48 : おはよう
「オランジェ!!」
「ヴァイス!」
倒れ伏した二人に、グリューンとシュヴァルツさんが駆け寄る。グリューンは動くのもやっとなのに、這いずるようにしてオランジェ君に縋り付く。すっかりパニック状態で、二人共正気じゃあない。
「リラ! オランジェ君の腕は!?」
「回収済だ! 土一つ付けてない!」
「了解! 冷やして、大事に持っててくれ!」
リラはぐったりと伸びるオランジェ君の左腕を抱えていた。リラも頭から血を流している。でも軽症だ。オランジェ君の腕は肘の部分からすっぱり斬り落とされている。俺は二人の元へ駆け寄った。
「オランジェ……オランジェ! オランジェ!」
「落ち着くっすグリューン! 君も、無理をしちゃ駄目なんすから!」
かなりの血の量だ。ヴァイスさんはすっかり意識を無くしているし、オランジェ君だってうっすら目を開けているだけで、意識ははっきりしていないだろう。
「金髪君、二人……どうすれば……!」
「そうだ、市場に! 上の市場に戻れば薬もあるし……医者もいるかもしれない!」
「は、早く向かいましょう! 私では止血はできても……ここまで大きな傷は塞げません!」
燕の旅団の三人は慌てふためいてる。皆軽いものだが怪我を負い、血を滲ませていた。その奥で、右腕を押えたブラウの兄貴が見える。押さえる手の隙間から血が流れていた。俺は大きな音を立てて手を叩く。
「市に向かう時間はねえっす! 即座に『帰還の楔』で上にのぼって、御役所で即手術っす!!」
「でも……」
医者をどうするのか、と言いたげな顔。俺は自分自身を奮い立たせるためにも声を張り上げた。
「俺は医者っす! 伊達に外科医やってねぇんすよ!! 俺を、信じろ!!」
その言葉に落ち着きを取り戻したのか、三人はびくりと震える。こういうところは、まだ十代の子供なんだと思う。そうだ、この中で俺は二番目の年長者。俺がしっかりしなくては!
「ヴァイスさんは、とにかく腹を押さえて! 揺らさないように、ゆっくりと! それから兄貴も! 止血を!」
シュヴァルツさんは頷き、ローブを脱いでヴァイスさんの腹を押さえる。それからロゼさんと協力してその体を支え、帰還の楔を取り出した。
「使いなさい!」
「……! ですが」
「いいから! 早く!!」
ロートさんがスカートの裾を引き裂き、兄貴に渡す。兄貴は少し躊躇したけれど、押し付けられて受け取っていた。ロートさんの力でしっかりと縛られる。
「リラ!」
「わかってる!」
本当は力の民のグリューンに縛ってもらいたいけれど、今のグリューンはパニックに陥っている。リラが渡してくれたローブの裾を使って、腕の付け根をきつく縛る。それから上に向けて、血が流れるのを防ぐ。
「よっしょっと……踏ん張るっすよ、オランジェ君!」
オランジェ君の体を背負う。意識を失ってるから重いけれど、今の俺にとっては軽く感じた。強く振る舞って、リーダーだと言っても、俺より五つも歳下なんだ。俺は滲んでくる涙をこらえる。
「帰れる!」
「急ぐっすよ!!」
二つのギルドがほぼ同時に、地面へ楔を突き刺した。体の浮き上がる感覚とともに、視界が眩い光に包まれる。
目を開けば御役所内の一室。無数の楔を置いている部屋だ。もつれ合うようにして部屋を飛び出すと、職員の方々が驚いた顔をした。それから地面に落ちる血を見て更に悲鳴を上げる。止まってられない、俺は叫ぶ。
「すぐに手術を行います! 大きな台がある部屋を教えて下さいっす! それからとりあえず病院に連絡……それと! 輸血用の血! 心の民、両方の型を頼むっすよ! 後でお金は出すっすから、早く!!」
女性職員は無言で俺達と床を交互に見、かくかくと首を縦に振った。奥にいた男性職員が空き部屋を教えてくれ、そこに二人を運び込む。
「兄貴! グリューンを連れて部屋から出てくださいっす! それから兄貴達も、すぐに手当てを!!」
負傷した上にパニックを起こしているグリューンにとって、手術を見せつけるのは良くない。腕を負傷した兄貴を俺自身の手で治療できないのが心残りだが、仕方ない。兄貴は一つ頷くとグリューンを押さえて退室した。
テーブルの上に寝かせ、ウエストポーチから手術道具を取り出す。メスの本数、血を入れる魔法具、いくつの薬や粉末、大丈夫、万全だ。
「お二人の血液型は!?」
頼んだ血がいつ届くかわからない。この場にいる者の血で凌ぐしかない。
俺達の血液型は大きく七つに分かれる。心の民のX型とY型、知恵の民のX型とY型、力の民のX型とY型、器の民は症例を見たことがないから詳細は不明。
「間違うわけにはいかないんすよ!」
異なる種族、型の血液を入れると、「輸血反応」を起こし血中の赤血球が破壊される。それはぜったいに防がなくてはならない。
「シュヴァルツさん! あなたは!?」
ここにいる心の民は倒れてる二人以外にはリラとシュヴァルツさんしかいない。オランジェ君はX型、リラはY型だから輸血ができない。
「僕も、ヴァイスもX型! 使ってくれ!!」
最悪は避けれたが、嫌な状況だ。失血している二人共X型、シュヴァルツさん一人から二人分の血を抜くわけには行かない。
「私の血をお使いください」
ロゼさんが袖をまくり、その細い腕を差し出した。ロゼさんは器の民だからよくわからないけれど、異なる民の血は……!
「器の民の中でも、私は白翼種。全身の細胞、血液までもが万病の治療薬にもなるとされます。実際、私の血液はあらゆる型に対応し、止血作用、破壊された細胞組織の再生を促す効果もあります。どうぞ、存分にお使いください!」
躊躇はしたし、困惑はしたが、彼女の言葉を──俺は信じる。
二人に頭を下げて、その腕に注射器を刺す。ごっそり血を抜き、輸血用の器具に移す。二人の血を上手い具合に混ぜ合わせてから二人の腕に針を刺す。これで輸血面はひとまず安心、なはずだ。
「大丈夫? シュヴァルツ、ロゼ」
「ふらふらするけど、大丈夫だ」
「平気ですわ……このくらい!」
二人共身体の異常は出ていない。俺はつなぎの上を脱ぎ、タンクトップ姿になる。膨らんだ袖はこのような作業に向かない。持ち合わせている手袋を装着。メスを熱消毒。これで準備はできた。
「気をしっかり持つっすよ……! ふたり共!」
常備している手術道具の中にあった粉末を水に溶かしてヴァイスさんに注入。迷宮内の薬草と地上の薬草を混ぜて作った麻酔だ。
メスで一気に腹を開く。臓器の傷を確認。傷はそこまで深くない。オランジェ君が左手に直撃を喰らったため、ヴァイスさんの方は浅かったのだろう。直撃を脇腹に食らっていれば──きっと厳しかった。腹はそれだけ死に繋がる。
臓器を縫い合わせ、それから腹の縫合。傷跡が残らないよう、丁寧丁寧に。
一人目完了、次はオランジェ君。難しいのはこっちだ。
傷口を縫合してしまえばいいというわけじゃない。また、剣を持って振り回せるように──冒険ができるように、手術しなくてはならない!
こんなところで、オランジェ君の冒険を終わらせるわけにはいかない!! また動くように、以前と変わりないように、俺が治してみせる!
「なにか、ルーペとか、そういうやつはあるっすか!? あれば持ってきて──」
言い終わる前に顔色の悪いロゼさんが、俺の眼前に印を組んだ手をつきだす。
「千里の瞳を……!」
その途端、視界が澄み渡る。離れた位置の木目の数すら読めそうな程、明瞭な視界。これは……!
「それで、繊維や神経まで見えるはずですわ……。レンズの来るまでの、代わりには……なるかと……」
「いや……ルーペなんかより、よく見えるっす! ありがとうございます!!」
これならばいける! リラからオランジェ君の千切れた腕を受け取る。風の刃ですっぱり、というだけあって切断面はまだ綺麗だ。神経組織も、死んでない!
これがずたずたなら、俺の技量では不可能だったかも──いや、弱音は吐けない。大丈夫、大丈夫!
「よし!」
麻酔を打ち、慎重に筋繊維と腱を縫い合わせる。一本でも間違えるな。焦るな、落ち着いて、慎重に。
……よし、次は神経だ。これを間違えれば、もう左腕は──剣を握るどころか、日常生活すら送れない。額から汗が滲む。足元がふらふらになって、力が抜けそうになる。夜明け前からずっと、気を張り詰めていたのだ。絶対に、集中力を切らすな。
俺が助けるんだ。必ず、オランジェ君を救うんだ。もう一度とは言わず、何度でも、迷宮に潜るんだ!
どれくらいの時間が経っただろう。
かちゃん、と音を立てて針を置いた。長い長い溜め息をついて、床の上にへたり込む。目の前が霞んでいる。横に視線をずらすと、頭に包帯を巻いたリラが肩に手を置いていた。
「お疲れ様」
リラはいつの間に包帯を──そういえば途中、お医者さんらしき人物が来たのを追い返した気がする。
ヴァイスさんは連れ出してもらったけど、オランジェ君の処置を手伝おうと言われて……「集中が切れるから向こうで頼む」的なことを、言ったような……後で謝ろう。
加護があったとはいえ、酷使した目が痛む。
腕に包帯を巻いたロートさん、並んで見守るシュヴァルツさんとロゼさん。ブラウの兄貴とグリューンは結構な重症だったけれど、お医者さんが来たなら安心だ。
俺は親指を突き立て、微笑む。みんなの顔は見えなかったけど、安心してくれただろうか。俺は後方に下がっていたから怪我は殆どない。でも、疲れた。
何時間も何時間も、縫合に集中し続けたのだ。やれることはやった。きっと大丈夫。
ああ駄目だ。瞼が重い。まだ目覚めるまで見守らないと。容態が急変する恐れがある。でも、駄目だ瞼が勝手に閉じていく────
「交代だ、ゲイブ」
リラの声。うん、じゃあ、甘えよう。
そのまま俺の意識は、眠りの底へ落ちていった。
それからはあっという間だった。
俺が起きたのは翌日の昼。手術が終わったのがあの日の夕方だと言ったから、ほぼ半日眠っていたことになる。
俺達全員病院に運び込まれ、即入院となった。比較的軽症で、意識もはっきりしていたリラが三層の神霊、ハルピュイアの撃破を御役所に伝えた。
燕の旅団と鷹の目、双方の協力により撃破したと。ハルピュイアの撃破はおよそ二十年ぶりだという。ゼーゲンの時代以来だとか。
俺、シュヴァルツさん、ロゼさんはほぼ無傷。疲労と、輸血による貧血のため検査が行われたが翌日にはぴんぴんしていた。
リラとロートさんがそれぞれ軽症。風や衝撃波によって飛んできた石なり枝葉などに切りつけられた怪我だという。リラは頭部を、ロートさんは腕を怪我していたが、傷跡も残らず完治するだろうとのことだ。
ブラウの兄貴は、かわしたものの風の刃を右腕に受け負傷。神経等に異常は無いが出血が激しく、数針縫う怪我になったらしい。俺が手術できなかったのが残念だ。
グリューンは風による被害に加え、負荷の大きい技を使った反動が大きかった。時空への干渉という大技、酷使した体には厳しかったのだろう。体のあちこちの血管が破れ、重症だったそうだ。ロゼさんの協力のおかげでもうじき動けるようになるらしいが。
そして、脇腹が裂けたヴァイスさんと、左腕が飛んだオランジェ君。二人は、ハルピュイア撃破から二日間、眠り続けた。
目を覚ますと、白い天井が見えた。俺は、迷宮にいたはずなのに。体を起こそうとして、体が動かないことに気がつく。脇腹が痛い。思わずうめき声をあげた。
「──────!」
その直後、何かを落とす音が響く。視線を動かすと、部屋の入口にシュヴァルツが立っていた。目を見開き、俺を見ている。何見てんだと声を出そうとして、出なかった。喉の奥が張り付いたみたいにして声が出ない。
「起きるな!!」
怒鳴られて思わず萎縮する。なんでこいつはこんなに、焦ってるんだよ。記憶を辿る。俺は、確か──、あ。
「待ってろ、すぐゲイブさんかお医者さんを呼んでくる。あと、ロゼにロートにブラウさんに……ああ! とにかく、みんなを呼んでくるから。お前は、じっとしてろ」
ものすごく念押しされた。そこまでかよ。
すぐにどたどたと足音を響かせて、部屋の扉が開かれる。右腕に包帯を巻いたロートと、三角巾で右腕を吊るしたブラウ、それから笑顔を見せるロゼ。皆が部屋に飛び込み、駆け寄ってくる。
「体調は、意識はしっかりしてる?」
「私が誰だかわかります? ヴァイスさん!」
「坊ちゃん、起きては駄目ですよ」
体を起こしたいという意思を伝えたが拒否される。畜生。少し咳き込んだあと、掠れながらだが声が出せた。
「倒せたのか……あいつ」
「うん、最後は、オランジェがやったよ」
「そうかよ……けっ」
そこから話を聞いた。
「心配……かけやがって……」
シュヴァルツが、俺の眠る寝台、そのシーツを掴んで呟いた。消え入りそうな声、かすかに肩を震わせる。
その姿に、さすがに申し訳なくなった。謝ろうと手を伸ばして──
「反省したら! もう二度と軽率に前に飛び出すんじゃない!! お前が死んだら、師匠や親父さんに合わす顔が無いんだぞ!!」
「なぁんでお前はいつもそうやかましいんだ! お前は俺の母さんか!!」
「大声を出すんじゃないわよ!」
思わず叫んだ俺の頭が、ロートの手で叩かれた。
「あ」
「げ」
目覚めた日から一週間後。ようやく動いていい許可が降りた俺は、病院内をうろうろと歩き回っていた。
歩き回って屋上──というか最上階、屋根の上に出る天窓付近。そこでニワトリ野郎……オランジェと再会した。
「……よう」
「……おう」
ぎこちない挨拶。なんと声をかければいいんだ逆に!
こいつも左腕が千切れて、同じように意識を飛ばしていたと聞いた。今その左腕は三角巾で吊るされ固定されている。
「もう大丈夫なのか」
「……お前こそ」
そりゃその通りだ。なんとも言えぬ空気になり、俺はそそくさと帰ろうとした。そこを「待てよ」と呼び止められる。
「ちょっと、話してぇ事がある」
何の話だ。今「あのときはありがとうな!」とか言われたらはっ倒す自信があるぞ。
訝しみ、距離を開けながらも恐る恐る近づく。オランジェはその場に座り込んだ。その体制は脇腹に負荷がかかるため、俺は立ったままだ。
「俺は、意地を貫いた」
「……そうだな」
オランジェはあの日、片腕になっても剣を握り、奴を討った。それは事実だ。
「それで──その、俺の願いを手伝ってくれたお前に、頼みたいことがある」
はっ倒すぞ。礼を言わないだけマシだが、「手伝ってくれた」とか、聞きたくない。まるで俺がこいつのために動いたみたいじゃないか。
それからオランジェは、口を開いた。
「お前は、夢のために動くと聞いた。夢を追いかけて、深層を目指すと」
たしかにそうだが、それが何だというのだ。俺は黙って続きを促す。オランジェは少し躊躇し、言葉を濁してから、ゆっくりと、言葉を口にした。
「仲間達の夢を、お前が背負ってやってくれ」
「は?」
天窓の向こうに、白い鳥が飛んでゆく。




