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臆病者の溺愛  作者: 林檎
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歌劇場に杖

 数日後。

 エマはライナスにエスコートされて、オペラを鑑賞する為に歌劇場を訪れていた。夜の闇に浮かび上がる豪奢な建物とたくさんの灯り。そこだけが、ぽっかりと夢のように美しい。


 侯爵家の馬車は快適であり、一応杖を持ってきたもののエマは席に着くまで彼の完璧なエスコートのおかげでそれに役目はなかった。


 しかも、その杖も普段エマが屋敷で愛用している無骨な木のものではなく、この日の為にライナスから贈られた美しい装飾品のような逸品である。

 勿論、ドレスや髪飾りなどの装飾品も一緒に贈られてきた。日がないので既製品に手を入れたものになったことをライナスは悔やんでいたが、手持ちの地味なドレスで行こうとしていたエマには目が回るような展開だった。

 そして、その杖である。軽く頑丈な木材をベースに作られ、精緻な彫刻に女性の好む色に塗装、挙句の果てには握りの部分に、輝く小さな宝石までもがあしらわれていた。どう見ても特注品だ。

「……素敵な贈り物をありがとうございます、ライナス様」

 他に人のいないボックス席の座席の為、相変わらずエマはライナスの膝の上に座らされている。付き添いの侍女以外はその場に誰もいない為、エマも随分と砕けた気持ちになっていた。

 歌劇場のホールは人がごった返していて、エマにとっては緊張を強いられる空間だった為、今いつも通りの体勢でいることは認めたくはないが彼女をリラックスさせてくれている。


「喜んでもらえてよかった。この杖ならば、ドレスに合わせていても違和感がないでしょう?」

 ライナスはうっとりと可憐な婚約者を見つめた。

 薄い青で統一されたドレスを着た彼女は、まるで妖精のようだ。光沢のあるシルクのリボンもよく似合っている。

 ドレスを贈る際は自分の色を混ぜたかったけれど、淡い色彩の似合う彼女にライナスの持つ色は強すぎる。急だったものの王室御用達の仕立て屋の既製品を用意させたが、大切な彼女に贈るには不十分な気持ちがあり、そして不満もあった。

 是非次回の約束も取り付けて、その際はライナスは存分にエマに相応しい装いを誂えたかった。杖だけは元々プレゼントするつもりで用意していた為、満足のいくものが贈れたのは彼にとって唯一の僥倖だ。

「ええ、とても素敵です」

 ライナスのほっとした様子が少し可愛らしくて、エマも自然と微笑む。

 脚が悪いから、というよりも飾りで持っているかのように見える杖は確かに素晴らしく美しい。それ以上にエマは、ライナスのその気持ちこそとても嬉しかった。


 だけど、と彼女は思う。

 右脚が動かないことを気にして、エマは王都の社交に出ないわけではない。社交に出る必要がないことと、単純に煩わしいからだ。

 それを、馬車を降りてからこの部屋に辿り着くまでの短い時間で嫌という程再確認させられた。


 五年前から今に至るまで、エマとて元より好んで王都滞在中に屋敷に引き籠っていたわけではないのだ。

 件の園遊会ではしゃいだ気持ちも当然、そしてライナスを助ける為に飛び込んだ行動からも分かる通り、少女の頃のエマは人並に社交界に興味があったしどちらかというと活動的な子供だった。

 片方の脚が動かないなんて何のその、事件のすぐ後も王都に滞在している期間は積極的に外に出て行っていた。


 しかしライナスは当時も今も、社交界の注目の有望な貴族男性だ。

 その彼を、片脚を引き換えに射止めた令嬢。そんな風にエマのことを穿った目で見る者も多く、そして実際口さがない彼らに直接揶揄されることもあった程だ。

 今にして思えばエマもライナスも悪くないし、そんなことを子供に言ってくる者の何と恥知らずなことか、と思えるけれど、当時のエマにとってはショックなことだった。

 良かれと思って行動したことが結果的にライナスの命を救い、そのこと自体は誇りに思っていたというのに、その命を救った当人がパッとしない子爵家の平凡な女児だった所為で、将来有望な青年の未来にハンデを負うことになってしまった、と周囲には考えられていたのだ。


 勿論そんな考えの者ばかりではないだろうけれど、幼いエマを引き籠らせるには十分なダメージだった。

 以来、彼女は王都滞在中はほとんど大人しく屋敷に引き籠って過ごしている。


「この杖を持ってならば、また他の場所に出掛けることに誘っても頷いてくれますか?」

 ライナスが尋ねると、エマは無言で微笑んだ。

 年を重ねてなお、増々魅力的な婚約者であるライナス。

 歌劇場の入り口でも、彼に視線を送る女性は大層多かった。そしてその隣にいる平凡なエマを見て皆五年前の出来事を思い出し、まだあの子供は侯爵子息を独占しているのか、という敵意の目を向けてきたのだ。

 今のエマはそれが下らない嫉妬だと分かる。けれど、ライナスの足枷であることも事実であった。


「……そうですね。この杖があれば、きっと社交に赴くことが出来ます」

 一人でも。

 そう思った言葉だけは、彼女は声に出さなかった。

 いつまでも恩を笠に着て、有望な男性を縛り付けておくことは誰の為にもならないだろう、とエマは考える。立場に甘えることなく、いい加減ライナス離れしなくてはならない、と強く感じていた。その思いは年々強くなっていく。

 つい彼の側は居心地が良くてライナスの好意に甘えてきてしまったけれど、もうエマから解放してあげるべきだ。


 婚約を、破棄すべきだった。


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