5 : 少年の夢
「ぼくはクヴェル、ブラウあにうえの弟で、八さいです。はじめまして、おねえさん! ひさしぶりヴァイスにぃ!」
屈託のない笑みを浮かべて、クヴェルは自己紹介の締めをする。ロートが目をきらきらとさせながら手を伸ばそうとしてブラウに止められていた。
「何をする気です」
「アタシの好みは綺麗系美少年と歳上の渋めオジサマなのよ!」
「お引取りください」
ホントにお引取り願う。
ゆっくり話せる場所として提供したのは二股の黒猫亭。ツュンデンさんが留守にしている一階ホールは静かだった。
そして俺は、客席の椅子に縛り付けられている。逃げ出さないためとはいえ簀巻きにする必要性はあるのか。
「アタシのことは『ロートお姉ちゃん』って呼んでくれる?」
「わかりました!」
はうん、と声を上げてすっかり骨抜きだ。おい俺を解放しろ。そんなロートを追いやって、ブラウはクヴェルに視線を合わせてしゃがむ。
「クヴェル、何故宿を抜け出したのですか?」
その問いに困ったように眉根を寄せる。怒られると思っているのか、躊躇しているようだ。
「怒るわけではありません。教えてもらえますか?」
俺やロートを相手したときとは異なる柔らかな口調。クヴェルは口を開いた。
「あにうえが、ぼくをおやしきに置いておかないで、つれてきてくれたことはうれしいんだけど、でも、このまちについてからあにうえは、ずっとぼくを宿やに置いて一人でヴァイスにぃさがしに行ってたでしょ……?」
「……はい」
「それでぼく、ついていきたくて……。今日は、こっそり宿をぬけだしたの……」
ごめんなさいと小さな声で呟く。ブラウは顔を手で覆い俯く。少しの沈黙の後、顔を伏せたまま俺の方に向かって歩いてきた。椅子ごと拘束された俺を運び部屋の隅へ。
「坊っちゃん」
「はい」
ブラウはずっと顔を伏せたままだ。五年の付き合いともあって、なんとなく次に来る言葉がわかる自分がいる。
「私の弟にこれ以上心身的負担をかけたくないので帰ってきてもらえますか?」
「いやじゃい!!」
「どうするんですかクヴェルの心に深い傷を負わせたら……!」
「解決策はあるぞ」
びしりと指を突きつけたかったところだが、簀巻きにされているせいでそうもいかない。もごもごと体を動かして俺は言った。
「お前が俺らのギルドに入って、常に俺の護衛をしてれば近くにいてやれるぜ?」
「……………………」
「めっちゃ嫌そうな顔するじゃん……」
正直ブラウの強さは俺が一番よく知っている。こいつが俺の部屋入口に張り込んでいるときは、ある手を使わなければ抜け出すことは不可能だった。
逆に非番の日は森に向かって走る俺と追いかける騎士仲間を見てもガン無視だったが。そんなブラウが仲間入りしてくれれば、頼れる戦力になる。
「クヴェル、しばらく二人とお話していなさい」
「はい!」
クヴェルにそう伝えると、俺の方に耳打ちをする。
「旦那様と連絡を取ります。貴方を発見したことと連れ帰る予定であること全て報告しますので」
「うわ────!! やめろやめろやめろ──!!」
「やめません、では」
二階使ってもよろしいですか、とロートに確認を取り二階に上った。地団駄を踏む俺に対して、見張りのいなくなったロートはうきうきとクヴェルに近寄る。
「取って食うなよ」
「人を獣みたいに言うんじゃないわよ!!」
ガチの目をして何を言う。ロートはクヴェルの前に膝を付き視線を合わせた。
「あーやっぱりほっぺもちもちツヤツヤ! 髪もサラサラだしいい〜かわいい〜!」
デレデレな様子で撫でまくる。クヴェルは大人慣れしているため別段慌てた様子もない。
「やっぱりこの耳、知恵の民なのね」
「そうです」
「……でも騎士サマの耳、一見普通のに見えたけど」
「──あー……」
流石の俺も、言葉を選ぶ。このことに関しては、あっさり答えられる問題では無いからだ。
この世界は創造神と呼ばれる存在が生み出したとされている。神は世界を生み出した後に力尽き、その肉体は四つに別れそれらが四種類の人間を生み出したそうだ。
俺とシュヴァルツは何の外見特徴もない「心の民」。
ロートやツュンデンさんは獣の耳と力を持つ「力の民」。
そして目の前のクヴェルは、尖った耳を持った「知恵の民」。地頭の良さは負けるかもしれない。
ちなみにもう一つ「器の民」がいるのだが、彼らは千年以上も昔にほとんど絶滅したそうだ。
「ま、アタシが深入りすることじゃないわね。あ〜かわいいかわいい」
何事もなかったようにロートはクヴェルを撫で回す。色々さっぱりしてる奴だ。
そうこうしていると、階段をブラウが降りてきた。何も言わず、俺の目の前にある机の上に銀のベルを置いた。思わずげぇ、と声が出る。
それはただのベルではない。一部の公爵家や貴族の間で出回っている、遠距離間でも会話ができると言う魔力の込められたアイテム──「遠呼びのベル」だ。
触れてもないのに半分が空中に浮かび、ほの青い光を放っている。この光が出ている間は相手と繋がっている、というのを俺は親父から聞いたことがあった。
「相手、は」
「息災か」
低い、張りのある声。壁にまで下がったブラウは、小さく一言呟いた。
「旦那様からです」
俺は息を吸い込み、腹を括った。
「息災か、ヴァイス」
「……お陰さまで、今は親父が派遣した騎士サマに簀巻きにされてるよ」
「どうせお前が逃げようとしたんだろう」
「さあね」
「……ヴァイス、お前が屋敷を飛び出してから一月が経った。いい加減、現実を見たか?」
「……」
「迷宮は、そこに辿り着くまでの道程は、お前が夢見ていたものとは大きく異なっただろう」
「ああそのとおりさ。家を出た初日にスリにあったり、船に乗ろうとして素寒貧になったり、街についたと思ったら死にかけたり、クソでかい熊に追い回されたり、化物蜘蛛に襲われた人間を助けたり、蜘蛛の汁まみれになったり、金稼ぎのために手伝いをしたり……散々だったぜ、この一月はよ」
「諦めて帰ってくる気になったか?」
「いや、全然?」
「やっぱりな」
「当たり前だ。むしろこの一月で理解したぜ? 俺が知ってる羊領、世界の十二分の一ってのは思ったよりシケてて小せえってな」
「その『小せえ』領を支配している父が馬鹿らしいとでも?」
「そんなことは思っちゃねえよ。お疲れさん。それだけじゃねぇ、俺は世界が広くて、変なものばっかりだってこともわかった。俺一人でどうにかなるものじゃない。身分も、立場も関係なく、手を取り合って助け合わなきゃどうにもならねぇ」
「それで?」
「やっぱり俺は、夢を諦めきれない。俺はまだ帰れねぇ。だから暫く俺をほっとけ」
「…………子供らしい、馬鹿らしい夢は早く捨て去れと、あの日も言ったはずだが」
「言われたなぁ、それで腹立てて家出したんだから。でも」
「大人になれ、ヴァイス」
「……」
「お前もこの冬でもう十七だ。お前は何度、その馬鹿げた『夢』を笑われた? 話すたびに笑われ、相手にされず聞き流されただろう。お前は、十二貴族の人間なのだから」
「……ああ、そのとおりだよ」
「お前の夢は叶わない。叶えられるはずがない。馬鹿にされこそすれ、褒められることはない。万に一つ叶ったとしても、誰もお前を認めはしない。それなのに──」
「夢ってモンは、馬鹿げてて、クソデケェほど価値があるだろ」
「私はそうは思わないが」
「俺らは普通の人からしたら、豊かな財に国を治める権力、なんでも持ってる夢みてえな立場にいるんだ。そんな俺らが見る夢はよ、普通の奴らが笑うくらいで丁度いいんだ」
「夢みたいな、か。……お前に、その自覚があったのか」
「あるよ。自覚も、責任の重さも。生まれて、この名前の意味を知ったときからわかってる」
「いつもいつも『こんな家に生まれなきゃよかった』と言っていたからてっきり、な」
「それはそのとおりだ。生まれる家を間違えた」
「酷い言い草だな」
「……親父」
「なんだ、改まって」
「俺、別にアリエスの家を継ぎたくないわけじゃないんだ」
「そうだったのか」
「親父の背中を見て育ってる。親父を慕う、領民のみんなの事も知ってる。大人になったら、俺は親父みたいに領民を導ける正しい王になりたい」
「……再三言うが、なら子供じみた夢を捨て、早く大人になれ。お前はまだまだ知識が足りない。今のお前では、誰もついてくることはない」
「そうだろうな。今の俺は、まだまだ子供だよ」
「わかっているのなら──」
「でも!! ガキ一人の夢もロクに叶えられねぇで、立派な大人になったとは言いたくねぇッ!!」
「────────?!」
「ガキの夢を否定して、恥ずかしいからやめろと弾圧して、大人から見たお利口さんにさせて、それが正しいのか!? 何も言わねぇ人形になることが、大人になるってことなのか!? ちげぇだろ!! 世界中の誰にも、人の夢を、願いを馬鹿にする権利はない!! どんなに馬鹿みてえでも、どんなに不可能でも、非現実的でも! それを否定することは、それは、間違ってるッ!!」
「ヴァイ──」
「俺は夢を叶えて世界一の冒険者になる。そして、親父の跡を引き民を導く王になる。それが、馬鹿な少年としての願いと、十二貴族の跡取りとしての目的だ!」
「……」
「自分の夢を否定され続けたからこそ、俺は誰の夢も否定しない! その夢が叶おうと叶わなかろうと、全力で肯定する! 間違ってないと、夢を叶えようとする姿は美しいと、俺だけは認めてやる!!」
「お前は」
「馬鹿な少年としての願いを叶えたら、帰ってやるから呑気に待ってろ!! 親父ィ!!」
そこで、ようやく呼吸をした。長い間、呼吸をした気が、しなかった。思考をする暇すらなく、ただ頭の中に流れる言葉を吐き出し続けた。
言ってる順序も言葉も繋がりもぐちゃぐちゃで、何を言ったかも覚えていない。ただ、言葉を発し終えた俺は全身で汗をかいていて息も切らしていた。
長い沈黙。通話はまだ終わっていない。
「ブラウ」
「はい、ここに」
沈黙を破る親父の声。
「君に与えた指令を変更する」
────は? 俺だけではなく、思わずブラウも反応を返す。
「側に、いてやってくれ。側で、支えてあげてくれ。自分で諦めると言ったら、すぐに連れて帰ってきてくれればいい。それまで、君の帰還を禁ずる」
「────承知、しました」
たっぷりと間を開けて、ブラウが最敬礼をした。
「それと、そこにいるのかな。息子の友人──お仲間は」
ロートが肩と眉をピクリと動かす。
「愚直で、一度言い出すと話を聞かないところがある子だが、ついて行ってあげてほしい。よろしく、お願いする」
「は、はいっ」
思わずといった様子でロートが返事をした。
「ヴァイス」
俺は返事を返さない。少しの間を開けて、声は帰ってきた。
「お前の席は、開けてあるぞ」
「……俺が帰るまで、ピンピンしてろよ」
「気をつけるよ」
「じゃあ、またな」
「ああ」
そう言って、ベルはチンと音を立てた。全身から、どっと汗が噴き出す。目眩がしてきた。今になって、親父との会話がフラッシュバックする。ロートもがたんと派手な音を立てて椅子に座り込んだ。
「俺……何言ったか全然覚えてねぇ……」
「流石は十二貴族様だわ……。アタシ……聞いてただけでどっと疲れたんだけど」
よくぞあそこまで啖呵切ったものだ。屋敷にいた頃では、あんなことは言えなかった。ぜえぜえと息をし、ブラウの方を見る。
「親父からの指令が出たな、ブラウ」
「……何を仰るつもりで?」
「俺の側で、常に守れる場所。わかるよな?」
暗に勧誘をする。ブラウは渋い顔を浮かべた。
「……迷宮内まで同行しなくとも、護衛はできます」
「無理だろ」
「これ以上弟と離れろと言うのですか」
ええい強情な奴め。俺はクヴェルを呼ぶと隣にこさせた。いくつかの指示を出すと、クヴェルは困ったような顔をしていたが、一言二言声をかけると最後には応じてくれた。
「あにうえ……」
上目遣い、小首を傾げて次の言葉を放つ。
「ぼく、あにうえから迷宮のお話ききたい、な?」
ブラウが顔を手で覆い天を仰ぐこと五秒。それから俯くこと八秒、そのまま俺の椅子を引っ張りクヴェルから離れるまでわずか二秒。
「クヴェルを利用するとは……卑怯すぎませんか坊っちゃん……」
「利用とは人聞きわりいな、俺はクヴェルに聞いただけだよ。『迷宮興味ある?』ってな」
「今すぐにでも貴方が諦めたと言って連れ帰るべきでは──」
「やめろやめろ、勘弁してくれ」
本当に勘弁して欲しい。
「いや、やはりクヴェルが心配です。神々しさを覚えるほどの尊さ、離れるのは心が痛みます」
「お前、相変わらずだな……」
ブラウはクヴェル本人の前ではそうでもないが、少しでも弟から離れると態度に丸出しなブラコンになる。五年の付き合いで俺はそれをよく理解していた。
「宿に常に預けておくと言うのは宿側にも負担がかかりますし──」
「私は構わないよ」
聞き慣れた声、声の方を向くとカウンターの向こうからツュンデンさんが生えてきた。その横からも同じようにシュヴァルツが生えてきた。
「いつ帰ってきとったんじゃお前ら────ッ!!」
「お前が夢に関して熱弁たれ始めた頃」
「いっちばん恥ずかしいタイミングじゃねぇか!!」
腕組みしながらうんうんとツュンデンさんは頷いた。
「正面から覗いたときにあ、これなんか揉めてるなって思って裏口から入って、ずっと隠れてた」
「ちなみにアタシと騎士サマはずっと気づいてたけど黙ってたわ」
「ご丁寧なドッキリありがとうよ!!」
心臓口から飛び出すかと思ったわ。シュヴァルツは滅多に見せないにやにやとした笑いを浮かべて俺を見る。俺が親父に何を言ったかはさっぱり覚えてないが、この顔はシンプルにムカつく。
ブラウとシュヴァルツは顔を合わせると一礼した。ブラウは俺の護衛だったし、シュヴァルツとは同じ師匠のもとで修行した兄弟弟子。二人は顔見知りだ。
「どうも、ブラウさん」
「シュヴァルツさん、坊っちゃんがご迷惑をかけております」
「いつでも連れ帰っていいですから」
「承知しております」
「お前らそんなに俺に帰ってほしいの……?」
流石に傷つく。
「で、えぇ? ブラコン君だっけ?」
「ブラウです。心底最悪な言い間違いはやめてもらえますか」
「いや失敬失敬。まあ、弟君を預かることに関しては私は無問題さ。きっちりお守りしてやるよ」
「いえ、その」
「好みの男の子には指一本触らせないわよ」
「ま・か・せ・ら・れ・ま・せ・ん!!」
ブラウの顔が鬼の形相に変わろうとしている。簀巻きにされた俺に止めることは不可能なので、その場から逃げ出そうともがいた。げらげらと笑うツュンデンさんは、「それはともかく」と紙を取り出し広げた。
「仲間が増える増えないはともかくとして──あんたらに、仕事がある」
広げられた紙にはいくつかの指示と、この黒猫通りの地図。
「今日シュヴァルツを連れてったのは街の集まりだ。そこで、この黒猫通りに住む連中にこの作戦への参加が強制された」
「作戦……?」
「ああそうさ。……私は事情があって、どうしても表に出ることができない。だからあんたらに動いてもらいたい」
「俺らに?」
「作戦って……何?」
首を傾げる俺とロート、困り顔のクヴェルを抱えて思案しているブラウを一瞥し、ツュンデンさんは言った。
「夕方、椿の刻に近頃近隣を騒がす迷宮崇拝の新興宗教──『銀月教』の大聖堂に乗り込み、ブッ叩くっていう作戦よ」