85 : 俺の夢
──Side Blau──
荒く息を吐き、滑る汗を拭う。手を見ると赤く染まっていた。汗かと思っていたが血だったらしい。目にかかる前髪を振り払い、槍を握り直す。
「ハァ、くっそ……!」
氷の足場に手を付き、立ち上がりながらヴァイス坊っちゃんはそう毒づく。意志の強い蒼の瞳で、堂々と立つ「奴」を睨んだ。
「いつになったら効くんだよ……! このデカブツ!!」
奴の放った水柱によって仲間達が飛ばされてからしばらく、私達は戦い続けている。丸一日こうしていたようにも感じるし、一瞬の出来事なのかもしれない。
その巨体が動き、民家ほどある尾びれが叩きつけられる。足場の氷が砕かれ私達は飛んだ。
「略式霊槍、真空波!」
刃先を後ろに向け、風を放つ。その勢いでリヴァイアサンの鼻先へ突貫。坊っちゃんの方はわからないが、あの人のことだ。どうにかするだろう。
濡れた体の上で脚を踏みしめ、槍を突き立てる。
「轟雷!」
ばちんと爆ぜる雷。一瞬触れる体が震えたが、すぐに大きく身をよじられる。バランスを崩しそうになった脚を叱咤し、槍を抜いた。
「真空波!」
操作し、柄の側から風を生む。その勢いで再度突き刺した。先程轟雷で作った傷が、再生している。
どれだけ技を放とうと、どれだけ攻撃を加えようと、奴の再生能力は衰えない。
「どおぉらぁぁぁぁ!!」
物凄い勢いで走ってきた坊っちゃんが、構えた短剣を思い切り振るう。吹っ飛ばされたあと、なんとかリヴァイアサンの体によじ登ったらしい。
「アイシクルファンク!!」
氷をまとった斬撃。傷口を凍らせ、再生を塞いだ。しかしそれもほんの数秒、すぐに舌打ちをして再度の攻撃。両手に握った刃に向かって、憎々しげに吐き捨てた。
「くっそ……! コイツが本当に『神造武装』とかいうもんなら、神霊をぶっ飛ばす、力をよこせよ!!」
神造武装。この世界で唯一、神霊を殺すことができる武器。神霊の体から作られ、神霊を宿した兵器。あの竜娘の刀、坊っちゃんの双剣、そして、私が託された槍。
──これはまあ、元々名のしれた槍なんだが。もう俺は使わないから、お前達にくれてやる。「略式霊槍」、そういえば、力を発揮してくれる。
そう言って、私達を育てた男は二本の槍を寄越した。
──ブラウと、クライノート、二人でひとつの槍だ。お前ら二人が一緒に使えば、神のヤローも殺せるさ。
私の槍は片割れ、もうひとつは、彼と共に眠っている。私の槍では、奴を討てない。倒せたとしても、数カ月後には復活する。
「お前はもう俺達に倒されたんだ! クソみてぇな誇りを捨てて、とっとと俺に力を貸せ! 『承認』とやらを、教えてみろよ!!」
握りしめる短剣に向けてひとしきり叫ぶが、答えはなく。坊っちゃんは歯噛みした後、強く握り直した。
一時撃破では生温い。クヴェルの見た未来が本当なら、ここで完全撃破せねばならない。大穴を塞ぐ鯨、それによって下に眠る「悪いもの」が強くなっている。たとえ一時的にリヴァイアサンを討ち、穴を開いたとしても数カ月後にはまた塞がれることになる。
目指すは完全撃破、しかしそのためにはあの吹き飛ばされた竜娘が戻ってくるのを待つか、坊っちゃんが短剣を呼び起こすかしか無い。
──私の槍では、届かない。
しかしそう簡単に、答えてくれるとも思わない。腐っても神、気位だけは高いだろう。私だって、実際この槍と対話したわけではない。あの男から教えられた通りに使っているだけ。
「もう……! ジルヴァが来るまで、凌ぐしかねぇのか……?」
「そ、れは」
思わず、言葉を詰まらせた。あの竜娘。私とクヴェルを、クライノートの人生を狂わせた、竜。その因子を受け継ぐ存在。
「──断り、ます。そのくらいなら私は、命をかけて奴に喰らいつく!」
「意地張ってる場合じゃねぇだろ!!」
リヴァイアサンの体が動き、振い落される。再度海面を凍らせ着地した。
「まだぐちゃぐちゃ言ってたのかよお前は!!」
「私にとって竜は、敵です。私達を、崩壊させた、許されざる敵です。そんな奴を頼るなど、私は!」
「ジルヴァは何もしてねぇだろ!! 何より、その竜のおかげて、今クヴェルは生きてるんだろうが!!」
──おかげ? なんで、そんな。
確かに、今クヴェルは「竜の眼」によって生かされている。生き返っている。でも、竜さえいなければ、そんなものは存在しなかった。しかし、竜の眼がなければ……クライノートと私が、出会うこともなかった。
「俺だって俺の手でこの神気取りをぶっ飛ばしてぇ! でも、今の俺にその力は無い! なら、今コイツを倒せる力を持った奴を頼る!」
巻き上げられた水飛沫が降り注ぐ。
「俺は俺の夢のために、今ここで死ぬわけにはいかねぇ!! 頼っても、堪えても、生きて奴を倒す!! 今ここで死にさえしなけりゃ、俺達の勝ちだ!!」
そして坊っちゃんは、立ち上がる。しっかりと前を見据え、何も答えない短剣を握った。
「特攻なんて真似させてたまるか! 意地張って死んだら、元も子もねぇだろ!! お前にだって、夢が、やりたいことがあるだろうが!!」
────ゆめ。
「いっぺん口に出してみろ! お前の夢を、吐き出してみろ! 口に出して、形にしろ!!」
立ち上がる。槍を氷に突き刺し、息を吐いた。私の夢、私の、望み。俺の、夢、俺の、願い。
「俺は────」
槍を抜き、構えた。リヴァイアサンの巨体がこちらに迫る。
「ただ、クヴェルの側に──」
坊っちゃんが飛び、双剣で奴に斬り掛かる。槍を構え、チャンスを待った。
「違う、俺は、また、家族と────」
脳裏によぎる記憶。俺、クヴェル、ゲイブ、リラ、そして、クライノート。クライノートの笑顔が、焼き付いて離れない。
また、家族と共に暮らしたい。みんなで笑い合いたい。みんなで、話がしたい。
「俺はもう一度、彼に会いたい!!」
ああ、俺は馬鹿だ。自嘲の笑みが溢れる。あれだけ、坊っちゃんの夢を幼いと言っておきながら、俺だって、変わらない。
「俺は、親友を生き返らせたい!!」
構えた槍を振りかぶり、全力で放つ。真っ直ぐに打ち出された槍は、深々と奴の眼球へ突き刺さった。あたり一面を揺るがす咆哮。私は奴の鼻先へ飛び、駆け上がる。槍を回収しなくては。
坊っちゃんが、隣に並んだ。こちらを見て、笑みを浮かべている。
「いい夢だ」
「──馬鹿げているとは、思わないんですね」
当然だ、と彼は笑う。濡れた前髪が張り付く様が、ゆっくりと鮮明に映った。
「俺は、人の夢を笑わねぇ。──騎士ブラウ、お前の夢、俺が預かった」
そして、舞うように奴を斬り付ける。その背中、後ろ姿が、彼の父親と重なる。
──私の理想を、必ず君を見せる。
──それが、何もできなかった私にできる、唯一の償いだ。
ああ、やはり血とは、忌々しい。
リヴァイアサンの意識が頭部に向いた隙を付き、頭から手を伸ばし、突き立てられた槍を掴む。一気に引き抜き、気がついた。だらだらと流れる血が、止まらない。眼球が弱点か?
「おい、ブラウ!!」
坊っちゃんの声。そちらを向けば、坊っちゃんが笑っていた。
「傷の再生能力が、止まってる!! なんでだ!?」
ようやく限界が来た? いや、こんなタイミングが良い訳がない。眼球が弱点だった? それか、話をしている間になにかが起こった?
とにかく、これは好機! ジルヴァ嬢が到着するまで、凌ぐ!!
槍を構え、握り直す。振りかざし、突き立てようとしたその瞬間。
──ハハッ。
嘲笑うような声。幻聴かと思ったが、違う。波のざわめきがそう聞こえたわけじゃない。確かに側から、声がした。声が、聞こえた。
──面白い男だ、面白い男だな。お前の夢は、面白い。
誰が、私を呼んでいる? 誰が、私に声をかけている?
──力が望みならくれてやる。代わりに、私により面白いものを見せてみろ。なぁ、私の使い手よ。




