90 : それぞれの場所で
──三週間前──
「今回の戦いで、それぞれが散って、みんなこれだけぼろぼろになった。だから、ひとりでも十分に戦えるくらい強くなりたいんだ」
あの日、一同が揃った病室でヴァイス坊っちゃんはそう言った。反論をしようにも、実際皆怪我をし、四名が入院というざまなのだ。
「前のハルピュイアのときだって、下手したら死んでた。こんな戦いを続けてたら、深層までは辿り着けない」
坊っちゃんは今回で負った怪我を撫で、それから脇腹を擦る。沈黙を破ったのはロート嬢。横たわったまま手を伸ばし、口を開く。
「アタシも。今のままじゃ、いけない。こんなボロボロになるとか、屈辱以外のなんでもない!」
肋骨三本、右太腿、全身の擦過傷。今回最も重体な彼女は、そう叫ぶ。
「僕も」
シュヴァルツさんも挙手。
「改めて僕は、まだまだ弱いと実感した。得意な炎以外、中途半端以外の何物でもない。ロゼの加護がなければ走れもしないし、背負われる荷物でしかない」
「俺だって! 少しは魔法を使えるようになりたいっす!」
「俺も、もっと腕を上げたい」
「ボクだって! リヴァイアサンくらい、一撃で吹っ飛ばせれるようになりたい!」
ゲイブ、リラ、ジルヴァ嬢。それぞれも続いて手を上げ訴える。オランジェ氏がきょろきょろと見回し、びしりと腕を突き上げた。それに続いてグリューンさんも手を挙げる。
「こいつらに、負けたくねぇ! 俺だって!」
「僕も、みんなから劣るのは嫌だ」
辺りを見、ロゼ嬢は遠慮がちに挙手した。
「私は今、戦える状況では、ございません……」
弱気ながらも、その目に宿る意志は固く。
「だからこそ! この時間を、無意味にしたくはありません! 私だって、強く、なりたいです!」
ツュンデン女史が苦笑いを浮かべ、レーゲン女史はため息をつく。そんな中、私も空気を読み、手を上げた。
「夢を定め、先へ進むために、力が必要です。私も、なんの反動もなくあの槍を使いこなすほどの、力が欲しい」
──これで、全員が手を上げた。皆の意思はひとつ。坊っちゃんは笑い、それから宣言した。
「────決まったな」
それから何かを指折り数え、頭をひねる。納得がいったのか頷くと、力強くガッツポーズを決めた。
「一年だ! 一年間で、五層でも六層でも、神霊でもなんでもぶっ飛ばせるほど、強くなろう!」
一年、妥当な期間だ。
「そして一年後! 必ずここに帰ってこよう!! 強くなって、誰も勝てないほど鍛え上げて────」
指差す先は、窓から見える迷宮。
「行こう!! 迷宮深層へ、夢の先へ!!」
「一年、ねぇ」
時は戻って現在。私、ゲイブ、リラとクヴェルの四人は故郷である蟹領の山奥へやってきていた。
あの後、騒ぎすぎて看護師から説教を受け、我々は声を抑えての会議を行った。皆、どこでどんな修行をするのかという話し合いである。
坊っちゃんとシュヴァルツさんに関しては、やはり元々育てられたレーゲン女史の元で学びたいらしく、そのような方針で話は進んだ。かと言って故郷に戻るのは生温いし何より嫌だ、ということで迷宮四層、ジルヴァ嬢の故郷である島にて修行することとなった。
二股の黒猫亭にある帰還の楔──の、コピー品。それは迷宮四層に繋がっている。度々街に戻りつつ、迷宮内にて特訓といった運びになるようだ。
そこでの修行にロート嬢、ジルヴァ嬢、ロゼ嬢もつくことに。ロート嬢はツュンデン女史から銃砲のさらなる扱いを学びつつ、体術を身に着けたいとのこと。ジルヴァ嬢は故郷の地で、鍛冶の腕と刀捌きを磨くらしい。ロゼ嬢は療養の傍ら、回復術の向上を図る。
オランジェ氏とグリューンさんは、共に故郷である牡牛領の森へ帰るとのこと。グリューンさんいわく、「元々育ててくれた人の方がいい」とのこと。聞けばオランジェ氏の剣を鍛えたのも彼女の父親らしい。皆異論はなかった。
そして我々。満場一致で、故郷に帰ることを決断した。この地に残した槍の片割れ、クライノートが所持していた槍を、回収するためでもある。何より、元々なんの力もなかった私達を鍛え上げたこの男のことを、私達は信じている。
「遠慮はいらねぇんだな?」
「ああ、勿論。仲間達の誰よりも、強くなりたい」
目の前の男は、にやりと口角を上げて笑った。手紙を机の上に投げ、立ち上がる。
「まずは、アイツに顔を見せてやれ。その間に準備はする」
アイツ? 疑問符を浮かべる私に対して、ゲイブとリラは納得がいった顔をする。
「そこに、アレがある。ついでに取ってこい。アレをひとつにするのも、今回の目的なんだろ」
場所はお前らが教えとけ、そう言って男は奥へ引っ込んだ。リラとゲイブが立ち上がり、私達を呼ぶ。
「見せていいものなのかわからなかったんすよねぇ」
ゲイブはそんなことを言いつつ、私達を案内した。もう春も近いというのに、この地の風は肌寒い。
山を登り、かなり歩いた。麓からでもわかる大きな楠の木。その下へ、招かれる。
「リーダーのあの日の頼みを聞いて、あの人、頑張ってたんです。だから、まるで眠ってるみたいでしょう?」
木の洞、そこに並べられた花。その中央に、横たわる体。
私達人間は、四つの種族に分かれている。それは、世界を作り出した創造主の死体から誕生したと言われていた。
なんの特徴も持たない、魂から生まれた「心の民」。
獣の要素を残す、肉から生まれた「力の民」。
翼を有する、血液から生まれた「器の民」。
そして、尖った耳を有する骨から生まれた「知恵の民」。
それぞれの民の特徴は外見だけではない。特徴が無い、という特徴を持つ心の民。翼の色に応じて様々な技を持つ器の民、獣の筋力を持つ力の民。そして、我々知恵の民にも、力はある。
死してなお、不変に形を残し続ける骨。そこから生まれた我々は、一定の年月から外見の変化が緩やかになる。わかりやすく言えば、若い時のまま見た目が変化しないのだ。──そして死してなお、その肉体は腐敗しない。死したその瞬間のまま、時が止まる。
花の寝台に横たわり、木の洞に抱かれて眠るクライノート。まるで眠っているかのような穏やかな表情、風が彼の髪を揺らせば、くしゃみをして起きるのではないか、と思うほどの寝顔。その横で彼を守るように添えられているのは、私が有した槍の半身。
かつて竜の眼が収まってい心臓の位置には、花束が収まっている。火事の火傷も、全て治療されていた。
あの火事の日、家を出る直前に私は男に頼んだ。彼の遺体を、燃やさないで欲しいと。その傷を治し、大切に扱ってくれと。
不変の死体といえど、形が残れば人は執着する。故に他の種族と同じように、死体は火にくべ灰に返す。
私はそれを、許さなかった。彼の死体がこの世界にあり続けることが、私にとって罪の証だった。友も、弟も守れなかった罪人であると、感じ入ることができたから。
しゃがみこみ、彼の頬を撫でる。冷たい、温度の無い体。隣のクヴェルは唇を震わせ、涙をこぼしていた。
「クライノート」
返事はないと、わかっている。それでも私は、彼を呼ぶ。
「必ず、お前を生き返らせる。だから──それまで、待っていてくれ」
もう一度、お前と話をするために。そして、伝えることはこれだけではない。
「あの日──クヴェルを生き返らせてくれて、ありがとう」
ずっと伝えられなかった言葉。それをようやく、口にすることができた。
次は必ず。生きているお前に、感謝を伝えよう。
「一年、か」
「はい」
静かな室内。レーゲンとロゼは向かい合う。
「いいのか、お主は」
「ええ、これでいいのです」
レーゲンはロゼへ視線を寄越す。彼女はそれを受け、微笑んだ。
「どうせ十八まで生きられない命……。みなさまに、あらぬ心配をかけたくはありません」
その微笑みを見──彼女の秘密を隠した共犯者であるレーゲンは、静かに目を伏せた。
回る、回る。針は回る。
季節は移ろぎ街並みは入れ替わる。盤上の役者は入れ代わり立ち代わり。
廻る、廻る。運命は廻る。
獣は満ちて、その殻を食い破る。
銀の色をした月だけが、静かに向き合う二人を見ていた。




