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6.

 春の太陽は傾くのが早い。

 斜めから射し込む日の光、馬車止めまで並ぶ渋滞に動かない馬車内の気温は上がり眠気を誘う。


「これはまだ当分着かないな…」


 お父様の呟きに、出そうになった欠伸を噛み殺し言う。


「降りて歩きましょうか? もう城内に入りましたし、会場まで歩いてもそんなにないですよね?」

「うーん…、そうだなぁ」


 微妙に渋るお父様に決定打を。


「折角なので私はお父様と並んで歩きたいです」

「よしっ! じゃあ降りようか!」


 見事な手のひら返し。でもこれで本番前にうっかり居眠ってしまうことはない。

 昨日まであった不安など、昨夜のフェイとの会話と今朝の自分の体たらくでもうスッパリと捨てた。そう、結局はなるようにしかならない。


 意気揚々と満面の笑みで降りてきたお父様と、そのお父様にエスコートされ、欠伸を噛み殺したせいで若干涙目で降りてきた私を見て、何も言わずとも全てを察したフェイ。呆れた顔で、荷台からケープコートを取り出して私の肩に掛けた。


「歩くんですか?」

「ルメリアが私と歩きたいそうだ」


 ご機嫌なお父様が答える。


「ルメリア様が寝そうになっただけでしょう。 思いっきり抱き込まれてるじゃあないですか」

「そんなことはどうでもいいんだよ。ん? なんだフェイ、羨ましいのか?」

「いいえ、別に。俺はしょっちゅうルメリア様と出掛けてますので、一緒に歩くことなんてざらです」

「でも私はルメリアと並んで歩けるからなぁ」

「だから何です? 回数なら俺の方が圧倒的に上ですよ」


 ニコニコと笑いながら言い合う二人。一体何の会話だ。

 まだ馬車を降りたそのままで、渋滞で並ぶ他の馬車からの視線が気になる。なのでお父様を促し、引っ張るように馬車道から逸れた。


 デビュタントホールは城の外れにある。人通りの少ない庭園内の道を、時折出てくる案内を頼りに進む。流石城の庭園、見たこともない花がそこかしこに咲いていてきっと素晴らしい景観なのだろうけど、今ここを歩く者たちの興味は違う方面へと向かう。


「この庭園の維持費ってどんなもんなんでしょうねぇ」

「それを言い出したらこの城の全体の維持費なんて恐ろしくて聞けないぞ」

「でしょうねぇ。それこそ想像もつかないですけど」


 不謹慎とでも言おうか、そんな何とも残念な二人の会話を聞きながら歩いていれば、お父様が不意に足を止めた。



「……チッ、降りるとこを見られていたか…」


 珍しく険しい顔で舌打ちをしたお父様はフェイを振り返る。


「――フェイ、ルメリアを」

「お父様?」

「ルメリアはフェイと。…大丈夫、何でもないよ」


 眉を寄せて見上げる私をフェイに預け、一度表情を緩めたお父様だけど、視線を元に戻すとその顔はまた険しくなった。


「誰です、あの男?」


 お父様と同じく前方を見たフェイが聞く。 と言うのも、お父様が足を止めたのも今険しい顔をしているのも、フェイが言うあの男――向こうから急ぎ足でやって来る男を見たからだ。

 お父様は、そのこちらへと向かって来ている男へと顔を向けたまま答える。


「ザルツ公爵の次男のカーストン子爵だ。長男は優秀だが弟は毒にしかならない放蕩息子でね、なので公爵もさっさと爵位を分け与えて家から放り出したんだよ。特に、女性に関して悪い噂が絶えない」

「はあ、それって」

「ああ、ルメリアに会わせろとうるさい。しかも二人でなどとぬかす。馬鹿なのか? いや、馬鹿なんだろうな。この前は釣書なんてものを送って来たから、それと同封して断り手紙をザルツ公爵家へと送り返した。そしたら丁寧な謝罪文が公爵様から戻って来たよ。でも息子はどうにもならないだってさ。それこそ責任問題だと思うがな」

「…へえ」


 フェイの返答は短く冷たい。代わりに、お父様は早口で饒舌だったけどその口調はやたらと明るくて寧ろ怖い。

 本当に私に関することなのかはわからないけど、近づいて来る男の姿に一応フェイの後方へと移動する。一番表に立つのはお父様だ。立場もあるし滅多なことにはならないだろうと思う。……たぶん。



「――ああ! やっと会えたなフィッシャー卿! 君が訪問の約束を受け付けてくれないから、見掛けたので追いかけて来てしまったよ。いや、本当に酷いなぁ」


 急ぎで乱れた髪を軽くかき上げて、目の前まで来たカーストン子爵は開口一番そう言い放った。

 なるほど。女性関連云々と言われたように確かに甘いマスクの優男だ――、…と思う。マリアが読んでいた小説に出てくる挿し絵の人物に似てるし、そんなふうに説明されたし。但しマリアが言うにはその人物は当て馬役らしいけど。

 そんなことを考えながらボーッと眺めていたら向こうの視線がこちらへと流れて来そうになり、不自然にならないように急いで目を伏せた。………けど、物凄く視線を感じる。  


 ハァと、ひとつ息を零してからお父様は口を開いた。


「……カーストン子爵、すまないが私たちは急いでいるんだ。もし用件があるなら手短に頼みたい」 

「用件? …用件ねぇ。それは散々伝えたと思うが? まあ、ことごとく無視されてしまったけどね」

「なるほどそれはすまない。こちらとしてはそんなつもりはなかったのだが。でも残念ながら、いつもと同じ内容であるのなら私の答えは変らない」

「…ふーん。また無視すると?」

「どうも認識の違いがあるようだ」

「ほぅ……」


 やっと視線の呪縛が外れてそっと顔を上げれば、二人揃ってにこやかな笑顔で向かい合っている。だけどそこに漂う空気はとてもにこやかとは言えない。

 そして不意に、片方の顔がこちらを向いた。咄嗟のことで逸らすことも出来ずバッチリと目が合った。


「そうだねぇ…、でも今日は()()もいるのだし、挨拶くらいはさせてもらっても構わないんじゃないか?」

「それは…」

「まさか。それさえも許さないなんて無粋なことは言わないよねぇ、男爵」


 こちらに顔を向けたまま視線だけをお父様へとやったカーストン子爵は笑顔のまま、だけど今度こそ明確に声に険を滲ませた。



「――お父様」


 呼び掛けた声に、振り向いたお父様は私を見て眉を寄せる。 だけど暫くして、物凄く渋い顔で仕方がないというように小さく頷いた。

 私はフェイの影から横にずれると男に向かって頭を下げた。


「お初にお目にかかります、カーストン子爵様。ルメリア・フィッシャーです」

 

 向こうは爵位が上の相手である。名乗って膝を折るくらい簡単なこと、さっさとしてしまう方が無難だ。

 そんな私に男は喜色を浮かべた顔で近付くと目の前に立つ。見下ろされる視線は私を上から下へ通過し、まるで値踏みされてるようだ。

 隣にいるフェイも一瞬ピクリと体を揺らすが、雇用主(お父様)がいる手前それを越えて従者であるフェイが先だって行動を起こすことはない。


「やあ、レディ・ルメリア。挨拶をさせて貰っても?」


 男は勿体ぶった声で言う。そして、その差し出された手の意味するところは。

 逡巡の末に無言で頷くと、手慣れた仕草で手が取られ、甲に落とされる口づけ。自分の手にもたらされた他人の体温の不快さに、直ぐに取り戻そうとした手を、留めるようにぎゅっと握りしめられた。

 

「……っ!」


 手を握ったまま顔を上げた男は、私を視界に捉えてうっすらと笑う。


「……つれないなぁ、そんなに早く離れようとしなくてもいいじゃないか」

「気分を、害されたのなら申し訳ありません…。でも、宜しければもう離して頂いてもいいですか?」

「うーん、さあ、どうしようか? しかしなるほど、近くで見るとますます良いなぁ。その困った顔も良い。 ああそうだ! 君がデビュタントの後に催される夜会で、共に過ごしてくれる約束をしてくれたら手を離そうか?」

「は…?」


 どんな交換条件だ、それは。

 無理に手を引き抜こうとしたけれどビクともしない。


「子爵、すまないが冗談はそこまでにして、いい加減娘の手を離して貰えないか。私たちは急いでると言ったはずだが」


 いい加減見かねたのだろうお父様が不機嫌な声で割って入った。


「別に冗談で言ってるわけではないよ。男爵が余りにもルメリア嬢と会うことの許可をくれないものだから、親睦を深める為の今日が絶好のチャンスだと思ってね」

「――カーストン子爵」


 しれっと答えた子爵は、だけどお父様の低い声と横から流れる不穏な空気に「仕方ないな…」と大仰なため息を吐いてからやっと手を離した。そして解放された私は直ぐにフェイの後ろへと下がる。例え先ほどから不穏な空気を出していようとも、そこが私にとっては一番の安全地帯だから。

 男はやれやれというように肩を竦めて続けた。


「大体、ルメリア嬢はデビュタントを迎えたのだから貴族社会の仲間入りだろう? これからはもっと社交の場にも慣れなくては。なのに男爵がその行動を制限するのは可笑しなことではないか」

「子爵、たとえデビュタントを迎えようとルメリアが私の大事な娘であることは変らない。父親として娘のことを色々と心配するのは当然のことだと思うが」

「ふーん、私は心配される相手だと?」

「そう思うに至る心当たりがあるのかい?」


 お父様は質問に質問で返し、カーストン子爵は薄い笑みを浮かべた。


「ふふ、何のことだろう。…でもまあここは一旦引き下がるとしようか」


 呟くとお父様との会話は終わったとばかりにまたこちらを向き、警戒するようにフェイの影に隠れた私に言う。


「じゃあレディ・ルメリア、また会場で」


 とても甘ったるい声と笑みを残しカーストン子爵は去って行った。

 


「……何なんです、あれ?」

「……え…、会場って…?」

 

 フェイのこれ以上なく渋い声と、私の困惑の声を受けてお父様は一度深いため息を吐いた後、私たちの疑問に答えてくれた。

 

「公爵家の長男と次男は年齢が離れているんだよ。そしてあの容姿だ、小さな弟を両親は随分と甘やかしてしまったんだろうな。それとその次期公爵の長男にはルメリアと同じ今年デビュタントの娘がいる。……まぁ、そういうことだ」

「………」

「………」


 つまりはそういうことらしい。そう言えばさっき夜会がどうのと言っていた。

 その後は無駄な時間を取られてしまった為、寄り道をせずに一直線に目的地へと向かう。



 装飾の旗が棚引く会場の、デビュタントホールを囲むプロムナードの人混みの中、ソワソワとした顔で立つリッツラント侯爵様を見つけた。

 

「いやー…、どうします? めちゃくちゃ注目浴びてますけど」

「だなぁ。彼も自覚はあると思うんだが、寧ろ慣れなのか?」


 だけど何故か手前で足を止めるお父様とフェイ。


「お父様? ロイス様がお待ちですよ?」


 怪訝な顔でそう尋ねれば、お父様は何とも言えない顔で私を暫く眺めた後、「まあ、どうせ今か後かのことか…」と呟いて侯爵様が待つ方へと足を進めた。


「やあ、久しぶりだね、リッツラント侯爵。遅れてすまない」


 お父様の掛け声に、こちらに気づいた侯爵様は明らかにホッとした顔をする。


「ああ、お久しぶりです、フィッシャー卿! なかなか来られないので何かあったのかと思いましたよ。それと――、デビュタントおめでとう、ルメリア。いつも綺麗だが今日は一段と綺麗だね」

「ご機嫌よう、ロイス様。ありがとうございます」


 侯爵様はお父様から私へと視線を向けると柔らかな笑顔で言う。それに、私は小さく笑みを浮かべて返した。

 途端、周りで起こったざわめきに、何事かと振り向こうとすればフェイがスッと前に出た。


「じゃあ旦那様、そろそろ俺は行きますね」

「ああ。侍従長補佐のジャイルという男だ、話しは通してある」


 お父様の返事に軽く頷いた後、くるりとこちらを振り返る。


「というわけで、ルメリア様俺は一旦離れますんで」


 フェイが笑顔で言う。


「うん、直ぐに戻ってくるんだよね?」


 他意はない、言われたからただ聞いただけだ。

 なのに何故かフェイの笑みが深くなる。目なんてもはやただの弧線だ。


「ええまあ。常時隣には行けませんけど」

「そう……」

「…………」

「…………」

「ルメリア様」

「……何?」

「泣かないで下さいね?」

「――泣かないしっ」




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