7 : 路地裏PANIC!
「では、時間までに約束の場所に向かえば良いのですね?」
「おう! 待ってるぜ」
全員が揃っての説明が終わった後、ブラウさんは一度元いた宿に帰った。荷物をまとめ二股の黒猫亭に戻ってきてから僕らと合流する約束をし、一旦僕らは別れることになる。
指定された時間に指定された場所に付き、怪しい人物が通らないか見張るだけの仕事だ。庶民の仕事はこんなもの。これで報酬が貰えるのだから、正直言ってありがたい。
「おー、見晴らしいいな!」
高台になっている黒猫通り、さらに街の中央から離れていることもあり、かなり見晴らしがいい。
「ほら、あの大きな十字路のところだ」
周りのと比べたら少し幅のある路地、そこが言い渡された配置の場所だ。目印に馬車の荷台があるらしいが。
「これじゃないの?」
あった。前座席と後ろ座席があるだけの荷車みたいなもの。この中に隠れて見張れということだろうか。
「これ、結構危なくないか……?」
丁度ここの道は黒猫通りと山犬通りを繋ぐメインストリートらしく、眼下には山犬通りまで一直線に道が伸びていた。かなりの、下り坂が。
「たしかにこれ、車輪の支えなかったら転がってきそうだな!」
「危ないわねー。もうちょっとなかったのかしら」
坂の下、山犬大通りの直ぐ側には大きな水路がある。山犬通りは港に繋がっており、この水路も辿れば海に繋がるのだろう。
「とりあえず乗って隠れときましょ。このままじゃ目立つわ」
「あっ! ずりぃ俺も!」
「あっ、ちょ……」
「後ろにこれ乗せとけば、重しになって大丈夫でしょ」
この荷車は前が下り坂の方を向いており、前に傾いた状態で止まっている。ロートは背負っていた銃砲を後部に積んだ。そして自分は前に乗る。ヴァイスも前に乗り込んだ。僕は渋々空いていた後部に座る。
「……これ、十字路の方見張らなきゃならないのに、邪魔だな」
「でも重さ的にはバランスいいでしょ」
「そもそも荷車に乗らなくても、荷車の後ろとかに隠れればいいのでは」
「それ言っちゃ駄目だ、シュヴァルツ。乗り物を見れば乗りたくなる、男の本能だろ」
「アタシ女だけど」
「まあ、分かるけど」
この状態でいつまで待つのか。ブラウさんの合流もいつになるだろう。
「てか逃げてきたときのための監視ーって、逃げないように捕まえろよな衛兵」
「それ。わざわざこんなもん参加させるなってのよね」
「文句言ってる場合じゃないよ」
がこん。
「結局あの後あんまり仮眠も取れなかったし寝てていいか?」
「は? 駄目だ。起きろヴァイス」
「寝させてくれよ〜疲れたんだよ俺」
がらがら、と音がした。
「ブラウさん来たらぶん殴ってもらうぞ」
「やめてくれあいつに殴られたらポップコーンみたいになっちまう」
「何それ騎士サマめっちゃ怖いじゃん」
「怖えよあいつ。一回クヴェルを重しにして『ゴーレム百鬼夜行』したときなんて、一瞬でゴーレム吹き飛ばして俺もふっ飛ばされたもん」
「あったなそんなの。あれはでもお前が悪い」
「ちょっとまって何その『ゴーレム百鬼夜行』って」
がらがらがらと。
「俺らの師匠──ババアにやらされた修行だよ。ゴーレムを放って、一定のテンポで次々出してくの」
「次第に間隔が狭くなって、倒すのが遅れたらゴーレムがいっぺんに何体にもなるから早くテンポよく倒すのが求められるんだ」
「それを百匹倒すまでやらされるんだ。あれはキツかったなー」
「……あんたらの師匠、怖すぎない?」
「怖えよ、マジで。ガキ相手でも容赦しなかったもん」
がらんがらんと音が響く。
「……なあ」
「……何」
「────この音、何」
激しさを増す音と揺れ。
「──車輪の音だな」
「周りの景色が、えらい勢いで変わっていくけど」
「うん」
脳味噌を揺らすような振動を尻の下に感じる。何かを踏んだのか、一気に車体が跳ねて僕は座席の下に転倒した。
「わぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────ッッ!!」
夕暮れの路地に、僕ら三人の悲鳴がこだました。
「うぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁ──────ッ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおお────っ!!」
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
車輪が物凄い音をたてる。車体が揺れる、脳も揺れる。前側に座っていたロートとヴァイスの姿も、後部座席から滑り落ちた僕には確認できない。
「ブラウさんはどこにぃぃぃぃぃ!?」
「知らねぇよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
泣き叫ぶような声が出る。もう、何がどうなっているんだ!!
「こっ、これ、どっ、どこまでっ、行くんだよ!!」
「わかんないわよ!!」
「てか重ししてたんじゃねえのかよ!!」
「知らないって言ってるでしょ!!」
「俺体重軽いぞ!」
「アタシが重いって言いたいわけぇ!?」
「言い合いする前に止める方法考えてくれ──ッ!!」
どんどんとスピードを増していく荷車。僕からは空しか見えないが、きっとこのまま行けばまずいだろう。
「川っ! 川突っ込むぞこのままじゃぁ!!」
「どーしろっての!?」
「わかんねえよぉ!!」
川、最悪のコースだが建物に突っ込んでミンチになるよりマシか。
「マシもクソもねえよどっちにしろ重症だ馬鹿!!」
「飛び降りる!? 飛び降りるしか無くない!?」
「ちょっと待て僕は降りれないぞ今のままじゃ!!」
今の僕は後部座席から脚だけが見えている状態だ。この圧がかかる中体を起こすのは困難だ。
「助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ────っ!!」
駆ける、駆ける。塀の上、民家の屋根の上、その影は疾走る。響き渡る三つの悲鳴、その発生源を確認し、彼は背負った筒を外した。包を解き、その中身を顕にする。
二本の長い棒のようだった。二本を繋ぎ合わせると、彼の身長ほどの長さになる。その先に鋭い刃を付ける。一本の、長い槍が現れた。
彼──ブラウは、走りながら槍を握る。民家の上の風見鶏を確認、今は無風。
路地裏を滑り降りる馬車、おおよそ五メートル下、約十メートル先を毎秒約二メートルで爆進中。そして百メートル先に川。前方にヴァイスとロート、後部座席から伸びる脚はおそらくシュヴァルツ。シュヴァルツは座席から脱出するのは難しいだろう。
ブラウは槍の付け根と半ばを握る。そこにあるつまみ、付け根は三に、半ばは右に二度回す。脚を踏み込み、上体に力を込める。大きく振り被り、息を吸う。
目標は、ヴァイスとロートの間。前方席の中央。
吸った息を短く吐き、言葉を放つ。
「略式霊槍──真空波」
凄まじい風が、ブラウの手より放たれた。
最初に気づいたのはヴァイス。背後を振り返り目を見開く。床板を蹴り、その反動で身を浮かす。そして荷馬車から転がり落ちた。
ヴァイスの挙動を目にしたロートも、ほぼ同タイミングで後部に積んだ銃砲を掴み、横に飛ぶ。激しい音を立てて二人が荷馬車から降りた。
哀れシュヴァルツはそれに気付けない。いや、気づけたとしても逃げることはできなかった。むしろ、背後から迫るそれに気づかずに済んだだけマシかもしれない。
後方より現れた風を纏う槍が、荷車の前席中央を貫いた。荷馬車だけに留まらず、地面の石畳に突き刺さり、その勢いで後部が大きく浮き上がる。そして──後部にいたシュヴァルツは勢いよく放出された。
ほぼ同刻、川のほとり。石畳の一つがごとごとと動き、持ち上がった。中からローブを羽織った男が顔を出し辺りを見回す。誰もいないことを確認すると、男は這い出てきて穴の中に手を伸ばす。上がってきたのは、ヴェールで頭まで覆った小柄な影。その後ろから三名程男達も続く。
「さあ、船を側に呼んでいます。姫様、こちらへ」
「ありがとうございます」
姫様と呼ばれた小柄な影を守るように、男達が囲う。その時だった。
「──────っ!! ────────!!」
悲鳴のような声が遠くに響く。
「なんの騒ぎだ?」
「まさか衛兵達が近くまで来ているのか?」
「いえ、この声は──」
小柄な影は、少女の声で呟き空を見上げた。その紫水晶の瞳が、それを捉える。黒い髪に、赤い目をした少年が、悲鳴を上げながら空から現れる姿を。
「よけろぉぉぉぉぉぉ────────ッッ!!」
少年──シュヴァルツは、勢いよく男と衝突した。
凄まじい勢いで打ち出された僕は、わけもわからぬまま空を飛び──男の人と正面衝突した。鳩尾付近に頭が突き刺さったようで、僕の方のダメージはそこまでだが男の人は吹っ飛んで倒れてしまった。
「うわ──!! すいません、ごめんなさい!!」
謝って済む事故とは思えないが、とにかく謝罪だ。故意に起こしたものではない、とにかく事故なんだ。地面に倒れた身体を起こし、深々と頭を下げる。その時、視界の隅に映った手に僕の体は動いていた。
「ウィルオ、ウィスプ!」
姿を表した青い火の塊が、僕に振り下ろされたナイフを防ぐ。いくら事故で仲間をふっ飛ばした相手とはいえ、いきなりナイフを首に振り下ろしてくるなど、ただの民衆では無いことは明らかだ。白、黒、青の火が僕の周りに浮かび上がる。
この炎、常に僕の周りを飛び回り、呼び出しに応じて姿を現す大事な相棒達。攻防一体、自動発動可能な召喚魔法。僕が初めて使いこなせた魔法だ。
ナイフを弾かれた男は一度は驚いたが、すぐにまたナイフを構え直す。残りの二人も各々武器を構えて僕に向けた。
「みなさん、やめて!」
小柄なヴェールを被った影が叫ぶ。その声は、どう考えても幼い少女のもの。武器を持った男達に、無防備な少女? 謎が謎を呼ぶが、武器を向けられていては話もできそうにない。
黒の火「アグニ」が、僕とともに吹き飛ばされた杖を拾って持ってきてくれる。ありがたく受け取った。
「煌めけ、ウィスプ!」
青い閃光が当たりを照らす。至近距離で食らった場合、目を塞いでいなければしばらくは視界が暗転する光量だ。
怯んだ隙に一番近くにいた男を杖で殴りつける。その奥、もう一人の男の脛を殴りつけ、怯んだ好きに顎を突き脳を揺らしてやる。
たじろいだ最後の男に白い炎、イグニスを接近させた。男の目が見開かれ、イグニスを凝視する。僕にとってはほの暖かいかわいい相棒だが、他の相手にとっては燃え盛る火の玉だ。
「あんた達、何者だ」
倒れた体の上に乗り、杖を突きつけ僕は問う。歯を鳴らして震える男、彼のローブの裾に刻まれた銀の刺繍。尾の長い狐が、月を食らう絵が刻まれている。銀、月、まさか。
「あんた達、銀月教のものか!」
男は何も答えない。僕は溜息を付き、背後から振り下ろされた石をウィルオで防ぐ。それから鳩尾を杖で突いた。
一人目の男は正面事故で吹っ飛び気絶、二人目の男は一度殴られただけでは止まらず二撃目で倒れ、三人目の男は脳震盪を起こして気絶。四人目の男は現在拘束中。
「君」
僕は、少し離れたところで震えているヴェールを羽織った影に声をかける。
「君は、なんで彼らと共にいた?」
ヴェールを抑えていた手が離れる。ぱさりと顔を覆っていた手が離れその顔が明らかになった。
淡い色の髪を二つ括りにして揺らし、紫水晶の瞳は長い睫毛に縁取られている。僕と同い年か、それより下だろう。いよいよ不思議だ。どうして武器を持った物騒な男達と、彼女が共に──。
「あ、の」
「シュ・ヴァ・ル・ツ────!!」
彼女が言葉を発しようとした瞬間、けたたましい叫び声が僕の頭を揺らした。
その方を向くと、ヴァイスが手をブンブン振りながら走ってきているところだった。その後ろにはブラウさんやロートもいる。
「いやー死んだかと思ったわ俺! お前吹っ飛んだけど大丈夫そうで……って、何があった?」
あたりに倒れる男達、その一人の上に乗り上げた僕、それを遠目に見る少女。確かに意味のわからない状況だ。色々言いたいことはあったが、それらを飲み込み状況を伝える。
「銀月教の幹部らしき連中と衝突して、武器を向けられたから撃退した。んで、彼女はなんでかこいつらと一緒にいたんだ」
彼女、というと皆の視線が少女に向く。ヴァイスが気絶しないか心配したが、本人はぽかんとしている。ロートと初めてあったときの反応と同じだ。
つまり彼女は、ヴァイスに対してなんとも思っていない? ブラウさんがそそくさと男達を拘束する。僕も男の上から降りた。
「私は、ロゼと申します」
ロゼ、と名乗った少女は僕を見つめる。歩み寄り、僕の手を取った。そして、大きな澄んだ瞳で僕を見つめ、蕩けるような笑顔を見せたのだ。
「お待ちしておりました、勇者様!」
その時の記憶は、あまり鮮明ではない。
ヴァイスは目を丸くして驚愕し、ロートは口を全開にして首をひねった。ブラウですら「は?」と呟き、僕は意味不明さに頭が真っ白になった。
「……は?」
「あなたが、私の待ちわびていた勇者様なのです!」
たっぷりの間を開けて告げた疑問も一蹴された。
「ちょちょちょちょ待て待て待て待てシュヴァルツ、お前何した」
「こっちが聞きたいよ!! 君、何なの!?」
「ロゼ、と呼んで下さい」
頬を赤らめ少女──ロゼは言う。待て待て待て。
「君──ロゼは何者なんだ!? なんで彼らとこんなところにいたんだ!?」
「私、銀月教の教祖をしておりました」
「は? ……はぁぁぁぁぁぁぁ────!?」
「なんの騒ぎだ!!」
「やっべえ衛兵だ!!」
この騒ぎを聞きつけたのか、遠くから衛兵が走ってくる。
「とりあえず、どうする!?」
「逃げる?」
「いや、こいつらは突き出さないと……」
ブラウによって縛り上げられた男達は、このまま放っておくわけにはいかない。だが問題は、この少女だ。僕のことを勇者と呼び、熱い視線を向けてくる彼女。教祖をしていたというくらいだ。別にこのまま突き出してしまっても──
悩んでいる間に、衛兵達は直ぐ側に来ていた。倒れた男達を見て驚いた様子だ。
「この男達は──銀月教信者じゃないか! まさか、君らが?」
「あっ、えっと……」
咄嗟にロゼを背後に隠した。彼女に聞きたいことはまだある。
「さ、騒ぎが聞こえて駆けつけたら、男達が倒れていたので僕らが拘束しました!」
「シュヴァ」
「誰が倒したかはわかりません! 僕らがここに来たときには男達は地面に倒れてました!!」
余計なことを言いかねないヴァイスの声をかき消すように、僕は声を張り上げた。
「とりあえず話を──」
「ちょっと、仲間の体調が優れないので失礼します!! みんな行くぞ!!」
衛兵の静止の声も聞かず、僕は走り出した。ロゼの手を引き、路地を駆ける。ヴァイス達も追いかけてきていることを確認する。衛兵達は何かを言っていたが無視した。彼らには申し訳ないが、今詳しく話を聞かれて彼女が捕まるのは避けたい。
「あのっ……勇者様……!」
「シュヴァルツだ!」
勇者様、なんて呼ばれるのは気恥ずかしい。
「シュヴァルツ様……あの、ありがとう……ございます!」
それはかばってやった礼だろうか、連れ出した礼だろうか。僕はそれには答えずに、日が沈む路地を駆け抜けた。