56 : ヒトと人
浜辺の桟橋に亀は止まる。ジルヴァが橋へ降り立ち、僕らを促した。それに従い恐る恐る降りる。奥に見える茂みが、がさがさと音を立てた。
「おかえ────」
飛び出してきたのは子供だ。ジルヴァと似たような格好に角と羽根、同じまつろわぬ民だろう。その子供はジルヴァの後ろに立つ僕らを見、固まった。
「やっほ! ただいま!」
「外のヒトだぁ────!!」
響き渡る悲鳴。踵を返して駆け出す子供達。取り残される僕ら。
「まずいね」
「わかっとったやろがい!!」
ヴァイスのツッコミに同意する。今の反応を見るに、どう考えても僕らは警戒されている。いや、わかりきっていたことだろう。
「でも! ボクに任せてくれ。キミ達はボクが守──」
「外のニンゲンだぁぁぁ──────ッ!!」
即座に茂みの中から現れる人々。それぞれ、ジルヴァが持っていたような細身の剣や、無骨な槍を手に飛び出してくる。身構える僕らの前に、ジルヴァは両手を広げて飛び出した。
「頼む! 彼らに手出しはしないでくれっ!!」
「何いってんだい竜姫様! こいつらは外のニンゲンなんだよ!?」
竜姫? 周りを取り囲む人々には皆、ジルヴァと同じ角と羽根、尻尾がある。子供達を背後に庇い、じりじりと距離を詰めていた。
「外も中も関係ない! ボク達も同じ、人間だ!!」
彼女の叫びに気圧され、大人達は少し怯む。その隙をついて彼女は続けた。
「この中に、二十年──ゼーゲンが訪れていたことを、覚えている者はいないか!?」
あたりがざわめく。見た目同年代のジルヴァが彼らを覚えているならば、一見年長者に見える彼らの方が覚えはあるはずだ。師匠が前に出る。
「儂の顔を忘れたとは言わさんぞ。誰がこの村を、おぬしらを救ったと思っておるのじゃ」
長めの前髪をかき分けて、その瞳を白日に晒す。差し込む光によって金色から緑へ、色の変わる不思議な瞳。それであたりを一瞥すると、息を呑む声が聞こえてきた。
「レーゲン殿ぉ!?」
「生きておられたのか!」
「知らぬとはいえ失礼な真似を……!」
途端に武器を投げ出し駆け寄る人々。面食らった僕らはそそくさと後ろに下がった。大勢がレーゲンへと頭を下げしげしげと眺めている。
「皆様失礼いたしました……。竜姫様は騙されやすく、怪しいニンゲンを連れ込みかねないので……」
「失礼だな! 彼らは本当に、ボクが見た未来なんだよ!!」
「こちらのお連れの者も、ですか」
誰がお連れの者だ、と小声で不満を漏らすヴァイスを肘で黙らせる。ジルヴァは大きくかぶりを振ると、あたりに響く声で宣言した。
「彼らこそ、ボクの待ち望んでいた存在。レーゲンが選んだ、『ゼーゲンの意思を継ぐ者』……。不躾な真似は許さない。丁重にお迎えして欲しい」
堂々たる宣言に、皆は渋々ながら頷いた。怪しい者を見る目には変わりないが、目に見える敵意はない。
しかし気になる。ここで武器を構えていた者は皆、本当の歳こそわからないが、ジルヴァよりは歳上だと思われる。竜姫という呼び名、この態度。彼女はこの集落において、かなり身分が高いのだろうか。
「ついてきて、みんな!」
「……っす」
うって変わって明るい笑顔を浮かべる彼女に、ヴァイスは小さく頭を下げた。僕達もそれに続き、深く頭を下げる。僕らを囲む冷ややかな視線が、ざくざくと突き刺さるのを、確かに感じた。
「みんなはここ二軒を使ってね。何かあったら周りの人に聞けばいいから」
石造りの家に僕らは案内された。ロートとロゼ、師匠で一軒。僕とヴァイス、ブラウさんで一軒。村外れなのは、他の住民の願いらしい。
「ごめんね、本当はボクの家に案内したかったんだけど……」
「まあ、無理は言わねえよ。招かれざる客、だからな」
ヴァイスの言葉に、ジルヴァは眉をしかめる。
「そんなことを言わないでくれ。大丈夫、みんなわかってくれるから」
彼女は辺りを見回して、僕らに告げる。
「ボクは少し離れる。あんなことを言ったのに悪いんだけど……父さんに伝えてこないといけないんだ」
師匠に、任せるねと言うと、師匠は深く頷いた。あの反応を見るに、師匠が側にいる限りは安全そうだ。
「あと一つ。……みんな、ここでボクの『名前』は呼ばないで欲しい。ジルヴァとは、言わないでくれ」
「どうして?」
「事情は後で。とにかく、名前は呼ばないでね」
またすぐに戻るから、と彼女は手を振り走っていった。残された僕らは、二つの民家の前で立ち尽くす。
「なんか、あれよあれよとこうなったけど……」
「本当に、大丈夫なんでしょうか」
ロートとロゼの懸念も納得だ。あのときの僕らを取り囲む目、歓迎されているとは言い難い。
「どこを見ても、竜……。気分の良いものではありませんね」
「竜と何があったんだよお前……」
ブラウさんは苛立ったように槍で肩を叩いた。ヴァイスがなだめるが、不満げである。
「それにしても師匠、随分と慕われていたようですね」
「うむ」
師匠は手頃な岩を転がしてきて、その上に座った。……この人は座っていないと落ち着かないのだろうか。
「二十年前……まつろわぬ民であった冒険者と共闘して、五層の神霊を倒してな。その際にこの村を訪れたんじゃ」
五層の神霊を完全撃破したのがゼーゲンだということは聞いていたが、共闘した冒険者がまつろわぬ民だというのは初耳だ。
「その際も酷く警戒されたんじゃが……。そもそも、この村の住民は五層から逃げ出してきた者達じゃ。あまりの神霊の暴れっぷりに、故郷を残して逃げ出した者達……。四層に避難し、そのまま住み着いたわけじゃな。故に四層には元より暮らしておった集落と合わせて、二つの集落が存在する」
師匠はぽりぽりと頭を掻いて話を続けた。
「元々まつろわぬ民は一層から五層までの各層で暮らしておった。六層以降は瘴気が濃すぎて、生活しておれば人の姿を保てん。そして一層の集落は二十年前、脱出しようと駆け上がってきた五層の神霊によって破壊された。先程も言ったように五層の民は避難、ので今は、二層から四層までにしか集落は存在せん」
神霊が、駆け上がってくる? 神霊は決められた区間からは出られない、そのはずではないのか。今まで出会ったセトも、ハルピュイアも、僕達が「侵入したから襲ってきた」だけではないか。
「そしてこの村を拠点にしつつ、儂らは五層の神霊、『テュポン』を打ち倒した。この村の者にとっては、故郷を奪った者を倒してくれた恩人、というわけじゃ」
ゼーゲンはさらに滞在中、生活が楽になるような術や策を施し、村の皆のために動き続けた。そのような積み重ねで、彼らからの信頼を得るに至ったらしい。
「優しかったんだ。母さんも、レーゲンさんも、みんなも」
「当たり前じゃ。見ておればわかろう」
「いやーそれはわかん……いてェいてェ!!」
余計な口を挟んだヴァイスが口を拗られている。馬鹿な奴だ。
そんな話をしていたら、少し離れたところから物音。ブラウさんが視線をやると、木陰から覗く子供。
「見ていますね」
「見ているな」
「怖がらずとも何もしませんわ」
ロゼが手招きした。敵意がないことを証明するため、引きつり気味ながらも、笑みを浮かべて手を振る。そのおかげかはわからないが、こちらへ近寄ってくる。──後ろからぞろぞろ子供達を引き連れて。
「大勢」
「うん」
初対面では悲鳴を上げられたが、大人達と違って警戒心より好奇心が勝っているらしい。頭の天辺から爪先まで視線が駆け回るのを感じる。
「つのがないよ!」
「はねだって!」
「あたまのよこにあるのはなに!?」
「でもあのおねえちゃんには耳があるよ?」
「つばさがあるおねえちゃんもいる!」
子供達は大はしゃぎ。ロートがわずかに頬を綻ばせた。元々子供好きな奴だから納得である。クヴェルと同い年くらいからその前後、様々な年齢の子供達が揃っている。
「みんなはここに来て怒られたりしない?」
「だいじょうぶ!」
「こっそりきたの!」
「うーん大丈夫じゃないわね」
いつになく口調が優しいロートを、僕とヴァイス、ブラウさんは生暖かい視線で見る。
「でもたつひめさまがつれてきたんだもん。きっと、わるいひとじゃないはずだよ」
一人の少女が、ヴァイスのマフラーを引っ張った。ヴァイスは基本、子供に「反応」は起こさない。よっぽど好意を持たれない限りは大丈夫だ。故に今回も何気なく振り返りおう、と答えた。
「どうした?」
「おにいちゃんが、さいしょにたつひめさまとあったの?」
「竜姫ってのは……あいつだろ? ……まあ、そうだな」
その言葉に少女は目を輝かせると、深々と頭を下げる。
「さんそうでっ! おにいちゃんがたすけようとしてくれたのは、わたしの、友だちなの! 一年になんかいかしかあえないけど……たいせつな友だちなの! たつひめさまからきいたの……。わたしの、友だちを、たすけてくれて……ありがとう!」
少女の感謝の言葉に、ヴァイスは頬を引っ掻いて、それから頭に手を乗せた。少女の髪の毛を掻き混ぜ、それから続ける。
「礼には及ばねえよ。倒したのはあいつだし」
そのままぐいと、頭を持ち上げさせる。少女を見つめながら、にっと笑った。顔の良さを、全面に押し出した晴れやかな日差しのような笑顔。
「せっかく無事だったんだ。友達、大事にしろよ?」
少女は顔を真っ赤にして固まる。少女は暫く言葉を失い、その後ろにいた女の子達も言葉を無くした。ああ、すまない彼女の友人達よ、彼女達と共にいる少年達よ。
「おにいちゃんおなまえなんていうの!?」
「え、あ、ヴァイスだ」
「ヴァイスおにいちゃん!!」
女の子達がヴァイスの手や腕、マフラーを握る。
「わたしのおうちにきて〜!!」
「あっ、ずるい! あたしのおうち!」
「おかあさんにいうから〜」
「ねえおねがい! こんなところじゃなくてひろばにおいでよ〜!」
ブラウさんが頭を押さえ、ロゼはあらあらと口に手を当て、ロートは面食らったように呆けている。
「うわー大惨事」
「一人一人の攻撃力はそこまででも、ここまで押されたら多分そろそろ……」
「あっ! 倒れましたわ!?」
僕の予感通り、ヴァイスは泡を吹いて倒れた。女の子達の悲鳴。ブラウが回収に向かう。ブラウさんを見てまた女の子達がきゃあと悲鳴を上げた。そういえばあの人も顔はいいんだったか。
「そういえば、あやつが戻ってこんな」
師匠が呟いた。その言葉に、年長者らしき少年が答える。
「竜姫様はおそらく……父娘ゲンカ中です」
激しい金属音。木々の枝葉が揺れ、散らされる音。
「いい加減にしろっていってんだろ! クソ親父!!」
「『父上』か『お父様』だろうが! てめぇがいい加減にしやがれ馬鹿娘!!」
剥き出しの刃を構えるジルヴァ、それと対峙するのは大柄な男。銀の髪に瞳、ジルヴァよりも立派な角と羽根。
「いくらあのレーゲンとそのツレだろうと、余所者を入れるなど以ての外! しかもなんだあのガキ共は! ……まだあの馬鹿な未来を信じてんのか!」
「信じるさ! あれがボクの、夢なんだから!!」
ジルヴァは一足で距離を詰め、刃の柄で男の後頭部を抉るように殴りつけた。その隙をついて横を駆け抜ける。
「コラァ! 親の言うことを聞け!!」
「父さんはボクの言うことを聞かない。だからボクも父さんの言うことは聞かない! 晩御飯はみんなと食べます行ってきますっ!!」
捨て台詞を吐いて駆け出すジルヴァ。その背を見つめ、男は側頭部を抑えた。
「あんの糞馬鹿娘……あいつは自分の価値を知ってるのか……?」
荒れ果てた惨状の場に座り込み、大きくため息をついた。
「厄介なことにしやがって。……あいつらめ」
それからしばらくして立ち上がり、男は自身の家へと戻っていくのだった。




