73 : 死んでも死なん
翌日早朝。雨はとうに止んでいた。カーテンの閉められた窓、その隙間から朝日が差し込む。かすかな明かりに照らされる廊下、部屋の扉を開き、そこに現れる影。
長身に黒衣、背中に負う長い包み。彼は部屋の戸を眺め、それから階段を降りた。二階、そして一階へ。明かりは灯っていない。まだ誰も起きていない時間を選んだ───はずだった。
「よぉ、随分はえぇな」
明かりのない一階ホール内に、皆が揃っている。
ヴァイス、シュヴァルツ、ロート、ジルヴァ、毛布にくるまったロゼ、レーゲン、そしてツュンデンまで。皆が階段から降りてきたブラウを待ち構えていた。
「……どうしたんですか皆さん」
「待ってたんだよ」
椅子に座っていたヴァイスは脚を振り上げ立ち上がる。つかつかとブラウの前に躍り出た。
「ぜってぇひとりで迷宮に向かうバカヤローを止めるためにな」
ブラウは皆に視線をやる。ツュンデン、レーゲン、ロゼ以外の皆は今すぐにでも迷宮へ行けるような装備を整えていた。
「……全員に話したんですか」
「おう」
くい、と親指で仲間達を指し示し、ヴァイスはブラウを見上げた。
「当たり前だろ。仲間の危機なんだから」
その言葉に──ブラウは、大きなため息をついた。頭をぐしっと掻き俯く。
「これは、私の問題です」
「関係ねぇ。お前は俺の仲間だ」
静まり返る空間にばちり、と緊張が奔る。互いの視線が交差し、止まった。
先に動いたのはブラウ。目の前に立つヴァイスを躱しその横を抜けようとする。伸ばされる手、肩口を掴みそれを止める。くるりと反転。ヴァイスの眼前にべちん、と叩きつけられる掌底。そこまでの痛みはないが一時視界を塞がれる。緩んだ手の隙に離れようとし──
「振り払うなら全力でやれよ」
ブラウの肩を掴むヴァイスの手は緩むことなく。しっかりと、握られていた。
「離してください」
「離すわけねえだろ」
「ならばお望み通り──」
ブラウは背負う包みに手をかけた。
「全力で行かせてもらいます」
その直後、肩から降ろされた槍の包みが、ヴァイスの腹に打ち込まれる。体が吹っ飛び、正面入口の扉に激突した。室内の一同は息を呑む。
勢いで扉が開き、ヴァイスの体は外の通りを転がる。受け身を取りながら衝撃を緩め、跳ねるようにして立ち上がる。
「主人に向かって相当だな!」
「やれと言ったのは坊っちゃんです」
背後から迫るロートの拳をノールックで受け流す。勢いを流されふらつくロートはふんと鼻を鳴らした。
「一筋縄じゃいかないわけ?」
「……私と殴り合いをするために皆さん集まったんですか?」
「うんにゃ、違う。お前ら、下がってろ」
ヴァイスは拳を固めて骨を鳴らす。ロートも、立ち上がった皆も大人しく腰を下ろした。
「別に殴り合うつもりはねぇよ。お前がひとりで迷宮に行こうとなんてしなけりゃな」
「それはできません。これは私達兄弟の問題、あなた方は巻き込めません」
「ほら、だからだよ」
ヴァイスが地面を蹴った。距離を詰め、身を屈める。腕を軸にして脚を真上に。突き上げるような蹴り、体をよじって躱された。その脚を掴み、投げようとブラウは構えた。
逆さ吊りになった体制から腹筋を使って上体を起こす。逆に腕を掴み直し、懸垂の要領で体を持ち上げた。絡み合う腕の隙間から、互いに互いの瞳を覗く。ヴァイスはその緑を見てにやりと笑った。
「おらぁっ!!」
空いていた左脚を振り上げ、右脚を掴むブラウの腕に打ち込む。手応え、微かに緩んだ隙をついて右脚を解放する。落下、その腕を伸ばしブラウの肩を掴んだ。一瞬、地面に脚をつけ跳躍。打ち上げられるような──頭突き。
打ち込んだヴァイスも、受けたブラウも、互いにダメージはある。お互いに額を真っ赤にしていた。ブラウは肩に置かれた右腕を掴み、足を踏みしめる。
ヴァイスの体が空を舞った。視界が反転し、空が見える。見事な背負い投げ。
地面に叩きつけられる背。これで仕留めたと思ったのだろう。ブラウはヴァイスの腕から手を離し、身を起こした。包みを背負い直しその場から離れようとする。音を聞きつけて通りに並ぶ家から人が覗いていた。
「お前は口先じゃ、俺達を仲間じゃねえと言うけどよ!」
響いた声。振り返ったブラウの眼前に迫るヴァイスの拳。ガードするまもなく横っ面にめり込んだ。ブラウの体が傾ぐ。
「本心では俺達を仲間だと思ってんだろ!!」
傾いだ体、その襟ぐりを掴み押し倒す。そして再度の頭突き。
「何をっ……根拠に!」
「ホントに俺達をなんとも思ってねえなら! 『巻き込めない』なんて言わねえはずだ!!」
二度目の頭突きに、額から血が出ている。それでもお構いなしにヴァイスは続けた。
「お構いなしに巻き込んで、利用して、使い潰そうとするはずだ!! それなのに、お前は俺達を『巻き込みたくない』って言った! 自分の問題だと俺たちを遠ざけた!!」
馬乗りになりながらヴァイスは問う。
「なんですぐに俺達を遠ざけようとする!? なんで自分から離れるように仕向ける!? なんで大人ぶろうとする!?」
「────!」
喧嘩か? と人々が通りにぞろぞろと出てきた。それを無視してヴァイスは続ける。
「お前も! ロートも! すぐひとりで抱え込んで!! 大人だからか? 関係ねえよ! お前も、俺も、おんなじだろ! ただ生まれた時間が違うだけの同じ人間だぞ!!」
深緑の瞳が──見開かれた。 緑の奥に春先の若葉、芽吹きの色を灯して。
「歳下だとか歳上だとか関係ねぇ! 俺達はいつまでもお前にお守りされる子供じゃねえんだ!」
大きくのけぞり、止めの頭突き。額からばたばたと血を流す。それでもヴァイスは真正面からブラウを見据えた。
「お前がクヴェルのためにすることは、ひとりで迷宮に向かうことじゃねえだろ!」
白髪の隙間から覗く蒼天の瞳。差し込む朝日に照らされ、その青は煌めいた。
「守りてえ弟のために! 俺達の命を使い倒してやるって気概を見せてみろ! ブラウ!!」
石畳に横たわるブラウは、腕を持ち上げ顔を手で覆う。腕の下、隠したそこから響く声。それはかすれ、弱々しい声。それでもヴァイスの耳に届くには充分だった。
「──使い倒したら、元も子もないでしょうが……」
「安心しろ。俺達は死んでも死なん」
ヴァイスの言葉の後、思わず漏れたと言うようなくすり、という笑い声が溢れる。へ、と素っ頓狂な声を上げたヴァイスは思わず眼下を覗くが、ブラウはすっかり顔を隠してしまっている。
「今笑っただろお前!!」
「何がですか」
「しらばっくれんな! 手ぇどかせお前ェ……!」
「それはともかく……」
ぎゃんぎゃんと吠え立てるヴァイスを他所に、ブラウはすっと真横を指さした。
「人目につきすぎています。一旦宿に戻りましょう」
朝っぱらから通りで繰り広げた大喧嘩、周りの人々が遠巻きになんだなんだと覗いている。開け放たれた宿の扉、その向こうからロート達が手招きしていた。
「お騒がせしましたァ!!」
ブラウの肩を負いヴァイスはとっとと宿内に飛び込んだ。
「……さて」
ぐるぐると頭に包帯を巻かれるヴァイスとブラウ。体調不良のロゼに回復術を使わせるわけにも行かないため、ツュンデンさんに治療されていた。
「本当について来るんですね……」
「当たり前だろ。今更」
ほらできた、と仕上げにきつく結ばれヴァイスは悲鳴を上げた。
「もう覚悟はわかりましたが……。ロゼさんは、今回は待機ということですね?」
「うっ……はい……」
しょんぼりとロゼがうなだれる。レーゲンが当たり前じゃと呟いた。
「ロゼさんの不在により、我々には後方支援に徹する役がいなくなります。薬の知識も治療技術も、生憎皆、専門分野ではありません」
「うぐっ!」
素早さ特化の攻撃役ヴァイス。槍を用いた前衛のブラウ。刀を振るう攻撃特化なジルヴァ。銃砲を扱う後衛ロート。多彩な呪文で攻撃に転じるシュヴァルツ。全員治療や補助は得意ではない。
「それに……宿の防御が手薄になります」
「私もレーゲンもいるんだ。心配しないどくれよ」
ツュンデンの言葉にレーゲンも頷く。二十年前の伝説のギルド、そのメンバー二人が留守番しているのだから、心配無用だと一同頷いた。しかしブラウは首を振る。
「お二人の腕前は存じませんが、守るのは宿だけではありません。……クヴェルです」
そう言って苦々しい表情を浮かべた。
「五年前、当時私の友クライノートが持っていた竜の眼を狙い、ある連中は民家を焼きました。竜の眼を狙うのは、それほどの暴挙に出る輩です。……何かあった際、お二人は衛兵にも顔を出せない立場ですし」
「……それは」
二人は反論の言葉をなくす。ゼーゲンのメンバー、ということは一応、表舞台には出れないということだからだ。そのタイミングでロゼが不調だった場合、外への捜索も憚られる上、衛兵への連絡もできなくなる。
「そういう不安もあったので、ひとりで行こうとしたんですよ私は……」
「俺達に留守番してろってか!?」
「ええ。無言で帰還の楔を移動させる予定でした」
「たちわりぃなお前」
一同揃って首を捻る。宿の護衛、探索への同行、どちらにせよ人数は足らない。この状況を打破する策──その時だった。扉の向こうから響く足音。
「たっだいま戻りました──! ツュンデンさぁーん!! 貴方の下僕、オランジェが戻りましたぁ!!」
「朝っぱらからうるっさいよオランジェ……」
「ただいま戻りましたーっす」
「通りが騒がしかったですが皆さんどうしまし……」
開け放たれた扉の向こうから現れる、四人組。燕の旅団別働隊、鷹の目メンバー。
彼らは一階に集まる一同からの視線を浴び、首をひねった。




