殺しあう、二人の小説家志望
ある国に、ヴィアトリカとリナトリーチェという、二人の小説家志望の少女がいた。芸術家支援を趣味としている金持ちの男ドリガストルから生活費をもらいながら、日々、執筆をしている少女たちである。
住んでいる部屋は同じ。ドリガストルが集めた芸術家たちだけが暮らすアパートの、二十三号室。
ある日、二か月ぶりに二人の部屋を訪ねたドリガストルがこんなことを言った。
「君たちどちらかの作品を、出版しようと思う」
彼はこの発言をすることで二人の競争心を刺激し、より良い作品を生み出させようとしたのだ。
//2024年5月3日 早朝:ドリガストルの去った後のアパートにて//
「なにをするんだヴィアトリカ! 今、君は私になにをしようとしたんだヴィアトリカ!」
ヴィアトリカを突き飛ばしたリナトリーチェが、息を切らしながら問います。
「眼球を抉ろうとしたのさ。見えなければ、書きづらいだろう」
ヴィアトリカの目に、迷いはありませんでした。
「小説勝負とは、そういうものではない」
「リナトリーチェ、眼を抉られても君は小説を書けるか? 書けるほどの人間なのか?」
「ああ、書くだろう。私は、君に負けない強い意志を示してやるぞヴィアトリカ!」
ヴィアトリカは声高らかに笑います。そして、リナトリーチェを見下すような顔で、こう言いました。
「仮に君が、眼球を抉られた経験を糧に、君の文章を進化させたとする。だが、私は負けない。抉られた後の君よりも、先に抉った私が勝つ。小説屋ならわかるだろう、狂気は先手必勝なんだよ」
「捕まるぞ。それに、ドリガストルも君を赦さないだろう」
ごく当たり前の事実を突きつけられたヴィアトリカは、さっきよりも大きな声で笑いました。
ドン! ドン! ドン!
壁を殴る音が響きます。笑い声で目覚めてしまった隣室の彫刻家が、怒っているのです。
ヴィアトリカが「殺すぞ!」と叫ぶと、すぐ、静かになりましたが……。
「ヴィアトリカ、とりあえず落ち着け。このアパートを追い出されたら私たちは行く場所がない」
「私が行く場所は刑務所だと言ったのは君だろう? ならば、行く場所がないのは君だけだリナトリーチェ! ああ、残念だなリナトリーチェ!」
「落ち着けと言っている!」
隣人のことなどお構いなしに、二人は大声で喧嘩を続けます。
「知っているだろうリナトリーチェ。この国は獄中出版の権利が保障されているいい国だ。出所後でも構わない、箔がついて売りやすくなるだろう」
「今時、犯罪者の本を出す会社がどこにある。もう、そういう時代ではないんだヴィアトリカ」
「あるさ! 人間はそういうものを読みたがる。それに、出版社がビビるなら、インターネットもある。いいかリナトリーチェ、私の作風は、暴力と同じ性質を持つのだよ」
「君は、文章で人が殺せると信じているのだなヴィアトリカ」
ヴィアトリカは「そうだ」と答えます。
「君は、君の文章で誰を殺したいんだ」
「世界さ。私をこんな風にした世界を殺してやるんだ」
「そうか…………聞け、ヴィアトリカ。私は、文章を書くことだけは凶暴でありたいと思いながら生きてきた」
「私より、狂暴でない君がか?」
「そうだ。文章は私の凶暴な本性だ。だから私は、文章で人を殺すことを夢見ることはない」
「純文みてぇな言い回しで話を煙に巻く気かリナトリーチェ。私たちは一応、物書き同士だぞ?」
リナトリーチェは「いいや違う」と真面目な顔で言い、話を、こう、続けました。
「君は思ったことはないのか、文章で人を殺せるのならば、文章で人を生かすこともできると」
「ある。だが、私にはそれができないんだよリナトリーチェ」
ヴィアトリカはそう言うと、ポロリ、ポロリと泣き始めました。涙を零しはじめたのです。
「今は泣けヴィアトリカ。泣いて、泣き続けろヴィアトリカ。泣いている間は、死ぬことはないからな」
「なあ、どうしたらいいリナトリーチェ。私は、最近自殺というやつに取りつかれている。願望なんていう、生易しいものじゃない。自殺そのものにだ」
「いつからだ」
「二週間前だ」
「今もか」
「嗚呼! 今もだ! わかるか? 私はまだ、書きたいのに!」
それは、二人が言い合いをはじめてから最も大きな声でした。
「珈琲を淹れてやるから、飲むといい。飲んで、泣いて、泣き飽きたら、願望は生易しいものではないと自分に言い聞かせろ」
「リナトリーチェ、君の思いは伝わっているが、言い回しがクソすぎる。作家の癖にクソ過ぎるんだよリナトリーチェ」
「作家に会話のレベルを求めるな。私たちは、紙の上にしかまともな言葉を書けん人種だ」
「紙? 画面上の間違いだろう。なあ、リナトリーチェ。いつか私と心中してくれないかリナトリーチェ」
珈琲はすぐに用意されました。溶かすだけの安物と、電気ポットのおかげです。
「君が、君と心中したくなるような小説を書いたらしてやるよ。そいつはつまり、この私の小説以上の小説ってやつだ」
「それは……はぁ、もうしばらく生きようとしなきゃいけねぇみてぇだな」
「今のところ、あの世で書かれた本は出版されていないからな。だから生きろヴィアトリカ。君は、まともでいられる時間は短いが、生きようとした時だけはマシなものを書く」
「はっ、やっぱり君の口から出る言葉は、駄作だ。クソの言葉だよ」
「君も同じようなものだヴィアトリカ。だが、私に比べれば、少しだけ美しいクソだ」
ヴィアトリカはまだ珈琲を飲みません。彼女は、熱い飲み物が苦手なのです。
//2024年5月3日 午後のどこか:アパートにて//
ヴィアトリカは結局、リナトリーチェが少し買い物に出た隙に死んでしまった。
「なあ、ヴィアトリカ。君を、私が殺してしまったことにしてもいいかい」
天井からぶら下がるヴィアトリカは笑顔で「かまわないよ。それで、よい小説が書けるのならば」と言った。少なくとも、リナトリーチェにはそう見えたし、そう、聞こえたのだ。
ヴィアトリカの葬式代は、ドリガストルが出すのであろう。