60 : 全てをひとつに
衝撃的な師匠の言葉に、僕達は絶句した。
多くを救い、多くを導き、世界のすべてを知った父は──薄汚れた、罪人として処刑された。
「ど、うして」
「その処刑は、様々な事象が絡み合ったことにより起きた。そして、その最たる要因──裏切り者じゃ。
其奴は、最奥から引き返す我らと何食わぬ顔をして過ごしつつ、地上の者と連絡を取り合っていた。そして奴は、地上へ戻った我らを売った」
師匠の瞳が、ぎらりと強く光る。普段は緑混じりの金色をしているが、まるで月光を束ねたような金へ変貌する。歯を食いしばり、憎々しげに吐き捨てる。
「奴は寝食をともにし、死線を掻い潜った我らを十二貴族へと売った。迷宮から戻って一週間後、フルを始めとする我らは罪人として捕縛される。二人を除いてはな」
ロートの目が、大きく見開かれた。
「奴は世界の真実を知ったその時から、己の身が危うくなると察していた。故に動いた。我らを裏切り、己と妹が助かることを選んだ」
師匠が、震えるロートに視線をよこす。
「おぬしも、ツュンデンも悪くない。あやつは何も知らなんだ。己の兄が、誰よりも信じた仲間を売るなど、わかりもせんよ。……あの子は泣いていた。捕縛され、取り押さえられる我らを見て、泣いていた。……優しい子じゃ。ツュンデンやお主を責め立てる道理は無い。──恨むべきは、一人」
ロートへ向けた視線には慈愛が満ちている。
「十二貴族に我らを売り、迷宮都市ゾディアックを国家へと発展させ、その実権を握った──現、国王! ギルドゼーゲン剣士にして、ツュンデンの兄。『閃光のルフト』!!」
ゼーゲンの裏切り者が──現国王? そしてその人物はツュンデンさんの兄にして、ロートの伯父に当たる。
「伯父の存在を今まで聞いたことはあったか?」
「……ないわ。母さんは、そんなこと、一つも」
しかしそれで納得がいった。ロート救出の際、シスター・フランメから教えてもらった、彼女達の過去。
王宮につながるある人物との「契約」、それによって都市から出ることを封じられたツュンデンさん。その人物とは、国王である兄ルフトだったのだ。
「……フルの処刑は、我らが深層へ辿り着いてから三年後に行われておる。捕縛をすり抜けバラバラに散った我らは、三年間、逃げおせたのじゃ」
三年間、つまり今から十八年前か。
ゼーゲンが最奥に到達したのが生命歴3740年。
便宜上二十年前とはいったが、実際のところ今現在は生命歴3761年。最奥到達から二十一年。
そして父が処刑されたのは最奥到達から三年後、生命歴3743年。僕とヴァイスが生まれた年は生命歴3744年。僕は父の処刑からおよそ一年後、生まれたことになる。
「隠れ住むことに慣れておった儂は、羊領にてある事件を解決したことによってそこに腰を下ろした。恩を売りつけ、滞在の権利を得たのじゃ。……それから二年。儂の元に、フルとハイルが現れた」
生命歴3742年のことだ。
「無事を祝うまもなく、フルは己の目的を告げた……今度こそ、鳥籠政策を終わらせるための革命を引き起こす。奴は、そう宣言した」
革命。そして、父はその果てに──
「奴は蠍領の解放を実現させた。領主の横面を張り倒し、その椅子から突き落とした。幾多もの民衆が救われることになったが……奴はそこで、捕縛された。因縁の国、ゾディアックへと送られそこで処刑されたのじゃ」
「残された母さんは」
「おぬしの母……ハイルは、革命には同行しなかったのじゃ。腹に子を宿した状態で逃げ出し、身を潜めた。十月十日、おぬしを守りながらあやつは逃げた」
困難な道だっただろう。大罪人の妻、そう言われ世界中から追われながらも、母は僕を守り続けてくれたのだ。
「革命以前、フル達が儂の元を訪れた際に逃げ場所は伝えられておった。儂が辿り着き、共に隠れ、十月十日後……おぬしは生まれた」
「そのあと……どうなったんですか」
「……ハイルはその後亡くなった。そして、儂はおぬしを託された。そこからは、羊領に戻り森で生活し──今に至るな」
ようやく、望んだことが知れたはずなのに。何故こんなにも胸が痛い。何故こんなにも心が苦しい。
父と母は、罪人と呼ばれるべきではないはずだ。彼らは大義のために生き、人のために尽くした。それなのに──
「捕まった、フルを助けようとはしなかったのか? ババアも、他のみんなも」
ヴァイスが言った。話の途中からすっかり口を閉ざしていたが、ようやく口を開く。その言葉に師匠はヴァイスを強く睨んだ。
「助けようとしたに……決まっているじゃろう! ハイルだって、ツュンデンだって、飛び出したかったはずじゃ……。しかし、それは叶わなかった」
睨んだあと、すぐに思い直したのか視線を下ろす。じっと手を見つめ、弱々しく呟いた。
「ハイルは早くに逃げ出しておった。あやつの使命は子を、シュヴァルツを守ることじゃったからな。
ツュンデンは表に出ることができなかった。王宮に近くない兵士に見つかれば、即座にあやつも牢屋行きじゃったからな。その頃は、ロートも生まれたばかりじゃった……。
儂は、処刑前夜、フルの元へ向かった」
皆苦しかったのだと。皆救いたかったのだと。皆、悔やんでいるのだと。その思いが本気だと伝わる。
「すぐにでも牢を破壊し連れ出せるはずじゃった。しかし、儂の顔を見た奴は──やめろと言った。
今でも忘れられんよ。あやつの言葉、あやつの笑顔……」
顔を手で覆う。長いため息が小屋の中に響く。
──俺を救おうと思うな、みんなに言ってくれ、レーゲン。
──俺の死に場所だ、俺が決める。
「『俺は明日、この街で死ぬ』……そう、奴は言った。そして、儂と交わした最後の言葉は──」
──俺の夢をゼーゲンの意志を、二十年後の未来へ繋げ! 必ず──
「この世界を、ひとつに!!」
世界を、ひとつに──?
「忌々しい国境をかき消し、再びこの世界をひとつに戻すこと! それこそがフルという男の、そして儂らゼーゲンの、夢にして願い!」
この世界が十二に別れているのは、神話の時代から続く常識だ。それを壊すなど……思いもしなかった。いや、思いついても可能だとは思わなかった。
この世界において十二貴族は絶対だ。だからこそ横暴な政策も、重税も許される。彼らは絶対の存在だからだ。ヴァイスやオランジェが特別なだけで、彼らは人とは触れ合わない。
「奴はそれを、幼い日から夢見ていた。儂らもはじめは馬鹿にしておった。ずっと、叶うはずなどないと思っておった。そんなことをしても、何にもならんと思っておった。
──しかしそれでも、奴は諦めなかった」
十二貴族に生まれ、十二貴族の破滅を夢とする。それを聞いて──ヴァイスは、お前はどう思うんだ。
僕はヴァイスの横顔を眺める。彼は、怒るでも同意するでもなく、「ふぅん、そんなんだ」とでも言うような顔をして、師匠の話を聞いていた。
「それを、我々に継げと言うことですか。あなたの言う、『ゼーゲンの意志』とやらを」
沈黙を保っていたブラウさんが言う。その言葉から滲み出る、「何故無関係な者達がしなくてはならない」という苛立ち。
「シュヴァルツさんやロート嬢が血縁者であるから、坊っちゃんの出生が十二貴族であるから、などが理由なのでしたら……。私は年長者として、彼らの『保護者』として、拒絶させてもらいます」
その目はいつもの無気力なものとは違う。明確な意志が光る瞳だ。
「自身の道は自身で決めるべきです。親の通った道を子が歩む必要はありません。我々は、『燕の旅団』なのです。『ゼーゲン』ではありません。
意志とやらを継ぎ、彼らがあなた方と同じ道を辿ることになるのなら──私は今ここで、その意志を断ち切ります」
床に置かれた槍を握りしめる。師匠の瞳とブラウさんの視線が交差した。
ブラウさんはいつも無気力で、弟のためにしか行動しないような人だ。よくロートに突っかかられているし、本来守るはずのヴァイスのことも、馬鹿にするし暴言を吐く。
しかし彼は、保護者として、と言った。彼は彼なりに、僕らを心配してくれていたのだ。
「……若造のくせに、言うではないか」
ぴりり、と空気が張り詰める。魔女と呼ばれる凄みが全身から奔っていた。
「しかし安心せよ、儂も、あやつらも、無理強いさせるつもりはない。
あのときはその場を治めるために、『意志は生きている』などと言ったが……継ぐも継がぬも、おぬしらの自由じゃ。やがて深層に辿り着いたとき、そこで『全て』を目にしたとき、決めてほしい」
ぱっと緊張を緩ませ、師匠はへらりと言う。
「しかし覚えておってほしい。おぬしらであろうとなかろうと、この世代にて、なにか大きなことが起こるのは間違いがない。
フルの残した言葉、二十年後の未来──その言葉に、意味はあるはずじゃ」
無意味であるはずがない。無意味であっていいはずがない。死を前にした、この世の全てを知った男が残した予言なのだから。
「未来……というと、ジルヴァさんもそのようなことをおっしゃっていましたよね? ゼーゲンの皆様も、未来は見たのでしょうか……」
「見たよ。儂らも、最悪と最高の未来をな」
ロゼの疑問に間髪入れず答える。
「それを見たからこそ、フルは二十年と確かな言葉を残したのじゃと思う。儂らもまた、意味のある光景を見た。
──おぬしらがあのように、未来を見ることはないじゃろうが……あの景色を見て、儂はフルの夢を追おうと思ったのじゃ。フルの夢を、叶えた先の世界に触れたいと思えたんじゃ」
そう語る師匠の顔は、見た目相応な幼い少女の面影を残していた。
長い話を聞き終える頃、感覚的には夜明けが近いといったところか。迷宮内では空が白むこともないためわからないが。
「──外行ってくる」
立ち上がるヴァイス。「ボクも行くよ」とジルヴァが続いた。ヴァイスはそれに対して何をいうでもなく、静かに外へ出る。
僕は、明かされた真実を未だ飲み込み切れずにいた。
夜風が少年の白髪を揺らす。少年は砂浜に立ち、打ち寄せる波を眺めていた。
「ヴァイス」
少女が少年を呼ぶ。少年は振り返り彼女を見た。
「キミと、話したいことがある」
「奇遇だな、俺もだ」
潮騒を背景に、少年と少女は向かい合う。少女はお先に、少年を促した。少年はそれに頷き、少女に声をかける。
「お前は何故、俺を──いや、誰かを待っていた?」
少女は、かすかに視線をずらし──少年を見つめ、笑った。




