49 : おかえり
「何言ってんだ、お前」
「そのままの意味だ。俺の仲間達の夢を、お前が、背負ってやってくれ」
オランジェは俯き気味に言った。その目の前まで近寄り、見下ろす。
「それは、お前……つまり」
「ああ。鷹の目の仲間達を、お前に任せたい」
ぶん殴ろうかと思った。拳を固め、そこで思い留まる。
「何か理由があるはずだろ」
リーダーが、個人の判断で仲間を行き先を決めるなど、最低だ。自分が連れ出したのなら、尚更。人の上に立つ人間ならば、部下が死ぬまで面倒を見るものだ。いや、死んでも面倒を見続けるべきだ。
「……なんで、そうしようと思った」
オランジェは、そっと左腕を撫でた。
「この左腕が、もう動くかどうかはわからない。もしかしたら、もう使い物にならないかもしれない。片腕の剣士なんて、無理だ。……冒険者は、もう続けられないかもしれない」
痛々しい傷が残る体。一度目のハルピュイア戦の傷跡に加え、一生消えない傷が刻まれただろう。
「そうなれば、あいつらはどうなる。あいつらは俺が連れ出したんだ。それなのに……もう帰っていい、って言うのは、酷すぎるじゃねえか。そのくらいなら、お前達に任せたい。あいつら、お前の仲間達と仲良いだろ」
「そんなの……片腕分くらい、魔力を使えば補えるだろ? 装甲をつけて、魔力を流すとか」
俺の言葉に、オランジェはゆるりと首を横に振った。
「俺は、魔力を使えない」
「──え」
魔力は、この世界に生まれた人間なら誰もが持ち合わせているものだ。体内の魔力を、魔法として発動させるのには上手い下手があるが、俺のように武器や体にまとわせる使い方は誰にだってできる。
銃砲を扱うロートだって弾丸に魔力を込めて打ち出しているし、ブラウだって筋力強化を使い槍の威力を増している。
「俺は、体内の魔力を外に出せない。だから、使えるのは純粋な剣技だけだ。グリューンの親父さんと、家で教わった技術だけ」
体内の魔力を外に──そんな、ことが。
「あるんだよ、実際。俺がタウラス家で落ちこぼれになった理由の、半分はこのせい。もう半分は実力のせいだけどな」
乾いた笑い声。なんで、こいつは、それで──
「なんで笑ってられるんだよ! なんで、受け入れられるんだよ! お前は……どうして、笑ってられるんだよ!!」
家のことを語ったときも、今この瞬間も、何故お前は笑うんだ。何故お前は、受け入れるんだ! ハルピュイアを倒すと誓ったあの意志の強さは、どこに行ったんだ。何故、家のことになると……諦めるんだ。
「笑うしか、受け入れるしかねえんだよ。お前にわかるのか、ヴァイス。
俺は、生まれてから十六年間、ずっと……名前が無かったんだ。必要ないと、身代わりだと、言われ続けた。両親に愛されて、お前だけの名を与えられた、お前にわかるのか!?」
何も言えなかった。
記号としての宝石の名に甘んじて、人として生きることをしない次期当主達を見た。生まれたときから天上人だと信じて止まない彼らを見て、心底気分が悪かった。
幼い頃から自由にしてくれて、街に降りることを許してくれた父。夢を応援してくれた母。信頼できる、仲間達。俺はきっと、幸せなのだと。
「生きてることを認めてほしいなんて、お前は思ったことが無いだろう!」
言い返すことができない。激励することも、できない。今の俺に、何も言う資格はない。何も、わからないのだから。
「お前に言っても仕方ねえよ……。でも、こんなどうしようもないリーダーの下に付いて、共倒れする仲間達を俺は……見たくない。俺がもう、駄目だとしても……あいつらには、自由に生きて欲しい」
こいつなりに、仲間を思っての判断なのだ。だとしても、俺は、それを認めたくない。
なんのために俺達が橋から飛び降りたと思っているんだ。俺達は、こいつの願いを叶える手伝いのために降り立ったのだ。
せっかく願いを叶えたのに。せっかく、意地を貫き通したのに。なんでこいつは、目の前に伸びた道を絶とうとしているんだ。
「お前らには感謝しているよ。本当に、感謝してる。あのとき燕の旅団が来てくれなければ、俺達はまた全滅していた。仲間達が倒れて、また泣き喚く羽目になった。それなのに、倒せたんだから。みんな無事で──まあ、俺はこの通りぼろぼろだけどな」
その時俺はふと、気がついた。少し離れた廊下の向こう、その階段に。
「けど、そこで実感したんだ。ここから先は、もう厳しい。知ってるかもしれないが俺は、二層の神霊にも挑んで、負けている。学習しない馬鹿だと思うか?
……でもな、俺は負けたくないんだよ。挑んでみるまで、諦めたくないし、負けた相手には絶対勝ちたい。二層のときはリラとグリューンに引っ張られて、大怪我する前に三層に飛び込んだから、結局負けっぱなしなんだがな。
──俺といたらきっと、あいつらは命がいくつあっても足りない。俺はあいつらが大事だから……こんな馬鹿のために命を使うより、自分の人生を生きて欲しい。幸せに生きて欲しい。きっとそれを、あいつらも」
そこから先は言わなかった。俯き、項垂れ口を閉ざす。
「ギルド『鷹の目』は解散。そして、仲間達が望めば──お前達『燕の旅団』に入れてあげてくれ。……頼む」
しばらくの沈黙の後オランジェはそう言い、頭を下げた。俺は少しの間思案して──口を開く。
「────それは、本人達に聞いてくれ」
「は」
オランジェが俺の指差す方を振り返る。その方、階段の方から三人の影が弾かれるように飛び出してきていた。
「ふざけたことを────」
先頭はグリューン。その腕から伸びる点滴の管を掴んで追いかけるゲイブ。怒った様子で迫るリラ。
「抜かすな馬鹿リーダァ──!!」
グリューンが拳を固め、オランジェの後頭部をぶん殴った。座り込んでいたオランジェの体がぶっ倒れる。俺ですら傷をいたわってしなかったというのに!
「グリューン、落ち着いて……」
「落ち着けるか!」
グリューンはゲイブの制止を振り払い、オランジェの胸倉を掴み上げた。グリューンは背が低いが、力の民の腕力でオランジェは爪先立ちまで浮き上がらされる。
「勝手に決めるな! あんたといたら命がいくつあっても足りない? そんなの、今までのことでわかりきってる! 今更そんなこと気にするな!」
惜しげもなく、その牙を晒して怒鳴る。
「そんなの、わかりきってる! わかってなかったら、ここまでついてきてない! 自分の人生? 幸せ? そんなの──いらない!」
グリューンは腕をおろし、頭を下げて、オランジェの胸に頭を押し付ける。俯いて、後半は声が震えていた。
「僕は言ったよな? 僕の力は、オランジェの願いのために使い切るって。オランジェの夢は、願いは僕の夢だって。……僕はとっくに、あんたと心中する覚悟があるんだ!」
ぽたり、ぽたりと床に雫が落ちる。
「今更置いていくな! 残していくな! まだ、諦めるな! 冒険者をやめるなんて、言うな……! 僕は、僕は……! オランジェと一緒じゃないと、嫌だ!!」
鼻水や涙で顔をぐしゃぐしゃにして、オランジェの胸にぐりぐりと頭を押し付ける。オランジェは驚いたような、困ったような顔をしてゲイブ達を見た。二人は、相変わらず少し険しい顔をしている。
「罪な男っすね、オランジェ君」
「本当だよ。歳下の子をこんなに泣かせて」
しゃくりをあげるグリューンの頭を撫でて、ゲイブとリラはオランジェに抱きつく。傷に触らない程度に優しく、それでいて咎めるようにきつく。
「俺達だって、グリューン君と同じ気持ちなんすよ。……俺達にとっての『リーダー』は一人だけっすけど、あんたは、大事な『大将』なんすから」
「そうだよ。俺達は、君だからついてきたんだ。君だから、ここまで来たんだ。それなのに、勝手な判断で置いていくっていうのは、身勝手が過ぎるよ」
「でも、俺は、もしかしたらもう──」
冒険者はできないかもしれない。そう言おうとしたのだろう。それを黙らせるよう、ゲイブは左腕を掴んだ。
「俺の手術が、信用できないって言うんすか? 俺の腕が、そんなに無いと?」
その言葉に思わず黙る。執刀医は、オランジェが信頼する仲間なのだ。
「きっと動く。そうなるように手術したんすよ。俺の、ありったけの力を使って、またアンタが冒険できるようにしたんすよ」
肩口に頭を沈める。
「アンタの目指す場所は俺達の目指す場所っす。だから、アンタの見たい景色まで──責任持って連れてってくださいっす。それが、俺達の望みなんすよ」
そのゲイブの頭を、オランジェの頭をリラが優しく撫でる。三人を包み込むようにリラは優しく抱きしめ直す。
「オランジェ君。俺らはみんな、君のことを信頼してるんです。君のことが大好きだから、ここまでついてきてるんです。それを、わかって欲しい。そりゃあたしかに……いつも、無下にしたりしてるけどね」
だから、とそこで一呼吸あけた。
「俺達を、置いていかないで。最後まで、俺達はついていくから。最後まで、側にいさせてほしい」
リラの言葉の後、皆に押し潰されていたグリューンが、消え入りそうな声で呟いた。
「また、僕らを迷宮まで連れてってよ。──リーダー」
しばらく、グリューンのしゃくり声だけが響く。無言の中で、鼻を啜る音が聞こえた。俺の位置からオランジェの顔は見えない。だが、見ようとも思わなかった。
「本当に……お前らは、俺に……」
震えて、掠れた声。それに答えるように、三人は同時に言う。
「ついていく」
オランジェは自由な右腕で、全員を包むと言わんばかりに手を伸ばした。それから、真ん中に顔を埋める。
「ばっかやろう……本当に、馬鹿野郎……!」
俺は四人から背を向け、窓の外を見た。聞こえないふりも忘れない。
あいつはきっと、涙を見られたくないはずだから。
「これからも、ついてきてくれ。グリューン、ゲイブ、リラ!」
「もちろん! ──リーダー!!」
「わかったっすよ、大将!」
「当たり前だよ」
俺とオランジェが退院したのは、それから三週間後。ゲイブの処置と、体内に入ったロゼの血のおかげか、俺達の元々の回復力の強さか、医者は頭を抱えていた。
二股の黒猫亭の前に立つ。二人顔を見合わせ、それから扉を開いた。
変わらぬ店内。一階ホール内に揃ったみんなの姿。あいつらは俺達より早く退院したのだ。あいつらも相当の生命力に違いない。
「ヴァイス!」
「リーダー!」
「オランジェ君!」
弾かれたように飛び出すグリューンとロート。その奥からシュヴァルツと、ゲイブに、クヴェルを抱えたリラ。
カウンターに座って、鼻を鳴らすレーゲンのババアに、カウンター奥から微笑むロートさん。壁際に立ち、こちらを見るブラウ。みんな、変わらない。
「ぐえェ────!」
「うぎゃぁっ!!」
俺達二人共、仲間達からの強烈なタックルを食らわされた。店外まで吹っ飛ぶ。騒ぎを聞きつけ、通りの人達が覗き込んでいた。俺達の神霊撃破、そして入院の連絡は広まっていたのか、段々野次馬が集まってくる。
「おかえり!」
真っ先に、オランジェにしがみついたグリューンが言った。その後、皆続々におかえりなさいと口にする。石畳の上にぶっ倒れたまま、俺は笑った。
「ただいまっ!!」
「──これでいいのか?」
「そうそう」
「本当にいいの? あんたら」
「いいんすよ。俺達も嫌じゃないし」
「この形なら、文句はないね」
「『リーダー』が決めて、僕らも納得してるんだからいいんだよ」
全員で、丸机を囲むようにして書類を眺める。そこには、オランジェ達鷹の目連中の名が刻まれていた。
「本当に、いいんだな」
「ああ。それが、一番いい」
書類に書かれた言葉。
──我々ギルド「鷹の目」は、ギルド「燕の旅団」と合併いたします。
これは、入院期間にみんなで話し合って決めたことだ。お見舞いに来ていたロートやシュヴァルツ達にも確認済である。
ギルド「鷹の目」は、「燕の旅団」と合併する。
回復までのその期間、ずっと休暇状態にするわけにはいかない。一度ギルド申請をした冒険者は、ギルドが解散してフリーになるまで、三人以下で迷宮に入ってはいけない仕組みなのだ。
此処から先の戦いを、四人で進むというのも酷な話。そもそも四人とは、ギルド立ち上げ条件の最低限度である。その状態で三層まで辿り着けたのが凄いのだと。
意見を出し合い、この方法が一番良いと決まった。
「僕らにとっての『リーダー』は、オランジェだけだけどね」
「だからこうして、燕の旅団内、別行動部隊『鷹の目』として、残ることになったんだろ」
別行動部隊。先に進み深層を目指す俺達本部隊と違い、リハビリも兼ねてゆっくりと一層からの探索をする部隊だ。迷宮内には謎が多く、見落とした部分も多いので、そこを見直すためにも彼らには頑張ってもらいたい。
俺は書類を手に取った。各々の癖が光る文字に、思わず笑いが漏れる。
「よし! 完了だ!!」
その書類をカウンターに叩きつけ、俺は高らかに宣言する。
「これよりギルド『鷹の目』は! 俺達『燕の旅団』内別行動部隊として、共に戦う仲間となる!」
各自九名、用意したグラスを掴む。
「新たな門出を祝して────カンパイ!」
オランジェとグラスをカチ合わせる。軽やかな音を立てて中のジュースが飛沫を上げた。
「僕らのリーダー達に!」
「乾杯!!」
グリューンとロートが叫ぶ。そうなればあとは好き勝手。
「馬鹿な幼馴染に!」
「阿呆な主に」
「素敵なリーダーさんに!」
「大好きな大将に!」
「信頼する仲間に!」
グラスのぶつかる音、笑い声。振る舞われる料理に舌鼓をうつ。
「若いっていいね、レーゲン」
「ふん……まあ、見るぶんにはの」
カウンターを挟んで話すツュンデンさんとババアの声を聞く。俺はグラスに追加のジュースを注ぎながら笑った。
「俺達の夢に! カンパイ!!」