第二話
「……で、こいつに触ればいいんだな?」
「そうとも」
俺はおずおずと天秤に近付く。そしてそっと手を伸ばした。指先が触れた瞬間、何かえもいわれぬ感覚が、体の中を突き抜けた。
そして、天秤は影も形もなく消え去っていた。
「おめでとう! この世界の新たな神となった色摩君」
「……どうも」
ヤールは祝福の言葉を口にした。
これ、やっちまってよかったのかな。あとですげぇ責任とか、背負わされたりしないのかな。難しく考えるの、苦手だからな。
ま、なんとかなるだろ。
「では、この世界のことは任せたよ。私も、うまく君になりすまさないとな」
「おい、言っておくけど」
「ああ、安心したまえ。最悪でも、君が普通の生活を送れるくらいには、社会的地位を確保しておくから」
そして、男は身を翻す。
「っと、ちょっと待て!」
「何か?」
「オマケ! オマケの美少女!」
「おっと、そうだったな、済まない」
するとヤールは、どこからともなく、拳大の茶色い球体を差し出した。
「これを両手で握り締め、強く念じるんだ。下僕よ、目覚めよと。それだけで使えるようになる。ただ、できれば地上に出てからのがいいな。ここは場所が悪い」
「はっ?」
「それと、この袋には、若干の金が入っている。必要ないかもしれないが、当座の生活に役立てたまえ」
球体と薄汚れた袋を差し出され、俺はそれらを受け取ってしまう。
「ああ、あとはこれだな」
ヤールはいそいそと携帯電話を差し出した。
「もし、どうしても困ったら、私に電話するといい。そちらには戻れないが、アドバイスくらいはできるかもしれないからな」
「えっ? お、おう。これ、繋がるのか?」
「多分、機能するはずだ」
異世界と地球を結ぶ携帯電話。これも魔法でできてるのか? もう、ワケわからん。
「では、そろそろ本当に時間がない。あとはその下僕に任せるといい。私は行く」
「あっ、おい」
だが、次の瞬間、男の影は消え去っていた。
「……うぁー……」
気付けば周囲は静寂に包まれていた。
手元には、茶色い球体と、薄汚れた袋と、携帯電話。
あとは着衣。半袖のシャツとジーパン。内側にはトランクス。靴下にスニーカー。財布の中には二百五十円。
どうしよう。
ええと、とりあえず美少女……。
あっ。
地上に出ろとか言われたな。
それで俺は、階段に足をかける。すぐに真っ暗になった。荷物を全部袋につめて、一歩ずつ慎重に昇っていく。
「……だぁっ、どんだけあるんだよ、これ」
この暗闇の中、まっすぐ上へと続く階段は、思いの外、長かった。もし足を踏み外して転げ落ちたら。全身、骨折してもおかしくない。
手をついて、少しずつ進むしかない。
どれくらい時間が経ったのか。うっすらと上のほうに、灰色の光が見えた。出口だろう。
あと少し。なんとか力を振り絞って、そこまで這い上がった。
「はぁっ、はぁっ、マジ、へたばった。マジ、キツかった。くそっ……」
階段の最上階に辿り着いてから、まず俺は肘をかけて、息をついた。
それから、ようやく目を開けて周囲を見回す。
そこは洞窟の中だった。といっても、奥行きがそんなにあるわけではない。ここから二十メートルも行かないところに、出口が見える。
問題はそこからだった。
「なんだ、ここ……砂漠?」
ヨタヨタと這い出てみれば、横穴から漏れる光は目を焼かんばかり。それでちょっと外を眺めてみると、そこはもう、青い空と赤い砂しかない、荒涼たる世界。
「ウソだろ……?」
やっぱりバカじゃないのか、あの自称神。最強? どんな勝負でも負けない? だけど、ここには戦う相手がいないじゃないか。水も食料もなかったら、死ぬだけだぞ。
あの野郎、ハメやがったのか。
「こんな暑苦しいところで、一人、飢え死にするなんて……」
童貞のまま。勃起不全のまま。俺は死んでいくしかないのか。
いや。
「そうだっ! 下僕っ! 美少女っ!」
さっきの茶色の球体を、袋から引っ張り出す。それを両手で握り締め、念じる。出て来い、俺の美少女。
とはいえ、こんなところに美少女が出てきても、生き延びるためには、何の役にも立ちそうにない。しかし。しかしだ。
俺には最後のチャンスが残される。もしかしたら、童貞を卒業して死ねるかも。
さぁ……出て来い、俺の下僕!
そう強く願った瞬間、茶色の球体が、急に眩く輝きだした。
「おわっ!?」
思わず取り落とす。床に転がっても、球体は発光をやめなかった。そしていきなり、その場に透明なオイルのようなものが流れ出す。それは見る見るうちに溢れ出し、岩肌の上に広がっていく。だいたい縦幅二メートル、横幅一メートルくらいに広がると、今度は高さを増してきた。いつの間にかオイルというより、ゼリー状になっている。
そこに突然、また白い光の線がいくつも帯状に重なり合って、大きなゼリーの塊を包み込んでいく。その発光も、すぐ終わった。その場に残ったのは、まるでモンブランケーキみたいな繭に包まれた何かだ。
「……んー?」
俺は、そっとその繭を、指でつついてみた。
カシャン、と軽い音がして、繭状のものが崩れ落ちる。薄い氷を割ったかのように。
そしてそこには……。
確かに、美少女がいた。
豊かな銀色の髪がツインテールにまとめられている。彫刻作品のような端正な顔立ち。だが、どことなく優しげな雰囲気が漂う。肌は白磁のように白く、唇は可憐な蕾のようだった。
見た目の年齢は十七歳前後とみた。やや細身だが、均整の取れた体つき。手足は長く、腰はくびれ、適度な大きさの胸は、仰向けなのに型崩れもしていない……シリコン入りか?
一応、服らしいものは着ている。といっても、ごく簡素なものだ。粗末な出来栄えのヘソの見えるシャツに、同じくスカート。
「おおお」
俺は、そっと手を伸ばす。シャツの内側、シャツの内側、そこにはぁ……
ブラがなかった!
「おおお!」
ならば。
確認せねばなるまい。これはもう義務だ。責任だ。
スカートの内側、スカートの内側、そこにはっ……
やはり白いショーツが眠っていた!
「うおおお!」
これはこれでいい。
何もかもがないと、風情もない。
神様、ありがとうございます。
今となっては、サークルの先輩なんかと、酔っ払った勢いでヤッちまわなくてよかったです。
俺は天に向かって両手を合わせて、しばし感謝の祈りを捧げた。
さて、ではこれからは、人生を締めくくる大事な儀式の始まりだ。
まずは何をしよう? 胸だ。胸。今まで一度も触れることができなかった神秘の領域に、今、俺の手が。
むにゅっ。
「おほおぉっ!」
や、やーらかい。
この感覚は人生初だ。いいや、人類初だ。新素材だ。
シリコンだなんて言ってごめんよ。これは熱可塑性エラストマーでも、ましてやソフトビニールなんかでもない。本物だ。ありがとう。
……なのに。
俺の感動を他所に、その下半身に宿るカルマは、なおも解脱が遠いことを示すばかりだ。
構わん。こうなればもっと頑張るだけだ。
よし。
取るぞ。
ただ一枚きりの下着……いや、違う。そんな味気ない名前で呼んではならない。
聖なる布……違う。それだとアレだ、キリストの聖骸布とか連想しちゃって、余計に萎える。
言うなれば、言うなれば……そう、『純潔の守護者』、そう名付けよう。
さぁ、開かれよ、楽園への扉……!
「……何をしているのですか?」
どこかから、女の声が聞こえた。気がした。線の細そうな、おっとりした感じの口調だ。
幻聴だろう。
さぁ、『純潔の守護者』よ、我に道を譲れ……!
「あの?」
ハッとして顔をあげる。
声の主は、やはりというか、『純潔の守護者』の向こう側にいた。白磁の大地を踏破し、山と谷を乗り越えた先。
「あっ……」
やっべぇ。
「い、意識、おありだったんですね、アッハハハ」
なぜか敬語になる。いや、なぜか、じゃねぇよな。
「何をしているのですか」
「いや、ナニってそりゃ……思い出作り?」
「起動設定中です。最後まで手続きをお願いします」
「お、おう? 俺はちゃんと最後までヤるつもりだったんだ。だけど、どうしても起動しなくって、俺が」
「はい?」
くそっ。
あとちょっとで俺は、思い残すところなく願いを遂げられたに違いないのに。
「……横に石版があるかと思うのですが、そちらで設定を」
「へっ? 石版?」
「私の頭の横に」
言われてみて、気がついた。白い色の、ちょうどタブレット端末くらいの大きさの石版があった。何やら意味不明な記号が並んでいるが、どういうわけか、自然とその意味がわかる。
「今は起動前のガイダンスモードで動作しています。手続きを進める上で不明点がありましたら、私まで質問を」
彼女は目を閉じたまま、そう言ってきた。
質問、ね……。
「じゃあ、さ。早速」
「はい」
「スリーサイズ、教えて」
「……登録されている情報にありません」
あれ? おかしいな。非常に重要な質問だった気がするのだが。
「わかった。胸はCカップかな?」
「……確認できない情報です」
これもわからないのか。
じゃあ、何を訊けばいいんだ?
「じゃあ、どうしろっていうんだよ!?」
「能力を設定してください。それから、名前を決定してください。それで起動し、正式に所有者が特定されます」
はて?
「変なこと言うな? まるでロボットじゃねぇか」
「私は高魔力自律型ホムンクルスです」
ホ、ホム……なんだって?
「よくわからんけど、どうすればいいんだ?」
「そちらの石版を見て、能力を設定してください」
面倒なのは嫌いなんだが……
仕方なく、石版に視線を落とす。
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《呼称》
(未設定)
《未使用ポイント》
(40pt)
《身体能力》
(レベル:0 - 0pt)
《知的能力》
(レベル:0 - 0pt)
《火属性魔法》
(レベル:0 - 0pt)
ランク1:[照明][占術][防熱]
ランク2:[火弾][身体強化][武器創造]
ランク3:[爆裂火球][動力][魔竜召喚]
《水属性魔法》
(レベル:0 - 0pt)
ランク1:[浄化][探知][鑑定]
ランク2:[氷槌・氷壁][透視][水泳]
ランク3:[天候支配][千里眼][水獣召喚]
《風属性魔法》
(レベル:0 - 0pt)
ランク1:[念力][精神感応][鋭敏感覚]
ランク2:[収納][風刃・風盾][飛行]
ランク3:[雷撃][瞬間移動][飛獣召喚]
《土属性魔法》
(レベル:0 - 0pt)
ランク1:[疲労回復][動物支配][植物繁茂]
ランク2:[ゴーレム][断食][魔石鎧]
ランク3:[物体作成][シェルター][毒獣召喚]
《光属性魔法》
(レベル:0 - 0pt)
ランク1:[魔法防御][治癒][危険感知]
ランク2:[解呪][解毒][飛空艇]
ランク3:[不老長寿][復活][アンチマジック]
《闇属性魔法》
(レベル:0 - 0pt)
ランク1:[幻術][誘眠][読心]
ランク2:[変身][魅了][透明]
ランク3:[魔力操作][憑依][妖蟲召喚]
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(必要なポイント消費数)
レベル1= 1pt
レベル2= 3pt
レベル3= 6pt
レベル4=10pt
レベル5=15pt
(ランクごとの習得魔法)
レベル1=ランク1×1
レベル2=ランク1×2、ランク2×1
レベル3=ランク1×3、ランク2×2、ランク3×1
レベル4=ランク1×3、ランク2×3、ランク3×2
レベル5=同一系統すべて
※指定ランクの任意の魔法を選択可能
※ランクアップに伴い、威力は向上する
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「それらの能力から、使用したいものを選んで……」
「あー、もう面倒。考えるのやめ」