50 : Let's dance with me.
賑やかな喧騒。夜空を彩る花火。
華やかな衣装に身を包み、仮面を被って踊る人々。
まだ冬の寒さが残る夜半に、それを吹き飛ばすように人々は騒ぎ、笑う。
──今宵は宴。年に一度の、春を祝したお祭りの夜。「朝鳴鳥の会」だ。
「ひひへほ、ふへーはふりらな」
「飲み込んでから喋りなさいよ」
ロートに言われ、俺は口の中のお菓子を飲み込んでから言い直す。
「にしても、すげー祭だな」
「そりゃそうよ。この街はお祭りに命かけてるもの」
「楽しみねーのかな」
「殴るわよあんた」
ロートに引きずられ、俺達は祭りに来ている。ぱりっとした衣装に身を包み、賑やかな夜の街へ飛び出したのだ。
「いい夜になったわね」
暗闇の中でも目が覚めそうな赤いドレスを着込んだロートが、ハイヒールを鳴らして階段を登った。
どこからか聞こえてくる音楽に合わせて、仮面を被った人達がダンスを踊る。それを、路地裏の階段に腰掛けて俺達は眺めていた。
「食ってばっかりじゃないか。踊ってこないのか?」
「誰が踊るか。んなのはゴメンだ」
宿を出てから、俺はとにかく屋台でお菓子を買い込んで食っている。ダンスはできないわけではないが──やりたくない。
「街中でぶっ倒れてもいいんならやってやるよ」
「誰が介抱すると思ってるんだ。やめてくれ」
俺は焼き立てのクッキーを齧りながら答えた。シュヴァルツが呆れたような顔をする。
「お前ほんと……無駄使いだよなぁ」
「シッケーな奴め。てかお前、こんなところで止まってないでロゼと祭り見てこいよ」
「……断る」
「つれないこと言わないでくださいよ! シュヴァルツ様ったら酷いです!」
膨らんだ裾の可愛らしいドレスに身を包んだロゼが、シュヴァルツの背中に飛びつく。階段に腰掛けていたシュヴァルツは前のめりに倒れそうになった。
衣装はツュンデンさんが用意してくれたものだ。
「踊りましょうよシュヴァルツ様〜!」
「こいつ踊れないからやめといたほうがいいぞ」
「黙ってろヴァイス!!」
怒鳴るなようるさいな。耳を塞ぎながら俺は舌を出した。
「折角だから二人共踊りなさいよ。わざわざ服までもらったのにさ」
ロートが俺達の方をじろじろと見、ため息をつく。たしかに本日俺達は小綺麗な格好をしている。用意してくれたのは、黒猫通りの人達だ。息子さんが着ていたものを譲ってくれたのである。
「いーやーだ! 踊る相手もいねえんだよ俺にゃあ」
「あら可哀想」
憐れむ目線。それはそれでムカつく。
「ヴァイスにぃ! ロートねぇ! みんな!」
通りから軽い足取りで、曲がり角からクヴェルが走ってきた。その後ろからブラウの姿。黒のシャツに黒のスラックス。ジャケットは脱いで手に引っ掛けていた。さらにその後ろから、着飾ったゲイブとリラが手を振っている。
「よーぉクヴェル! お祭り楽しんでるか?」
「うん! あにうえがね、おかしかってくれたの!」
「おー良かったな! よしブラウ、俺にも奢れ」
「殴りますよ」
ブラウは右腕の傷も、動かすのに支障がないほどにまで治っている。クヴェルは手にしたものを見せてくれた。
「みてみて! かめんだよ! これをつけて、おどるんでしょう?」
仮面、それは動物を象った可愛らしいものだったが、俺の脳裏にふと蘇る。
三層の探索最中に出会った女。彼女もまた、仮面を被っていた。彼女の言葉が思い出される。「四層で待っている」。そうだ、まだここで終わりではない。俺は、深層を目指すのだ。
「ヴァイスにぃ?」
「……お、すまん。ぼーっとしてた」
「まだ怪我の影響が残っているのですか?」
「そこまでやわじゃねーよ」
くしゃりとクヴェルの頭を撫でた。柔らかい髪が指の隙間を抜けていく。
「そういやぁ、金髪君に眼鏡サンは騎士サマについてるだけでいいの?」
ロートが問うた。急に話を振られた二人は、いやあと濁しながら頭をかく。
「お恥ずかしながら、女の子達から次々誘いを受けててっすね……。こっから捌ききれるかどうか」
「今から失礼のないようにお相手する予定です」
そう言って懐から仮面を見せる。シンプルなデザインの、目元を隠す奴だ。シュヴァルツが凄い目を向けている。
「……」
二人はかなりモテる。元々顔立ちがいいのに加え、二人共町などで手伝いをしているのも大きい。ゲイブの後輩感溢れる丁寧な接し方や、リラの歳上感溢れる包容力でこのあたりの女性達はイチコロだそうだ。
「シュヴァルツ、あれがモテる男って奴だよ」
「今すぐ女性陣の多くいるところに放り出してやる……」
「おうおうお前の名前叫びながらぶっ倒れてやるよ」
いつの間にか新生「燕の旅団」メンバーの大半が揃っていた。宿を出たのはほぼ一緒だったが、それから二時間程度会わなかったのは意外だ。……そういえば、俺達より先に宿を飛び出した奴はいたな。
「オランジェの奴、女の子捕まえたのかな」
「いやー多分無理でしょうねぇ」
「さっきとぼとぼ路地裏歩いてるの見たっすよ」
俺達が着替えてる間に、オランジェは「女の子が俺を呼んでいる!」と言いながら飛び出して行ったのだ。左腕が動くようになってから、もうすっかり以前の調子である。
「左腕にクソダサいアップリケでも付けてやればよかったのにな」
「それ名案っすね。やってやればよかったっす」
「やっちゃ駄目だよ、ゲイブ」
あそこまで女の子と話したいというのが、俺には理解できない。俺ならぶっ倒れて運ばれてるね。
「いないといえば、もうひとり」
グリューンだ。着替えている間からずっと、「こんな格好で出たくない」「似合わないから嫌だ」と渋っていたが、ゲイブやロート、ロゼの説得で嫌々出てきてくれたのだ。
「グリューンなら、今頃──」
「踊ってるんじゃないかな」
長いため息を付き、階段の下に小石を投げ込む。遠くに聞こえる音楽に耳を澄ませながら、俺はぼんやり、満月を見ていた。
「……虚しいぜ」
宿を出てから三時間、女の子達に声をかけまくったが──結果は惨敗。みんな好きな人や気になる人にアピールを仕掛けるか、友達同士で集まっているため声をかけても相手にされないことが殆どだ。
どんな顔してあいつらのもとに帰ればいいんだ。爆笑するヴァイスの顔を想像して、俺はまた長いため息をつく。
その時だった。背後、段上から足音がして、月明かりが陰る。振り返るとそこには人影。
逆光と闇夜のせいで見えにくいが、ドレスを着た小柄な影だ。力の民なのだろう。獣の耳が頭から伸びている。こつこつと足音。一段一段、階段を降りてきた。俺は思わず立ち上がり、端に寄る。
短めの前髪、後ろ髪は短く揃えられているが、横髪だけは伸ばされている。本来ならばよく顔を見ることができるだろうが、今彼女の顔には仮面がつけられていた。目元だけを隠す仮面ではない。顔全体を覆い隠す、笑顔が描かれた仮面だ。
この祭りである。仮面をつけていることは何らおかしくない。だが俺は──彼女から目が離せない。
「もし、レディ」
思わず声を出して、呼び止めていた。彼女が歩みを止めて振り返る。俺は高鳴る心臓を抑え、声を出した。
「も、もしも、今宵誰とも約束がなく、退屈なのでしたら──」
そして、手を伸ばした。何故こんなに心が動かされるのかはわからない。だが、今俺は、彼女と踊りたい!
「お──私と、踊りませんか?」
伸ばした手は空で留まる。彼女からすれば、怪しいことこの上ない。断られるだろうとは思っていた。しかし──彼女は、手を伸ばした。
「あっ……」
そっと、手が重ねられる。手袋を付けた手だ。剣を握るせいで、皮が固くなった俺の手より、一回りも二周りも小さく細い手が重ねられる。
彼女が一歩前に。俺の眼前に、彼女が迫る。ゆっくりと口が、耳元に寄せられる。
「あまり得意じゃない……のですけど」
耳によく馴染む、落ち着いた声。俺は生唾を飲み込み、胸元から取り出した仮面をかぶる。今もし明かりがついて、この真っ赤になった顔が見られたら恥ずかしくて死ぬ自信がある。
「責任を持って、エスコートいたします」
遠くから聞こえる音楽に合わせて、前へ、後ろへ。柔らかく手を引き、彼女を促す。身を委ねさせ、軽やかにターン。しなやかに上体を反らせ、甘えるようでそれでいて芯を持つ。誰かに見せびらかしたいほど、美しいダンスである自信がある。
屋敷で稽古した先生よりも、ずっとずっと上手だ。いや、技術が上手というよりかは合わせるのが上手いのだろう。躊躇や迷いはなく、俺の導く先を読んで彼女は足を、体を動かす。まるで見透かされているような心地だ。一挙一動お見通し、そう言わんばかりに彼女は俺の動きを読んでいる。
流れてくる曲が変わった。少し激しい曲調。俺はそれに合わせて少し早く動く。もっと早くと言わんばかりに彼女が脚を絡ませた。情熱的だ、悪くない。
それに答えるためより激しく動いた。小柄な彼女を包むように抱き寄せ、ターン。ドレスの裾がふわりと舞って、華奢な足首が地面を踏む。体が触れ合いそうなほど密着。絡み合う脚はもつれることなくステップを刻む。
握る手にいつしか力が籠もっていた。その手は細いが少しだけ硬い。もしかしたら、冒険者なのかもしれない。それならば、動きなれているのも納得だ。
仮面のせいで表情は読めない。俺は口を開いた。
「レディ、不思議だ。貴女を、ずっと昔から知っている気がする」
答えない。安いナンパかと思われただろうか? だが彼女も感じているはずだ。初対面でこんなに相性のいい相手が、そうそういるはずがない。
曲が終わりに近づいている。このダンスが、この曲が終われば、彼女はきっと行ってしまう。そっと腰を抱き寄せ、彼女に囁く。もしかしたら、この真っ赤な顔はバレてしまったかもしれない。
「貴女との出会いを、このまま、一晩のもので終わらせたくない」
それでも、引き止めたかった。曲が終わる。ステップが止まる。
「朝になっても、貴女と話がしたい。貴女の、名前が知り──」
そっと、人差し指が唇に当てられた。相変わらず、仮面は笑顔のまんま。それから一歩、二歩と下がる。
「名前を聞くのは野暮──でしてよ」
取って付けたような丁寧語。俺は彼女から目が離せない。
「仮面を外せばもう、貴方とぼ──私は他人」
ひゅううと音を立て、空に光の筋が伸びていく。彼女がそっと、仮面に手をかけた。
「貴方が目を凝らせば、きっとまた会える」
仮面が少しずつ外される。俺は彼女の素顔を目に焼き付けるため、必死に目を凝らす。
白い顎筋が見えた刹那、どおんと大きな音を立てて、夜空に大輪の花が咲いた。眩い逆光の一瞬、その隙に彼女はくるりと背を向けた。手には仮面、今彼女を呼び止めれば、その顔を見れる。俺は前へ足を踏み出す。
「待────」
「それじゃあまた、リ────」
続けて打ち上げられた花火によって、俺の声も、彼女の声もかき消される。彼女は手の中のものを後ろ手に放り投げ、ひらひらを手を振る。俺は慌てながらも投げられたそれを受け止めた。彼女がつけていた、仮面。そして彼女は、路地の影に消えていった。
残されたのは俺一人と、俺を笑うような仮面。早鐘のように鳴る心臓を押え、俺は花火の音を聞いていた。
「──にしても、シュヴァルツが気づいてなかったってのはクソおもしれーんだよなぁ」
「うるっさい! じゃあヴァイスは気づいてたのかよ!?」
「気づいてたわ。お前らもそうだろ?」
不機嫌そうなシュヴァルツを無視して、俺は他の皆に話を振る。
「まあ、そりゃあねぇ」
「話してたらわかりましたわ」
「なんとなくで」
「俺達も最初はわかんなかったんすけどね」
「話してたらまあ、次第に?」
このとおりだ。
「ほら」
「いやわからないって……」
路地裏を早足で歩く。充分な距離が取れたことを確認して、走り出す。走る、走る、走る! 息が荒くなる。ドレスの裾が邪魔だ。両手で掴んで、たくし上げて走った。
なれない靴を履いたせいで足も痛い。だから僕は、こんな格好するのは嫌だったんだ!
なれないことをした恥ずかしさと、あのオランジェの顔を思い出して頭が焼け切れそうだ。ぶるぶると首を振って、頭から追い出す。
人の少ない路地裏で良かった。人がいて、こんな真っ赤な顔を見られたらきっと──射殺してしまう。
僕は走りながら、みんなの待っている階段を目指した。
「そーゆーところがモテない理由だぞ。シュヴァルツくーん?」
「コキアさん呼んでくるぞ」
「マジでやめて」
「でもホントに、性別くらい見分けられないとねぇ──」
その時、階段の上段で急停止する音が響く。顔を上げれば、噂の主──グリューンが、肩で息をしながらこちらへ向かってきていた。
「おつかれさん」
ロートがそう言って上着を差し出す。いつも来ているフード付きの上着だ。無言でそれをひったくるようにして奪い、頭から被る。フードを両手で引っ張って、顔をすっかり覆ってしまっていた。
「楽しかった?」
「……二度と、こんな真似しない」
ロートがグリューンの肩を叩く。グリューンは肩を震わせながら、それを甘んじて受け入れる。
「その反応を見るに……脈アリ?? ねぇねぇどーだったのよ、グリューンってば!」
「……言いたくない」
「えぇ〜教えて下さいよ! グリューンさん!」
「言いたくないってば!」
「おいおいいじめんなよ女子ぃ〜」
頭から煙が出そうなほど茹で上がったグリューン、見ていて可哀想だ。
「にっしてもほんっとシュヴァルツといい、ニワトリ君といい失礼な奴よねー!」
「ホントっすよ! シュヴァルツさんはお姫さんに、オランジェ君はグリューンに、なぁーんで大切に思われてるって気づかないんすかねぇー。ねぇ姐さん」
同意を求めるゲイブ。……お姫さんに姐さんって何。
「そのとーりよ金髪君。……ところで姐さんってなに?」
「お姫さん、とは?」
「ゲイブさんとっとと女の子達と踊ってきてください!!」
「……そういうのマジでやめて、ゲイブ」
本当に、鈍いやつらだと思う。俺はクヴェルにクッキーを渡しながら、夜空に浮かぶ月を眺めた。
「にしても、なんでグリューンはその……隠してるんだ?」
「いや、隠してるつもりはなかったんだけどね……」
「コラァシュヴァルツ!! クソ失礼なこと言ってんじゃないわよ!」
ロートがシュヴァルツの胸倉を掴み上げて拳を固める。シュヴァルツは両手を上げて謝罪した。
「うわ──ごめんなさい!!」
「気にしなくていいよ。……実際、オランジェには言わないように、みんなへ口止めはしてるしね」
「気づかないオランジェ君もオランジェ君だけどね」
「で、結局どうして言わないんですか?」
グリューンは少し間を開けて、答えた。
「面白いから」
「は?」
グリューンの言葉に、ロートも止まる。
「いやだって、あの女狂いのオランジェだよ? ずっと男だと思って隣に置いていた奴が女だって気がついたらさ──」
そこで、先程までの恥じらった様子をかなぐり捨てて、グリューンはにやりとあくどい笑みを浮かべる。
「絶対、腹よじれるくらい、面白いに決まってる」
流石にこれには、みんな黙りこくった。オランジェもオランジェだが……グリューンも、グリューンだ。
一際大きな花火が夜空に咲いて、俺は指笛を鳴らす。
新たな季節の、春の訪れを祝して、祭りの夜は更けていく。
これは蛇足だが、あの後深夜になってオランジェは戻ってきた。俺はたまたま一階にいたのだが、オランジェはあちこちに脚をぶつけ、ふらふらしながら椅子に座った。
風呂に入れと言っても生返事。ぼーっとして、視線は遠くを見ている。そして度々手に握りしめた仮面を見つめ、ため息をつくのだ。
俺は黙って──そっと肩を叩いてやるのだった。
ちなみに、オランジェとグリューンは──同室である。
岸壁に打ち付ける波の音。それに耳を澄まし、暗い「ソラ」に向かって手を伸ばす。もう何度も繰り返した行為。
掴めないし、掴めたところでそれは偽物。でも、そんなことを繰り返す日々も、もう終わる。
「待ってて、ボクの『未来』」
伸ばした手は、今度はしっかりと握られた。