53 : キミを待っていた
微睡む意識の中で俺は自分を振り返る。
何が起こった? 四層に飛び込み、海で遊んで──そうだ、変な魔物に飲み込まれたんだ。もがいても逃げ出せず、もう駄目かと思った瞬間に現れた銀色の影に、救われた。
体に触れる温もり。それから背中に衝撃。
「うぉげっ!!」
喉の奥からこみ上げてきたものを吐き出し、咳き込む。意識がはっきりした。水を飲んでいたのか、張り付くような塩の味がぴりつく。足元はまだ水の中、引き上げられたところらしい。
「良かった! 無事だったんだね!」
声、体を支えるこの腕。俺を助けてくれた奴か。俺は顔を上げる。
「────!」
濡れて張り付く長い銀の髪。頭から伸びる角、そして、花びらのような魚のひれのような形をした、耳。逆光で顔は良く見えない。
「お、まえ、は」
「ああっ! 無理はしちゃ駄目だよ! 溺れて死にかけてたんだから!!」
口を開こうとした俺を制し、奴は浜辺へと進む。ほとんど引きずられるようにして俺は引き上げられた。
「体が冷えてる──ここらは暖かいとはいえ、良くないね。少し待ってて、火を起こすから」
濡れた髪を掻き上げる。健康的に引き締まった体、その背中に生える羽根に、尻尾。ロゼの鳥のようなものとも違う翼。その顔を隠す、民族的な化粧がされた仮面。
火を起こすためと枝葉を集める奴の後ろ姿を視線で追う。その横顔は焦りに満ちており、本気で俺を心配しているように見える。
「これで大丈夫かな……よし!」
そう言って髪の毛を一本抜き取り、小声で何かを呟いてから軽く息を吹きかける。毛先に火が灯り、それを枝葉へ移した。
「間に合って良かった……」
安心しきったように溜息をつき、火の前に手をかざす。キミも、と促され俺も火の前に近づいた。
その横に置かれる細長い剣のようなもの。銀の髪、角、翼、背格好に体格、あの仮面。間違いない。
「お前は、あのときの奴だな?」
三層にて、デメモコモコに襲われていた子供を救った女。その姿と強さ、発言は忘れない。
奴はこちらを見つめ──と言っても仮面のせいで表情は読めないが──大きく頷いた。
「そうさ。ずっと、キミを待ち続けていた者だ」
ぱちぱちと爆ぜる火種の音を聞く。しばしの沈黙。奴は俺をじっと見つめている。
「って俺達あのときが初対面だろ!!」
思わずツッコんだ。普段こういうのはシュヴァルツに任せたいのだが……。いないので仕方ない。
「あー、えっとだね、違うんだ。ボクらは初対面だけどそうじゃなくて……」
「いや何がだよ……。初対面だろ俺そんな羽根やら角やらある奴とあったことはないぞ」
奴は額を抑えてうんうんと唸る。その時気がついたのだが、奴の左肩から肘にかけて、妙な入墨がされていた。幾何学的な模様だ。
「お前はその、噂の迷宮内に住む人間なのか? いや、人間なのか?」
まず確認したいところだ。もし魔物やその一派であるのなら、俺はここでのんびりしていられない。
「信用できなければ俺はここから去る」
「ちょ、ちょっと待ってよ! ボクにキミを傷つける気はない!」
手のひらを向けてアピールする姿。それはわかる。敵意があれば、俺を助ける前に留めをさすはずだ。わざわざ陸に上げ、水を吐かせ、火を起こしてくれた。
「それは別だ。敵意がなくとも悪意はあるかもしれない。お前はそうでも、お前の仲間が今ここを取り囲んでるかもしれねえ」
「……警戒心が強いなぁ、彼らと違って」
彼ら? 引っかかる言葉の後、奴は横に置いていた片手剣を掴んだ。鞘を抜くのかと身構えたが、奴は掴んだそれを茂みへ投げ込む。がさがさと音を立てて姿を消した。
「これで安心かい? ひとまず、キミの質問に答えよう」
火に照らされる仮面。木彫りの表面がてらてらと光った。
「キミの言うとおり、ボクは、ボクらは迷宮内で生活する民だ。『まつろわぬ民』、そう呼んでいる」
まつろわぬ民、俺はその言葉を反芻する。
「ボクらは長い年月を迷宮で過ごし、迷宮に満ちる瘴気を浴び続けた。深い階層で過ごす程その影響は大きい。そしてボクらは、この羽根や角を得た」
びらり、とそれを動かしてみせた。
「ボクらはこんな見た目だけど、れっきとした人間だ。ただ住む場所が、見た目が違うだけの、ただの人間だ。攻撃する理由も、危害を加える動機もない!」
俺を見据え、しっかりと宣言した。その言葉に嘘偽りはない。 仮面によって表情は見えないが、その奥の瞳が見えた気がした。
「……しかし外の人々はそうじゃない。ボクらを恐れ、迫害し、挙句の果てには見せ物として売ろうとした。何十年も昔、一層に住んでいた同胞は何人も連れて行かれた」
ぐっと拳を握りしめる。今まで通ってきた階層にもいたのだ。彼女らのような「まつろわぬ民」は。
「だからボクらは隠れ、姿を現さぬように生きてきた。同じ人間なのに、元は同じ生命なのに! ……それが、ボクらが都市伝説? 扱いされる理由さ」
そこまで話し終えて、彼女は項垂れる。
「……お前の素性はわかった。悪い、嫌なことを言った」
「気にしないでいい」
謝罪はさらりと流される。だが、だ。まだわからないことはある。
「何故お前は俺を知っている? 三層で出会ったあのとき、あれが初対面のはずだ。それなのに何故お前は、俺が仲間を連れているとわかった? ────何故お前は、俺を待っていた?」
繰り返し耳にした「キミを待っていた」という言葉。隠れて生きてきた彼女が、何故あのとき俺を知っていたのだ。
彼女は少し黙った後、ゆっくりと口を開く。
「ボクはこの四層に暮らしている。あの日はたまたま、三層に用があって赴いたんだ。三層の集落に暮らす子供が行方不明になっている話を聞いて、その子を探しにボクは三層内を探索していた」
ぽつりぽつりと語られる内容は、今の俺の問いとは関係がない。しかし俺は黙ってその話を聞き続ける。
「子供を見つけて飛び出したとき、すでにキミがいた。キミが武器を抜いて、立ち向かうところだった。見ず知らずの怪しい子供のために、飛び出すキミの姿を見た」
あのときの話だ。あのとき、頭上から飛び出してきた彼女の姿は今でも覚えている。忘れられない、鮮明な記憶。
「その時『確信』したんだ。キミは、ボクが待ち続けていた未来なんだと!」
そう言い放ち、彼女は仮面を掴んだ。
「二十年前、ゼーゲンのみんなと見た未来! それがようやく、ボクの目の前に現れた!」
勢いよく、仮面を投げ捨てる。
「ああ息がしやすい! この仮面、自分達の集落を出るときはつけとかなきゃいけないんだよ。息苦しいったらありゃしない!」
「そんなのはどうでもいいが……。二十年前って! お前、どう見ても二十歳越えてるとは思えねえ見た目じゃねえか!」
仮面の下から現れた顔。短めに切り揃えられた前髪、ぱっちりと開かれた銀の瞳。俺達と歳の変わらない、女だ。長い銀の髪を頭の後ろで高く結ぶ。ぶんぶんと首を振って髪を揺らして彼女は笑った。
「まつろわぬ民は成長の速度が違うのさ。こう見えても、ボクはキミよりうんと歳上なんだよ」
そう言って立ち上がる。布と紐で作られた簡素な服に覆われた健康的な肢体。身長はやはり俺より高い。
「いやそもそも未来って──」
「ようやく、ボクの夢が叶う日が来た!」
俺の言葉を遮り腕を力強く掴む。その手は微かに震えていた。満面の笑みを浮かべ、彼女は高らかに言い放つ。
「ボクの名は『ジルヴァ』! 二十年の時を経て、ゼーゲンの意志を継ぐ者だ!!」




