87 : 神槍抜錨、雷霆
──Side Blau──
全身の血が、沸騰しているようだった。槍を握る腕から爪先にかけて、熱い鉄を流し込まれたような熱が駆け巡る。息を吐き、吸う、それだけで臓腑が痛む。
──苦しいか? 苦しいのか? 耐えられないなら、諦めるか?
「黙れ」
表情もなにもないのに、嬉しそうだということはわかる。それがどうにも気に食わない。不快で不快で、仕方がない。
「決めるのは、俺だ!!」
──ははっ、滑稽だ。
なにかの、弾ける音がした。鎖が解けるような、錠が外れるような、そんな音。それと共に、感じる力。並ならぬ力が、熱がこの槍から滾るのを感じた。
「──これは」
──少し早いが、うまく同調できた結果か。ははっ、私に感謝しろ、若造。これでお前の望みは叶う。あとは一言、解放の「承認」を済ますのみ。
何かを喋っているが、耳に入らない。リヴァイアサンの揺れる体、波の音が遠い。振動しているはずなのに、踏みしめる足は揺らがない。
「感謝なんてしない。お前は遠い時代に負けた神で、俺はお前の『使い手』だ。とっとと教えろ」
──不遜、不敬、極まりない! だが悪くない、若造。ああなんと! 我の使い手はこうも傲慢なのか!!
そして聞き出した言葉を、胸の奥で反芻する。思わず口角が上がるのを感じた。槍を抜く、そして──走り出した。
駆ける。体が軽い。燃えるような熱を起爆剤に、繰り出す脚は加速する。立っていたのは人で言ううなじのあたり、目指すのは脳天!
リラとゲイブが施した口の封印が解かれた。再び咆哮され、水しぶきを喰らえば仲間達は無事で済まない。その前に、叩かなくては──
「────鉄線花」
その声と共に、足元から弾丸が飛び出す。真正面から撃たれ、顎からここまで、貫通したのか。この威力の弾丸は──!
「ぶっ放せ! 騎士サマ!!」
顔は見えないが、きっと彼女は──いつものにやりとした顔で、私を指さしているのだろう。
「ありがとう、ございます」
踏み込み、飛ぶ。空に浮いた状態で両手で槍を構え直し、刃先に近い捻りを弄る。全力、全開!
必死に瞳を上に向け、リヴァイアサンは私の姿を捉えた。その目に私の姿が映る。ああ、こいつから私はどのように見えているのだろう。
突然住処を襲った侵略者? いきなり自分を殺そうとしてきた化物? そう見えるだろう。そう思うだろう。奴にそういう感情があれば。
だが、私もそれを経験している。突然故郷を襲われ、家族皆命を狙われ逃げ出した。その恐怖は、その怒りは知っている。
許してくれとは言わない。恨んでくれて構わない。俺は、お前をここで倒す。
どんな大義があれば生き物を殺す理由になる?
どんな理由があれば殺しをしても許される?
そんなのは誰にもわからない。ただ今俺は、守りたい弟と、仲間。そして未来のために、こいつを倒す。
クヴェルが見た、最悪の未来を防ぐために。
ここまでついてきてくれた、馬鹿な仲間達のために。
そして俺自身の、夢のために──!!
「神槍、抜錨──!!」
永遠にも感じられた刹那。握りしめた槍から光が放たれる。焼くように眩しく、それでいて暖かな光。それに照らされるリヴァイアサンの瞳が──何故だが、泣いているように感じた。
迷いはない。迷わない。
「雷霆!!」
刃先が奴の脳天へ突き刺さった瞬間、世界から音と光が消える。この階層、この世界、全ての光が今この瞬間、手元に集約した。
瞬きほどの一瞬、いや、もしかすれば神話ほどの長い時間だったかもしれない。それだけ、現実味のない時間だった。
駆け抜けた閃光。空が割れる、海がほどける。槍の刃先を中心として、波間が、海底が隆起する。周囲の島が揺れ、枝葉は飛んだ。
突き刺したその場──リヴァイアサンの頭部が、消し飛んでいる。それと共に、明らかになる大穴。奴の体の下に存在した、次の階層へと至る闇。せき止められていた水が、どうどうと音を立てて落ちていくのが見える。
「みな、さ────」
叫ぼうとして、喉が引きつる。体が動かない。全身がよじれるように痛い。吹き飛んだのはリヴァイアサンの頭部、ゲイブ達がいた足場は無事か。無事であったとしても、あの余波で何かを食らっていてもおかしくはない。体が大穴へ落ちる。皆は、仲間は、家族は────!!
「いっ、けえぇぇぇぇぇぇぇ──────ッ!!」
耳に響く、声。ヴァイス坊っちゃんがこちらへ突っ込んできていた。は、と声が漏れるより先にその背後に気づく。ロート嬢とその銃砲を抱えたジルヴァ嬢、シュヴァルツさんを担ぐリラ、絶叫するゲイブ。皆が大穴の淵から、こちらへ飛び込んできていた。
痛む体に、ヴァイス坊っちゃんが突撃する。何故、どうやって、聞きたいことはある。だが声が出ない。
「あっぶねぇ!! あの魚がいなきゃどうなることかと思ったぞ!!」
「ボクの後をついてこさせてて、良かった! おかげで、ロートの援護射撃もできたしね!」
「真正面に回ってくれたおかげで、助かったわ……」
「でも魚に乗せるときはあらかじめ言ってくれ!」
「またいきなり担がれて焦ったっすよ!」
「それとダイブするなら早めに……」
……皆が口々に述べる。まとめると、こうか。
まず私と坊っちゃんを除く仲間達がバラバラにとばされた。
そこから竜娘が例の魔魚とやらに皆を乗せ、ここへ合流した。
その際、魚を元の場に返さずリヴァイアサン周辺を泳がせ、ジルヴァ嬢の後を追わせていた。
私と槍との交渉が終わるやいなや、彼女は坊っちゃんを連れ魚に乗り、そこから氷の足場にいる仲間達を回収して正面に回った。
そこからロート嬢が援護をし、顎を貫き咆哮を防いだ。
私が「雷霆」を放つ前に距離を開け、難を逃れ──この大穴へ、飛び込んだということが。
魚ごと飛び込みはしなかったらしい。飛び降りた、と言うよりは放り出された、と言ったほうが正しいのだろう。
「やったぞ、ブラウ! クヴェルの予言は、見た未来は! 防いだぞ!!」
滝のように落ちる水、そして、落ちていく私達。皆一様にぼろぼろの風体であっても、坊っちゃんは笑っていた。
「お前が! 倒したんだ!!」
視界が暗転する。世界を隔てる壁に突入したらしい。上から差し込む微かな明かり以外光源がない。顔を見られなくて、良かった。緩んだ顔など、家族以外には見られたくはない。
「それにしてもやっべー威力だったなー」
「同じ神造武装の技なのに、すごい威力の差だったね」
「うーん、中の神霊が張り切っちゃったのかな。相性いいんだね!」
……つくづく、感傷は浸らせてくれないクソガキ共だ。
張り切る、槍を握り心の内で問う。
──なんだ、あの威力は。張り切っていたのか、お前。
──相変わらず神相手にそのような口を……。まあいい、気分がいい。そのとおり、と言いたいところだが……理由は単純だ。槍が不完全ゆえ、うまく調整ができなかった。以上。
……これ以上の対話は無意味だな。
──制御不能な威力になった、という訳か。
──まあ、そういうことだ。ははっ、この器が完全な姿を取り戻せば……制御もできるだろう。元々この槍は、威力の調整が可能なのが自慢なのだからな。
今回は制御ができずに、危うく仲間を危険に晒すところだった。しかしあの威力は──これから先の戦いに、必ずや必要となる。
俺は、こいつの体を戻さなくてはならない。故郷に残した片割れ──クライノートと共に眠る、もうひとつの略式霊槍を。
「────さっきからいやーな感じがしてるんだが」
「うん、僕もだ」
集中して話し込んでいたため、坊っちゃん達の会話が耳に入っていなかったらしい。
「リヴァイアサンが塞いでた大穴、リヴァイアサンを倒してそこに俺達は飛び込んだっすね」
「上からはせき止められていたぶんの水が落ちてきている」
「……リヴァイアサンの体は?」
全員揃って上を向く。やけに暗いと思っていたら──リヴァイアサンの体、吹き飛んだ頭部以外が、俺達の真上から落下してきていた。
「ぎゃあぁぁぁぁ────!!」
もがいたところで逃げ場はない。下を見る。真っ暗な地層の遙か先、光が見える。──五層!
「抜・け・たあぁ!!」
解放感に安堵する間もない。眼下に広がる、岩と石像。
視界いっぱいに広がる、石の迷宮。苔むした壁、崩れ落ちた柱、巨大な遺跡──と、言うべきか。
落下地点と思わしき真下、そこは……湖? よくよく見渡せば、この遺跡には無数の水路らしきものが伸びている。この湖を起点に、階層中に張り巡らされていた。らしきもの、と形容したのは、水が枯れていたからだ。
大穴を通して四層から落ちてきた水、それはこの湖に溜まって五層全体を巡る。そして大穴が塞がれたことをきっかけで、湖の水は減り水路は枯れた。そのの水こそが、「わるいもの」を封じていた?
巡る思考、深まる謎。それを振り払うように、坊っちゃんは顔を輝かせる。真下に湖、全員満身創痍、上からはリヴァイアサンの巨体。その中で変わらず、空を映したような瞳は輝いていた。
「これが……! 五層! 『悠久の遺跡』!!」