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臆病者の溺愛  作者: 林檎
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雨と魔術師と、苦いお茶

 

 春先に降る雨は、甘い空気を含んでいるかのようだ。

 窓の外、美しく整えられた庭園を青く彩る雫をエマはその青い瞳に映していた。


「では、今日の健診はこれで終了です」

 ぱちり、と魔術的な計器の入った箱の留め金を閉じて、コダ・ブレークは穏やかに微笑んで言った。

「ブレーク卿、いつもありがとうございます」

 ほっとしてエマは礼を述べる。

 場所は王城。エマは社交界シーズンにライナスに会う為に王都に来た際には、複数回に渡り右脚の健診を受けていた。

 ただし彼女の脚を診るのは医者ではなく、魔術師。彼らの目的は、今年もエマの脚に罹ったままの呪いが停滞していることを確認することだ。

 その中でもほぼ毎回経過を観察してくれているのがこのコダで、彼は年の頃はライナスと同じぐらいで薄い茶色の髪と同じ色の瞳、穏やかな気性で五年前まだ幼かったエマにも親切に接してくれた魔術師だった。


「何か変わったことはありませんか? 気温が下がると痛みがあるとか」

 計器を片付けたコダは、いつもの確認の質問をしながらエマにお茶を淹れてくれる。

 魔術師自身が配合した薬草茶は変わった香りがして実はエマは苦手なのだが、体にいいと言われると断ることが出来ない。砂糖は普段よりも少し多くいれるようにしていた。

「いえ、特には。痛みもありませんし、逆に動く兆候もありません」

 エマは曲がりなりにも貴族令嬢だが、ここには呪いに罹った者として来ている。彼女が座る固い座面の木製の椅子は、魔術師達の研究室にたくさん置いてあるものの一脚で、令嬢として育った彼女には固すぎて初めての頃は戸惑ったものだった。

 それが五年経った今となってはこの固い椅子も、ライナスの固い膝の上にも慣れるのだから、人というものは順応性が高いものである。

 侍女と護衛代わりの従僕が付き添ってくれているものの、エマは五年前から自らがしっかりとコダに対して受け答えしていた。自分の体のことなので、自分できちんと説明を聞きたかったし、逆に疑問があればささいなことでも確認するようにしていた。

 コダはエマの答えに頷き、さらさらと書類に書き足していく。蒸らされている茶葉が踊る様が、ガラスのポット越しに見えた。

「……では、他に何か気になることはありますか?」

 続いて、こちらも定型文のような質問である。

 毎回、エマはありません、と答えていたが、今日は珍しく口ごもった。それを見て、コダは首を傾げる。

「何か、気になることがおありなんですね? エマ様……アーノルド卿との間で、何かありましたか?」

 五年前の一件は、王城に勤める魔術師ならば皆知っている。当時新人だったコダも、園遊会の会場の警備として参加していたのだ。

「え? いいえ、ライナス様は……とても良くしてくださってますわ」

 ほんのりと頬を朱に染めたエマは、コダの淹れてくれた紅茶のカップの縁に視線を落とす。長い睫毛が扇のように広がり、彼女の薄い青の瞳を曇らせた。


「……本当ですか。何か悩みがあるのでは?」

 コダが尋ねると、エマは首を横に振った。彼女は、何故彼がライナスとのことをそこまで心配してくれるのかが分からなくて困惑する。

 これまでは魔術師とその患者として節度ある距離感で接してきたというのに、珍しく立ち入ったことを聞かれている、と感じたのだ。

 コダは、エマを五年前の幼いままの少女のように感じているのだろうか。だから、優しくて親切な彼は兄のような気持ちで何か困ったことが起きていないか聞いてくれているのだろう、とエマは考えた。

 そんなにライナスのことばかり考えてしまっていて、表情に出ていただろうか、と彼女は恥ずかしくなって自分の頬に片手で触れる。ひんやりとした肌はよく知る自分のそれで、当然答えは出ない。

 とにかく、エマの変な態度の所為でライナスに失礼な噂などがたっては申し訳ない。ここはきちんと伝えておかなければ。

「いいえ。悩みなんて。これほど良くしていただいているのに、悩みなんて抱いていたら罰が下りますわ」

 そう言って微笑んでみせると、コダは目を細める。

「ですが……では他に何か、気になることがおありなのは、確かですね?」

 改めて訊ねられて、エマは眉を寄せた。穏やかにみえて、コダは鋭いのだ。

 そう、実は出来れば魔術師にこの呪いについて、彼女はもう少し詳しく聞いておきたかった。しかし今更呪いに興味が湧いたなんて怪しいし、このように多くの人が行き交う場では聞くのが少し憚られた。


「その……いくつか質問がしたいのですが……」

 エマが言葉を探していると、コダの方が察してくれる。

「……分かりました。では、十日後にまた経過を診させていただきますので、その時は子爵家のお屋敷の方に伺いましょう」

「! ……ご足労いただいて申し訳ありません」

 願ってもないコダの申し出に、エマは飛びつく。

 ただ、わざわざ屋敷まで足を運ばせてしまうことは申し訳なかった。

「いえいえ、脚の悪いあなたにいつも来ていただいているんですから、大した手間ではありませんよ」

 コダが快く請け負ってくれて、エマはほっと安堵の溜息をつく。

「ありがとうございます、ブレーク卿」


 外では静かに雨が降り続いていて、部屋の中はほんのりと暖かかった。




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