61 : キミの側にいたいんだ
何故お前は誰かを待っていた?
その問いに少女ははにかみ、返答を濁す。少年の問いを優先させようと促すが、少年は答えない。そんな返しに少女は観念したように、言葉を紡いだ。
「……本当は、誰かに頼らずとも、ひとりで外に出たかったんだ。ゼーゲンに会うずっと前から。父さんについていって、上の層に上がるたび──外に出たいと願った。
そしてゼーゲンのみんなと出会い、話を聞いた。名前をもらって、より一層、外を目指したいと思った」
「それなのになんでお前は行かなかった?」
「怖かった」
少女は間髪入れずに答える。俯き加減に拳を固め、かすかにその拳を震わせた。
「怖かったんだ。外に出て、拒絶されることが。外の人達に、受け入れられないことが。
──その恐怖が、前へ踏み出す足を止めたんだ」
神話の時代より埋まることのなかった溝。溝はやがて谷へと変わり、越えられない存在へと化した。
「ずっと昔から、まつろわぬ民の間に語り継がれた伝説がある」
我らは楽園に住まう民。
我ら星と契約す。我ら星と約束す。
楽園を得る代わり、汝らと一切の関わりを絶つ。
安寧を得る代わり、汝らには逆らわぬ。
悔いれど嘆けど誓いは破れず。
泣けど喚けど自由は届かず。
夜明けへ至る導き手、やがて我らを日の下へ。
「ボク達はずっと、『夜明けへと至る導き手』を待ち続けた。ゼーゲンのみんなが現れたとき、それは彼らなんだと信じた。
──ボクは、フルの死をずっと後に知った。彷徨う冒険者からその名を聞いて、ボクは泣いた。走って、走って、一層を目指して、泣いた」
幼い少女が涙を流し、迷宮を走る姿を少年は夢想する。信じていた存在の死、自身を、仲間を導いてくれると思っていた存在の消失。それは彼女の心に、大きな傷を残していった。
「それでも脚は、震えていたよ。ゼーゲンのみんなへの思いより、恐怖が勝ったんだ。
そして、ボクはあの日見た未来にすがった。あの未来が本当ならば、必ずボクは『ソラ』を見ることができるはずだから。隣に立つ人影が、ボクを連れ出してくれると信じていたから」
少女はまっすぐ瞳を向ける。未来への強い思い。何を持ってしても揺らがない、明確な筋。
「待ち続ける日々を繰り返し、何度も何度も挫けかけた。父さんからは諦めるように言われ続け、集落のみんなはもうとっくに諦めていた。
──そんなときに、キミと出会った」
二十年、その月日を、少女は耐えたのだ。
「あのときキミ達はまだ、二人だけだったね」
少女の言葉に少年が目を見開く。二人の出会いは三層であり、その頃にはギルド燕の旅団を立ち上げていたのだから。
「驚くのも無理ないさ。……ボクは三層以前から、キミを知っていた。キミ達を見ていた。
ボクはその日、用事で一層へ赴いていた。そこで、荒れ狂う魔熊の姿を見たんだよ。誰が怒らせたのかなって覗いてみたら、キミ達がいた。その時は『無茶な冒険者もいるんだな』って、思うだけだったんだ」
しかし少女は、それからも少年達を目撃する。
「次に見たのは二層。ボクはうっかりセト神のフロアへ立ち入っちゃって、脱出するために刺激を与えた直後だった。荒れるセト神の前にキミ達はやってきて、誰一人欠けることなく三層へ進んだ。
仲間への信頼、揺るがない覚悟、そして──立ち向かうキミの姿に、かつてのフルを重ねた!」
夜風が吹き荒れる。波が寄せては帰る音、浜辺の木々が揺れる音。
「なあ、ジルヴァ」
少年はひどく冷静に、冷たくも思える声色で彼女に告げる。
「その話を聞いて疑問が深まった。
──ジルヴァ、それは俺達じゃなくても良かったんじゃないか?」
「……え?」
引き攣る声色。少女の瞳が動揺で震える。
「お前はその時たまたま俺達を見たが、それが俺達じゃなかったら? その時は、違う奴らがここにいたかもしれない。
そりゃあ、他の冒険者にレーゲンを連れてくることはできねえが、お前らからゼーゲンの連中の話を伝えることはできる。お前は言ったよな? 『隣に立ってた奴の顔はよく見えなかった』って」
「それ、は」
「お前は背中を押してくれる人間が欲しかっただけ。それが俺達である理由はないはずだ。
──俺は、お前の『未来』やゼーゲンの『予言』に操られて、迷宮に来たわけじゃねぇ」
少年の言葉に籠もる思い。少女は気づく。レーゲンの話を聞き終える頃、どことなく彼が無関心だったこと。彼は不機嫌だったのだ。
「俺は自分の意志で迷宮に来た! 自分の意志で家を飛び出し、仲間を集め、ここにいる! 誰に言われたわけでも、誰に操られてるわけでもねぇ!!」
びしり、と指が少女へ向けられる。少年の澄んだ青い瞳に、少女の顔が映り込む。
「お前は強い、何を恐れる? 受け入れられないこと? 拒絶されること? そんなものを恐れていて、冒険者にはなれはしねぇ!! 人を頼る前に、テメェの脚で地上を目指せ!!」
まくし立てる少年の言葉に少女は俯き口を閉ざす。
「テメェの未来で隣に立つのは、テメェの目で確かめろ!! それが俺達である必要は────」
「違うッ!!」
少女は、吼えた。喉を震わせ、夜空を揺らすように声を上げる。
「ボクは、誰でも良かったわけじゃない! ボクはキミ達だからついていきたいと思ったんだ!! ボクは、キミだから命を預けたいと思ったんだ!!」
無我夢中、思いの丈を振り絞るように。
「ボクにだってわかんないよ! なんでこんなにキミ達と共にいたいと願うのか! なんでこんなにもキミに惹かれてやまないのか!!」
少女は、少年の手を掴む。
「理由なんて分からない! それでもボクは、一目見てキミ達と……キミと! 冒険をしたいと思ったんだ!! 本当は、ゼーゲンの意志も関係ない……ボクはキミ達と! 共に生きたい!!」
ときに直感は、人の心を揺り動かす。一目惚れなどがその一種だろう。
「キミの力になりたいんだ! キミと共にありたいんだ! キミの側にいたいんだ!! それが、ボクの願い!! キミと出会ったその日から……キミと共に『ソラ』を見ることが、ボクの目標にかわったんだ!!」
全てを吐き出したあと、少女は荒く呼吸をし肩を揺らした。打ち付ける波の音が彼女の滾る熱を冷ましていくようだ。
「ボクからの質問だ。ヴァイス、キミはゼーゲンの意志を継ぐかい?
その返答がどうであれ、ボクはキミについていく。キミ達が意志を継がなくても、ゼーゲンの意志は、ボクが継ぐ!」
少女の問いはまっすぐに、少年へと向けられる。
「ボクの夢は! 迷宮内で暮らすみんなを、地上につれていくこと!! ゼーゲンの意志を叶えれば、きっとそれは実現できる!!
かつての世界のように、すべての民が暮らせる世界を、ボクは作るんだ!!」
呼吸も荒く、息を吐く。ゼーゲンの夢を叶えた先の世界で果たされる、少女の夢。夢の上に夢を重ねる。彼女は、世界がひとつになることを信じている。
先の少女の答えを聞き、少年は驚いたような顔を浮かべていた。それから、不敵に笑う。
「その答えなら、納得だ」
そして、少年は少女に向かって言葉を投げた。
「俺には、なるべき目標と、夢がある」
「夢……?」
「ああ。それは────」
一際強い波が遠くの岸壁に打ち付ける。揺れる木々のざわめき、しかし少女はその言葉を確かに捉えた。異形の耳であろうとも、届いた声は逃さない。
「キ、キミ……それは……」
「おう。フル、とかの夢と似てるだろ?」
少年はそこで、にっと笑った。ここに来てようやく、普段の仲間に見せる表情を、彼女に見せたのだ。
「意志を継ぐ、とかは性に合わねえが……。俺の『夢』のついでなら、やってやるよ。背負ってやるよ。世界をひとつにすることぐらいな」
遠い空の上から、白い光が溢れ始める。迷宮内での夜明けは、火を灯すような突然のものだ。
夜が、明ける。その明かりに波間は煌めき、二人の姿を鮮やかに照らし始めた。
「俺はどんな夢も──応援すると、決めてんだ」
少女はその眩しい笑顔に、目を細める。そっと視線をそらし、目尻を拭った。
「ジルヴァ」
少年は続ける。
「お前が『未来』や『意志』に操られているんじゃねえっていうなら、俺達が島を出るとき……追いかけてこい」
「────いいの?」
「いいさ。俺と共に空を見るのが、お前の夢なんだろ?」
少女は顔を輝かせ──その時、火を灯すようにあたりは眩い光に照らされた。
「うん!!」
花開くような少女の笑顔が、日差しを受けてきらきらと輝く。大輪の花のような、光る宝石のような、素晴らしい笑顔だった。




