79 : 開戦
荒波が渦を巻く。木々が揺れ、葉枝が震える。吹き荒れる風が俺達を揺らした。暗い眼前に広がる青い海。ぽつりぽつりと顔を出した岩場。
「ここを進めば……リヴァイアサンが、出るのか」
「……ああ」
俺の問いかけにシュヴァルツが頷く。暗い空に光が注ぎ、朝が訪れた。火を灯したような夜明け、もう慣れた。
「行くぞ!!」
「おう!!」
崖から飛び降り、岩の上に着地。足場の幅は宿の一室程度、ここはかなり広いが、先へ行くごとにまちまちだ。一列に並んでいるわけじゃない、前後左右、ばらばらに広がっている。俺とブラウ、シュヴァルツとロートとジルヴァの三人、ゲイブとリラに別れてひ進む。
「シュヴァルツ!」
「周り五百メートル以内には姿無し!」
火の精を用いた索敵、走りながらそれを叶えるシュヴァルツは流石だ。しかし貧弱、速度が落ち始めジルヴァに担ぎ上げられていた。
「ちょっ! な!?」
「遅れたら駄目だろう?」
片手に剥き出しのカタナ、片手でシュヴァルツを担ぎ速度が変わってない。すごいなあいつ。
「索敵を続けろ! シュヴァルツ!」
「〜〜〜〜ッ! わかったよ!」
もう後ろを向かずに走る。魚の魔物も出てこない。ただ海の色が、波の様子が変わっていく。海は青から黒に近くなり、うねっていた波は凪いでいく。大穴が、近い。見渡す先に足場はなく、終着点が迫っていた。
「大穴が見当たらない……!? 周り八百メートル以内、異変無し!」
大穴がない? 異変無し? 岩場に乗った時点でリヴァイアサンに襲われてもおかしくないと言っていた。それなのに、なにもない? それは、なにかおかしい。波の下、そこまで見通せるはず。シュヴァルツの索敵が、表面をさらりと眺めるだけのはずがない。
「────!! シュヴァルツさん! 周りじゃない!」
リラが声を上げた。飛び上がり、次の足場へ着地しながら叫ぶ。
「真下だ!!」
飛びながら、真下を見た。凪いでいた波がうねる。大穴が近いから波が黒くなったのだと思っていた。違う、そうじゃなかった。ここは、すでに大穴の真上! そして奴は青い波の下に、いる!
「来るぞ!!」
その声を合図に全員が跳躍。瞬間、黒い影が迫りくる。これは、まずい。この大きさは、想定外だ!
白波を立て、岩場を吹き飛ばし、堂々たる様で現れるのは巨大な鯨らしき姿。全体のシルエットは鯨の形だが、装飾のごとく浮き出す外骨格、背負った光輪。間違いなく、神と呼ぶに相応しい姿だ。
何よりその大きさ、図鑑で見た大きさとは全然違う。一つの街がそのまま動き出したような、その背だけで人々が暮らしていけるような、巨大な体。これが、四層大母の絶海を統べる、神!
俺達がいたのは奴の頭部付近だったらしい。海面への浮上に伴い足場は根こそぎ破壊された。後方に下がるしかないが、今のままだと落下する!
「イグジスタンス!」
ゲイブを抱えたリラが掴んだ小石を放つ。拳ほどの大きさだった石が変化し、巨大に変わる。踏めば砕けるほど脆いが、それを足場にして後退した。
「捕まってなさい! 向日葵!!」
ロートが前方へ大きな弾丸を飛ばす。攻撃が目的ではない。その反作用で背後へ飛ぶ。しがみついたジルヴァ、シュヴァルツと共に着地。
──って冷静に確認してる場合ではない! 俺とブラウはどーすんだ! 海面まであと僅か!
「略式霊槍、氷雨!」
真下へ刃先を突き出し、付け根の捻りを操作する。海面に刃先が迫った瞬間、足元の波が固まった。
一回転、全身で衝撃を受け流す。凄まじく冷たいが、暑い四層じゃあ丁度いい!
「全員無事か!」
「当たり前!」
「無事っす!」
ジルヴァとゲイブが答えた。俺とブラウは奴の目の前、他メンバーは少し離れた後ろから。まあ色々あったが概ね作戦通り、か!
「でもこんなデカいの……! どうするんだよ!」
シュヴァルツの泣き言。確かに、この大きさは想定外だ。奴の体の下に大穴があると見ていいだろう、現に奴はあれから身動きしない。「大きなくじらがせんをしている」、は当たりなわけだ。
「動かねぇデカブツなら、いい的だ! 地道に攻撃すりゃあ、いずれ限界は来る!」
短剣を構える。氷の足場は広くてありがたい。息を吸い、短く吐く! 軽いクイックリーパでは駄目だ。斬るだけじゃない、必要なのは、貫く力!
「インビシブル・クラッシュ!!」
「鉄線花!」
ハルピュイアの鳩尾を抉った一撃。不可視の速度で繰り出した刃。後方から飛んだロートの弾丸と共に海面から除く奴の脳天にぶち当たる。しかし、侮っていた。
「うわぁ!!」
短剣といえど、大剣と変わらぬ威力を持った一撃。しかし大剣だろうと、相手がでかけりゃ変わりない。鼻先を振るう、それだけで弾き飛ばされた。空を舞いブラウに拾われる。
「クッソ! どうなってんだ!!」
確かに刺した。刺したはずなんだ。それなのに、傷跡が残ってない! 傷が、再生している!!
以前のハルピュイア、九人がかりで満身創痍になって撃破した。オランジェは左腕を、俺は脇腹を抉られ死にかけた。今は七人。大きさだって、桁違いだ。前より爆発的に強くなったわけじゃない。俺の武器は強くなったし、加入したジルヴァは強いが、三人分の戦力には届かない。おまけにとんでもない耐久力、再生能力まで備えてるなんて──
ブラウの腕を振り払い、着地。氷を砕くつもりで踏み締める!
──そんなのは、言い訳にならねぇ! 二本持った腕を交差させ、振るう!
「クロスナイフ!」
「七転✕!!」
十字の斬撃が飛ぶ。目指すのは骨のある部分ではなく、眼球! あそこはどんな生物だって柔らかい。後方から響いた声、気の抜ける技名に振り返ると、カタナを振り下ろしたジルヴァ。同時に激突。よし! 届いた!
しかし、
「マジかよ……」
奴はまばたきで、それを受け止めた。血の一つも出てはいない。瞬きの風圧で、斬撃を消し飛ばしたのだ。
魚類にまぶたはない。しかし鯨は哺乳類であるからまぶたが存在する。だからといって、まばたきの風圧って……反則だろ。
「──!?」
じっと、リヴァイアサンが俺達を見た。その深い碧の瞳。それが舐めるように俺達を眺め、もう一度瞬きをした。
突然波が発生する。俺達の立っている氷の足場も揺れ、びしりとひびが入った。まずい、足場を作り直さなくては。ブラウへ声をかけようとしたその瞬間。
穴を塞ぐようにとどまっていたリヴァイアサンが、動いた。その身を捻り、口を開いた。闇のように黒黒とした口内、嫌な予感が、全身を駆け巡る。
「耳を塞げェ────ッ!!」
ハルピュイア戦で磨かれた直感。塞いだ刹那、衝撃波と呼ぶべき轟音が俺達を襲う。うねった高波が、叩きつけるように真下にいた俺とブラウを攻撃。足元の氷にひときわ大きいひびが入って、足場が不安定になった。しかし構っていられない。
割れたひびの隙間、そこから噴き出す水柱。噴水のように噴き出したそれは、俺達の元だけに現れたのではなかった。
「お前ら!!」
後方、それぞれの足場を破壊して水柱が仲間達を打ち上げる。シュヴァルツ、ロート、ジルヴァ、ゲイブ、リラ! それぞれが打ち上げられ、空を舞う。俺とブラウだって例外ではない。このままでは、空に打ち上げられ────
「略式、霊槍」
ブラウの略式霊槍は、槍の各部位にある捻りを弄って魔法を発動させる。出す属性、出力をそこでコントロールするのだ。その調整次第では、刃先以外からでも魔法を放つことが可能になる──!!
「真空波ッ!!」
片手で俺を抱え、槍の刃先をリヴァイアサンに向け、ブラウは真空波を発動させた。最大出力、凄まじい風が槍の柄から生まれ、弾丸のように発射される。水柱から抜け出し、その勢いのままリヴァイアサンの元へ突貫。深々と、頭の天辺へ突き刺さった。
「そこから、どけ!!」
見上げるブラウの表情。眉間に皺を寄せ、苛立ちをあらわにしている。
「再生能力があるというのなら、再生する力が失せるまで、攻撃を繰り返すしかないでしょう」
そう言って、リヴァイアサンの体に脚をかける。俺はそこで腕から降ろされた。深々と突き刺さった槍を掴み、ふっと息を吐く。
「神気取りは、不快です」
勢いよく引き抜き、演舞の如く振り回す。剥き出しの刃が、凄まじい勢いで奴の体を斬り裂いた。再生する端から、斬り倒す。
「略式霊槍」
両腕で握りしめ、柄を操作。傷が再生するより先に、深く突き刺す。
「轟雷!」
爆発のような衝撃が走る。鯨が身動ぎし、身体の上から振り落とされた。
「氷雨」
即座に氷の足場を生み着地する。ひっくり返った俺の方を見向きもせず、ブラウは槍を握り直した。
「坊っちゃん」
傷は確かに再生している。しかし、先の一撃は少し時間がかかっているようだ。つまり、この勢いで畳み掛ければ、やがて限界は来る。
「お望み通り、使い倒させてもらいます」
「望むところだ!」
俺は笑って、リヴァイアサンの元へ突っ込んだ。