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第三章 人間の国-二

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 アストラが達成した依頼の報告のために冒険者派遣組合に入ると、場の雰囲気に異変を感じた。普段なら、荒々しい冒険者たちそれぞれが任務を前に乱雑に冗談を交わしているはずだったが、この日、彼らは無力さを滲ませていた。彼らの足元のソファには、受付のラナが横たわっていた。彼女の顔色は蒼白で、明らかに衰弱していた。


 アストラの中の医師が、瞬時にその光景に反応した。「どうしたの?」彼女の問いに、冒険者たちは一瞬ためらった。やがて、一人の男が口を開いた。「悪阻つわりだそうだ。朝から気分が悪そうで、ふらついていた。治癒魔法をかけたが、もちろん効かない。悪阻だからどうしようもないらしい。」


 アストラは驚いた。治癒魔法がもちろん効かない? それまで彼女が目にしてきた魔法の威力は、ほとんど万能に思えたが、ここにきてその欠陥を初めて目の当たりにした。


「水は飲めている?」アストラはすぐに医師としての直感に従って尋ねた。


 冒険者が答えた。「いや、飲んでもすぐに吐いてしまう。」


 アストラの中で、冷静な分析が始まった。診察の追加。彼女の爪を圧迫する。色の戻りが悪い。脱水が進行している可能性が高い。脱水が悪化すれば、内臓機能の低下を引き起こし、最終的にはショック状態に陥る。「治癒魔法で悪阻は治せないの?」彼女は再び尋ねた。


 冒険者の男がアストラを見る。「知らないのか?治癒魔法は傷や病気を治せるが、悪阻は治癒魔法が効かない、妊婦の呪いって呼ばれる類のものだよ。口で飲めないなら、それで終わりだ。妊婦がこの呪いで死ぬことはままある。」


 この世界では悪阻が呪いと考えられている?そして悪阻の妊婦は飲水できなければ死ぬしかないと。そんなことは許せない。医師としての義務感と同時に、科学者としての興味が同時に彼女の中で燃え上がった。治癒魔法が効かない病態が存在し、それは呪いと呼ばれる。だが、その違いを科学的に解釈することは? アストラは瞬時に考えを巡らせ、結論に至った。治癒魔法は体の物理的な損傷を修復するが、物質の補充には限界がある。つまり、吐物のように体の外部に切り離されて体と認識されなくなったものの場合、魔法ではそれを戻すことはできないということだ。今後、嘔吐や下痢、大量出血について、症例を集める必要がある。しかし、今はこの症例に集中する。


「処置ができる部屋はある?妊婦と赤ちゃんをこのまま死なせるわけにはいかないわ。」


 冒険者たちは困惑した様子だったが、一人が処置室へとラナを抱き上げて案内してくれた。アストラはすぐに師匠を呼び出した。


「師匠、この世界で初めて点滴を試みます。あなたの助けが必要よ。水は水魔法で、塩化ナトリウムは土魔法で岩塩から抽出し、清潔な状態で一度空中で混合します。そして、水魔法でその混合液を針状に形成し彼女の血管に注入するわ。」


 師匠は即座に計算を開始した。


 アストラは冷静に指示を出し、師匠に意図した発火パターンを杖に伝えさせた。即席の清潔な生理食塩水。彼女はその液体を、水魔法を利用してラナの血管へと送り込んだ。数分後、ラナの顔色がゆっくりと戻ってくるのを見て、アストラは安堵の息をついた。体液の補充ができた。ビタミン剤があればもっと効果的だったが、今は無理だと彼女は思いながら、次の手順を考えた。


 駆けつけたラナの夫は、彼女の回復に目を見張っていた。彼はラナの悪阻による死を覚悟していたのだ。だが、目の前で彼女が蘇る様子を見て、感情が溢れ出しそうになっていた。「妻の呪いを解いてくれて、本当にありがとう。」彼は涙を堪えながら言った。「君みたいな小さい子が……?いや、今はそんなことどうでもいい。本当に感謝してる。何でもするから、助けが必要ならいつでも言ってくれ。」


 アストラはその言葉に軽い違和感を覚えた。「私は一応成人しているんだけど。」


 夫はギョッとした表情を浮かべた。「それは……済まなかった。外見に言及するのは失礼だった。申し訳ない。」


「そんなに小さく見えるの?」


「いや、こうして話をすれば十分成人しているのは理解できるんだが、人族の基準では成人しているかいないかぐらいの少女に見えてしまったんだ。むしろ子供だと思われていた方が楽かもしれない。成人した女性だとわかれば、絡んでくる奴もいる。このまま年齢は曖昧にしておいた方がいいかもしれない。」


 アストラは考えた。年齢に関係することはアストラにとって興味がなかったが、面倒事を避けるという点では一理あるかもしれない。「ご忠告ありがとう。ところでラナの妊娠週数はどのくらい?」


「妊娠週数?……よくわからないが、妊娠は最近わかったばかりで、腹もまだでてきていない。」


 アストラは小さく頷いた。「悪阻……あなたのいうところの妊婦の呪いはどれくらい続くかは予測できない。今後しばらくはこの魔法を毎日施すつもり。あなたはラナが食べられそうなものを死ぬ気で探して来て。彼女が生き延びるにはそれしかないから。」



 宿に戻ったアストラは、心臓の高鳴りが徐々に落ち着いていくのを感じた。医師としての本能が蘇り、久々に味わうアドレナリンの余韻が残っていた。だが、それ以上に彼女の胸に沸き上がるのは、魔法の研究がこんな形で実を結んだという喜びだった。科学的探求が、実世界の問題解決に直結した。この感覚、これこそが私を医療と科学に引き込んだ要因だったと思い出した。


 治癒魔法が万能ではないと分かった今、アストラの科学者としての好奇心は一層燃え上がった。彼女が最も興味を持ったのは、魔法では治せない病気や症状、今は呪いと呼ばれているらしいものに関する問題だ。もし治癒魔法に限界があるのなら、その隙間を埋める手段としての医学には可能性がある。さらに、医学単独の応用だけではなく、魔法との融合によって新たな治療法を発見できるかもしれない。思考が脳内で次々と枝分かれし、アストラの視点は急速に拡大していく。



 ラナの治療は順調だった。毎日一〇〇〇ccの生理食塩水の点滴を受け、脱水症状は完全に解消されていった。彼女の夫が、揚げた芋のようなものなら彼女が食べられることを発見したとき、アストラは微笑んだ。悪阻特有の食物嗜好に対応できる食事を見つけることは、予想以上に重要だ。


 ラナは冒険者派遣組合の窓口に復帰し、臨月まで働きたいと意気込んでいるとのことだった。その姿を見て、いかつい冒険者たちも不安と喜びが入り混じった表情を浮かべていた。冒険者たちにとって、ラナは単なる窓口係ではなく、日々の生活に欠かせない存在なのだ。アストラに対しても、再び感謝の言葉が伝えられたが、彼女はあまり感情的にはならなかった。私がしたのは医師として当然のことという冷静な認識がそこにはあったからだ。


 それよりもアストラにとって興味深いのは、ラナの治療を通じて、他の妊婦からも同様の依頼が舞い込んできたことだ。悪阻に苦しむ女性たちが、彼女の魔法で救われたいと望んでいた。だが、アストラは知っていた。頼れる師匠がいなければ、あの精密な処置は不可能だ。彼女らに尋ねられるたびに、「適性があったので……」と曖昧に答えるのが常だった。


 治療によってアストラの収入は着実に増えていった。その資金を活用し、彼女は新たな魔法の杖を手に入れた。風、光、雷、氷――それぞれの杖を手に入れ、魔法のバリエーションを増やしていく。彼女にとって、これらの杖は単なる武器ではなく、自然の物理法則に従って分子や原子、さらには核種を操るためのツールであった。風の杖であれば、空気分子の運動を制御し、光の杖ならば電磁波を操作する。雷の杖は、電子の流れを発生させる力を持ち、氷の杖は分子運動を極限まで遅らせることができる。この世界の「魔法」は、私の理解する科学的法則に密接に関わっている。彼女は悪阻の妊婦の症例をいくつか診察する間に、魔法を精密に制御し組み合わせ、必要になったいくつかの医療処置も再現した。しかし、反応を実現させるエネルギー源であろうエーテルは、まだ謎に満ちた存在だった。すべての杖は、発動にエーテルが必要になることが確認された。長時間の火魔法によって周囲のエーテルのエネルギー状態が低くなると、途端に杖の効果は小さくなったためだ。彼女と師匠は、エーテルが電子を含む核種レベルでエネルギーの授受を行い、意図した操作を可能にしているという仮説に確信を持つようになった。


 だが、アストラが最も興味を持っていた「治癒の杖」だけは、未だに手に入れることができなかった。それは市場にしばらく出回っておらず、その価格は他の杖に比べてかなり高額だった。世界樹は治癒の杖を落としにくくなっているらしい。今は手に入れられないものの、彼女は近い将来、必ずその杖を手にするだろうと確信していた。

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最終診断:悪阻

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function saline_infusion(target, volume_ml, rate_ml_per_hour, compound_ratio, target_2) {

  infusion_volume = calculate_infusion_volume(volume_ml, rate_ml_per_hour);

  saline_compound = extract_components("H2O", air, "NaCl", target_2, compound_ratio);

 inject_intravenously(saline_compound, infusion_volume);

}

 


お読みいただきありがとうございます。第四章を本日AM11:00に投稿いたします。

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