75 : お使い
クヴェルが見た「未来」を変えるため、四層の神霊「リヴァイアサン」撃破を目指し一行は旅立った。
それから早くも一月半。俺とグリューンの居残り組は、何ら変わらない生活を過ごしている。
「……暇だな」
「暇だね」
穏やかな午後、俺とグリューンは並んでカウンターに座っていた。正直宿の護衛と言われても、特にすることはない。ロゼちゃんとクヴェルは同室になり、レーゲン先生がついている。体調を崩しても即座に対応できるように、との考えだそうだ。
そうなればいよいよすることがない。一階ホールで来客を見張る、にしてもそもそもこの宿にはあまり客が来ない。
「思いの外、事件とかは起きてないしね」
「むしろ平和そのものだな」
グリューンが広げる新聞を覗く。変な記事は無いが、街の人達は不審な人影を見たと話していた。気を緩める訳にはいかない。
冒険を繰り広げているあいつらのことを恨めしく思う。ツュンデンさんからもらった飴をがじがじと噛む。
「まー警戒してるうちはそんなもんさ。警戒が緩んだときが厄介だよー」
「気をつけます」
ツュンデンさんの忠告。心配しないでのサインを込めたウィンクは流された。クールな方だ。
さて今頃あいつらは何をしているだろうか。一月半経ったと言えど、体感ではそこまで経っていない気がする。
こっちの変化といえば、少しクヴェルが寝込むようになったこと。頭が痛いと言って宿にいる時間が増えた。教会に行くときは俺かグリューンがついて行っていたが、最近はその機会も少ない。
それと、ロゼちゃんが少し元気になった。レーゲン先生に見張られつつだが下に降りて、ツュンデンさんやグリューンと談笑している姿を見る。
「今頃どのへんなんだろなー」
「結構奥まで行ってるんじゃないかな。前の探索でだいぶ進んでるって言ってたし」
茶を飲むグリューンは淡々としている。……なんでこいつがロゼちゃんやツュンデンさんと混じって談笑できてるんだ。お茶汲み係に徹するしかない俺は納得がいかない。
「案外もうすぐ戦いだったりして」
「クヴェル君の頭痛も酷くなってるらしいし、意外とあるかもねぇ」
そんな話をしていると、レーゲン先生が降りてきた。
「レーゲン先生、如何なさいました?」
「うむ、暇そうじゃなおぬしら」
俺とグリューンを見るなり開口一番そう言った。まあ、暇してますが。
「ツュンデン、すこし二人を借りてよいか?」
「ん、ああ。んじゃ、私が上で二人看るわ」
レーゲン先生は二人、と俺達を指差しツュンデンさんは二人、と上を指さした。疑問符を浮かべる俺達を他所に、レーゲンさんはごそごそと鉢を取り出した。帰還の楔──の、コピー品が突き刺さっている奴だ。
「レーゲン先生?」
「お使いじゃ。ついてこい」
……それ、四層直通なんですよね?
そして俺達はレーゲン先生に連れられて四層に来ていた。
「初めて四層に来るのがこんな機会だとは……」
「不満か若造」
「暑い……」
潮の匂いに波の音、見慣れぬ植物に白い砂浜。グリューンはじりじり照りつける陽の光に辟易する。そういえばこいつは二層の際も文句を言っていたか。
「ここで何を探せばいいんです?」
「うむ。まずは薬に使う『ポッピ草』と『ゲネーの実』、それからある魚の魔物を狩れ」
「仰せのとおりに!」
さっぱりなんの植物かはわからないが教えてもらえるだろう。
「どのあたりに?」
「ポッピ草は海岸近くじゃから……そのあたりじゃな。ゲネーの実は森の中にあるはずじゃ」
見せられたページに描いてある絵を見ながら海岸近くの茂みを見る。先端に行くほど赤みを増す、ぎざぎざした葉っぱと細い茎が特徴な草。四層の植物は割と派手な色合いが多いため、赤といえども油断できない。
がさがさと手を突っ込み茂みをかき分け、ようやく発見した。
「ありましたよレーゲン先生」
「この袋いっぱいくらい探せ。ちゃんと残すんじゃぞ」
「八割は次の人のために、ですね」
渡された袋を受け取り、草を毟る。八割程度摘めば移動し他の群生地へ、を繰り返していればある程度溜まった。
「次はゲネーの実……ありそうか? グリューン」
木の上に登っていたグリューンを呼ぶ。ひょこりと顔を出したグリューンは首を横に振った。
「無さそう」
「そうか。んじゃ移動──」
「あとこれ」
そう言って何かを投げられる。思いっきり顔に叩きつけられた。「いてぇ!」と文句を言って掴み上げてみれば、小さな猿っぽい生き物。ぎい、と鳴いて腕に噛みつかれた。
「んっだこれ!! てかいててててて!!」
「ちょっとリーダーに似てる」
「お前マジふざけんなよ! 痛えなクソ!!」
茂みに向かってぶん投げる。なんて野郎だあいつは。レーゲン先生が「早くしろ」と促す。それに頷き森の中へ足を踏み入れた。
「これですかね」
「投げるよリーダー」
「おい! お前んないきなり……いって!!」
見つけた木の実を集めて包む。重くなった鞄を抱えて浜辺まで歩いた。
「これで終わりですか?」
「うんにゃ、あとひとつ魚の魔物を狩ってもらいたい。その背びれが乾燥させれば漢方薬になるのでな」
「はぁ」
魚の魔物と戦った経験はまあある。一層の川にいた小型の奴を思い出す。背びれとなればそこそこ捕まえなくてはならないな。
浜辺に立つ。さて、どうやっておびき出すのだろうか。釣りでもするのかな?
「レーゲン先生、その魚はどうやって……」
「まあ待て。すぐに済む」
すぐに済む? 首を傾げる俺を、レーゲン先生は突き飛ばす。バランスを崩して海の中に足を突っ込んだ。ブーツの中まで濡れてしまって気持ち悪い。思わず声を上げた。うっかりしたらそのまま倒れてしまっていただろう。
「なにしてるんですか!」
グリューンが声を上げた。お前も散々人に猿やら実やら投げてきただろうが! レーゲン先生は杖を握ると声を張る。
「騒ぐな、来るぞ!」
何が、と続けようとした途端凄まじい水飛沫の音が響く。振り返れば、俺の背丈以上ある巨大魚が波の向こうからすっ飛んできていた。極彩色の鱗、ぎらぎらと光る真っ赤な目。
「このあたりは奴の縄張りよ。一歩でも踏み入れればものすごい速度で迎撃にやって来る」
「先に言っといてくださいよ!!」
俺は剣を抜き後退する。膝下とはいえ水に浸かっていれば身動きは取りづらい。砂浜も足場としては最悪だが、まだマシだ。
「弓と剣、か。しかも小僧は魔力を使えぬ、となれば……」
レーゲン先生の呟き。そうしている間にもどんどんと魚は近づいてきていた。
「仕方無し。儂も力を貸してやろうぞ」
そう言ってレーゲン先生は握りしめた杖を振る。グリューンも弓を振り絞り、俺も構えた。
「闇討ち!」
グリューンの矢が魚を捉える。しかしそれはえらを掠めただけだった。舌打ち。
「ユニゾン!!」
下からの斬り上げ。波間ごと奴を斬る! ……そのつもりだった。
「炎天・火車」
俺の真横を真っ赤な炎が駆け抜ける。斬撃が届くより早く、巨大魚は爆撃を受けたように跳ねた。焦げる匂いが立ち上る。レーゲン先生から魚までを結んだ最短距離、波間が割れ砂浜に跡を作ったのを、確かに視界に捉えた。炎が海を裂き、焼いた。思わず凍りつく俺達を余所目に、レーゲン先生は声を上げる。
「早く引き上げよ! 波にさらわれる!!」
「は、はい!!」
俺とグリューンは海に飛び込み、巨大魚の死骸を引き上げた。あれだけの威力でも加減したのか、魚の耐久力がすごいのか、背びれはまるごと無事だった。
「それにしてもレーゲン先生の魔法はすごいですね。あれ程の威力をあの時間で放てるとは」
「伊達に生きておらんわ。久しぶりで出力を誤ったがな」
巨大だったこともあり、背びれも相当な大きさだ。一匹で十分だったらしい。鞄に入らないので小脇に抱え、お使いは終了だ。
「忘れ物はないな? では帰るぞ」
「了解です」
地面に楔が打ち込まれる。一瞬の浮遊感のあと慣れた宿へと転移した。ツュンデンさんはいない。二階で二人を見ているのだろう。
「──!?」
グリューンがフードをおろし天井を見た。頭に覗く獣の耳が動いている。こいつは力の民だけあって耳がいい。
「グリューン、どうした」
「……なにか変だ」
何が、と問えばグリューンは唇を震わせる。レーゲン先生が目を閉じ、即座に開いた。
「……静かすぎる」
その言葉を合図に三人揃って階段を上る。雪崩込むようにしてロゼちゃんの部屋の前に押し寄せた。扉を叩く。返事はない。
「おいツュンデン! おい!!」
レーゲン先生の呼びかけにも返事はなく。ドアノブに手をかけた。この宿の扉は外開きだ。一気に開ける。中に入ろうと足を踏み入れようとした瞬間、足元に横たわる姿に気づく。
「ツュンデンさん!!」
ツュンデンさんが倒れ込んでいた。側頭部から血を流し、気を失っている。そして室内は──
「うっそ……だろ……」
窓は割られ、寝台の上に姿はない。二人共だ。土足で踏み込んだ足跡。ロゼちゃんの武器であるリングが、抵抗の証のように床に転がっていた。
「すぐにツュンデンを下へ」
動けない俺達に命令。グリューンがすぐさまツュンデンさんを抱えて部屋を出た。レーゲン先生は杖を構え、ぶつぶつと小さく何かをつぶやく。
「これは、儂の招いた失態じゃ。油断した、ツュンデンひとりに任せるのではなかった……」
俺に向かって、レーゲン先生は言った。そんなことはない、と言う前に彼女はさらに言葉を紡ぐ。
「恥に恥を上塗りするようで申し訳ない。おぬしら、手を貸してもらえるか」
そんなの、決まってる。
「勿論! 必ずロゼちゃんとクヴェルを、取り戻しましょう!!」
そして華麗にロゼちゃんを救出し、俺だってたまにはかっこいいんだぞ、というところを猛アピールするのだ!