭をかいた。二人の間に妙な沈黙が流れ、互いに言葉を探している様子だった。
「……ほんとに偶然だね。まさか、こんなところでまた会うなんて」
香菜がようやく言葉を絞り出すと、蒼真も小さく頷いた。
「うん。俺も、びっくりした。偶然って、あるんだなって」
遥は興奮したまま、スマホを手にして写真を撮ろうとする素振りを見せた。
「記念に撮っとく? 運命の再会の瞬間ってやつ?」
「や、やめてよ遥ちゃんっ!」
香菜が慌てて止めると、遥は「冗談だって」と笑いながらスマホをポケットに戻した。
二人は少し照れくさそうに笑い合いながら、自然と歩幅を合わせて並んで電車に乗り込んだ。混雑する車内で、偶然空いていたボックス席に腰を下ろすと、互いにどこか落ち着かない様子で座り直した。
初めて会ったときのこと、山頂で交わした言葉、そして再び出会った今の瞬間が、心の中で何度も交錯している。まるで時間が一周して、またここから新しく始まるような、そんな不思議な感覚。
車内の窓から差し込む夕方の光が、二人の横顔をやわらかく照らしていた。遠くに流れる景色を眺めながら、ふと香菜が口を開いた。
「……ねえ、春川くん」
その声は少しだけ緊張を帯びていたけれど、どこか決意も感じさせた。
「今度は……ちゃんと連絡先、交換してもいいかな?」
蒼真は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに笑って頷いた。
「うん。俺も、それ、言おうとしてた」
香菜は恥ずかしそうに笑いながらスマホを取り出し、蒼真も同じように画面を開いた。お互いのスマホを差し出して操作する手は、どこかぎこちなく、それでも確かだった。
それを見ていた遥が、思わず声を上げる。
「ちょ、ちょっと待って! いま何!? いま何が起きた!? あの恥ずかしがり屋の香菜が自分から連絡先を!?」
香菜はさらに顔を赤くし、スマホを抱えるように持ったまま視線を逸らした。
「ちょ、遥ちゃん、大きな声出さないでよ……」
遥はじっと蒼真を見つめて、じりじりと質問攻めに入る。
「春川くんって、どこの学校? 何年? 山登りはいつから好きなの? 趣味は? 香菜と最初に話したとき、どんな感じだったの!? え、もしかして……もう一目惚れだったりした?」
「い、いや……そこまで深く……(汗)」
蒼真は苦笑しながらも、遥の勢いに押されてタジタジになっていた。
「ごめんごめん、ちょっとテンション上がっちゃって。でもさ、本当に会えたってすごくない? わたし、今日この再会を見られただけでもう満足なんだけど!
遥はふと真顔になって蒼真に目を向けた。
「ねえ、せっかくだから私とも連絡先交換しとこっか。香菜と連絡取るにも、何かあったときに便利だし!」
少し戸惑いながらも、蒼真は「う、うん。もちろん」と香菜をチラッとみてぎこちなく頷いた。
「え、いいの? 私も大歓迎!」
香菜が笑顔で即答すると、遥は「やった!」と声を上げ、スマホを取り出して画面を差し出した。
「じゃあグループ作ろうよ。“山で再会トリオ”って名前でさ!」
そんな遥の無邪気なはしゃぎぶりに、香菜と蒼真は思わず顔を見合わせ、くすっと笑った。
画面が連絡帳に名前を刻んだとき、ふたりの間に流れる空気が少しだけ変わった気がした。言葉にしなくても伝わる小さな期待と、安心の色が、その表情に静かに浮かんでいた。
山の上ではなかったけれど、ふたりにとっては、また一歩、確かに近づいた出会いだった。