4.
「大丈夫かい?」
馬車の中、気遣う眼差しで侯爵様が言う。フェイは御者台にいて馬車内は二人。二人きりではあるが侯爵様に関しては今はもう慣れたので平気だ。でも問われたのはそのことではない。
「大丈夫ですよ。少し驚いただけで」
「そう…。でもごめんね、結局は君の耳に入ってしまった」
「いいえ、ロイス様が気に掛ける必要はないですよ。どうせ何処かで耳にしたと思います」
やはり、侯爵様は噂を耳にしていて私に話さなかった。だけど陰口や悪口、良くない噂など昔から慣れている。侯爵様が隠そうとするからどれ程のものかと思ったが大概いつも通りのものだった。それよりも――。
侯爵様が「そう言えば、」と口にする。
「今驚いたって言ったね?」
「そう…、ですね」
「何か驚くことが? 噂に対して?」
「…ええ」
噂に対してと言われるとそうなので、私は曖昧に頷く。
起きたことに対する噂なら何処かで聞き及ぶことはあるだろう。ではその先を告げる噂とは?
「前に、ロイス様にも話したことがありますよね。私が将来『悪女』と呼ばれるようになるって」
「ん? ――あ、ああ…うん、何かそんな話しもした、よね、うん…」
急に泳いだ視線。これはきっと、今の今まで忘れていた。元から疑っていたわけではないが、でもこれで侯爵様が口を滑らせたわけではないことは確実だ。
「そのことも、預言者は話していたようなんです」
「へえ…。 でも、前に話してたのは占い師だったっけ? 同じような商売柄何処かで繋がってるんじゃないのかい?」
「…商売柄…」
どこまでも信じる気はないようだ。
「――あ、いや、…ごめん、悪気はないんだ」
と、侯爵様は謝るけれど、私だってそういったものを手放しで信じるわけではない。
お母様だったから、信じただけだ。
「会ってみたいと思うんです」
「あの預言者に?」
「はい」
「うーん…、余りお勧めしないなぁ、あんな胡散臭いヤツ」
侯爵様は眉をひそめた。フェイと同じような意見だ。
二人の話しからすると、預言者は得体の知れない、胡散臭い人物となる。
散々な言いように少しだけ苦笑を浮かべ、
「でも取りあえずはデビュタントが先なので」
何よりも今はそれが大事なのでそう言う。
「そうだね。フィッシャー卿もいるだろうけど、会場ではなるべく私の側を離れないでね」
「フェイもいますよ?」
「でも彼は近くには着けないと思うから」
侯爵様は少しだけ眉を下げて言う。別に意地悪で言ったのではなく、本来なら従者であるフェイは会場に入ることなく控室での待機となるのが当然だから。
だけどお父様がどうにかすると言っていたのでそこは…、うん、あれだ。
まあ折角侯爵様が心配してくれているので、ここは素直に頷くにとどめた。
**
そして迎えるデビュタントの前日。衣装は数日前に出来上がっていたが、何か他のトラブルが起こったらしく。こちらへと来ることが難しいようだったので最終の試着も兼ねて出向くことにした。
「こっちが向かうだなんてっ」
「別にそれくらい良いよ。家にこもってても明日のことばかり考えてしまうし、気分転換にもなるから」
「…ルメリア様がそう仰るなら、私は良いんですけど…」
口を尖らせマリアが言う。今日は当日の着付けの練習も兼ねてメイドのマリアも同行している。もちろんフェイも。そのフェイが御者台からお店への到着を告げ私はマリアと共に馬車を降りた。
店内は思っていたよりも騒然としている。
その中で、見知った店員がこちらに気付き声を掛けてきた。
「本当に申し訳ございませんっ、フィッシャー様! お手を煩わすことになりまして…」
「いえ、別に気にしないで下さい。それより、もう少し時間をずらした方が良かったのでは?」
慌ただしい店内を見て言えば、店員はブンブンと首を振る。
「大丈夫です。 フィッシャー様の方は既に準備万端ですので」
さ、どうぞこちらへ。と、店の奥へと案内される。その途中、女主人の姿が見えた。
裁縫室の一番奥、何だか難しい顔つきで目の前の女性と話している。
入り口で足を止めたのでマダムがこちらに気付き「あら」という顔をして、同時に、背中を向けていた女性も振り向いた。
思ったより若い。マダムがあんな顔をしていたので少し上の女性かと思ったが、私と変わらないくらい。でも知らない顔ではある。
そして見るからに貴族だろう少女は、何故か私を見て大きく目を見開いた。
その口元が小さく動く。
声は届かなかったが、口の動きでわかった。
『ルメリア・フィッシャー』と、そう彼女は口にした。
「ルメリア様、行きましょう」
同じように少女の口元を読んだフェイが促す。理由はわからないが私の名を呟いた少女。フェイとしては関わり合いになる前にその場を離れたいのだろう。
それに異論はないので、私はマダムに軽く頭を下げてその場を後にした。
**
衣装の方は何も問題はなかった。お父様に確認は出来ないがフェイに一存が任されているらしく。
「これなら大丈夫でしょう。旦那様が帰られたら俺から懇切丁寧に感想を伝えておきますよ。そりゃもう素晴らしかったって、見れなくて残念でしたねー旦那様って」
と、満面の笑みで言った。雇用主と従事者の関係もなかなか謎だ。
その出来上がった衣装を受け取り帰ろうとしたら、マダムが話したいことがあるようで、店員に引き止めれ、まだ仕事があるマリアには衣装を持って先に帰ってもらいフェイと二人で待つことにした。
「話しって何だろう?」
「さあ?」
フェイの簡潔な返事にそりゃそうだと思いながら用意されたお茶を一口飲む。ト、トンと部屋の扉が鳴った。
はい、と答えて。部屋に入って来た人物を見て、二人して目を瞬いた。
入り口に立つのは淡い金色の髪と薄茶色の瞳の少女。
「ええっと……、」
「ルメリア・フィッシャー!!」
「――え、あ、はい…」
「やっと会えた!」
「……はい?」
こちらの困惑をよそに、いきなり私の名を呼び捨てたのは、先ほど裁縫室でマダムと向かい合っていた少女。フェイと私の杞憂はその通りとなったようだ。
少女は私から視線を外すことなく少し興奮した顔色を見せ、フェイが警戒して前に出た。
「すみませんが、どちら様でしょうか?」
私と少女の間に入るように立ち、スッと目を細めると口の両端を綺麗に上げる。笑顔だが、その細い両目の奥は全く笑っていない。少女の初っぱなからの無礼ともいえる登場に、返すフェイも慇懃無礼な態度を取る。
私を映していた視界が遮られて、少女はやっと視線をフェイへと移した。
「……誰、貴方?」
首を傾げ怪訝な顔。それこそこちらが聞きたい。
同じ質問を返されたことにフェイは眉をピクリと上げたがそこは素直に返事をする。
「ルメリア様の従者ですが」
「へぇ、ルメリアの? …ふーん、なんて名?」
「……………………フェイと言います」
きっと色んなものを押し殺したのだろう間。その後に答えた名に、少女は更に首を傾げ考えるように「ふーん…」と呟いて、直ぐに「まぁいいわ」と頭を元に戻した。そして。
「私はシャーロットよ。レステート伯爵家のシャーロット・メイヤー」
シャーロット――と、少女がそう名乗ったことで、私は再び大きく目を瞬いた。
この少女が、レステート伯爵の――?
「はい、これでわかったでしょ? じゃあ退いてもらえる? 私はルメリアと話しがしたいの」
その正体にフェイも思わず呆然としたらしく、少女は簡単に目の前の障害物を押し退けると私の前に立った。
ハッとしたように振り向くフェイ。私は視線で「そのまま」と合図を送り立ち上がると軽く膝を折った。
「シャーロット様、申し訳ありません、私の従者が不躾な態度を。仰る通り、私がルメリア・フィッシャーです」
レステート家はフィッシャー家よりも高位貴族だ。たとえ向こうが先に無礼な行動を取ったとしても取りあえず頭を下げるのが得策だ。
そして顔を上げて尋ねる。
「私にお話しということですが、一応、先約があるのであまりお時間は取れませんが」
「ええ、知ってるわ。マダムの件でしょう?」
「――え、はい、そう…、です」
「なら大丈夫よ、それ私だから」
「え?」
「私が店員にそう頼んだの。帰られたら困るから」
「――は?」
驚く私に、シャーロット様は、
「だから話したかったからって言ったでしょ」
と、笑顔で言うと私の手を握りしめグッと顔を寄せた。
至近距離から薄茶の瞳が私を覗き込む。
「――!?」
「……ああ、うん、そう、ルメリアだね。 やっぱり、とても綺麗。 …この深い紫紺の瞳もそのすっと通った鼻筋も朱の乗った小さな唇も、全てがルメリアで、綺麗で美しくて、そして悲しい。 だから、……だからこそ、私は貴方を救いたいの」
「……っ…」
直ぐ側で囁かれる憂いを帯びた声と、同じく憂える真摯な眼差しに、私は手を振りほどくことも忘れて。
何故彼女は私をそんな目で見つめ、そんな声で囁くのか。そしてその内容も。
完全に固まってしまった私に代わり、フェイが動いた。
「失礼します、レステート伯爵令嬢」
と、自分の体を私とシャーロット様の間に割り入れて、握られていた手を引き剥がすと私を背に隠し一歩下がった。
「……………何?」
明らかに邪魔に入ったフェイにシャーロット様の不機嫌な声が掛かる。
だけどそこは流石と言おうか、フェイは気にすることなく当然のように言った。
「主人が困っていますし、なんなら少し怖がっていますので助けに入りました」
「助け…? ……私は、ルメリアの味方よ。私だって彼女を助けたいと思ってるし、救いたいと思ってる」
「助けたいに、救いたい、ですか。
……へえ、それは何から?」
フェイの声のトーンが下がった。これはまずい兆候だ。
私はグイとフェイの服を引く。思った通り剣呑な笑みを浮かべたままこちらをチラリと見たフェイにふるふると首を振り、困ったようにシャーロット様を見た。
その動作が、向ける相手は違えどもそのままフェイの話した通りの様子となったようで、シャーロット様はグッと眉を寄せた。そしてゆっくりと口を開く。
「…わかったわ、今日はあきらめる」
言われた言葉に私はホッと息を吐いた。
けど、今日はと言った、なのでまたがあるということ。
シャーロット様の言動は気になるけれど、預言者に会おうとするならば彼女に掛け合うことが一番近道ではある。
だけど、何だろう。 フェイが言ったからではないが、言うようにシャーロット様のことを「怖い」と思う気持ちもあるのは確かだ。何が、とははっきりとは言えないけれど。
じっと見ていたからか再び目が合った。シャーロット様はニコリと笑い、そこに先ほどの憂いはない。
そして今度はいつまでも私を背に隠すフェイに視線を向けて苦い声で言った。
「帰りの挨拶くらいさせてくれてもいいんじゃない?」
私は全く退く気のないフェイ無理やり押しやり前に出る。
「重ね重ね申し訳ありません、シャーロット様」
「ふふ、別にルメリアが謝ることでもないよ」
いや、主従関係において従者の不始末は主人が持つのが当たり前なのだが?
貴族ならば当たり前のことをシャーロット様は笑い飛ばしさらりと続けた。
「ルメリアは衣装を取りに来たんだよね? じゃあデビュタントには出るんでしょ?」
「ええ、一応は」
「じゃあ会場で会えるね?」
「……はい、多分」
念を押されたように感じたのは気のせいか。
「わかったわ。じゃあまた明日、会場でね」
と、シャーロット様は気軽に手を振り部屋を出て行った。
**
パタンと閉じられた扉を二人して眺める。
「……なんか、変わった人だね…」
「さっき、何を言われたんですか?」
零した呟きには全く噛み合わない不機嫌な声が返った。
「――え?」
二人しか居ないのだから当然不機嫌な声の主は不機嫌な顔のフェイ。
「近くで、何か言われたでしょ?」
「ああ――」
フェイには聞こえなかったらしい。だけどそう言われても私自身もよくわからない。
「よくわからないことだよ。救いたいって」
「何からです?」
「だからわからないんだって」
「ふーん…?」
胡乱な目をフェイが向けてくるがこっちだって困る。わからないものはわからない。
何だか違う意味で色々と疲れてしまった。
マダムに引き止められたわけでないとわかった今、ここにいる必要もない。なので早々に店を後にした。