第八話
「あ、お目覚めですか?」
毛布から身を起こすと、隣の温もりが消えていた。既に起きて、何やら水筒らしきものに水を入れている。周囲の湖の水をそのまんま。
「水? 昨日の氷は?」
「それでもいいんですけど、こちらのが安くつきますから……《浄化》」
なるほどな。《物体作成》や《氷壁》は高度な魔法だから、発動コストが高くつくわけか。それなら最初から存在する水を汲んでおいて、それを浄化するほうが楽だと。
「体調はいかがですか? 風邪などひかれてはいませんか?」
そう尋ねられて、自分の状態を確認する。なるべく平坦な場所を選んで横になったはずだが、やはりどうしても地面には凹凸もあるし、傾きもある。だから、体のあちこちが微妙に強張ってる感じはある。だが、これといった問題はなさそう……。
と思ったが、右手の甲に、軽い痛みが。なんか、青い痣になっている。
「これ」
「まあ」
レイは驚いてみせる。
ふざけんなよ。これ、お前が俺の手の甲をつねったからだろ。それを白々しく。
「早速、治さないとですね……《治癒》……はい、元通りですよ」
傷跡はなくなっても、痛みの経験は消えない。
くそっ、ポンコツめ。さりげなく俺を脅しやがって。
さて。
砂漠は脱出したが、この先はどうしたものか。このまま、ずーっとレイとサバイバル生活? 冗談じゃない。それじゃ、本当にヤールの奴に人生を丸ごとプレゼントしてやったようなものじゃないか。そりゃ、あっちではろくでもない状況にはあったけど、これでは地球での何もかもを騙し取られたようなものだ。
つまり、俺はここで幸せになる必要がある。あるのだが、世界は滅んでいる。ヤールの奴、言いやがったもんな。
『代わり映えのしない世界をぼーっと見つめるより、変化のある人生を味わうほうが』
『それと、この袋には、若干の金が入っている。必要ないかもしれないが、当座の生活に役立てたまえ』
代わり映えのしない世界。必要ないかもしれないが。
普通に考えて、おかしいだろ? 金がいらないってどういうことだよ? なんで気付けなかったんだ。
でも、当座の生活に役立てろとも言われたしな。どうやって使うんだ。右に行くか、左に行くかを決める時に、コイントスでもしろってか?
「これから、どーすんだ?」
「決めるのは、基本的にはご主人様かと思いますが」
そりゃそうか。
とりあえず、砂漠のど真ん中に留まるのは愚策。ゆえに当面の判断として、レイは移動を選択した。
だが、その先はどうすべきか。俺が選ばなければいけない。
「はい、どうぞ」
レイがまた皿を出して、そこに料理を出現させる。
「そういえば」
「はい」
「《断食》って魔法があるだろ? そっち使ったほうが、節約できるんじゃねぇのか? 魔力ってやつ」
「ああ」
彼女は落ち着きある微笑を浮かべて、説明した。
「そうですけど。食べるという刺激がなくなると、ご主人様の気持ちに影響があるかなと思いまして」
「ふむ」
「非常時ならともかく。ちゃんと食べたり、歩いたり、眠ったりしたほうが、精神的にはずっといいはずです」
「なるほどな」
生物に必須な、適度な刺激。
うむ。その通りだ。必要不可欠なのだ。
「なら」
「いやらしいのはナシですよ? ね?」
笑顔のまま、そう念押ししてくる。
くそっ。
命令すれば別だが、さもないとこいつは、マジで俺を痛めつけてでも『えっち』を拒否してくる。
しかしそれでは、俺の目的が果たせない。
この状況。せっかく異世界に来たのだから。なんとしても、この勃起不全だけは完治させたいのだ。
俺がモソモソと朝食を済ませている横で、レイはキビキビ立ち働いて、出発の準備を進めている。何をしているかわからないこともあるのだが、遠くのほうに視線を向けているので、きっと《千里眼》か何かで、移動先の検討でもしているのだろう。
「じゃあ、これで終わりですね……《浄化》」
食器も洗浄して、リュックに入れる。あとは手早く毛布をロープにまとめて、これで準備完了だ。一見すると、既に大荷物だが、それをレイは、軽々背負う。《収納》があるのに、使わないのか? と思ったが、魔力の節約のためかもな。
「とりあえず、湖から出ましょう」
「おう」
手を繋ぎ、ふっと浮かび上がる。ほんの数秒で、俺達は湖の真ん中の小島から、対岸へと飛び移った。
そのまま俺達は、どこへともなく歩き出す。
「考えは、まとまりましたか?」
やや下から俺の顔を覗き込みながら、彼女はそう尋ねてくる。
「まあな」
この、何もない世界で俺にできること。
人類滅亡後ならば、俺の知っているほとんどの幸福は存在し得ない。
まず、漫画や小説、テレビや映画といった娯楽がない。遺物はあっても、定期的に配信している場所がないから、安定して楽しむのは難しい。そもそも、俺のいた地球とは価値観も文化も異なるはずで、だからたとえ自動翻訳の魔法のおかげで意味そのものを理解できたとしても、心から楽しむとなると、いろいろ問題が出てくるだろう。
また、金持ちになるとか、有名人になるとか、権力者になるといった目標も、意味をなさない。社会がないのだから、地位もへったくれもない。なんなら俺は、昨日いた場所に突っ立って、『砂漠の王』を名乗ったってよかった。空しいだけだが。
愛とか友情とか使命とか。それらを成立させる条件は、既に雲散霧消している。では、何が残る?
この、俺自身の肉体だけだ。
「レイ」
「はい」
「そういえば、お前の魔法に《不老長寿》ってあったよな」
「ありますね」
「あれはどういう効果なんだ?」
「どうもこうも、見たままですよ。既にかかっています。対象は老衰が止まります。あと、対象が女性なら、月経も止まりますね」
ということらしい。つまり、俺は事故死でもしない限り、死なないのだ。
しかし、このままでは、先に気が狂ってしまうだろう。それくらい、この世界は空虚なのだ。
「もう一つ、質問」
「なんでしょうか」
「真面目な話、人間とホムンクルスの間に、子供はできるか?」
「なっ! ななな、何を言ってるんですか!?」
予想された反応だ。しかし、これは断じてエロ目的の質問ではない。
「今からお前をどうこうしようって話じゃない。可能かどうか、それを知りたいんだ」
「それはもちろん、無理ですよ。それがどうかしたんですか?」
つまり、俺とレイが、この世界のアダムとイブになるのは、不可能ということだ。となれば、俺のすべきことはもう、はっきり決まった。
「よし。レイ、ツルハシを用意してくれ」
「え? は、はい」
俺の指示に従って、彼女は一本のツルハシを《物体作成》で生み出した。それを受け取ると、俺は肩に担ぐ。
「でも、こんなもの、どうするんですか?」
「掘るんだよ、あちこちを」
そう。今、ここにいるのは、俺とレイだけ。それではあまりに寂しすぎる。だが、世界は滅んでしまった。
では、孤独を忘れて長い時をやり過ごす術はないのか? いや、ある。ホムンクルスだ。
ヤールが持ってきたレイのコア。これが最後の一個とは限らない。
「何のためにですか?」
「ホムンクルスのコアを発掘するんだ。お前みたいな」
「えっ!?」
そうすれば、少しは賑やかになるだろう。それに、レイとは違った能力を持たせれば。俺自身の生存確率も高まるというものだ。
だが、レイはというと、この言葉に俯いた。
「……やっぱり、ご不満ですか」
「は?」
「確かに私はモノでしかありません。でも、心だってあるんです。だから、せめて……でも、ご主人様が満足なされないなら」
「いやいや、待て。そういう話をしてるんじゃない」
あー、もう。
「お前の世界は、もう滅んじまったんだろ?」
「え? はい、まぁ」
「だったらもう、しょうがねぇじゃねぇか。どっかに埋まってるホムンクルスのコアを見つけて、お仲間増やさねぇとよ。お前だって、寂しいのはイヤだろうがよ」
俺がそう言うと、レイはぱぁっと表情を明るくした。
「……そういう理由だったんですね。私、てっきり」
「まあ、俺としても、触れる尻が増えたほうが……ってぇ!」
銀の錫杖が俺の背中を打った。
「そうですか、そうですか」
くそっ、レイの奴。ニコニコしながらぶちやがったな。
ま、いいさ。これくらいは許してやる。手加減はしてるんだろうしな。
「ところで、レイ。今、どっちに向かって歩いてるんだ?」
早速、《探知》でもさせて、近くにあるコアを探さないとな。半径二千キロ以内になければ、今度はポータルだ。それであちこち飛びながら、あとはひたすら発掘。なぁに、少しは泥にまみれて働いてみるのも、悪くはないさ。
「どっちって……決まってるじゃないですか」
シレッとした顔で、レイはさも当たり前のことのように言ってのけた。
「最寄の『街』ですよ」
「……街? 街だって?」
どういうことだ? 世界、滅んだんじゃなかったのか? あ、そういうこと。わかった。
「廃墟、か。確かにな。そっちのがコアもありそうだし、何かまだ使える道具とかも……」
「いえ、住民がいますよ」
「なんだとぉ!?」
なんだ? なんだ?
疑問が顔に出たのがわかったのだろう。レイは説明を始めた。
「ですから。私がいた時代の文明は崩壊しています。住民も入れ替わってますね。でも、一応、都市もありますし、人も大勢暮らしていますよ? それが何か?」
「何か、じゃねー!」
バカが、このボケナスが!
俺としたことが、シンミリしちまったじゃねぇか!
思わず立ち止まる。それに合わせて、レイも足を止める。
数秒間が過ぎた。
俺はおもむろに彼女の頭に手を伸ばし、ツインテールの片方をむんずと掴む。
「そういうことは先に言え! 誤解しちまったじゃねぇか!」
「キャ……い、痛い、痛いですっ!」
「このドアホッ! ポンコツッ!」
「あー! またポンコツって言った! ひどいです!」
目に怒りの色を浮かべたレイが、俺の胸倉を掴む。なんの。俺はご主人様だ。ここは思い知らせてやる。
互いに掴みかかって、揉み合っていると、不意に甲高い電子音が耳を衝いた。それでふっと、俺もレイも、我に返る。
「……これは? 何の音ですか?」
警戒心を露にして、レイはパッと手を離す。
「携帯? だな」
俺は懐から携帯電話を取り出す。例の、ヤールから渡されたものだ。
「はい、もしもし」
「やぁ、色摩君、おはよう。昨夜はお楽しみだったかい?」
「ヤール、ふざけんなよ? そうそう簡単に俺の悩みが片付いてたまるか」
「はっはっは、まぁ、まだ時間はある。のんびり問題解決にあたりたまえ」
ふん。
とりあえず、たった今、こいつについての誤解はとけたところだ。俺を身代わりにして、地球に逃げたわけではないらしい。
だが、それはそれとして。昨日の今日で電話をかけてくるなんて、どんな用事があるというんだ?
「それで、何か問題でも起きたのか?」
「いやあ、大したことじゃないんだけどね」
なら、かけてくるなよ。気になるだろうが。
「君、随分、地味な仕事をしてるんだね? 引越し屋の手伝いとか、宅配業者のバックヤードとか」
「悪いか。頭、あんまよくねぇんだよ」
「まぁまぁ。それでね、もっと効率をよくしようと思ったんだ。君の家にはパソコン? とインターネット回線? があるじゃないか」
「お、おう」
そういえば、この世界にパソコンはあるのか? ヤールは一応、神らしいし、使い方なんか、すぐ覚えられるのかもしれんが。
「それを使って、ウェブ上で株取引をしようと思ってね」
「お、おい……そんな方針で大丈夫か」
「大丈夫だ、問題ない」
すげぇ不安なんだが。しくじって大金なくしたりしないよな? 信用取引だけはやめろよ?
「それより、君に報告しないといけないんだ」
「なんだよ」
「その……私としたことが、ちょっと操作を誤ってね」
「へ?」
「君の……アダルト動画のデータを、間違って消してしまったんだ」
「はぁぁあ!?」
「まあ、許してくれたまえ。じゃ、また」
プッ、ツー、ツー……。
「ざっけんなぁぁぁあああっ!!」
試験的に投稿しましたが、やはり人気が出ないだろうということなので、完結済みに設定しました。