3 : 契約成立
二股の黒猫亭、一階ホール。カウンターに座る俺とシュヴァルツとロート。ロートは不機嫌そうにグラスを呷っている。向かい合ってツュンデンさん。ツュンデンさんは嬉しそうににやにやと笑っていた。
「知らなかったのかいあんたら! この子はロート、うちのかわいいかわいい娘だよ! 私によく似て美人だろ?」
「そういうのやめて……」
うんざりした様子で溜息をつく。美人とか自分で言っちゃ駄目でしょ、と言いたくなるのをぐっとこらえた。ロートと話したときに発作が出なかったのは、ツュンデンさんと同類だからだったのか。
「で、あんた達」
ツュンデンさんは俺達に顔を寄せる。ぎらぎらと光る金の目で俺達に威圧をかける。
「この子、ギルドメンバーとして認めてくれる?」
「だから……!」
「この子は強いよ、なんたって私の娘だし」
「やめてって」
「あんたらがメンバーとして認めてくれれば、この子を案内人なんてクソみてぇな仕事から抜けさせれる」
「クソみたい言わないで母さん!」
ツュンデンさんはロートが迷宮案内人、とかいう仕事をやっていることが気に食わないらしい。
「はいはい。だけどいろんなギルド間を転々として、一層終われば次々と変わってくそのスタイルは親としちゃあ、ひっじょーに不安なのさ」
「……お金が、必要なのよ」
そう言うロートの目は、決意を込めた強い光を放っていた。それを一瞥し、ツュンデンさんは「知ってる」と続ける。
「この子は十五の時から迷宮に潜ってる。とある事情でどうしても金が必要でね。でも今はもうそこまで切羽詰まってるわけじゃあない。迷宮入りをやめろとは私も言いたくないわけよ」
珍しい。迷宮入りを止める親というのは見たことがあるが──冒険者を目指すというと烈火のごとく怒り狂った使用人を思い出す──ツュンデンさんはそれ自体は認めているのか。
「母親みたいになりたい、っていう子供。嬉しくないわけないだろう」
優しく目を細めロートを眺める。知らない人が二人並んでいるのを見たら姉妹に見えるのだろうが、こういう表情をしているとやはり彼女は母親なのだと思う。……ん?
「え、おばさん元冒険者?」
「お姉さんとお呼び!!」
「痛ぁ!!」
客を殴る奴があるか!!
「母さん言ってなかったの!?」
「今まではまだやめとこかなー思ってて、もういっかと」
非常に軽いノリだ。ロートは店内を確認すると、床に置いた大きな黒い箱らしきものを叩いた。先程まで肩に担いでいたものである。
「あんた達、ここで話すことは他言無用よ?」
そう前置きをしたあと、ロートはツュンデンさんを指差した。
「母さんは元冒険者。この銃砲は元々母さんが使ってたもので、アタシはそれを受け継いだ」
「どーしても『お母さんと同じ武器使う』って聞かなくてね」
「茶々入れないで、それはいいから。……母さんは、二十年前迷宮探索解放から初めて、深層に辿り着いたギルド【ゼーゲン】の、メンバーなのよ」
俺らは揃って目を剥き、ツュンデンさんを眺めた。本人は照れるねーなどと言いながら猫耳をぴょこぴょこ動かして見せる。
「うっ……そ、だろ……」
「な、なんでそんな人がこんな路地裏で宿屋してんですか!?」
シュヴァルツがカウンターを叩く。その疑問は最もだ。そこなのよ、とロートがため息混じりに呟いて言葉を続けた。
「あんた達も知らないんだね。この街で……ゼーゲンと言うギルド名は禁句なんだ」
俺達にそのギルドのことを教えてくれたのは、シュヴァルツを育てた森の魔女──ババアだ。迷宮に最も近い街で、どうしてそんな偉大なギルドが禁句なのだろうか。
「二十年前、確かにゼーゲンは深層に辿り着いた。だが皆、最奥にあるものを語らなかった」
ツュンデンさんは、ただ黙ってロートの語りを聞いている。
「次第に人々の疑問は膨らみ、『本当に深層にたどり着いたのか?』と言う謎に変わる。やがて──ゼーゲンは、深層に辿り着いたという嘘をついたと疑いをかけられた。国家を誑かした奴らと罵られ、手配をかけられたのよ」
ロートは強く拳を握った。思わずツュンデンさんを見る。彼女は変わらずただじっと、ロートの方を見ていた。その視線の先に、何が見えているのか。
「アタシは母さんと同じ景色を見てみたい」
ロートは、力強くそれを宣言した。
「だからアタシは冒険者を目指した。──そのためにも、多くの金を集めなくちゃいけない」
そこまでして集めなくてはならない金は、なんのためだ? 彼女は俺たちの方へ向き直る。金の瞳に映る俺と目があった。
「母さんの意思を汲んであげたいのも山々だけど、今のアタシは迷宮案内人。仕事人なの。仕事人の誇りとお金のために、曲げるわけにはいかないのよ」
そう言うと、ツュンデンさんからひったくった書きさしのギルド申請書を引き裂いた。念入りに、名前のところをばらばらにする。
「アタシは、迷宮案内人としてあんた達の旅を手伝う」
「……代金は」
「報酬は採れる素材の二割。これでも引き下がった方よ。母さんが進める奴らだし、なるべくサービスしたんだから」
真っ直ぐな目。仕事人の誇り、とやらはわからないが冒険者になりたいという強い意志は感じた。たった一人で貯める金はなんのためか、そんな理由は些細なことだ。俺は彼女に手を差し出した。
「上等、取引成立だ。俺達に力を貸してくれ、ロート」
ロートは八重歯を見せて笑うと、力強く手を握る。その手は細いのにも関わらず、皮は硬く骨ばっている。この手は、苦労を乗り越えてきた手だ。
「二層到達まで、しっかり案内させてもらうわ」
硬い握手は長く続いた。……まあ、離すタイミングを見誤っただけなのだが。そのうちロートが思いっきり力を込めてきて手がみしみしと音を立てた。
「痛え!!」
「あーごめーん」
「俺はリーダーだぞ!!」
「アタシ別にギルドメンバーじゃないし」
「てめぇ!!」
よくよく考えたら結局目標の四人にはまだ全然届いてねぇ! 今日一日進展ゼロか!? シュヴァルツが冷めた目で俺を見る。やめろ、そんな目で俺を見るな。
「なあヴァイス……僕ら、いつになったら迷宮行けるんだろうな……」
「や、やめろよ……だ、大丈夫だって! よっしゃ今から二人捕まえるぞ、まだイケるって!!」
「もう日暮れだ!!」
外は夕日が落ち始めている。
「今からマークさんの酒場に行っても、大人で溢れかえってる! 僕らの話をまともに聞いてくれるわけないさ」
「大人に変装していくぞ」
「無理だろ」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ俺らを見、笑い声を上げるツュンデンさん。
「ゆっくりでいいじゃないか。迷宮は逃げないんだ。今日はロートと三人、親睦を深めればいい。今日の飯代はサービスしてやるよ」
「マジっすか!?」
「親睦ぅ?」
ロートが怪訝そうな顔を浮かべた。ツュンデンさんは指を鳴らすと、片目を閉じてウィンクして見せる。
「昨日の祝いもついでにしちゃおう、飲め食え話せ! 私達もそうしてた!」
そう語るロートさんの目は、懐かしさ故かゆるく煌めいていた。
「飲めって……僕らまだ十六なんですが」
「比喩だよ比喩! さあ準備するぞ手伝え!」
「いや俺らも料理手伝うの!?」
「で、ツュンデンさんは深層で何を見たんですか」
美味い料理を口に運びつつカウンターに四人、盛り上がる中でシュヴァルツが聞いた。ツュンデンさんはあー、とかうん、とか濁したあとに笑う。
「やっぱり言えないねぇ。あのことは、ギルド全体で黙っていようってことになったから」
「そんなに酷いものだったんですか?」
「酷いというか……いやぁ、ねぇ」
煮えきらない返事だ。
「あんた達がいざ目の辺りにして、どう思うかはわからない。だが私達のリーダーは、『口外しない』ことを選んだ。それはそういうものだったのさ」
そう言って酒を呷った。一体深層に何が眠るのか、一層謎は深まるばかり。
「迷宮解放から四十年の間、深層に辿り着いたギルドはなかったんだろ?」
「ああ、私達がギルドを立ち上げた時点じゃまだ、五層以上あることでしかわからなかったねぇ」
ツュンデンさんいわく、その時人々は五層を突破できずまごついていたらしい。ギルドゼーゲンは五層を突破し、さらに六層を進んでいったらしい。
「階層は全部で七層あるのを見つけ出したのも、ゼーゲンなんだろ?」
「ああそうさ。四十年止まっていた迷宮内の知識を、私達が跳ね上げた」
酒によって頬が赤らんだツュンデンさんは語る。
「私達だけじゃあない。あの頃はいろんな馬鹿がいた。そいつらが競い合って、たまに手を組んで、どんどんと先に進んでいった。馬鹿がいっぱいいた時だったからこそ、私達は深層まで行けたんだと思う」
少し口を閉ざした後、それなのに!といきなり声を上げた。
「なんだい近頃の冒険者達は!? お遊び感覚で迷宮に入って、すぐ尻尾巻いて逃げ出して! 昔は良かった〜とか古くせえこという気は無いけど、もうちょっと欲を出せ!! 馬鹿になれ!! あー畜生、時代の流れを感じるわ〜」
グラスからでは無く瓶から直に酒を飲むツュンデンさん。こういうところを見るとやはりおばさんだと思う。
「なんだぁヴァイス! 見とれてんのかぁ!?」
「はは、ぜってぇねぇ」
天に誓って無い。
「んだとコラァ!!」
「馬鹿! 酒飲んだ母さんには絡まないほうが……」
「ロートぉ、もっとこっち寄りなさいよ!」
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁ────っ!!」