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臆病者の溺愛  作者: 林檎
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ライナスと想い人

 

「ライナス様……」

 エマが困ったように眉を寄せると、ライナスはそれを吹き飛ばすように笑顔を浮かべる。

「この前あなたが読んでいた小説の、新しいものが出ていたのでお持ちしました。王都だと、早く手に入って便利でしょう?」

「わぁ! 本当に。ありがとうございます!」

 現金にもすぐに懐柔されてしまうエマである。本に罪はないのだ。

 社交界に出る必要のない彼女が、それでも社交シーズンに領地から王都に来ているのは、ライナスと過ごす為だ。ライナスの方は王城勤めの為、一年を通してほとんど王都に滞在しているし、彼自身がエマに会う為に子爵家の領地に赴く時間がない。

 彼女にばかり出向かせていることを申し訳なく感じていて、こうして王都に来てくれたことへのメリットを何とか彼女に感じて欲しい、と彼は考えていた。

 それというのも、ライナスには後ろめたい気持ちが大いにあるのだ。


「エマは本当に読書が好きですね」

「ええ。本の中では、私は冒険家にも科学者にも、王女様にもなれますもの。とても楽しいです」

 頬を紅潮させて微笑むエマは、可愛らしい。


 エマは正義感からたまたまライナスを助けてくれた、命の恩人である。五年前にはそのことに対する感謝と義務感があり、大急ぎでエマに求婚したライナスだった。

 そのこと自体に後悔はない。

 だが、毎年こうしてシーズンを共に過ごす幼い筈の婚約者は、彼が少し見ない内にどんどん綺麗になり、どんどん魅力的な淑女へと成長していってしまった。

 当時は年齢差や身分差を差し引いても、命の恩人への対価として自分を婚約者として差し出し彼女と彼女の家族の面倒を見ることは恩返しになる、とライナスは考えていた。

 しかし今はどうだろう。

 エマは、右脚こそ未だに動くことはないが、それでも美しく素晴らしい令嬢へと育った。控えめだが芯が強く、読書量のおかげで知識も豊富。社交界のアクの強さに染まっていない所為で、楚々とした魅力がある。

 世慣れない、儚い美貌の令嬢。

 脚とて右が動かないだけで、普段は杖をついて自力で行動している。ライナスが当時感じたほどエマの状況は悪くはなく、そして今や魅力的な女性であるエマに対してライナスが婚約者である、ということはメリットになり得ているのだろうか?

 彼女がもし社交を始めれば、男達はこぞってこの儚い花を求めるだろう。それに見合うだけのものを、ライナスはエマに与えることが出来ているだろうか?

 例えば婚約者の位置を退き、金銭的な援助や社交界での後見などを引き受けた方が、エマにはよほどメリットとなるのではないだろうか?

 年々美しく成長する婚約者に、ライナスは悶々と悩む日々だった。


 しかしそう考えつつも、ずるずると婚約を続けてしまっているのは、ライナスがエマに恋をしているからだ。


「読書も結構ですが、せっかく王都に来ているのだからどこかへ出掛けませんか? オペラなど、ボックス席なら気兼ねもいらないでしょう」

 彼が提案すると、すぐにでも本を開きたげにもじもじしていたエマの薄い水色の瞳が丸くなる。

「ライナス様、この前の巻をお読みになったのですか? 主人公とお相手役の騎士がオペラを見に行くシーンがあるんです」

 少女の好む恋物語を読む趣味は、ライナスにはない。だが、普段どんな社交に誘っても脚が、と控えめに断るエマが珍しく食いついてくれたことは僥倖だった。

「では、チケットを用意しましょう」

 彼はすかさず約束を取り付ける。


 勿論、五年前のあの当時からライナスがエマに恋慕していたのではない。

 あの頃は自分を死の運命から救ってくれた勇敢な少女のことを、ヒーローのように、そして妹のように感じていただけだった。自分の所為で、まともな縁談も来ない身になってしまった少女。彼女を手助けしたい一心で婚約を申し込んだ。

 その内、思い合う相手がエマに出来ればそっと婚約を解消して応援しよう、と思う気持ちさえあった。

 それが、今やどうだろう?

 一方的にライナスの方から強いた関係だと言うのに、毎年きちんと会いに来てくれて惜しみない信頼と笑顔を向けてくれる愛らしいエマ。彼女の存在に、命だけではなく心まで救われたのはライナスの方だった。

 魑魅魍魎の跋扈する王都、王城で日々神経をすり減らすライナスにとって屈託なく自分を兄のように慕ってくれるエマは癒しであり、女性として美しく成長する過程を見る内に自然と恋慕を抱くようになっていったのだ。

 五年前はヒーローだった少女は、今やライナスの想い人だ。

 しかし、ライナスは自分はもはや結婚適齢期を過ぎたオジサンだと考えている。

 それは自分の代わりに呪いを負った幼い婚約者と結婚出来るまで年数を待っていた為なのだが、そうなると現在の自分はエマにとって魅力的な存在ではないだろう、と自覚していた。


「楽しみです……! 淑女の嗜み教本を読んで、マナーをおさらいしておきますね」

 エマが子供のように頬に笑窪を作って嬉しそうに笑う。物語の主人公と同じ体験が出来るのが嬉しいのだ。

「そんな必要はありません、あなたは立派な淑女ですよ。エマ」

 彼女の脚が健勝ならば、本当はもっと体験してみたいこともたくさんあるだろう。エマの幸福を奪ってしまっている罪悪感と、そのおかげで彼女を留めておけている後ろめたい幸福感にライナスの心の裡は複雑に絡み合っているのだった。



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