65 : こぼれ話
燕の旅団一行が街へ向かったのと同時刻。二股の黒猫亭にて。
「レーゲン」
「なんじゃ、ツュンデン」
カウンターを挟んで向かい合う二人。二十年前、共にゼーゲンの仲間として肩を並べた二人。
「あの子達は、どんな反応をしたんだい?」
ツュンデンがグラスの縁をなぞる。注がれているのは年代物のウイスキー。
「シュヴァルツとロートは驚いておった。ロゼは、瞬きをしただけじゃった。そして、ヴァイスとブラウは苛立っておった」
「苛立つ?」
「うむ。ヴァイスは己の意志で進んできた道を、定められた未来だと言われ腹を立てているようじゃった。そしてブラウは、ゼーゲンの意志を継ぐことに腹を立てておった」
レーゲンがウイスキーの瓶を掴もうとして、ツュンデンに没収される。
「キツく言われたのう。親の進んだ道を子が進む道理はない、自分達はゼーゲンではない、と」
「騎士君が? 意外」
酒の代わりに注がれた果実水を飲み下す。
「失礼なもんじゃ。儂は、『意志を継げ』とも、『お前達がフルの夢を叶えろ』とも言っとらんのにな」
「まあ、そう聞こえちゃうだろうねぇ」
ツュンデンは、ちびちびとウイスキーを舐めた。
「儂の手で叶えられるなら、とうに動いて奴の本懐を果たしているというのに。それができない己が歯痒い」
「仕方ないさ。あの子達は『未来』を見てないんだから」
しばしの沈黙。
「……世界を変えるのは、あの子達だ。私が見た未来に、レーゲンの姿も、私の姿もなかった。私達がどれだけ動き回ろうと、世界は動かないし、変わらない」
それは定められた事象、故に何があろうと変わらない。ツュンデンが見た「最悪の未来」が、それを証明していた。
ツュンデンが見た「最悪の未来」。泣き叫ぶ自分、取り押さえられる仲間達、なすすべもなく、引き剥がされる自分自身。
それは、ゼーゲンの仲間達が捕らえられる瞬間の光景だった。どんなに避けようと画策し、動いても──皆は捕らえられ、散り散りになった。その結末が、フルの処刑だ。
「儂らは、それに甘えておったのかもしれんな。極論言ってしまえば……自分達が何もしなくとも、必ずあの子らが世界を変えると決められているのじゃから」
五層の神霊テュポンが、彼らに未来を見せた理由。
──やがてくる最悪に絶望し怯え続けろ
──幸福という結末のわかった物語を進め
今にして思えば、悪趣味極まりない所業。幸福の未来だろうと、最悪の未来だろうと、やがて訪れる確定された事象を、待つことしかできないのだから。
「若造の言葉ではっとした。──儂がすべきことは、意志を伝えることではなかったのじゃ」
レーゲンの、目の色が変わる。
「フルは己が処刑された後の未来──二十年も先の、未来を見た。その時奴は生きておらんのにじゃ」
とん、とカウンターを指で小突いた。
「テュポンが見せた未来は、厳密には個人個人の未来ではないのじゃろう。この世界という盤に刻まれた出来事、その中で各々の『理想』に近い事象を、幸福の未来として儂らに見せた」
当人が生きていようと、死んでいようと、その人物にとって理想と言える出来事を見せつける。その理想が生きているうちに実現するか、死してから実現するかはわからない。随分と、性格の悪い趣向である。
「つまり、儂自身が見た『幸福の未来』は、たとえ儂がおらずとも実現する」
「──レーゲン?」
ツュンデンが、声を上げる。
「ブラウの言葉や、ジルヴァの決意で気づいたよ。儂がすべきことは、待つことや育てることではなかった」
「ねぇ」
「動かなくてはならなかったんだ。託すのではなく、道を作ることだった」
「待って」
「あの子達にしか世界が変えられないというのなら、あの子達が進む道に立ち塞がるものを、排斥すればよかったんだ」
「やめな!!」
ツュンデンの声に、レーゲンは言葉を止める。顔を手で覆い、ツュンデンは力なくへたり込む。
「ねぇ、レーゲン、やめないかい? 今更、もう二十年も経ったんだ。恨むとか、怒るとか、もう、遅いよ。私達はもう、大人なんだから」
力なく呟くその声に、常の覇気はない。
「大人じゃから怒らない、というのは違うじゃろう」
レーゲンは、淡々と返す。
「大人も子供も、心の器は同じよ。受け取った負の感情を何倍にも膨らましてしまう者、そのままの大きさで受け止めてしまう者、それが子供じゃ」
ツュンデンは顔をあげない。
「その感情を抑え込み、畳むことができるのが大人なんじゃと儂は思う。限られた器に、多くを溜めることができることこそが、な。──しかしそれでも、限界は来る」
レーゲンはとん、と己の胸を叩く。
「負の感情が器から溢れれば、怒り、暴れ、泣きもする。大人も子供も、変わらんよ。──儂はおぬしより遥かに生きてきた。それでも、完全に怒りや憎しみを忘れたことはない」
ゆっくりと、ツュンデンは顔を上げた。彼女の金の目と、レーゲンの色を変える瞳が交差する。グラスの中の氷が溶けて、からんと軽い音を立てた。
「レーゲン、兄さんを、殺すつもり?」
「ああ。あやつだけは、許せん」
ツュンデンの兄、ルフト。現ゾディアックの国王にして──元ゼーゲンの戦闘員。仲間を売り、その地位を手に入れた男。
「恨むか?」
「……言っただろ。私はもう、恨むとか、悲しむとか、怒るとか……疲れたんだ」
ぐい、とグラスを傾ける。
「『なんで』も『どうして』も、二十年前に言い飽きた。それでも……私が今無事なのは、兄さんがいるおかげ」
追加の酒を注ぐ。
「兄さんをどうなろうと、もういい。冷たいって思うかもしれないけど、私はただ、子供達が大事。この宿が大事。あの子達が帰る場所を守るのが、私にできる精一杯」
グラス越しに覗くのは、二十年前の日々。彼女が兄と駆け抜けた光景。少しだけ、目を伏せる。
「────願うなら、もう一度だけ、ゆっくり話がしたいけどさ」
その回答に、レーゲンは沈黙。果実水を飲み干した。
しばしの沈黙。秒針の音が一階ホールを支配する。
「……ねぇ」
「なんじゃ」
沈黙を破ったのは、ツュンデンだった。
「あんたはなんで、そこまでして、フルの夢のために動くんだい?」
その言葉に、レーゲンは目を見開く。顎に手を当て思案し、少しの間を開けて、笑った。
「幾多も繰り返す輪廻の周回。……一度くらい、一人の男のために捧げるのも──悪くはなかろう」
「────そっか」
ツュンデンは残った酒を注ぎ、そのまま呷る。喉を焼くアルコールの刺激に眉をしかめた。
「レーゲン」
「何」
「フルのこと、好きだった?」
一拍の間が開く。
「歳下は好みでないわ」
「そっか」
空になった二つのグラスをさっと回収。流水の音。
「レーゲン」
「ええいなんじゃさっきから!」
水を止める。
「人生の先輩へ質問なんだけどさ、子育て、成功した?」
「した。おぬしは?」
先とは違う、間髪入れずの返答。レーゲンからの問いに、ツュンデンもまた間髪入れずに返答。
「した。胸を張って、それだけは言えるさ」
そして、二人は笑った。




