彼女の為の鳥籠
ロブの作ってくれた温かくて美味しい朝食を戴き、エマの支度が万端整った頃。
まるで見計らったかのようにコダが屋敷を訪れた。彼は玄関で雨の雫を払い、きちんと魔術師のローブを着てから使用人に応接室まで案内を頼む。
基本的に、城内であろうと城外であろうと魔術師として仕事をする場合は制服扱いのローブを着こむことが規約なのだ。
「ご足労いただいてありがとうございます、ブレーク卿」
応接室で彼を迎えたエマは、侍女に支えられながら挨拶をする。コダはすぐに彼女に座るように言って、自分も持ってきた健診用の荷物を置いてソファに座った。
「いえ、元々予定に入っていたのですから何てことはありませんよ」
そう穏やかに笑いながら、コダは屋敷を観察する。
廊下にはあちこちに取り付けられた真鍮の手摺り、いつでも休憩出来るように芸術品のような椅子が等間隔で配され、転んでも怪我をしないように配慮された柔らかな絨毯。使用人達は皆エマのことをさりげなくフォローし、万が一にも怪我をしないように気を配っている。
この屋敷が丸ごと、エマを守る為に作られたライナスの強く重たい愛情のようだった。
「…………ここは息苦しくないですか、エマ様」
「え? いいえ。あの……暑いですか? 窓を開けましょうか」
こういう時エマは自分で動こうとするので、素早くメイドの一人が窓に触れた。それを見て、慌ててコダが手を振る。
「いえいえ! それには及びません。……エマ様が問題ないようでしたら俺は別に」
「そうですか? ご遠慮なさらないでくださいね」
気づかわし気にエマが言う後ろで、控えているジルは内心苦笑していた。ライナスの造った美しい鳥籠。外から見ればその意図は明白なのだろう。
美しくか弱い小鳥を大切に囲っておく為の甘美な檻だ。しかし、エマはその中からしか見ていない為ライナスの意図にも真意にも気づかない。
焦れったく感じる時もあるが、恋心を告げるのは本人の口からでなくてはいけない。そしてライナスがそれを告げることが出来ない負い目も、ジルにはよく分かっていた。
いつかその捻じれが綻び、主の想いが届くことを侍女としては切に願うばかりである。
「……では、さっそくですが右脚を診せていただきましょう」
コダの声に、エマは頷く。
今日は屋敷内なので柔らかな室内履きしか履いていない足元に、ジルが跪いて靴を脱がしてくれた。
「ありがとう、ジル」
侍女が下がると、今度はコダが膝をついてそっとエマの脚に触れる。彼の手はひんやりとしていて、ライナスの温かな掌との違いにハッとさせられた。
漠然と恐ろしくて戸惑っていると、ジルが手を握ってくれる。ホッとしたものの、エマはそれでもどうしようもなく診察結果を聞くのが恐ろしい。
早く報せが届いて、ライナスがこの場に来てくれたら、と思わずにはいられなかった。
しかし残念ながらライナスはこの場にはおらず、コダが持参した道具を使って細かく調べている間、代わりにずっとジルがエマの手を握ってくれていて、とても有難かった。
一方、王城。宰相執務室の隣にある、補佐の為の部屋。
城の衛兵に案内されてやってきた、自分の屋敷の使用人の姿を見てライナスは眉を寄せた。こんなことは初めてだったし、今現在その従僕が仕えている相手はライナスの大切な人だ。
「ライナス様……!」
駆け寄ってきた従僕にライナスは落ち着くように言って水を渡しつつ、耐え切れなくてこちらから切り出してしまう。
「エマに何かあったのか」
「お嬢様の御身はご無事です……むしろ朗報、かと」
「どういう意味だ」
ライナスが厳しい顔つきで言うと、彼の屋敷の使用人は息を整えて語った。
「エマお嬢様の、右脚の呪いが解けたとのことです!!」
「!」
ぴく、とライナスは体を震わせ、隣で何事かと聞いていたパーシヴァルが歓声を上げる。
「本当か! おい、やったな、アーノルド!」
「ああ……それで、今エマは屋敷に?」
信じられない気持ちで、ライナスは従僕に尋ねた。何の兆候もなく、突然の出来事にさすがに思考が追い付かない。
使用人の彼は主に朗報を伝えられた安堵と、純粋にエマの呪いが解けたことを喜んで満面の笑みで返事をする。
「はい! 安静にしておられます、幸い今日は魔術師の方が屋敷を訪問してくださることになっていたので、今はその方をお待ちになっておられるかと」
「魔術師? ああ、いつも診てもらっているんだったか」
パーシヴァルがうんうんと相槌を打っていると、ライナスはばたばたと上着を着こみ始めた。幸い、出仕してすぐに最優先の書類の処理が終わっている。
「エイムズ。頼みがある」
「任せろ、今日の業務は僕が代わりにこなしておいてやろう。貸しだからな」
パーシヴァルはぱちんとウインクを決めて、もう部屋から飛び出しそうなライナスの背中を叩いた。
「すまない、感謝する」
それだけ返すと、もうライナスは振り返ることなく使用人の青年と共に部屋を出て行ってしまう。
その背を、ひらひらと手を振っていたパーシヴァルだったが友人の幸福を祈ってから、倍に増えた仕事を見て、ヤレヤレとため息をついた。