7.
デビュタントを迎える男女は名前を呼ばれると壇上へと一礼をしてホール中央へと並ぶ。 壇上に立つのは王様。新たな貴族の仲間入りを果たした子息令嬢に向けて貴族としての訓辞を述べる。そして次に一人づつ名を呼ばれ、壇上に上がり王様と対面で短い会話を交わしたらデビュタント自体の催しとしては終了だ。
自分の名を呼ばれた二回共に、ざわめく会場が妙に静かになった以外は何事もなく終わり、若干拍子抜けした感はある。だからと言ってデビュタントの日が終わったわけではないのでまだ気は抜けないけど。
「いやー、見ものだった。素晴らしく爽快な気分だよ。ぐぅの音も出ないとはああいう感じなんだろうなぁ」
デビュタントの式典は終わったが、引き続き始まる夜会。ホールから隣の会場へと場所を移し、給仕から受け取ったワインを呷りお父様は満面の笑みで言う。
「どういうことですか?」
別にお父様が言ったような見ものになるようなこともなく至って普通に終わったはずだ。
尋ねる私にお父様は「何でもないよ」と笑って残りのワインを飲み干した。
「まあしいて言うならば、ルメリアが一番綺麗だったってことかな」
「お父様…」
「しいて言わなくても、それは事実ですよね」
「ロイス様まで…」
この会場では私のエスコート役を担うリッツラント侯爵様が微笑みながら会話に加わった。
私は額を押さえる。本当に、二人揃って止めて欲しい。それじゃなくても先ほどから衆目を集めている気がするのに、そんなことを平然と言うのは駄目過ぎる。
なので一言注意しようとしたらお父様が思い出したように先に口を開いた。
「そう言えば、陛下と随分長い間話していたね? 何の話しをしていたんだい?」
「――え? …あ、いえ、そんなに話しはしていないんです」
「ん?」
「挨拶をして、声が掛けられるのを待っていたんです。けど、なかなか声が掛からなくて。だから失礼ですけど顔を上げたんです」
「うん、そうしたら?」
「私を見てられました」
「…ん?」
王様は顔を上げた後も暫く私を見つめて、その後怒涛のごとく質問責めにあった。趣味やら好きなものやら好きなタイプやら。
その勢いに押され私が何も言えなくなっていると、王様の横にいた人が「陛下、その辺りで…」と助け船を出してくれた。だから結局のところ私は挨拶だけしかしていない。
そう説明すればお父様は深くため息を吐いた。
「招待状を送って来た魂胆があけすけ過ぎる…」
呆れたように零した呟きに侯爵様が反応を返す。
「王室から招待状が?」
「ああそうだ」
「はあ…、いや、でも…」
侯爵様は眉を寄せた。
「…男爵はご存知だと思いますが、私は殿下たちとは幼なじみな間柄なんです」
「そうだね」
「……それに殿下たちには幼い頃から婚約者が決まっているんです」
「当然そうだろうねぇ」
「………え、それともまさか…?」
「何にせよ、本来ならあり得ないことだとは思うけどね。 ……うん、でもまあ、どう転ぼうともルメリアが望まない限り絶対に許さないし、どんな手を使っても阻止するよ」
眉を寄せ言葉を詰まらせる侯爵様とは反対にお父様は凄くいい笑顔で言う。何が、とまでは言わずに。
声を落としてでの会話であったけれど私には聞こえた。そしてはっきりとは言葉にされていない部分もある程度は理解した。
けど、お父様が言うようにあり得ない。色んな意味で、私は王室とは関わり合いになりたくないのだ。特に国に携わる立場の人間とは。
それがただの杞憂だとしても。
もう家に帰りたいと、思う気持ちがありありと顔に出ていたのだろう。侯爵様が気遣うように覗き込む。
「ルメリア…、もし王室の人たちが接触してきたら私に任せてもらえばいいから」
「…はい、お願いします」
申し訳ないが、ここは侯爵様の言葉に甘えよう。それだけでも少しは気分が楽だ。
隣でお父様が「うんうん」と頷く。
「確かに私たちは下手に関わらない方がいい」
「そうですね、その方がいいと思います」
「いやー、本当にすまないね。任せたよ、侯爵」
しれっと答えるお父様。だけど、最初からそれが目的だったはずだ。丁度良いと言っていたくらいだから。
「ええ、お任せください」と笑う侯爵様は良い人過ぎると思う。大体、侯爵様の方が爵位が上なのだから、お父様が年長だからといって畏まる必要はないのに。
前にも一度その話しをしたら侯爵様は言った、誰にでもそういう態度ではないと。
「ルメリアの、…いや、大切な友人である君の父上であるから、同じように大切に接したいんだよ」
と、そんなふうに言えるリッツラント侯爵様はやはり紳士だ。
だけどフェイに言わせれば、
「将を射んとすればってやつですよ」
――らしい。東の方のことわざだそうだ。意味は聞いてないのでわからないけど。
そう言えばと、私は辺りに視線を巡らす。そのフェイはもうこの会場に入っているのだろうか?
黒髪の人は多くはないとはいえ、居ないわけではない。それに夜会になって、さらに人が増えている。そんなごった返す会場の中から目当ての人物を探すなんて中々に大変だ。
その割に、巡らせていた視界の中にレステート伯爵家のシャーロット様を見掛けて慌てて視線を逸らす。デビュタントの会場でも一度顔を合わせたが場所が離れていたので軽く会釈をするに済ませた。
彼女の言動は読めなさ過ぎて少し怖い。今はフェイも居ないし。
「ルメリア?」
挙動不審になっていただろう私にお父様が声を掛けた。
何でもないと説明しようとしたところで、もう一方から同じように掛ける声があった。
「――ルメリア…?」
それは、お父様が呼んだ私の名に反応したように。
再び挙動不審となった私の、今度は直ぐ側で声はする。
「ああ、居たっ! ルメリア!」
流石に「いいえ違います」とは言えないだろう。
あきらめて振り返ると、同じような白い色のキラキラと光沢のある生地に沢山の宝石を散りばめたドレスを纏うシャーロット様が満面の笑みで立つ。ちょっと眩しい。
「……シャーロット様、ご機嫌よう」
「うん、ルメリアも! さっきもデビュタント会場で話し掛けようと思ったのに、ルメリアってば直ぐにそっぽ向いちゃうんだの」
「催事中でしたし、離れてましたので」
「そうだけどっ」
ぐいぐいとくるシャーロット様と一歩引いた様子を見せる私を見てお父様が尋ねた。
「ルメリア――、こちらのご令嬢は?」
「あ…、こちらはレステート伯爵家のシャーロット様です」
「レステート伯爵の?」
私の言葉を受け、お父様は一度軽く目を見開き、そして改めてシャーロット様に向き直るととても綺麗な笑顔を浮かべて言う。
「はじめまして、シャーロット様。ルメリアの父、オデール・フィッシャーです。どうぞよろしく」
そんなお父様と私を交互に眺めてシャーロット様は目を瞬く。
「………ルメリアの父親…」
「ええ。似ていませんか?」
「……髪と目の色は同じ、ですね」
「ははっ、そうですね。ルメリアはどちらかと言えば妻似ですので」
と、お父様は私の頭にキスを落とす。何故か複雑な表情でこちらを眺めるシャーロット様の目の前で。…だからお父様。
「……仲が良いんだ…」
「それはもう。男爵は、それこそ目に入れても痛くないってほどにね」
呆れとも取れるシャーロット様の呟きには侯爵様が苦笑を浮かべて答えた。
「やあ、シャーロット嬢。そう言えば君もデビュタントだったね、おめでとう」
掛けられた声に振り向いたシャーロット様は眉を寄せた。
「――リッツラント侯爵…? 何故、貴方がここに?」
そして尋ねたのがそれ。侯爵様はずっと一緒にいたのだが彼女の目には入ってなかったようだ。
「うーん、それがどうやってであるならばそこは察して欲しいな。そしてどうしてであるならばルメリアのエスコート役だね」
「ルメリアの?」
「そうだよ。別におかしくはないだろう? 噂では今、私はルメリアから籠絡されてるようだし。ああでも、このエスコートは私が無理に頼み込んだんだけどね」
「………」
ニコニコと笑って話す侯爵様とは対照的に、シャーロット様の表情は硬い。
それもそうだ、侯爵様が口にした噂とはレステート伯爵家が抱える預言者が発したもの、らしいから。
……預言者か…。今日は一緒に来ているのだろうか? 周りを窺ってもそれらしき人物は近くに居そうにない。
「ふむ、ルメリアは侯爵を籠絡しているのかい?」
不意に、直ぐ真横から興味深げな声がした。私はビクリと体を揺らす。
そうだった、お父様も居たんだった。
「お父様それは――、」
「そうですね、事実ならこちらとしては大歓迎なんですが」
「侯爵様…?」
「おや、真実ではないと? …そうかぁ、侯爵ほどの優良物件でもやはりうちの娘は靡かないか」
「男爵のお口添えでも頂きたいところです」
「うーん、残念だが、私はどちらにも肩入れはしないよ。要らないことをしてルメリアに嫌われたくないからね」
「どちらも、…ですか」
「何事も公平でなければ」
「なるほど」
ニコニコと笑い合うお父様と侯爵様。私は既に無言だ。
これは私が触れてはいけない案件。侯爵様は良い人だけど、少し考えを改めよう。お父様と同じ、やはり立派な貴族だ。フェイがこの場にいたら「だから言ったでしょう」と言われそう。
ふぅと息を吐けば、同じようにため息が重なった。
「父親が探してるみたいなので戻るね」
顔を向けた私に、ため息を零したシャーロット様はそう話す。父親とはレステート伯爵のこと。辺りを見ても顔を知らないのでそれがどの人だかはわからない。
私は小さく頷き、横で話しを聞き留めたお父様が言う。
「シャーロット様、お父上に後で挨拶に伺う旨を伝えてくれるかな?」
お父様の言葉にシャーロット様は無言で頷くと、もう一度私に視線をやってから人垣の中へと消えた。
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「あれが『シャーロット様』か。フェイから聞いてはいたが、…なるほどねぇ」
シャーロット様が去った方向を眺め、顎に手を添えたお父様が呟く。私はお父様を見上げた。
「何がなるほどなんです? それより、シャーロット様と一緒に先に挨拶に行かなくていいんですか?」
「ん? 挨拶をしようにも彼女が消えた方向に伯爵はいないよ。彼は先ほどからあそこでずっと談笑しているからね」
「え?」
――ほら。と、お父様が視線を向けた方向を見れば数人が集まって会話に花を咲かせている。
あの中の一人がレステート伯爵なのか?
「ああ、確かに」
同意の声。侯爵様もそう言うのならそうなのだろう。でも――。
「でも娘を探しているようには見えませんね」
浮かんだ疑問は侯爵様が代わりに口にした。
「……だな。――ともかく、最低限の義理だけ果たしたらさっさと帰るとしよう。ああそれと侯爵、」
私の疑問も侯爵様の言葉もさらりと流し、何か話しがあるのかお父様は侯爵様へと身を寄せた。そして私はまた首を巡らせシャーロット様の姿を追う。だけど、この人混みでは無理だと早々にあきらめた。
後、フェイに関してならば、実はそんなに気にしていない。こちらが見つけられなくても、既に向こうが私を見つけている。それはきっと確実に。
「ルメリアそろそろ行こうか」
お父様が呼ぶ。
「ええ、お父様」
頷いた私をエスコートするのは侯爵様。差し出された手を取り、私たちは会場の奥へと進んだ。