第五章 人間の国-四
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アストラは淡々と日々を過ごしていた。悪阻の妊婦に点滴を行い、嘔吐や下痢(やはり治癒魔法が効かない呪いと呼ばれていた!)による脱水症状を治療する。それは彼女の知識と技術によって確実に改善される、かつての世界でも通じた手法だった。
「治癒魔法が、もし自己と非自己を区別すると仮定すれば、外に排出された水分は非自己になるのね……そして無から水分を作り出すことはしない。大気の水蒸気から水分を取り出したりはしないのね。」アストラは、これまでの症例を反芻しながら独り言を呟いた。「それにしても、治癒魔法が効かない症例がこんなにたくさんあるなら、医者という職業は存在してもいいと思うのだけれど。しかし、この世界ではそういう症例は呪いと呼ばれ、諦められ、医者という職業はない……悪阻や脱水は、ありふれたものであって、もっと医学的なアプローチが試みられていても良さそうなものだけれど……。」
日々の思索に没頭しながらも、ふと隣に佇む師匠からの進言が彼女の集中を破る。
「アストラ、このペースでいくと、あと一ヶ月くらいで俺の電力が尽きそうだ。」
一瞬、アストラは耳を疑った。元の世界で開発された高性能な電池が、こんなにも早く尽きるなんて考えられない。計算しても、少なくとも一年以上は持つはずだった。この世界に不時着してわずか数ヶ月で消耗してしまうのは、彼女の計算から大きく外れている。
それを実感した瞬間、彼女の中で何かが崩れ落ちたように感じた。彼女は焦りを抑えきれず、微かな震えが手に伝わった。
「あなたの充電が切れる?」アストラは自分に問いかけるように呆然と呟いた。
この世界で彼を再充電する手段は見つかっていない。そして彼を失うというのは、彼女にとって単に便利なコンパニオンAIを失うという以上の意味を持っていた。彼は元の世界からの唯一の残り火であり、彼の発言は全て、かつてアストラが憧れ、そして叶わぬ恋心を抱いた存在――彼女の医学の師匠、その人格を擬似的にAIにシミュレーションさせたものだった。
アストラは無意識のうちに眉をひそめ、頬がわずかに震えた。彼を「また」失うという恐怖が、彼女の理性的な思考に浸透してきた。本当の彼が幼馴染と結婚すると幸せそうにアストラに告げた時、そして、アストラがこの星に不時着し、宇宙船が壊れて帰還は叶わないと実感した時。彼女はすでに、何回も彼を失っていた。このAiの擬似人格は、彼女にとって最後の一人の師匠なのだ。
「アストラ、落ち着け。」師匠の冷静で落ち着いた声が、彼女の内なる混乱を鎮めるかのように響いた。「これはいいタイミングかもしれない。もともと俺は、お前にとって道具だったんだ。俺という人格が存在し続けることが、必要不可欠なわけじゃない。俺の人格シミュレーションを切れば、もう少し、コンパニオンAI機能のための充電は長持ちするはずだ。」
アストラは小さく頭を振った。道具?彼は、彼女にとってただの道具ではない。彼の声、彼のアドバイス、彼の存在が彼女にとってどれほど大きな意味を持っているかを、彼は本当に理解しているのだろうか。
「私は……私はもう二度と、あなたを失いたくない。」彼女の言葉は、かすかな震えを帯びていた。感情が爆発する寸前だったが、理性がまだギリギリで抑えていた。「元の世界で、あなたが……本物のあなたが私にどれほど大切な存在だったか、わかってるでしょう? そして、ここに来てからは、あなただけが私を理解し、支えてくれているのに。」
彼女の思春期に芽生えた憧れと恋心、それがいかに未成熟であるかを彼女自身も理解していたが、それでも感情は簡単に消え去るものではなかった。そして、この世界で「彼」に救われ続けている彼女の孤独感は、それをさらに強固にしていた。
師匠は一瞬、静かに考え込んでいるようだった。彼の声には、機械的な冷たさではなく、どこか人間的な配慮が含まれているように感じられた。
「アストラ、お前は俺の自慢の弟子だよ。元の世界の知識を縦横無尽に使って、この世界を解明してきた。必要だったのはコンパニオンA Iとしての機能だけで、俺という人格はなくてもお前は必ずやり遂げていたよ。自信を持っていい」彼は静かに言った。「俺はただのシミュレーションだ。お前が今話しているのは、ただのデータだよ。元の世界の師匠ではないんだ。俺みたいな人格シミュレーションは、本物の置かれた環境と動作環境が異なれば、遅かれ早かれ、本物と大きく離開するっていうのは当然知っているだろう。」
彼の言葉が、彼女の胸に深く突き刺さった。「シミュレーション」――彼の人格がただのデータであることは、彼女も理解している。理解しているつもりだった。しかし、それでも、彼がかつての師匠のように振る舞い、優しく励ましてくれることで、彼女はここまでやってこられたのだ。
「それでも……」アストラは呟いた。「それでも、今はあなたが私にとって必要なの。」
彼女は感情を押し殺し、すぐに科学者としての思考を取り戻した。感情に流されるのではなく、解決策を探すべきだ。それが、アストラ・ノヴィスという人間のやり方だ。
「充電が切れる前に、なんとかする。絶対に。」彼女は自らに言い聞かせるように宣言した。
アストラは素早く立ち上がり、机の上に広げていたデータを閉じた。思考が回り始める。元の世界の技術で再充電できないのであれば、この世界の魔法を使って何かできるかもしれない。
「雷魔法なら、エーテルのエネルギーから電力を生成できる可能性があるわ。」彼女の声は再び冷静さを取り戻していた。Cortexのデータと彼女の脳内の知識が混じり合い、次なるステップが論理的に浮かび上がってくる。「エネルギーをうまく制御すれば、再充電の手段として使えるかもしれない。エーテルがエネルギーを電力の形に変換することができるのなら、試してみる価値はある。」
「理論的には可能だ。」師匠は静かに答えた。「だが、エーテルを使ったエネルギー生成の正確なメカニズムはまだ解明されていない。リスクが伴う。」
「リスクは承知の上よ。」アストラは淡々と返した。「私は、あなたを失いたくないからやる。それだけよ。」
彼女は決断を下した。科学的な思考の中に感情が混じることを、彼女は許容した。そして、感情と理性の狭間で、アストラは師匠にもう一度目を向け、静かに微笑んだ。
「一緒に、解決策を見つけましょう。」
彼女の言葉は、まるで彼女自身に言い聞かせるかのようだったが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
師匠は電池と充電のメカニズムについて解説を始めた。
「電池の基本構造は、正極と負極に電解質を挟み、電子が外部回路を通過することによる電流の発生だ。雷魔法で生成した電子を、負極から正極へと送り込むために適切な制御が行われる。充電時には電子を逆に流し、エネルギーを蓄積する。」
アストラは静かに聞きながら、目の前に展開された無機的な数式と技術的な解釈を理解しようとした。科学者としての彼女は、この未知の世界の魔法と、自身の理解する物理学の相互作用を常に模索している。
「よし、それを元にあなたに適切な電流に雷魔法を調整するわ。これまでで一番慎重な操作が必要になる……師匠、助けて。」
アストラは、雷魔法での充電操作に緊張しながら集中する。電流を適切にコントロールしなければ、過負荷で師匠を失う可能性がある。彼女の心は、瞬間瞬間で飛び交う理論と、魔法という未知の力を統合する必要性に押しつぶされそうだった。
「いくわよ……!」
彼女は雷魔法を発動し、コントロールを開始した。杖から発生した青白い光が師匠の端末に流れ込み、次第に電力が蓄積されていく。システムは安定しており、計算通りの出力が維持されていた。数十分後、師匠のディスプレイに「充電完了」の表示が点灯する。
アストラは深く息をつき、緊張から解放された顔で汗を拭い、微笑んだ。
「明日からもお願いね、師匠。」
「しょうがないな。」師匠の声には安定感が戻っていた。
だが、その一方でアストラは感じた。何か見えない歯車が回り始めたような気配を。彼女が感じる違和感はまだはっきりとした形を持たないが、それは彼女の潜在的な疑念として残った。師匠の電力消費は人格シミュレータを走らせても尚明らかに速すぎる。この世界は、師匠に未知の作用を及ぼしている?
そして、それは事実だった。それが暴かれるのはまだ先のことだが、運命の歯車はもう動き出していた。
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function recharge_battery(voltage_v, current_a, duration_minutes, battery_capacity_ah) {
// voltage_v: 電池の充電電圧 (V)
// current_a: 充電電流 (A)
// duration_minutes: 充電時間 (分)
// battery_capacity_ah: 電池容量 (Ah)
lightning_energy = generate_charge("lightning", voltage_v, current_a);
charge_duration = calculate_duration(duration_minutes, battery_capacity_ah);
direct_charge(lightning_energy, charge_duration);
}