3.
あの後の話し。私が聞き逃したことをフェイに尋ねた。
「旦那様が言うには、レステート伯爵ってのは王都にてここ半年程で急に名を聞くようになった貴族らしいですよ」
「急に?」
「そう、急激に」
「それはその預言者って人の力?」
「そうですね、その力が本物である、…なら……」
不自然に途切れた語尾に横を見上げる。
「……フェイ?」
「――あ、…いえ。 それが、本物と仮定すればそうかもしれませんね、女主人の話しだと噂が広まり出したのも半年前だそうですし。旦那様はそう確信してるみたいですけど…」
何となく、まだ歯切れが悪い。
だけど私についてはしつこく追求してくるくせに、自分についてはのらりくらりとかわされることがわかっているので取りあえずここは流す。
「やっぱり、お母様と同じなのかしら…?」
「………」
今度こそ、フェイは何か考え込む様子で返事はない。
どちらにしろ今の段階では私がわかることなど少なく。やはりまずはあの社交的な友人に聞くのが得策だろう。
**
――ということで。
今は街にある落ち着いたカフェでその友人と向かい合い座る。
「レステート伯爵家の預言者様ねぇ…」
そして開口一番尋ねたことに友人――リッツラント侯爵様は、両手を組み合わせた上に顎を乗せ緩く笑った。
「ロイス様は知ってるんですか?」
侯爵様の正式な呼び名はリッツラント侯爵ロイス・デイキンズ――。友達なのだから名前で呼んでくれと笑顔で押し切られ、やっと最近それにも慣れてきたところ。
「知ってるし、会ったこともあるよ。前にどこかの茶会に参加した時に紹介されたねぇ」
思った通りの成果に私は振り返り、後ろに立つフェイをどうだとばかりに見る――と、今のいままで不服そうな顔をしていたフェイは、急ににこやかな顔を侯爵様に向けた。
「まぁ侯爵様は知ってるでしょうね。何たって顔が広いですから。あちらこちらの茶会や夜会から引っ張りだこでしょう? いやーホント、イケメンは大変ですねー」
「うん、何だろう? 君の言葉には何か含みを感じるんだけど」
「そうですか? 思ったままですよ」
「ふーん、そうか。ところで「イケメン」っていうのは?」
私を飛び越えて交わされる会話。含みどころか不穏を感じるのは気のせいだろうか?
私は代わって答える。
「あの、その言葉は悪い意味ではないですよ。フェイは時々変わった言葉を使うんですが、それは素敵だとか素晴らしいとかそういったもので、褒めてるんです。……だよね、フェイ」
「はあまあ、そうとも言いますね」
いや、そこははっきりと言い切るべきとこだろう。
しれっとした顔で答えるフェイに咎めるように半目を向けた後、私はさっさと話しを元に戻すことにした。
「で、その預言者という人はどんな方だったんですか?」
「うーん、そうだなぁ。ローブを被っていたから顔ははっきりとは見えなかったけど男だったよ。それに直接話したわけではないので見た目だけの話しになるけれど、別に特別でもない普通の人、という印象だったね。 それより、私としてはルメリアが何で急にそれを気に掛けるのかの方が気になるんだけど?」
「それは……、」
逆に問われて一瞬言葉に詰まる。その間に、フェイの怪訝な声が先に返った。
「男、ですか…? 女ではなく?」
「ん? ああ、あれはどう見ても男だったよ。だが何故女性だと?」
「いえ…、別に大したことでは…」
フェイは曖昧に言葉を終え直ぐに考え込むように黙る。この前と同じだ。
侯爵様もフェイのそんな様子を不思議そうに眺めていたが、待っても返らない返事に諦めて視線をこちらに戻した。
「それで、ルメリアはどうして?」
穏やかに、だけど明らかに探るような気配に、まずは元々の本題から話す。
「私はデビュタントの噂を聞いたので」
と、答えれば侯爵様は直ぐに雰囲気を和らげた。
「ああ、なるほど。そうか…、そうだよね、ルメリアも参加者だったね」
「ええ」
「うん、そう。…うん、そうだね。――ああそれで、ひとつお願いがあるんだけど?」
「お願い…?」
この話しの流れからのお願いとは?
首を傾げた私に侯爵様はゆるりと眉を下げる。
「デビュタントだけど、私にエスコートさせてもらえないかな?」
「――え?」
「――は?」
驚く声が重なった。
「…いや侯爵様、貴方デビュタントの噂について知ってんでしょう? 事故が起こるかもって。それなのに参加する気ですか?」
呆れたようにそう話すのはフェイだ。
侯爵様は前屈みだった姿勢を背凭れへと預け、いつの間にかこちらへ意識を戻していたフェイに向けて浅い笑みを浮かべた。
「それはかもだろう? 私は基本的にそういったものは信じない主義でね」
それについてはそうだとは思っていた。
今日開口一番尋ねたことへ返しも、初めて会った頃の、お母様の先読みの力を占い師の話しとすり替えて話した時も、侯爵様はそんな感じであったから。
「いや、だからって…。あ、でもルメリア様のエスコートは旦那様がノリノリだったんで無理ですね」
「ノリノリ…? ん、いや、それはわかってるよ。メインでしたいわけではなくて会場でなるべく彼女の側にいたいんだ」
「信じていないのにですか?」
「それとはまた別の話しだから」
「――別の?」
今度尋ねたのは私で、侯爵様は少しだけ困ったような眼差しをこちらへと向けた。
「駄目だろうか、ルメリア」
私の問いには触れないまま侯爵様は言葉を重ねる。
「会場で私を横に置いてくれれば防波堤にもなるよ」
「ロイス様を防波堤に、ですか?」
「一応これでも多方面に顔が利くからね」
「当日はお父様もフェイもいますけど」
「うん、それでも」
違う方向性の盾も必要だろうから。
と、侯爵様は私を見つめて言った。
ああ…、そうか。
侯爵様は他の噂――、私の噂を知っていて、尚且つそれを私には知られたくないのだ。
さっきの探るような態度もきっとその為。
…何だろう。噂とは、そう思わす程に酷いものなのだろうか?
でもこれでは侯爵様からも聞き出すことは不可能だ。私はふぅと息を吐く。
「…わかりました。お父様には私から一言話しておきます」
「ありがとうルメリア。でも私からもその旨の手紙は出しておくよ」
やっといつもの笑顔を浮かべた侯爵様。でも最後にひとつ気になったので尋ねた。
「ロイス様は今年デビュタントの身内がいるのですか?」
「ん? いやいないよ」
「じゃあ招待状が?」
デビュタントの催しにはデビュタントとなる本人とその身内、そして招待された者だけが会場へと入れる。
「ああ、そういうことか…」と呟いた侯爵様は浮かべた笑みを深めて言った。
「大丈夫、それはどうとでもなるから」
うん、駄目なやつだった。
**
最早恒例になりつつある侯爵様とのお茶会を終え、辻馬車を拾って帰ろうとしたら止められて。
「うちの馬車が近くまで来ているはずなんだ。それで送ろう。ちょっと待っていて、呼んでくるから」
そう言って侯爵様は席を立った。
結局、予言者に対して良い感情を持たない侯爵様からはそれ以上詳しいことは何も聞けなかった。
早春の午後、柔らかな日差しがカフェのサロンに射し込み、暖かなそれに零れそうになった欠伸を噛み殺して横にいるフェイを見上げる。
「やっぱり本人に会うのが手っ取り早いみたいだね」
「そんな得体の知れない相手にルメリア様が会う必要なんてないですよ」
「でも話してみたい」
そう言いながらも、何を話したいかと問われれば今は何も浮かばない。ただ会って確かめたいだけだ。預言者がお母様と同じであるかを。
そして同じであるならば、その時こそ語らってみたい。私の抱える想いと、その行く末を。お母様に聞けなかったこと伝えられなかったことを。後悔する前にきちんと、語り合ってみたいと、そう思った。
だけど、あくまでもそれは、お母様と同じであることが前提で。 ……いや、でも本当は、お母様がいい。お母様本人が。
あり得ない仮定に大きなため息が零れた。
「ルメリア様、やっぱり馬車を拾ってきましょうか?」
ため息をどうとらえたのか、気持ち弾んだ声で尋ねるフェイに私は首を振る。
「大丈夫、折角侯爵様が送ってくれるんだし、それでいいよ」
「……そうですか」
何故か不満そうだ。その不満顔がそのまま、ついと横へと流れた。
同じように追えばそこには三人の少女の姿。格好からすれば貴族のようで、年も私と同じか少し上か。
「あら、いやだわ。あそこにいるのはもしかして最近噂の方じゃあないかしら?」
「ほんとですわね。どおりで表の通りに浮かれた男たちが沢山いるわけだわ」
「ええ、姿かたちに誑かされて見苦しいったらありませんわね」
三人の会話はこちらをチラチラと見ながら言っているので、私に対してなんだろうけど。「――チッ」と横で聞こえた舌打ちに、私はフェイの服を引く。何もするなと目で訴えてから私は彼女らを見つめた。
一番最初の一人が言った言葉、最近噂のと。
「何かしら? 何か、言いたいことあるならおっしゃって結構よ」
あまりにもジッと見ていたからだろうか、一人が直接に話し掛けてきた。 なので素直に尋ねる。
「私の噂って何ですか?」
「は!?」
直球過ぎたのか相手は眉間にシワを寄せた。だけど貴族らしい婉曲された会話は私は得意ではないし、自分のことに対してなら気を使う必要もない。
「………馬鹿にしてるの?」
「いいえ、本当にただ知りたいだけ」
図らずしも聞きたかったことが聞けるチャンスだ。率直に告げれば三人は共に険しい顔をした。
「――ふん、なら教えて差し上げましょうよ皆様」
と、三人が語りだした内容は。
届く恋文は返信することもなく破り捨て。 将来有望であった伯爵子息を痴話喧嘩の末に馬車から突き飛ばし怪我を負わせた。
ただ話し掛けようとした人たちは従者をけしかけて蹴散らし。 愛を誓い合った恋人たちの仲を裂いたのは数知れない。
そして今は麗しき侯爵をあの手この手で籠絡中であると。
間違っているとこもあれど、間違っていないとこもある。
シャウセマン卿であり、マデリーンとデリックであり、友人リッツラント侯爵様。話しから直ぐに思い浮かぶ顔。
「それに――」と、内の一人が続けた。
「今回デビュタントの不吉な噂も、貴方のせいで起こると聞いたわ」
「私の?」
「そうよ。私はレステート伯爵家のご令嬢シャーロット様の友人なのよ。だから預言者様とも親しいの。おかげで色々と聞かせてもらったわ」
「色々と…」
「デビュタントが始まりだって。これから貴方はどんどん悪女の道を進むんだって、そう言っていたわ」
「え……」
「貴方、何れこの国を滅ぼすそうよ」
「―――!」
私は大きく目を見開き、直ぐにフェイを振り仰ぐ。見返すフェイの視線も厳しい。
やっと動揺を見せた私に気分を良くしたのか、少女たちは嘲るような笑みを浮かべた。
「まあ、国を滅ぼすなんて、それは流石に言い過ぎだとは思うけど」
「へえ、何が言い過ぎだって?」
「「「――!?」」」
突如加わった声に振り向いて言葉を失う三人。
いつの間に戻ったのか、彼女らの後ろには侯爵様がいて。 侯爵様はとても綺麗に口角を上げ、なのに青い瞳は全く笑っていないという笑顔で三人を見やると、先ほど自分がした質問など無かったかのように「――失礼」と言って横を通り過ぎた。
本人も前に言っていた通り、リッツラント侯爵という名とその容姿は、やはり人気があるのだろう。ある種、貴族特有の一瞥を受けた三人は慌てて取り繕う言葉を並べるが、それにはもう見向きもせずに「馬車が来たから行こう」と私とフェイを促した。