63 : 十人十色
火を灯したように、あたりが明るく染まる。ボクは辺りを見回しながら、こっそりと家を抜けた。
ボクの家は谷間の最奥。切り立った岸壁に張り付いた家々、その中でも一番高い位置にある。素早く足場を駆け下りた。
父さんにバレたらそりゃあ大変だし、集落のみんなの姿を見たら決意が鈍る。みんなのことは大好きだし、この島だって大好きだ。でも、ボクは決めた。ヴァイス達についていく。ボクはボクの夢を叶える! でも、村のみんなに引き止められたら、振り払える自信がない。
夜明け直後に走って、ヴァイス達のところへ行こう。彼らが起きたら、すぐに海を渡ってしまおう。ボクは荷物と刀を抱えて谷間を抜ける。
「どこへ行くんだ」
響いた声に急停止した。地の底から響くような声。ああもう! なんでだよ!!
「寝てたんじゃないのか! 親父ィ!」
「あれだけごそごそしてたら目も覚める」
岸壁の麓、父さんはそこに座り込んでいた。手に持つのは刀と酒瓶。父さんが刀を持つ姿は、随分久しぶりに見た。
「どこへ行くんだと聞いている」
「みんなの元だ」
恐れないし、誤魔化さない。ボクは堂々と告白する。
「ボクは今日、この島を出て彼らについていく! 彼らと共に、地上へ向かう!!」
父さんの目が、すうっと細められた。
「故郷より、家族より、テメェの夢が大事か!!」
「うるさい! ボクの本当の夢も知らない癖に!!」
足を踏みしめる。刀を抜いた。
「もう、『未来』を待つのはやめたんだ! ボクは自分の力で、『夢』を叶える!!」
「何が『夢』だ! お前も俺達も、一生外へは出られない! この迷宮で、生きていくしか術はない! 外に出ることがお前の夢なら、とっとと諦めろ!!」
目を閉じて、息を吸う。深く吸って、ゆっくり吐く。目を開き、刀を握る手に力を込める。
「ボクの夢は、ひとつになった世界で、みんなを地上に連れていくこと!!」
ずっと隠していた。ずっと、「外に行くこと」だけが夢だと言い聞かせてきた。でも違う。おこがましくても構わない。ボクは、みんなを救いたい!
「そのためにも、ゼーゲンの意志を果たす! 『燕の旅団』として、ボクは戦う!!」
「──思い上がるなよ、馬鹿娘」
低い声。父さんが鞘を投げ捨てる。抜き身となった漆黒の刀身。恐れるな、負けるな! ここで負ければ決意が砕ける!
「二十年、一人で外に出る度胸すらなかったお前に、そんな大義が果たせるか!!」
「そうさボクは臆病者さ。それでも、臆病者でも勇気はある!」
力いっぱい地面を蹴り上げ跳躍。空で体を捻り、思い切り振り下ろす! 凄まじい金属音。受けられるのは想定内。押し合う力を利用して父さんの頭上を飛び越える。
「ゼーゲンは俺達を見捨てた! 奴らだって、おんなじだ!!」
「たとえ彼らに置いて行かれたとして、もうボクは止まらない! もうボクは、決めたんだ!!」
もう待つことはやめる。もう立ち止まることはやめる。もう振り返ることはやめる。
「ボクは前を向く! あんたとは違うんだ!! 父さん!!」
髪の毛を抜き取り息を吹きかけた。流し込んだ魔力に反応して火が灯る。それは大きく膨れ上がり、父さんを包んだ。
「────俺とは違う、か」
炎の向こうから声がする。そろそろこの騒ぎを聞きつけ、集落の人がやってくるだろう。それは避けたい。
じりじりとゆっくり足を運び、炎から離れる。しかし後退し続けるわけにはいかない。父さんの立つのは集落への道、そこを越えなければ。
「確かに違う。お前は弱い」
炎を切り裂く一閃。吹き荒れる熱風、飛んだ火の粉は即座に消える。傷一つない。
「……父さんが化け物並みなだけさ」
夜は明けた。彼らが島を出るのはそろそろだ。それまでにここを切り抜けて、進まなくてはならない。
「人は醜く強欲だ。お前の血の価値を知れば、狙う輩は少なくない。事実、かつて人の欲によって、一つの種族は滅んだ」
「ボクらだって、人だ」
父さんの腕に力がこもる。刀を握る手に、びきりと血管が浮いた。
「違う。奴らからすれば俺達は──魔物だ」
即座に身を縮め、防御体制をとりながら後退。
「波間墜とし!!」
下からの斬り上げ。地面に激しい傷跡を刻みながら迫りくる斬撃。躱すだけでは、進めない!!
「月面墜としッ!!」
力いっぱい刀を振り降ろす。下から突き上げる衝撃と上から撃ち落とす斬撃が拮抗した。ここからは地力の勝負、負けるわけには、いかない!!
ぶつかり合う力、前に出る。触れ合った刀同士が悲鳴を上げた。長年放置した父さんの刀より、磨き続けたボクの刀の方が、強い!!
「でぇやあぁぁぁぁぁ────ッ!!」
手首をひねらせ力を逸らし、跳躍!
「絶縁でもなんでも勝手にしろ! 『家出』だ!!」
足裏の感触。父さんの顔面に足がめりこむ。その勢いのまま、前に!
走れ、走れ、走れ!! 振り返るな、立ち止まるな!
刀を鞘にしまい直す。背負った鞄の重み以上に、後ろ髪を引く思いがある。もう止まれない。もう止まらない。ボクは前に進むんだ!
集落の中を突っ走る。あまり人がいない。見送りに行っているようだ。昨日みんなが、朝に島を出ると言っていたからだろう。少なくて幸いだ。
それでも残っていた人は、走るボクを見て挨拶をしてくれる。言葉にできない思いを胸に、ボクは集落を駆け抜けた。
茂みを超え、砂浜に飛び出す。波間に向かって手を振る人々。青い波の向こうに見える、みんなの影。
間に合わなかった、遅かった。それでも、脚は止めない。
見送りに出ているみんなが、何事かとこちらを向く。ボクは思いっきり海へと飛び出し、指笛を鳴らした。
海の向こうでみんながこちらを向く。レーゲン、ロゼ、ブラウ、ロート、シュヴァルツ、そして、ヴァイス。ヴァイスの青い目は、ボクを引き付けて離さない。
「竜姫様────」
ボクは、跳んだ。砂浜を思いっきり蹴り上げ、海の中へ!
着水の瞬間、水の中から大きな魚影が現れる。その背に着地し、突き出したヒレを掴む。正面に二度力を込めれば、圧倒的な速度で進みだした。
「みんなぁぁぁぁぁ────ッ!!」
二十年前、ゼーゲンのみんなを追いかけた魔魚。二人までしか乗れないからこそ、亀と比べて速度の出せる魔物。二十年前のボクはなだめられ、島に帰ったけれど、今は違う。
「手を取れ! ジルヴァ!! お前が、それを望むなら!!」
伸ばされた手、ヴァイスの言葉。どんどん距離は狭まる。ボクはヒレから片手を離し、ヴァイス達の方へ手を伸ばす。
「連れて行ってくれ! ボクを、未来に!!」
指先が掠め、確かに触れた。その手首を掴み、ヴァイスは笑った。ボクの足が魔魚から浮く。
「よく言ったぁ!!」
ボクの腕をヴァイスが、ヴァイスの腰をシュヴァルツとロートが抑え込む。力いっぱい引き上げられ、もつれ合うようにして亀の上に倒れ込む。魔魚は役目は終わったとばかりに遠くへ泳いでいった。
「……故郷のことは、良いのか」
レーゲンは言った。ボクは立ち上がり島の方に背を向けて、小さく頷いた。
「いいんだ。──これで」
別れを告げる資格もない。ボクはみんなを置き去りにしてここにいる。
必ずみんなを地上に送る。みんなで暮らせる世界を作る。だから、それまで────
「竜姫様あぁぁぁぁぁ────!!」
背後から響いた声援。思わず体が動かなくなった。
「またいつでも戻ってきてください!」
「あなたがいないと誰が族長を止めるんですか!」
「竜姫様がいない間はお任せください!」
「気にせず戻ってきてくださいね!」
背中に向けられる暖かい言葉。ボクはゆっくり、振り返る。
浜辺に立ったみんなが手を振っている。笑顔で、ボクを送り出してくれている。
「おい、ジルヴァ!」
ゆっくりと、姿を表す影。父さんだ。遥か彼方でもわかる。わからないはずがない。きっとそれは、向こうも同じ。
「『家出』じゃねえ。いつでも戻ってこい。……『友達』を連れてな」
「──────っ!!」
ぐっと、胸の奥から競り上がる感情。抑えきれない思いが溢れて、目の周りが熱くなる。ぼろぼろ、ぼろぼろとあふれる涙をそのままに、ボクは声を張り上げた。
「しばらくっ! でかけます!! ──晩御飯は! いりませんっ!!」
肩が外れるんじゃないかと思うほど、みんなの姿が豆粒以下の大きさになっても、ボクは手を振り続けた。その姿を、「燕の旅団」のみんなは黙って見守ってくれていた。
亀はゆっくり島から離れる。そして本来の浜辺へ合流し、冒険へ向かうのだ。涙を拭って、顔を上げた。
その瞬間、水飛沫を上げて辺りが陰る。進行方向に現れたのは巨大な魔物。タコ型魔物、ヨーグだ。
「げぇっ!? あのときのか!!」
ヴァイスが声を上げた。確かに同じだ。ヴァイスを助けるために斬りつけた傷が、触手に確認できた。
「──ボクに、任せて」
武器を構えたみんなを下がらせる。亀の甲羅、頭の付近まで前に出る。ヨーグの触手はボクらを狙っていた。刀の柄に手をかける。
「十色、抜刀」
ボクの刀。かつてフルが手にした、五層の神霊を核とした神造武装。父が打ったそれを、ボクが打ち直し刀にした。神霊の命を刈る、妖刀「十色」。
触手が迫る。抜いた刀を──下から振り上げた。
「白銀世界!!」
巨大なヨーグが、真っ二つに切り開かれる。亀の速度を落とすことも、迂回させることもない。切断し、道を生み出した。降り注ぐ水滴は水飛沫か、溢れる血か。ボクは刀に付いた体液を払い、鞘にしまうと振り返る。
ヴァイス、シュヴァルツ、ロート、ブラウ、ロゼ。その背後で座る、レーゲン。
ヴァイスの前。膝を付き、しゃがみ込む。
「ボクの名は『ジルヴァ』。かけがえのないこの名にかけて、キミの役に立つと誓う」
顔を上げる。脳裏に焼き付くほどに見つめ続けた、迷宮内のソラ。それを遮る──ヴァイスの瞳。海の色とも、ここのソラとも違う、青。
「『燕の旅団』にこの身、この命、胸の内に滾る夢! すべてを賭けてキミ達のために、キミ達の夢に! 尽くしてみせる!」
ヴァイスの目が、ソラの瞳が、にいと細められる。伸ばされた手、それを掴んだ。
「もう、戻りたいと言っても戻れないぞ?」
「こっちこそ、どっかいけって言われても、もう離れないよ」
立ち上がる。彼の瞳にボクが映る。きっと、ボクの目には彼が映っているんだろう。
「ジルヴァ。お前の夢、俺が預かった」
ボクは笑った。ヴァイスも笑った。
見ていて、フル。ボクは必ず、キミの本懐を遂げる。キミの見た未来を、キミの描いた理想を、実現させる。
──見ていてくれ。ボクの「夢」を。
二十年。止まっていた時が、動き出す音がした。




