47 : 君のおかげ
「『爆ぜろイグニス』!」
黒髪──シュヴァルツの周りを飛び交う火の玉がハルピュイアの眼前で破裂する。精霊使いか。
「口を開いたらすぐに耳を塞いで! あと、強風にも気をつけるんだ!」
燕連中にわざわざアドバイスを送るなリラ! 声には出さないが睨みつける。
風が止んでいる今は好機。グリューンが与えた翼の傷が効果を発揮しているうちに、できる限り叩く!
「『ストライクアロー』!」
グリューンから放たれた三本の矢が、凄まじい速度で奴の右翼に突き刺さる。いいぞ、これでまだ飛び立つことはできないだろう。
「『蠟梅』!」
左翼を貫く弾丸。弾が当たった場所から蠟状のものが滲み出し、翼を封じる。ロートちゃんの銃だ。燕の旅団に先を越されるのは悔しいが、ロートちゃんなら許せてしまう俺の馬鹿!
「喧嘩してる時間じゃないわよ! ニワトリ君!!」
ロートちゃんが新しい弾丸を詰めながら俺に言う。
「こうなりゃアタシらとあんたらは一蓮托生! 共に泥舟、沈みゃあ笑い話よ!」
快活に、笑いながら弾丸をぶっ放す。その横顔は、初めてであったときと比べて──眩しく、明るい。
「オランジェさん! お下がりください!」
背後から聞こえるロゼちゃんの声。戦闘が再開した直後に前線からは下がったらしい。思わず足を止めると、ロゼちゃんは隣に駆け寄りしゃがみ込む。親指を噛み、流れた血を俺の頭から体にかけて浴びせる。
「ロゼちゃ──」
「癒やしの御手を!」
そう叫び、手で印を組む。その手を俺の眼前にかざすと、痛んでいた頭の奥がすっと引き始める。意識が覚醒する。
「私は器の民、怪我をしたら即座にお呼びつけください」
強い意志の感じられる、紫水晶の瞳。
「ありがとう、俺達のために」
「感謝なら、ヴァイスさんに言ってくださいな」
詐欺野郎に?
「市場の方々にあなたを馬鹿にされ、ヴァイスさんは怒りました。そして、あなた方を手助けするために、橋から飛び降りました」
頭の痛みが弱まり、向こうにいるヴァイスが見えた。二本の短剣を構え、ハルピュイアの爪を弾いている。奴が、俺に対して──?
「私達は、あなた方を全力で支援します。それが、ヴァイスさんの頼みですから」
俺は思わず口を閉ざし、それからロゼちゃんに頭を下げて立ち上がった。深く息を吸う。それから、地面を蹴って飛び出した。
己を奮い立たせるため叫ぶ、声を上げる。
ハルピュイアが口を開き、跡切れ跡切れに怪音波の衝撃が飛んできた。一つ一つが斬撃のように、走る俺に迫りくる。剣を振ってそれを防ぐ。
「ヴァイス────ッ!!」
怪音波によって吹っ飛ばされ、空を舞う詐欺野郎の手を掴む。地面に叩きつけるようにして飛ぶのを止めてやり、そのまま投げ捨てる。
「余計なお世話、しやがって」
接近、真横に剣を振るい薙ぐ。女の体と鳥の体、その境目あたりに真一文字の傷が付く。
その瞬間凄まじい風が吹き、接近していた俺達はまとめて吹っ飛ばされた。
「『イグジスタンス』!」
背後に壁が生まれ、体が止まる。その直後に目の前にも壁が発生した。リラの力、助かった。風が塞がれ体制を立て直す。着地の衝撃で口の中を噛んだ。血を吐き出し、当たりを見回す。
「────!」
奴は主に翼を使って風を生み出す。翼を削った以上、あまり強い風は生めないはずだ。現に今の風も、初めの頃と違い弱まっている。そこまで長期間風を生み続けることも困難だろう。またすぐに止む。
「リラ! 援護頼む!!」
俺は壁を飛び越え走った。握る剣に力を込める。ハルピュイアの背後の木々がめきめきと音を立て、奴の翼と足を縛った。長くは持たない。術の効果が切れるより先に、奴の力で引き裂かれる。
だがその一瞬で構わない! 俺は地面を蹴り、飛びかかる。今度こそ、狙うは眉間! 視線の先に、二本のダガーを握ったヴァイスの姿が見えた。凄まじい速度で迫り、飛ぶ。
「『スマッシュキリング』!!」
「『クイックリーパ』!!」
振りかざした刃は、奴の眉間に振り下ろされ──真っ二つに砕けた。
俺と同時に飛びかかり、斬りつけたヴァイスの刃もまた、砕け散る。
「──────!?」
声すら出なかった。剣が、折られた。頭部はどんな生物にとっても、弱点のはずだ。こんなに硬いなど、石頭どころの話ではない!
ハルピュイアの異形の目が眼前に迫る。俺は今、ハルピュイアの顔面、その寸前にまで近づいていた。駆け巡るデジャヴ感。深淵のような口が開かれる。耳を塞げば──駄目だ、間に合わない!!
その刹那、耳に響く咆哮。ハルピュイアの破壊音波ではない。人の喉から絞り出された声だ。緑の疾風、ハルピュイアの顔が離れる。俺は奴の眉間当たりを蹴り、背後へ飛んで着地した。
ハルピュイアは怒りの叫び声を上げ、拘束していた木々をへし折る。だが奴の喉は大きく抉れ、ぼたぼたと血を落としていた。腹部に銃創、そこからも血を流す。
目の前に立つ緑の上着を着た人影──グリューンが、口から赤い血肉の塊を吐き出す。血で汚れた口元を拭い、俺を掴んで奴から離れる。
ヴァイスは背の高い騎士の男──ブラウに受け止められ、退避している。
「『弾けろアグニ』!」
黒い炎が弾け飛ぶ。シュヴァルツの技か。ハルピュイアの視界を覆うように、黒々とした炎がまとわりついていた。
走るグリューン、その口元。出会ったとき以来ずっと隠していた口元を、グリューンは顕にしていた。閉じていても見える鋭い牙。グリューンは、その緋色の目を俺に向けた。
「お、前、それ──」
「そうだよ。僕が、ずっと嫌っていた、牙だよ」
グリューンは、力の民の中でも突然変異で生まれた子供だったそうだ。力の民、獣の力を引き継ぐ人間。耳や尻尾の特徴を有するが、グリューンは違った。
グリューンには、口を閉じていても見えてしまうほどの牙がある。幼い頃から周りと違うそれを気にし、ずっと口元を隠して人と交流せずに生きてきた。
出会ったあの日、馬鹿笑いしたグリューンの口元に俺は気がついた。あいつは気にし、俺から離れようとしたが、俺は言ったのだ。何を気にすることがある、と。
それはグリューンの個性であり、魅力に違いない。人と異なることは、異常ではなく個性だ。隠すことはないし、むしろ自慢すればいい。そう言うとグリューンは、驚いた顔をしたのだったか。
「リーダーにこの牙を、怖がられなくて嬉しかった! 個性と呼んでくれて、嬉しかった!」
あれからもずっと口元を隠し続けていたから、俺の言葉は無意味なのだと思っていた。俺の言葉は、届いていないのだと思っていた。
「だから僕は、オランジェのためにこの牙を、力を使う! 僕の力を、オランジェの願いのために使い切る!!」
そう言って、グリューンは俺を放り出した。すぐさまリラが駆けつけ、俺の剣を取る。グリューンは弓を構え、引き絞った。
「オランジェの夢は、願いは僕の夢だから!!」
ハルピュイアの顔を覆っていた黒い炎が晴れる。
「『ニアショット』!!」
空気を切り裂くような一閃。風の中を力強く飛ぶが──ハルピュイアが翼でそれを制そうとする。その瞬間、矢が消えた。
つんざくような絶叫。翼の影から現れたハルピュイアの顎、真下から杭を刺したかのように矢が突き刺さっている。
ニアショット、今まで数度しか見たことのない、グリューンの必殺技。父親から譲り受けたという、「必ず狙った場所へ突き刺さるという結果を生み出す」技。
時空干渉に近く、使用者には大きな負担が伴う。
グリューンと森で暮らしていた際に一度だけ父親から見せられた。そんな技、ぽんぽん使うことができれば反則だ。なんと言っても、ガードに関係なく狙った場所へ突き刺さるのだから。
風は止んだ。ハルピュイアは大口を開くことができず藻掻いている。破壊音波の発生条件は、大きく口を開いていること。あの音はもう、封じられた。
グリューンが崩れ落ち、四つん這いになる。鼻からぼたぼたと血が溢れた。呼吸が荒い。あれが、使用者に伴う大きな負荷か。
「グリューン!」
「やって! ゲイブ!!」
グリューンの掠れた叫びの直後、ゲイブが飛び出し駆け出した。五メートル付近まで接近、ポーチから取り出したメスを放つ。
「『鳥羽削り』!!」
メスはハルピュイアの開かれた口の中へ打ち込まれ、喉奥へ突き刺さる。グリューンの元へロゼが走る。これでグリューンは大丈夫だ。
「喉を、封じたっす!!」
ゲイブの叫びの後、ハルピュイアのしゃがれた声が響く。顎から貫かれ、喉を潰され、これでもう破壊音波に怯えることはない!!
「オランジェ君!」
リラが剣を投げ渡した。折れた刀身が戻っている。先の部分がかすかに光り、揺らいでいた。
「持って一分! 行け!!」
錬金術で修復したのだろう。持って一分、上等だ! 俺は何度目かの距離を走る。迫っては吹き飛ばされ、迫っては吹き飛ばされの繰り返しだった。今度こそ、今度こそ、奴を──撃つ!
脳天が駄目なら、次の急所だ。生物の弱点、心臓! 剥き出しの乳房、そこを穿て!
走る俺と並ぶヴァイス。二本のダガーは折られたはずだ。どうして向かう? その手に握られた一本のダガー。三本目? いや、覚えがある。あれは、あいつと出会った次の日──あの、勝負で手に入れたダガー!
走る、走る、走る! あいつより先に、あいつに負けないように!
眼前に迫るハルピュイア。その体を足蹴に駆け上がる黒衣の影。頭上高くに飛び上がり、槍を構える姿──ブラウだ。
「『略式霊槍、轟雷』!!」
眉間の寸前、迫る刃先から雷が生じる。奴の全身を駆け巡る電撃。動きが止まる。まだ倒せてはいない。トドメを────
風が、吹いた。今までの、吹き荒れる嵐のような風ではない。磨き上げられた刃のような、鋭さを持った風。
左腕に感じた熱。視界の端で、俺の左腕が飛んでいく。
痛い、というより熱い!
焼け付くような熱が、左腕を襲う。
ヴァイスの体が傾く。右脇腹を押さえ、ゆっくりと走る速度が落ち始めた。眼前に迫っていたブラウの、篭手の破片が飛んでいた。
翼を封じられ、威力の落ちた風しか生めなかったはずだ。奴は、全方向の風を生まず、極小範囲に凝縮させた風を発生させたのだ。
名前を呼ばれる声がする。激しい熱に襲われていた左腕から、急激に温度が抜けていく。血が出ているのだ、痛みに視界が落ちそうになる。崩れ落ちそうな脚を──踏みしめる!!
「ここで、終わって、たまるかあ、ぁぁぁぁぁ!!」
所詮先の風が最後の抵抗! 翼を封じられ全身を斬られ、雷に打たれ、もう限界のはずだ! 諦めるな、倒れるな! 脚がもがれても、走れ!! 殺されても、死ぬな!!
先に躍り出たのはヴァイス。血の滴る脇腹を押さえながらも、その鳩尾にダガーを振りかざす。不可視なほどの、素早い一撃は奴の体を貫いた。
「『インビシブル・クラッシュ』ッ!!」
しゃがれた絶叫。ダガーを引き抜き、体を蹴り上げ離脱しながらヴァイスが呼ぶ。
「いっけえぇぇぇぇぇ!! オランジェェ────ッ!!」
「うおおおおおぉぉぉぉ──────ッ!!」
左手がないからなんだ! 右腕で力一杯剣を握る。地面を踏み込み、跳躍。
仲間の「願い」を、「夢」を。ライバルの「激励」を背負い、俺は剣を向ける。
「『ユニゾン』ッ!!」
斬り上げる刃。ハルピュイアの胸を切り裂き、深く抉る。破壊音波とは異なる、鼓膜を震わす断末魔。それが次第に弱まり──その体は、崩れ落ちた。
肩で息をし、霞む視界の中、俺は辺りを見回す。駆け寄るグリューン、ゲイブ、リラ。倒れるヴァイスにも仲間達が駆け寄る。
勝ったんだ、俺は、負けなかったんだ。
その喜びに打ち震えながら、俺はゆっくり目を閉じて、崩れ落ちた。