第六話
あれから大泣きしたレイは、壁しか見なかった。とても話しかけられそうな状態ではなかったのだ。
だが、俺のほうでもいろいろ考えることもあって、放置しておいた。
……さすがに、真面目な話、おちゃらけてばかりもいられない。
ヤールは俺に、何かの天秤らしきものを触らせた。あれで俺が世界最強になった、とか言っていた。だが、実感はあったか?
体調が変わったとか、力が湧いてきたとか、そんな変化はまったくなかった。現に、この岩窟に辿り着くまでの間の、あの階段。這い上がるだけで精一杯だった。
そして今。衝撃の事実を告げられた。俺は目の前のレイより弱い。それも圧倒的に。
だが、なぜだ?
もう一つ。
レイはあっさり言ったが、世界は滅んでいるらしい。現に、瞬間移動先となるポータルとやらも、ほとんどが使えなくなっているとか。
頭の悪い俺でも、さすがにこれはヤバいとわかる。施設を管理できる奴がいないってことだ。今はよくても、そのうちポータルが壊れていくかもしれない。そうなったら、テレポートできる先はどんどん減っていく。
で、そう考えると。他の魔法も影響を受けたりはしないのか? 魔法、という言葉を使ってはいるけど、実は超科学の世界だったりは? で、ヤールはそこから逃げ出したとか。でも、単に一人抜け出しただけでは穴埋めができない、というか、なんかこう、SFっぽいなんか因果律? みたいな理由で、身代わりを俺にしたとか……。
どうする?
これから。とりあえず、砂漠に留まるのは得策ではない。ポータルが機能するなら、今のうちに脱出すべきだ。レイなら、うまく俺を生かしたまま、歩いて砂漠を抜けるのも不可能ではないかもしれないが、決して楽でもなければ、安全でもないだろう。
だが、その後は? レイが食料をくれれば。レイが安全な場所を確保してくれれば。レイが……まともに活動できるなら、生存は可能だ。
しかし、だ。レイのエネルギー源はどこにある? 食料も不要らしい。ならば太陽エネルギーとか? お話にならない。仮に浴びた光をすべてエネルギーに変換可能だとしても、あれだけの活動をするのに必要な熱量は生み出せない。しかも、不死ときた。故障しなければだろうが、エネルギー切れは想定していない感じだ。
つまり。レイが壊れるか、レイにエネルギーを供給する何かが壊れたら。そこで俺の命は尽きる。
……なんてこった。
なんのことはない。ご主人様とか言ってるが、俺の命綱はこいつに握られている。
ぐぅぅ~……
あっ。
腹の虫が。
今の音に気付いたのか、レイの背筋がピンと伸びる。
ややあって、両手で目元を拭う仕草をすると、いそいそと戻ってきた。
「お腹が空きましたか」
「……ああ」
すると、レイはまた《物体作成》を使ったらしい。手元に光が集まると、まず、皿が二枚、出現した。そこからもう一度。今度は、皿の上に、パンと肉らしきもの、それに野菜入りのスープっぽいものが出現した。
「よくこんなものが出せるな」
さすがに感嘆して、そう呟く。
「済みません、お口に合わないかもしれませんが」
別の意味で受け取った彼女が、そう返す。
「あ、いや、そうじゃなくてな」
どうやら、かなーり凹ませてしまったらしい。
「食いもんまで、こんなにあっさり作れるなんてな」
「いえ、《物体作成》では、こういうものは苦手なんですよ」
「そうなのか?」
「ええ。生物由来の素材とかは……記録されたパターン通りにしか出せませんから」
ふむ? よくわからんが。
俺の顔色から察したのか、レイは言葉を継ぎ足す。
「同じ料理は、まったく同じ味でしか出せないんです」
「なるほどな」
いつか飽きるわけか。
「でも、当面はこれで困りません。召し上がってください」
そう言いながら、スプーンを生成すると、手渡ししてきた。
「……お前は食わないのか?」
気になっていたし、この際、確認してやろう。
「さっきも言いましたけど、私はホムンクルスですから。食事は必要ありません。食べられなくもありませんが、食べないほうがいいですね。余計な負荷がかかってしまいます」
「じゃあ、生きるために必要な……食べ物みたいなものは、何かあるのか?」
「いいえ? ただ、ご主人様が死ぬと、私もほぼ即座に機能停止するはずです」
ふむ……。
レイを生かしているシステムは、レイの中にあるのか。それとも、外部にあるのか。或いはレイが知らないだけか。情報はなし、か。
「しかし、なんだな」
「なんですか?」
「こうしてみると、人間にしか見えないんだが。エロいこと、嫌がるし」
「それは」
一瞬、憤然とした表情を浮かべたが、すぐにまた、冷静に戻った。
「ちゃんと心はありますから」
「でも、さっき生まれたんだろ? なんでいきなり大人になってるんだ?」
「ホムンクルスのコアは、製造される前に、擬似的な……どう説明すればいいんでしょう。情報だけの世界で、トレーニングを受けるんです。その中で、特に適性があるものだけが、実際のコアに搭載されます」
「ふーん? じゃ、なんだ、その情報だけの世界で、何年間か暮らした経験があるわけか」
「そうです」
あれか。人工知能を作って、パソコンの中で仮初の人生を体験させて。
「ですけど」
ん?
「ご主人様の行動パターンは、理解不能です。いったい、この世界はどうなってしまったのですか? 教えてください」
「あー……それがな、俺にも教えてやれないんだ」
「はい?」
「俺、異世界から来たらしいから」
「異世界?」
異世界と言われて、レイは首を捻った。ややあって、俺にこう提案してきた。
「もしよろしければ……ご主人様、《精神感応》を使用してもよろしいでしょうか?」
「ん? なんだ、それ?」
「考えていることを伝える魔法です。言葉だけじゃなく、イメージや音、臭いまで、感じたことをそのままに受け渡しできるんです」
「へぇ」
俺の肩に手を触れると、レイは儚げな笑みを浮かべて言った。
「思えば、私はご主人様の常識を、世界を、何も知りません。だから、さっきはつい……でも、ちゃんと理解できれば。だから、お願いします」
「ふむ、わかった。いいぞ。どうすればいい?」
「では……《精神感応》……今、繋ぎました。そうですね。今日、ここに来るまでのこと。ちょうど一日くらいの出来事を、少しずつ思い出していただけますか?」
「おう」
昨日、何やったっけなー。
えーっと。朝起きて。まだバイトが始まるまで時間があったから、ネットサーフィンして、エロ動画漁ってたんだっけ。オッサンが女子高生二人と絡む奴がよかったから、ダウンロードして取っておいた。あとでじっくり見る予定だったんだけどなー。
で、その後はチャットレディの仕事だな。薄汚れたオフィスまで出かけていって、いろんな奴にメールすんの。欲求不満の人妻キャラと、お小遣い欲しい女子学生役を使い分けてる。時間帯的に、OLの役は難しいから、やらない。昨日も、下半身膨らませたバカどもが、たっぷり課金してメール送ってきやがったっけ。
んで、帰って。腹減ってたからコンビニ弁当でも買おうとして。成人コーナーのエロ雑誌が気になって、一時間も立ち読みしちまったんだよな。結局、昼飯兼夕食ってことで、弁当もちゃんと買ったけど。
食うもん食ったら、またエロ動画探しだ。でも、今度はいいのが見つからなかったし、夜だからサイトも混雑してて、なかなかダウンロードできなくて。しょうがないから、昔買ったエロゲーやってたんだよな。で、眠くなったからそのまま寝て……。
翌朝、飯を食うのも忘れてエロ動画を一本。温泉でオッサンが女四人と絡むのがよかった。で、時間がないからそのまま慌てて飛び出してきたら、ヤールと出会ったんだよな。
気がつくと、レイは、すっと体を離していた。
「変態……」
「ん?」
「ド変態ですっ! ご主人様はっ!」
ワナワナと震えながら、いきなり絶叫しやがった。なんなんだよ。こんなの、若くて健康な男なら、みんな一緒だろ?
「一緒じゃありません!」
お?
「朝から晩まで、そればっかり」
「おいおい、俺だって普通に発散できてりゃ、普通のことも考えるけどよ、この体じゃ……」
言いかけたところで、レイがふっと顔色を変えた。
「おっ、おげぇっ……な、なっ……」
「お、おい?」
「と、吐瀉物まで……」
「あっ!?」
こいつ!
俺の記憶を、他にもあれこれ読み取ってやがる!?
「女性の扱いが、あんまりじゃないですか! 私だけならいざ知らず」
「おい」
少しカチンときた。
「俺だって好き好んで」
「あっ」
そこでレイは、ビクッと震えて、また表情を歪めた。
「す、すみません。今、《精神感応》を切りますね。すみません」
「あっ、おい」
なんだってんだ。コロコロ表情を変えやがって。
今ではすっかり、怯えたような顔をしている。
「あー、そうだよ」
しょうがない。見られちまったらしいから、言ってやるか。
「サークルの先輩にビッチがいてさ。一発ヤらせてもらえるはずだったのに、ちょうど股の間にゲロッちまってな」
「……はい」
申し訳なさそうに、レイは目を伏せている。
「さすがにあんな真似はしたくてやったんじゃないぞ? わかるよな?」
「はい」
なんか急にしおらしくなったな?
そのまま、俺は目の前の野菜にフォークを突き立てる。
本当に嫌な思い出だった。しかも、思い出では済まなかった。
俺の楽しいはずの大学生活に、アレでケチがついてしまったのだ。以来、俺は「ゲロ男」と呼ばれるようになった。サークルにも顔なんか出せやしない。彼女も作れない。入学後、最高に輝くだろう最初の一年が、見事に真っ黒に塗り潰された。
おまけに、その年の終わりには親父が死んだ。おかげで学費に困った。あれからずっとバイト三昧、楽しみはといえば、日々のエロ動画探しくらいだったのだ。
「……ただ、少し気になりますね」
レイがボソリと言う。
「その、ヤールという方のことです。ポータルも使わずに《瞬間移動》を連続して使用しているように見えました」
「ああ」
今朝方の記憶だから、これはむしろ、見ておいてもらいたかった。
「あれ、神様らしいぞ」
「そうなんですか?」
首を傾げている。
「神様のフリをした、ただの人間か」
「で、でも! あんな魔法の使い方、普通の人間には絶対無理です!」
じゃ、神様なんだろう。
どうでもいいことだ。携帯電話もあるしな。何かあったら、訊けばいい。
……あっさりと食べ終わった。
簡単な食事だが、味はなかなかに悪くない。
「では、食器はください。《物体作成》は、結構、力を消費しますから、無駄遣いはしたくないんです」
するとレイは、それらに《浄化》をかけ、新たに作り出した背負い袋の中に収めた。
「準備することも、それほどはありません。あと何時間かしたら出発です。それまで、お休みになられますか?」
「おう。そうする。枕作ってくれ」
だが、レイは動かなかった。
「あの」
「なんだ?」
「膝枕でも……いいですよ」
どういう風の吹き回しだ? ま、いっか。
俺は黙って横になる。
「……《氷壁》」
いきなり地面から氷の壁が突き出る。五センチくらいの幅のあるやつだ。
「少しは暑さをしのげると思います。時間になったら起こしますから」
レイは俺の顔をそっと撫でた。
気付くと、俺は意識を手放していた。