58 : 血肉をもって鋼を打つ
集落中央部に訪れた僕らを出迎えたのは、大人達の視線だった。こちらを見定めるような視線が走る。それに物怖じせず、深々と頭を下げた。
「鍛冶場は?」
「こっちだよ!」
子供に腕を引かれ、ジルヴァは歩く。僕らもそれについていくが、周りから向けられる視線は止まない。
招かれたのは工場のような場所だった。むき出しな土の地面、そこにある炉と岩の台。
「少し時間がかかる。集中する作業だから、できる限り離れていてね」
彼女はその場にしゃがみ込む。袋を下ろし、その中から素材を取り出した。爪や牙、髪の毛や下半身の皮、羽。しげしげと眺めた後、作業に入る。その横顔は真剣そのもの、先までの砕けた様子はない。
「竜姫様は、特別な方でございます」
隣から、子供達の親であろう女性が声をかける。ジルヴァは爪と、棚から取り出した鋼を炉で熱し、腰から刃を抜いた。どうするのかという僕らの疑問を余所に、彼女は一切の躊躇なくその刃を腕へと突き立てた。
「──!?」
「我らは、人より魔物に近い存在」
先程熱した鋼と爪に、だらだらと流れる血を浴びせ、その上から力いっぱい叩きつける。激しい音があたりに響いた。
「その中でも竜姫様の血は特別。ありとあらゆる魔物の素材でも、武器として仕上げることができるのです」
ヴァイスはすっかり視線を釘付けにされていた。響く音、全身に感じる熱。彼女の真剣な横顔、腕から流れる血。
「彼女の血は潤滑剤であり、研磨剤であり、元以上の物を仕上げる秘薬でもある。──族長様が、彼女の価値と口を酸っぱくして言うのは、納得がいきますか」
魔物の素材、その加工技術は未だ発展途上である。神霊から得た素材の加工など、現段階では不可能だ。
そんな技術者達が、彼女の存在に気づけば──間違いなく、利用される。搾取され、全てを奪われる。尊厳も、自由も、夢も未来も。
「二層から四層まで、すべてのまつろわぬ民の中で、あの血を持つのは──竜姫様と、族長様しかおりません」
ジルヴァは血の流れる腕をそのままに、暑い鋼を打ち続ける。女性は僕らに下がるよう命じた。大人しくそれに従い、僕らは工場を出る。
途端にわっと人々が現れた。皆が師匠を取り囲む。
「レーゲン様! お会いしとうございました、私のことを覚えていますか?」
「貴方様から受け継いだ技術を加工し、今も使っております! 一目見ていただけませんか?」
「レーゲン様、地上の様子はどのようなのでしょうか?」
矢継ぎ早に投げられる質問、懇願。小柄──というか見た目幼い子供である師匠は人々に埋もれてしまっている。
「ま、まておぬしら。儂は先にこやつらを──」
人混みの中から手を伸ばし、師匠は僕達を示す。彼らの視線がこちらを向くが、その目は不信感と疑いに満ちている。
「彼らは何者なんですか、レーゲン様。いくら貴方様と竜姫様の推薦があれど、怪しいことこの上ありません」
「こやつらは信頼に足る。儂が保証しよう」
「信用できません!」
まるで、ジルヴァと出会ったときの僕達のようだ。彼女もまた、このような気持ちだったのだろうか。彼らからの信頼を得ることが、僕達にはできる気がしない。ゼーゲンは如何にして彼らからの信頼を勝ち取ったのだろうか。
「……やはり、足らぬか」
一言呟き、師匠は目を伏せた。
「──シュヴァルツ、ロート」
師匠が名前を呼んだ。師匠が人の名前を呼ぶときは、何かがあるときだ。普段は僕達のことを小僧や若造呼ばわりするし。
僕とロートは前に出る。師匠の後ろに立った。周りを取り囲んていた人達が一歩下がる。
「この二人を見よ。……何か、思い当たることはないか?」
頭の先から爪先まで、見分するような視線に晒される。微かなざわめき、疑問の声。
「ツュンデン様……」
「あの少年の瞳、かつてのハイル様に……」
「いや、あの面影、微かに」
師匠は杖を地面へ打ち付けた。ざわめきが止む。
「儂は今日ここへ、武器を打ってもらうために来た。それと共に、おぬし達へ伝えに来た!」
よく通る声。皆の目が見開かれる。
「二十年前、我々ゼーゲンは願いを果たせなかった。我らは早すぎた」
力いっぱい背中が叩かれた。バランスを崩して思わず一歩前に出る。
「ししょ」
「此奴はシュヴァルツ。『竜鱗』フルと『聖女』ハイルの子にして、儂の愛弟子じゃ」
──今、「愛」弟子と?
「そしてこっちはロート。かの『猛銃』ツュンデンの娘!」
人々が湧き立つ。疑いの視線から、何か熱を帯びたものへと変わる。それを全身で感じた。
父と母、彼らが伝説上の人物など、まだ実感がない。なんせ僕は、彼らの姿すら知らないのだ。どんな人物で、どんなことを成したのか。師匠は結局、未だに教えてくれてはいなかった。
「我らの、ゼーゲンの意志は、生きている!」
師匠の宣言に、人々は歓喜の声を上げた。先程までの緊張感はどこへやら、僕はいきなり手を掴まれた。驚くまもなく、頭を垂れて「ありがとう」と呟かれる。
「何故……」
「彼らの血が、絶えず残っている。彼らの存在が、後世へと伝えられている……。それだけで、感謝してもしきれない」
彼らは今、僕やロートの姿を通して二十年前のゼーゲンを見ている。彼らは、「僕達」を見ていないのではないか?
ゼーゲンの意志? そんなものはわからない。早すぎた? 一体何が?
──師匠は一体、僕達に何を託そうとしている?
僕の困惑を余所に、師匠は澄ました顔。しかし場合は好転した。彼らは先までの警戒を解き、すっかり明るい雰囲気だ。
「こうしちゃあいられない! レーゲン様の帰還、そして残ったゼーゲンの意志、それらをお祝いしなくっちゃ!」
「でも族長様は」
「族長様の言うことなんて無視さ! これを祝わなくてどうするんだ!」
大人達も子供達も沸き立ち、ざわめき盛り上がる。どたばたと周りが騒がしくなり──僕らの周りに、人々はほとんどいなくなった。
「おいババア」
「やかましいぞ小僧」
ヴァイスが問う。ずっと場の外に放り出されていた彼はかなり不機嫌そうだ。
「何ださっきの説明は。ゼーゲンの意志だの、早すぎるだの……俺らには、さっぱりわからねえ」
そのとおりだ。師匠は常に説明が足りないし、言葉が欠けているが、それにしてもこれは行き過ぎである。
ヴァイスの指摘に師匠は文句や反論を言わず、静かに頷いた。師匠自身も納得しているらしい。あたりに視線をやり、話を聞いている人がいないことを確認してから僕達に言った。
「今夜、すべてを明かそう。儂らゼーゲンが大噓つきと呼ばれるようになった理由、ゼーゲンの意志とは何なのか、そしてリーダー……シュヴァルツの父、フルの『夢』を」
そう告げる師匠の瞳は、日の光を浴びて金色に煌めいていた。
闇夜を照らす火の明かり。賑やかな人々の話し声。その中央に僕らは並んで座っている。
「急に変わりすぎだろ……」
「わかる」
ヴァイスは差し出された水を呷りながらぼやいた。全くの同意だ。
ロートやロゼは老若男女に囲まれもみくちゃに、ブラウさんは女性陣から大人気。
「おにーちゃんたち!」
女の子達が走り寄ってくる。手には美味しそうな匂いを漂わせる料理。──みんな揃ってヴァイスに渡しに行った。……切ない。
「シュヴァルツ殿、こちらを」
「あ、ありがとうございます……」
代わりに僕は大人の方から料理を渡される。間近でしげしげと眺められた。
「フル殿やハイル殿より、レーゲン様に似ておられる気が……」
「育ての親に似るんじゃろうな」
師匠が横から口を挟んだ。親の顔を知らない僕からすればぴんとこない会話だ。
渡された魚料理をつまみながら思考する。父フルの夢とは、何だったのだろうか。
ヴァイスの夢。世界一の冒険者になり、父と同じ正しき王を目指す。
ロートの夢。ツュンデンさん──母と同じ景色を見る。
ロゼの夢。詳しくはわからない。しかし彼女は仲間に加わる際、僕と共にいたいと願った。
ブラウさんは──わからない。
──僕の、夢は? 僕はなぜ、迷宮にいる?
「おお! 竜姫様、お疲れさまです」
響いた声に覚せいする。そちらを振り返れば、疲れた様子のジルヴァがいた。腕に包帯代わりの布を適当に巻きつけ、布の塊を腕に抱えている。
「疲れた〜。水、もらえる?」
「どうぞ」
ジルヴァは肩をぐるぐると回しながら、ヴァイスの横に座った。手にした布の塊をヴァイスへと渡す。
「今までで一番の、傑作ができたよ!」
「へぇ。ありがとな」
「レーゲンの頼みだ。全身全霊、魂を込めて打つとも!」
ヴァイスが躊躇なく包みを開こうとし、ジルヴァが止めた。
「レ、レーゲンに渡す前に開けていいのかい?」
「いいだろ。どうせ俺のだし」
「時間さえあればもっと凝った装飾をつけたのにな……」
「装飾なんていらねえよ!! 持ちやすければ──」
包みの中から現れたのは、鈍く光る刀身。揺らめく炎の明かりに照らされて、闇夜の中でも存在感を放つ。今まで見てきた鉄や鋼とは異なる、異質な輝き。覗き込む顔が映るほどに磨き抜かれた刃。
「────」
ヴァイスは無言で柄を握る。皮が巻かれた持ち手を、確かめるように何度も握る。驚愕のような歓喜のような表情。ヴァイスは一言、「すげえ」と口にした。
「三層の神霊、その素材だから、三層で採れる鋼をベースに爪や牙を溶かし入れた。柄は三層にある『ポクラ』の樹木を主に、ハルピュイアの皮をなめして巻いてる。ボクとしても、満足の行く出来だね!」
鼻高々なジルヴァの説明も耳に入らないのか、ヴァイスは二本を手に様々な角度から眺める。
「僕にも少し触らせてくれ」
「駄目だわ! にしてもすげえ……」
ケチな奴だ。
「これなら、神霊の命を刈るのに充分だろ?」
神霊の、命を刈る? 疑問符を浮かべる僕らの背後から咳払いが聞こえた。振り返ると、料理を頬張る師匠の姿。相変わらず頬袋に溜め込む癖は治っていないようだ。
「戻ったか、ジ──」
「わっ! 駄目だよレーゲン、それは」
名前を呼ぼうとした師匠の口を押さえて塞ぐ。何故名前を呼んではならないのだろうか。
「う、うむわかった。いかんな気が緩むと……。さて、おぬしもおってくれると助かる。後で来てほしい場所がある」
「? どこに?」
師匠は一つ頷くとロートやロゼ、ブラウさんを指差した。
「あやつらにはもう伝えたが、祭りの後あの小屋に来い。そこで、先程の話をしよう」
「ちょっとレーゲン? ボクわかんないんだけど!?」
「おぬしは話すだけで良い。儂ら、ゼーゲンの成そうとしたことをな」
師匠の言葉に、ジルヴァは目を見開いて、唇を震わせた。それから、ぐっと噛み締め眉を伏せるのだった。




