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違うものを違うまま受け入れることはできないか

作者: ダイナマイト山村

この文章は矛盾している。


この文章を読んで心を痛める人がいるであろうからだ。


この果てしのない悲しみはどこから生まれるのか。


感情である。





あなたの感情で傷つきました。


という言葉はとても暴力的だとおもう。


あなたの言葉でいやな気持になりました。


というのは決して発するべきではない言葉だと思う。


しかし、なかなかどうしてよくあることだ。


自分は、加害者にも被害者にもなりえる。


というか、なり続けているはずだ。


ほんの些細なことで傷ついたり。


意図せぬ単語に引っ張られたり。


感情というものは人を傷つけるし、人に傷つけられる。


という前提を当然もち。


なるべく他人を傷つけないように、なるべく己が傷つかないように配慮することが大切だ。


相手の気持ちを考えたことがあるか。


という言葉は、人に絶対に言ってはいけない。


人はどれだけドライだとしても、、人はどれだけ残酷だとしても、心があるからだ。


心は傷つく。少し立ち止まればわかることだ。


だからと言って傷つけることだけが悪いわけではない。


ならば、結果は結果論。それはそれで受け入れざるを得まい。


だが、感情をなるべく排し、ロジカルに会話ができることが大切だ。




感情を大切にするために、なるべく感情で語らないということが重要だと思う。


そうである人がいるということは、そうでない人がいるということだ。


この論理自体、そう思わない人がいるだろう。


それはそれでいい。


だが、そう思う人もいるだろう。


それもそれでいい。


そう思わぬ人を排除し、そう思う人で固まることは思わしくない。


それぞれでいいだろう。


個人が個人で考え、感じればいい。


多数派に立つ必要も、少数派に立つ必要もない。


そう思う。


そういうことだ。


それは他者の意見を放逐していることではない。


それは自分の意見が絶対的だということではない。


これは、意見だ。


当然誤りもある。


ならばロジックで説得はありえよう。


その考え方が好きか嫌いか。


それもあろう。


しかし、それは知らない。


これは暴論だろうか。


ならば、私のそう思うを納得せずに捨てればいいということだろうか。


それは、私から言わせれば暴論だ。


暴論同士の水掛け論。


なぜか。


その意見を採用しているのは、感情だからだ。


そうしたい。


そう思いたい。


だから感情は排すべきだと思う。


恋人に振られた。


上司に怒られた。


親兄弟が死んだ。


うんこを踏んずけた。


車をこすった。


そんな関係のない出来事で、心が摩耗しているとき、普段何気ない言葉に傷つくことがある。


その感情を肯定すべきか。


自分の中においては大いに肯定するがよい。


自分の気持ちを分かってあげられるのは自分だけだ。


理屈などどうでもよい。


その気持ちを大切にしてあげたまえ。


こと、他者とのコミュニケーションにおいてはどうか。


感情を肯定することが正しいとは、私には思えない。


出てしまうものは仕方ないし、結果はどちらでもいい。


それは人間だから。


だが、心構えとしては感情を出すまいと食いしばれる自分でありたい。



誤解を恐れず極論を突き詰めれば


いじめようといういじめ


殺そうという殺人


殴ろうという暴力は


事前に分かれば全力で食い止めるが、結果としては肯定する。


それは意思だから。


ただし加害者側はそれに対する応報を受けるがいい。


それも覚悟のうちだろう。


ただし意図せぬいじめ


意図せぬ殺人


意図せぬ暴力


これは根絶せねばなるまい。


そんな理想論は無理だが。


その気概を見せねばなるまい。


感情の排除はその一助になるだろう。


ということはおかしいのだろうか。


こと社会生活においてこのような極論をぶつことで、敵対者が生まれることはあるだろう。


当然、日常生活でいうことはない。


こと議論の場で論じることはどうだろう。


かまわないと思う。


違うと思うならば、思えばいいし、いやだと思うなら思えばいい。


それは拒絶や断絶ではなく、それをそれと受け止める決意である。


説得したいのであれば、理屈で説得すればいい。


感情で来られたら感情で答える。


それもいいが、それでは戦争だ。


議論の場ではより論理的な説得を試みていただけるよう期待する。


それも私の持論だ。


否定はかまわない。


再三書いているが、否定や批判はあってしかるべきなのだ。


何なら議論の場で扱うのなら、議論しよう。


ただ、そう思うだけだ。


とはいえ、感覚的に受け入れずらいことなのだろうとも思う。


そうなれば議論の場ですら沈黙するが吉。


言わなければわからない。


存在しない。


内に秘め、死んでいけばいい。


誰にも迷惑をかけずに。


そういうことだ。


この文章は矛盾している。


内に秘めるべきと結論した内容を白日の下にさらしているのだ。


なんと人間臭い生き物だろう。


書かざるを得ないのだ。


暴力であろうと。


なんと醜い。


なんと品性下劣な文章か。


あぁ。


人とは。


いやちげーよ。


お前だ自分。


死んでしまえカス野郎。


そんなこと書きながら今晩のおかずを考えるくらいに。


私は平和な世界で生きています。







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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 正直、感想を書くか悩みました。 批判ではなくただ自分の感じたままを書くことも誰かを傷つける事になってしまう事があるのだな。自分から何かを発する事はとても怖いな…と…
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