お菓子とランチと同僚と
翌日。
定刻通りに王城に出仕したライナスは溜まった書類をバリバリと片付けていたが、昼休みを知らせる鐘が鳴り響くと、ぴたりと火が落ちたかのように止まった。
「アーノルド?」
「……エイムズ」
パーシヴァル・エイムズは、ライナスの同期だ。
彼らは二人とも同じく宰相補佐の役目を仰せつかっていて、名門伯爵家の次男であり生まれも育ちも似ている為友人と言って差し支えない関係だった。
エマによく似た亜麻色の髪に、濃い緑色の瞳を持つ飄々とした笑顔の男である。
「昼休みだぞ、飯に行こう」
パーシヴァルに促されて、ライナスはのろのろと立ち上がった。
王城で働く者が利用出来る食堂は、昼時でごったがえしている。首尾よくテラスの席を押さえることが出来た二人は、小さな卓を囲んで食事を始めた。
外は天気が良く、庭の向こうの回廊はきちんと身分を証明出来れば平民でも入ることの出来る共用区域で学者や仕立て屋などが行き交う姿も見えた。
「何か今日暗いな。昨日は君の英雄姫とデートだったんだろ、もっと浮かれてるかと思ってた」
肉団子の入ったボリュームたっぷりのスープにスプーンを入れながら、パーシヴァルが首を傾げる。こちらは肉と野菜を挟んだパンを頬張りながら、ライナスが銀の瞳でじろりと彼を睨んだ。
「彼女をそう呼ぶのはやめろ」
「なんでさ。君の英雄で、お姫様だろ。それとも何、エマ嬢って呼んでいいのか?」
ニヤニヤと笑うパーシヴァルに、ライナスは首を横に振る。揶揄われていることは分かるが、エマに関することで退くわけにはいかないのだ。
「駄目だ。彼女の何かが損なわれる気がする」
「失礼だな、君……」
パーシヴァルが頬を引き攣らせたところに、
「ライナス様」
こそっ、と声が掛かった。
見ると、侍女を従えたエマがテラスの欄干の向こうから手を振っている。
「エマ」
驚いたライナスは、小さく彼女の名を呼ぶ。
春に似合う淡い色のドレスに小さな帽子を被った彼女は、ライナスを見上げ柔らかく微笑んだ。
「お邪魔してごめんなさい。向こうから、ライナス様が見えたからつい」
この小さな体で、不自由な脚でわざわざこちらまで来てくれただなんて、何て嬉しいことだろう。彼は昨日ホルン子爵の所為とはいえ、彼女の愛らしい耳を汚す無礼を止めることが出来なかったし、昨日会ったばかりでまた今日屋敷に押しかけるのはあんまりに余裕がないと自粛していたのだ。
つまり、会えて嬉しい。
「邪魔なわけがありません、今そちらに」
「おい!」
ライナスがすぐさま欄干を越えようとすると、エマは驚いて目を丸くした。パーシヴァルもぎょっとする。
「いけませんわ。たまたまお見掛けしたので、お声を掛けただけなんです。ごめんなさい、もう行きますから、おやめになって」
欄干についたライナスの手を宥めるように小さな手が触れる。それから、思いついたように侍女の持つバスケットを示した。
「この後、孤児院に慰問に行くんです。その為に朝から屋敷の料理人と一緒に作ったのですが……お仕事の合間に、よかったらどうぞ」
綺麗に包まれた焼き菓子の包みをライナスの手に乗せて、エマは首を傾けた。だから、欄干を越えてくれるな、というサインだ。
菓子をもらって誤魔化される男ではないだろう、とパーシヴァルはエマのいとけなさに呆れたが、驚いたことにライナスは素直に頷いたのだ。
「……あなたが、これを?」
「あら、領地では一人で作ることもありますわ。それに……今日は料理人と一緒に作ったので、味は確かです」
疑われたと感じたのか、エマの形の良い眉がむっ、と寄る。
「いえ、疑ってなどいません……後で戴きますね」
ライナスはふんわりと幸福そうに微笑む。
途端、彼らの後ろでキャーッ! という悲鳴が起こった。エマは驚いて侍女にしがみつき、ライナスは反射でエマを守ろうと欄干を越えそうになった。
「落ち着け、普段笑わない君の笑顔にダメージを食らった連中の悲鳴だ」
「……私が何をしたというんだ」
パーシヴァルの言葉に、ライナスは顔を顰める。
驚いた所為でどきどきと高鳴る鼓動を鎮めつつ、エマはもう一つ菓子の包みを手に取った。
「あの、もしよろしかったら……拙いものですけれど」
彼女はそれを、パーシヴァルに差しだす。
「え? 僕にもくれるんですか? ありがとうございます! 英雄姫」
「えいゆう? ……あの申し遅れました、私」
彼の言葉に、エマは不思議そうにライナスとパーシヴァルの顔に視線を走らせた。ライナスが何が言う前に、パーシヴァルの方が喋り出す。
「知ってます。こいつの婚約者で命の恩人、エマ・ウィンストン嬢でしょう? 僕はパーシヴァル・エイムズ、この堅物の同僚ですよ」
「エイムズ様……ドーザ伯爵家の方ですか?」
「ええ、次男です」
パーシヴァルはすらすらと言い、エマの手を菓子ごと握った。すかさずそれをライナスが弾き飛ばす。
「触るな、減る」
「君、本当に失礼だぞー?」
パーシヴァルが笑って流すのを目を白黒させて見ていたエマだったが、ようやく落ち着いて淑女然として微笑んだ。
「エイムズ様。ライナス様がいつもお世話になっております」
婚約者として挨拶すると、ライナスは嬉しそうに眉を下げた。パーシヴァルは下品と自覚しつつ口笛を吹きたそうに唇を尖らせる。
「いえいえ、彼のことは僕にどーんとお任せください」
「まぁ、頼もしいですね。……それであの、英雄姫というのは……?」
ことん、とエマが首を傾げると、ライナスが言葉を引き取った。
「エマ、時間は大丈夫なのですか?」
わざとらしい程の話題転換だったが、ちょうど昼休憩の終わりの鐘が鳴り響き彼女は慌てる。脚が悪いので移動に時間がかかる彼女は、人よりも余裕を持って行動する必要があるのだ。
「いけない。お話の途中でごめんなさい、ライナス様、エイムズ様」
エマが侍女に合図をすると、彼女は心得たように道を開ける。ライナスは城の出口までエマを送りたくてたまらなかったが、彼にもこの後仕事がある。
「エマ、気をつけて。お菓子をありがとうございます……会えて、嬉しかったです」
真っ直ぐなライナスの言葉に、エマは頬を赤らめてはにかむ。
めいめいに別れの挨拶を告げて、回廊の向こうに去って行く小さな背中をライナスはじっと見つめ続けていた。そんな彼をパーシヴァルは半眼で見遣る。
「ぞっこんだなぁ、なんで告白しないんだ?」
ライナスは、彼と共に酒を飲んだ際にうっかり胸の内を漏らしてしまったことを、日々後悔している。弱みを握らせてはいけない男に明け渡してしまったからだ。
「……何度も言わせるな。立場上、私が愛を告げたところでエマには断ることが出来ない、そんなことは強制と同じだ」
「フゥーン」
「……寄越せ」
カンジの悪い返事をするパーシヴァルの手からエマの手製の菓子の包みを奪うと、自分がもらった分と共にしっかりと持ってライナスは食堂を出て行く。独占欲も露わな同僚の珍しい行動に、緑色の透き通った眼を丸くしていたパーシヴァルだったが。
「強制になるかねぇ……?」
首を大袈裟に傾げる。
ライナスが微笑んだ所為で食堂にいる女性達が悲鳴を上げた際、エマが咄嗟に助けを求めるように縋ろうとしたのはライナスだった。危険を察知した瞬間というのは、本音が出るものだ。
エマが咄嗟に縋るのは、侍女ではなく欄干の向こうにいるライナスなのだとしたら。
境界を越えて、愛を告げることは案外ハッピーエンドに繋がっているのではないか、とパーシヴァルは推理するのだが。
「しかしまぁ、菓子を取られた恨み分ぐらいは助言を噤んでも僕に罪はないだろう」
ニヤリと笑った男は、実は結構な甘党なのだった。