4 : 星見の騎士
「ねぇ」
「何?」
俺とロートの二人は、路地裏の階段に座り込んでいた。
「あんた、女に何されたの?」
「………………」
どんちゃん騒ぎから一晩明けて、俺達二人はマークさんの酒場に来ていた。シュヴァルツは今朝、ツュンデンさんに呼ばれて留守番である。なんの用件なのかは知らされなかった。このあたりの案内ついでに、ロートについてきてもらったのだ。
そしてようやくマークさんの酒場に訪れ店内に入った矢先、俺らを出迎えたのはロートより少し歳上くらいの若い女性だった。
ロートに対して全然平気だったこともあり、油断したのが運の尽き。見事に白目を剥き気絶したというわけだ。
「顔は良いのにこのザマじゃあ駄目だわね」
「…………顔のせいでこうなったんじゃい」
ぼやく声も弱々しい。結局また路地裏に逆戻りだ。気絶した俺を放って、聞き込みをしたそうだが──薄情な女だ──このあたりに歳の近いフリーの冒険者はいないらしい。結局アテは見つからないままだ。
「自分らのギルド諦めて、どこかにメンバー入りさせてもらえば?」
「それはやだ」
間髪入れずに返答する。顔を覆っていたハンカチを剥いで体を起こす。
「俺は誰かの下につきたくない」
「ワガママ言うなよガキのくせに」
「嫌なもんは嫌だ! 俺はリーダーになるんだ!!」
階段に座り込み言い合いをする、どことなく既視感を覚える状況だ。昨日はシュヴァルツと言い合いをしている最中、背後からロートに声をかけられたのだ。
「探しましたよ、坊っちゃん」
そうそうこんな感じに──ん?
足音、目の前に落ちる影。長身のシルエットに背負う筒状の何か。そしてこの声、この呼び方。鏡などこの場にはないが、きっと俺の顔は青ざめているだろう。
「あんた? あれ、ちょっと、どういうこと……?」
背後に迫った影。ロートの疑問符が聞こえ、振り返る前に立ち上がり俺は逃げ出そうとした。しかし抵抗も虚しく即座に上着を捕まれ引き戻される。恐る恐る振り返る。そこには、どこまでも冷たい深緑の瞳があった。
「ブ、ラウ」
「さあ、帰る時間です」
黒に近い濃紺の髪、黒衣の肩にかけられた青い布。そこに刻まれる、星に絡みつく竜の紋章。
「──離してくれないか?」
「貴方は自身の立場をご理解しておられますか?」
置いてけぼりなロートは、俺とこの男──ブラウの顔を交互に見る。まずい。故郷の外で、俺の家についてだけは、シュヴァルツ以外に知られたくなかったのに──!
「羊領現当主の一人息子。正当な後継者──ヴァイス・アリエス様」
世界には古より十二の領地があった。そこを治めるのは「十二貴族」と呼ばれる星の名前を与えられた十二の家。神話の時代からそれは変わらず、十二貴族の血は世界で最も高貴な血と言われていた。
俺は、三千年もの間「羊領」を治め続けた家──「アリエス家」の、次期当主だ。
ロートの目が大きく見開かれる。無理もない。本来十二貴族の面々は自分の城なり屋敷なり、とにかく自分の領地からは出てこない。
「貴方の身に何かがあれば、どう責任を取るおつもりなんですか。貴方一人の問題ではないことを、よく理解してください」
ブラウの手を振り払う。
「親父の命令か!」
「その通りです。坊っちゃんが家出してから、旦那様は非常に心を痛めておられますよ」
心を痛める? そんなわけがあるか。歯軋りをして食いかかる。
「俺は帰らねぇ! 俺は夢を叶えるためにここまで来たんだ! お前如きに連れ帰られる程、俺の夢は安くねえぞ!!」
用心のために腰にさしておいた果物ナイフを抜く。銀の刃に映る俺の顔は引き攣っていた。それを見たブラウは、肩に背負っていた黒い筒を下ろす。
「あまり町中で、このような手段は取りたくないのですが──坊っちゃんがそちらの方がお好みであれば」
包を解き、中の物に手を伸ばす。長めの前髪から覗く深い緑。俺は息を飲み、一挙一動を見逃さない。
「一発入れて、連れ帰ります」
「ちょぉっと待てあんたら!!」
ロートの叫び声。その刹那俺とブラウの間に、身の丈ほどある巨大な壁が現れた。ロートがいつも背負っている巨大な銃砲だ。
「こんな町中でおっ始めてんじゃないわよ! 迷惑かかるでしょうが!!」
銃砲に片手を乗せ、もう片方の手で俺とブラウを交互に指差す。
「双方獲物は収めな。一発ブチ込まれたくなきゃね」
有無を言わさぬ指示に、俺は渋々ナイフを仕舞った。俺が仕舞い終わるやいなや銃砲は引き下げられる。向かいのブラウは筒を背負い直していた。銃砲をいつもの定位置に背負ったロートは、さり気なく俺達の間に立つと、ブラウに視線を投げかける。
「んで、あんた──騎士サマ?」
物怖じしない態度、流石だ。
「こいつが本来、アタシなんかとは話せるわけない身分なのはわかった。でもね、こいつには報酬確保するまで帰られちゃ困るの」
「……坊っちゃんの、お仲間の方ですか」
「仲間というより雇い主よ。取引が成立している以上、何も言わずに逃げられるのはお断りだわ」
仲間という問いには鼻で笑う。こういう割り切った性格はある意味ブラウみてえな堅物相手にはいいかもしれない。ブラウは懐に手を入れ、袋を取り出した。
「坊っちゃんがご迷惑をかけました」
じゃらりと音を立てる袋に、ロートが一瞬反応するがすぐに顔をそらした。
「これ渡すから大人しくこいつを引き渡せって? 残念だけど、そこまで安い女じゃないわ」
「そういうつもりはございません。迷惑料だと考えてください。──ですが、もし坊っちゃんを連れ帰るのに協力してくだされば、感謝料としてこちらもお渡しする予定なのですが」
「親を悲しませるのは良くないと思うわ。帰ってあげたほうがいいんじゃない?」
「この腐れ外道!!」
追加の金に目を晦ますな! しかし流石はブラウ。一目でロートの性質を見抜き、的確な方法で味方に引き込もうとするとは。
「再度言いますが、坊っちゃん。私の使命は貴方を連れ戻すことです。使命を果たされぬならば、私は騎士失格となります。それが意味すること、おわかりですよね」
俺一人の我儘にかかる責任の重さ、それは、俺自身が一番理解していることだ。それでも、これだけは諦められない。
「俺は──」
「私の給金と生活のためにも早く戻ると言ってください」
俺の決意が、喉まで上がってきて一瞬で引き下がった。ロートも耳を疑い頭の上の猫耳を立てらせる。
「一度失態を犯した騎士がどうなるかおわかりですか? 命令もこなせないとして完全に路頭に迷うんです。次騎士になれる確率はほぼ無に等しく、それ以外の仕事は自由な時間がなさすぎる。坊っちゃんは私の環境をご存知でしょう。私にとってはこの星見の騎士こそが天職なのです」
「お、おう」
いつになく饒舌で話し始めるブラウに、思わず動揺する。確かにこいつの家庭環境──というか状況を知ってはいるが、なれる人も少ない星見の騎士を「時間が多く取れる」を理由に目指す奴がいるか? ただの騎士じゃなく、十二貴族に仕える騎士だぞ。
「それなのによりにもよって、坊っちゃんの様な短絡的思考で猪野郎で完結に言ってあまり賢くない子ど──いえ、何でもありません」
「八割言ったな??」
誰が馬鹿だ! ……事実だ!!
「坊っちゃんの様な歳下の警護を任され、最終的には寄りにも寄って、私の非番の日に家出を図るとは、何をお考えなのですか」
「お前がいる日だったら間違いなく秒で捕まってたからだよ!!」
「そのせいでわざわざ羊領から遥々この街まで派遣されたんです。貴方様が家出した日、私は、非番でしたのに」
「それに関しては本当に申し訳無い」
いくらブラウが俺付きの騎士とはいえ、流石にその日担当した騎士に任せればいいのに。
まあわざわざここまで派遣するだけあって、ブラウは強い。こいつが務めている日に真っ当な手段で屋敷を抜けることは本当に困難だった。
──そういえば。
「ブラウ、クヴェルは?」
ぴしり、とブラウが凍りつく。その反応を見て、どうにか起死回生の策を案じた。
「お前屋敷に置いてきたの? そりゃねえよなぁ、絶対無理だよなぁ。元気か?」
何食わぬ顔で質問を続ける。ブラウから見えない位置でハンドサインを送り、ロートを下がらせる。
「まだ屋敷出て一月くらいだけど、あの頃の子って成長早いし。目ぇ離したくないだろ? 連れてきてるのか?」
動かないブラウ。逃げ出そうと足を固めた途端俺の耳にとたとたっ、という軽い足音が聞こえてきた。階段の上、建物の影から現れる小柄な影。
俺は思わずあっ、と声を漏らす。その声と視線にブラウが振り向く直前、
「あにうえっ!」
と、幼い声が響いた。薄い青の髪、光の加減によって色を変える金の虹彩。細い手足に低い身長。髪のあいだから伸びる長い耳。
「ク──ヴェ、ル」
ブラウがここに来て初めて、動揺した顔を見せる。作戦成功だ。俺は身を翻して即座に駆け出した。ロートもそれに続く。
「全っ! 力で! 逃げろ!!」
三段くらい飛ばして階段を駆け下り、広めの通りに出る。宿だ、宿を目指せ。無我夢中で駆ける俺達を街の人が二度見する。
背後に感じた威圧感。ぞっとした寒気がして振り返る。
「ギィヤァァァァァァァ────────ッッ!!」
腕に先程の少年を抱いたブラウが、物凄いスピードで迫ってきている。一歩の踏み込みが違うのか、脚の長さが違うのか、圧倒的な速度で間を詰める。
ぶつかれば吹き飛びそうな速度を出しているにも関わらず、少年の顔に恐れはない。むしろ笑顔で俺に手を振っている。
派手な絶叫が尾を引く中、俺は再び襟首掴まれ捕まった。片手で丁重に少年を抱き、もう片手では主人である俺を吊り下げる。何だこの格差。
「ゆっくり、お話できる場は、ありますか?」
見上げる顔は、さっきと比べより一層鬼神の如き風体だ。目に見えて怒ってます! といった顔ではない。顔が暗いのだ。影が生えてきたみたいに暗いんだ。
「はいぃ……」
囚われの兎のように、しゅんと縮こまるしか俺にはなかった。