44 : あいつは絶対
「おいニワトリ野郎」
「なんだ、詐欺野郎」
銭湯の大浴場、間隔を開けて並んで浸かる俺とニワトリ野郎。いや、今は立てた髪も寝ているからトサカ頭とは言えないが。
「三層の神霊って、どんな奴なんだ」
洗い場で、ブラウの背中を流そうとしたゲイブが張り倒されている。その後ろでリラが笑っていた。シュヴァルツは少し離れたところで頭を洗っている。
「聞きてえのか? 教えてほしいか?」
「殺すぞ」
その調子に乗ったツラを晒すなクソ野郎。手で水鉄砲を作り顔面にかけてやる。
「まあ、俺は寛大な心の持ち主だからな。教えてやるよ」
俺にもお湯をかけながら、ニワトリ野郎の解説が始まった。
「三層の神霊はハルピュイア、という化物だ」
「はるぴゅ……見た目はどんななんだ。二層のアレ……セト? って奴は砂煙でよく見えなかったからな」
セトとやらはたしか、突き出した鼻を持つ頭をした巨大な二足歩行の姿をしていた。
「見た目か……。鳥の翼と下半身をした女性、ってとこかな。言ってその女性の姿も、不気味な化物には違いねぇ」
「女の姿をしてるのに、お前攻撃できたのかよ」
「流石にあそこまで凶暴ならな……。話も通じねえ相手だ、そこまで女狂いじゃねえわ」
「……」
俺は無言で眺める。常の言動を知っていれば、その言葉も疑わしい。女だから攻撃できねぇ! とか抜かしそうだ。その視線に晒され、奴は不満げな顔を見せた。
「何だその訝しむような目。……まあいい。
鳥の翼を持つから、奴は翔ぶ。空から奇襲を仕掛けられることもあるし、近づいても強烈な風の斬撃や超音波を放たれる。迂闊に近寄れやしねぇ」
「確かセトも近寄れなかったな。神霊ってのはそんなのばっかりか。近寄れねえなら、遠距離の攻撃をすればいいんじゃねえか? ロートやそっちのグリューンならイケるだろ?」
ちっちっち、と指を動かす。指折るぞテメェ。
「あめぇな。グリューンの弓でも、届く前に撃ち落とされた。あいつの弓の腕は凄えんだぞ。それでも、奴の風には勝てなかった。
……二層のセトは嵐を起こす神霊だった。雷と風、その二属性を兼ね備えていたが、ハルピュイアは風に特化してる。故にその分、威力は高い。二層の比じゃねぇ威力の風を放つ」
「厄介だな」
風に特化、厄介な相手だ。
「そのとおりだ。あと、聞いてると思うが、神霊は大体自分の持ち場からは離れない。二層ならあの、岩壁に囲まれた広場から出てこなかったように。そんで奴の持ち場は、三層最下層の浮島だ」
「島一つが根城ってわけか?」
急に規模がおかしくないか?
「そうだ。橋を渡り島につけば、もういつどこから襲われるかわからねぇ。何なら橋を渡る最中から、飛んでる奴の姿を見ることもあるそうだ」
「おぞましいな」
「全くだ。その浮島の中央に、次の階層への大穴がある。運良く巡り合わなければそのまま飛び込めるし、ぶつかれば最悪だ」
こいつらがぼろぼろになっていたということは。
「で、ぶつかったんだな」
「ああ。仲間を逃がすのが精一杯だった」
そう言って、濡れた前髪をかきあげる。その額に刻まれた傷。
「ぶつからずに済む方法はあるのか?」
「何だお前、立ち向かわねえつもりか?」
「お前からぶっ飛ばすぞ。知識のために聞いておきてーんだよ」
備えあればなんとやら、という言葉を知らないのかこいつは。
「あるにはあるらしいが……大分現実的じゃねぇ。
知ってるか? 今までの階層は大地によって明確に隔たれていたけど、三層と四層は違うんだ」
「どう違うってんだよ」
「繋がってるんだ。言うなら、三層は四層から見た空の上にあるって訳だよ。まあ高さも相当で、四層から三層の様子なんて見えねぇらしいがな」
大地で分かたれていないのか。
「じゃあ三層で橋から脚滑らしたら……」
「おう、四層まで真っ逆さま。超ショートカットだ」
ふむ……つまり飛び降りれば即四層と。
「って下落ちたらミンチじゃねーか!」
「ミンチなら上出来だ。下手したら原型も残んねーよ。そこそこの魔術師がいて、重力操作ができたとしても厳しい状況だろうな。なんせ数千メートルだ」
シュヴァルツでは、いや、ババアでも厳しいか。
「なんかこう、でっけえ布とかで凧にするってのは……無理だなぁ……」
「鳥の魔物にぶち抜かれて死ぬな」
「そんな真似したら、まずシュヴァルツに殺されるな」
杖でボコボコにされそうだ。
「今現在の魔術では、浮島から浮島へ飛び降りるくらいが限界だろ」
「ロゼでも無理だな」
「ロゼちゃんのあの美しい翼を酷使させんな! 大人しくハルピュイアに怯えながら大穴に飛び込め!」
ばしゃりと一際強く湯がかけられる。はじめからそのつもりだっての。奴は肩まで沈み、長く息を吐いてから言った。
「次はもう、負けねぇ。俺は絶対に、奴を倒す」
その言葉に、俺はふと疑問を抱く。
「なあおい、なんでそこまでして奴を倒したいんだよ」
一度ぼこぼこにされて、壊滅まで追い込まれた。悔しいとは思うが、命には代えられないだろう。まあ実際、自分がそんなことになったら刺し違えてでも倒したいと思うのだろうが。
「意地だ」
「意地ぃ?」
その答えに、俺は変な声を出してしまった。
「俺は、名前も与えられない存在だった。必要ない、死ねばいいといつも言われていた。だからこそ、冒険者になって、『何かを成し遂げたかった』。生きる証明のために、冒険者になった!
それなのに、負けてばかりで終われるか! ボロ雑巾にされて、諦めて引き下がるなんて真似……できるわけねぇ! これは俺の意地だ。俺は絶対に、もう負けねぇ!」
力の籠もったオランジェの言葉に、俺は口を閉ざす。「何かを成し遂げる」、それが、こいつの──「夢」なのだ。
俺は誓った。俺は誰の夢も否定しないと。どんな馬鹿げた夢でも、俺だけは肯定すると。
濡れた手で、前髪をかき上げる。湯気で煙った視界が晴れた。
「俺達だって、怯えて逃げるわけにはいかねぇんだよ」
二層では、手も足も出なかった。ロートの目眩ましが通用しなければ、あそこから進むことはできなかった。あんな屈辱、もうゴメンだ。
「鷹の目が、奴を倒す」
「燕の旅団がそいつをぶっ飛ばす」
口を開いたのはほぼ同時。お互いに顔を見合わせる。
「何真似してんだこのクソ野郎! 詐欺だけじゃなく猿真似野郎かお前はァ!」
「オメェこそ何真似してんだぶっ飛ばすぞ!! 神霊の予行練習だ血祭りにしてやらァ!」
「上等だ四層にテメェの血の雨降らせてやるよ!」
「やれるもんならやってみやがれってんだ!」
立ち上がりいがみ合う俺らの頭に、同時に拳が振り下ろされる。上を見れば、無表情に影を落としたブラウの姿。ニワトリ野郎の背後には、笑顔のまま青筋を立てるゲイブの姿。
「大人しく湯にも浸かれないのですかあなた方は……」
「オランジェ君……ルールは大事っすよ……?」
「……はい」
二人の威圧感に押され、俺達は大人しく湯に浸かる。俺達から少し離れたところでブラウ、ゲイブ、リラの三人は浸かった。また俺達は感覚を開ける。
少しして、隣にシュヴァルツが来た。
「さてはお前、あぶれたから加わりづらかったんだろ」
「黙れ」
鷹の目連中とはあまり話さないからな、シュヴァルツは。元々根暗の陰気なヤローだし。そう言えばグリューンとは話していた気がしたのだが。……あいつはどこだ?
「これからどうする?」
「あー、とりあえず今日は休んで、明日か明後日から探索再開だな。早く四層に向かわなきゃならねぇ」
「例の女?」
「それもあるが、まあ、色々だ」
「おいおいおいおい今レディの話をしたか?」
女、の言葉にニワトリ野郎が食いつく。何が「そこまで女狂いじゃない」だ!
「教えろ黒いの」
「黒いのって……。シュヴァルツだよ」
「そうか、教えてくれシュヴァルツ」
名前認識してなかったのかよ。
「えーと、僕も詳しくは知らないんだけど、ヴァイスが僕らのところから離れたときに、おおよそ冒険者とは思えない格好をした女に出会ったらしいんだ。仮面をつけて、細長い剣? みたいなのを持った、銀色の髪をした女」
「背は俺と同じくらいかもう少し高かったな」
「んて、その子に『四層で待っている』って言われたそうなんだよ」
「本当に何なんだろうな」
俺達の話を聞き、ニワトリ野郎の形がわなわなと震えだす。それから勢いよく立ち上がった。
「許せねぇッ!! やっぱりぶっ飛ばしてやる!!」
「なんでだよ!!」
ニワトリ野郎の怒号とシュヴァルツの困惑した声。すぐさまゲイブが投げたアヒルのおもちゃが、ニワトリ野郎の後頭部へ激突した。
「長かったわねーあんたら……って、なんでげっそりしてんの」
「……色々あったんだよ」
「そのままでは風邪を引いてしまいますわ、シュヴァルツ様。私、お拭きしましょうか?」
「やめてくれ……」
あのあとこっぴどくブラウ達に絞られた。結果的に入る前よりも疲れた状態で出てくることになったのだ。
もうすっかり髪も乾かし終わったロートとロゼが出迎える。頬もつやつやとさせ、随分とリフレッシュできたようだ。
「休みは満足かよ」
「まあね。でもまだまだ足りないわよ」
「久しぶりにお買い物行きたいです! シュヴァルツ様と!」
「僕はやだよ!」
「とにかくクヴェルと共にいたいのですが」
「自由だなお前ら」
全員から「お前が言うな」という視線を浴びた。俺知らねー。
「どーすんの、リーダー」
「ああ。今日のところは休んで、明日から出発だ。んで三層の素材を少し集めて、武器を新調、もしくは強化する。前まで使ってたやつは、かなりやられたからな」
「三層に戻った途端、やられなきゃいいんすけどね」
「そういうことを言うと本当になるんだよ、ゲイブ」
鷹の目連中の作戦会議も聞こえてくる。とにかくお互い、すぐに神霊との戦い、とは行かなそうだ。
「朝鳴鳥の会までには、三層のことは片付けておきたいんだけどねー」
そう、ロートが言った。その言葉に皆が首を傾げる。
「あさなきどり?」
「なんだそれ、祭りか?」
俺達の反応にきょとんと目を丸くし、それから納得がいったようにぽんと手を叩く。
「そっか、この街のお祭りだもんね。まだまだ来たばっかりのあんた達は知らないか。そうね、あんた達の領でも、季節ごとのお祭りはあったでしょ?」
「あったぞ。秋の月祭」
「私からしたら忌々しい日ですがね」
「トロッコに揺らされた日の思い出で上書きされた」
一年で一番月が美しいとされる晩に行われる祭り。羊領で最も力を入れている行事だ。
「牡牛領は夏に日輪祭があったな」
「あったって聞いたことはあるね。僕は出てないけど。確か、一番昼間が長い日に、お日様への感謝を伝えるお祭りでしょ?」
「俺達の蟹領では冬に雪祭があったっすよ〜」
「一番雪が積もった日に、みんなで雪像を作るんです。それからあたたまるスープを飲むんですよ」
各領様々な祭りがあるらしい。大体名前が違うだけで、似たような四季のお祭りのようだが。
「知っての通りこの迷宮都市ゾディアックは、世界各地、各領からいろんな人々が集まってるわけだけど、 その分祭りごとや風習はごっちゃごちゃなのよ」
「領が違うと色々変わるしな」
お隣の牡牛領とも風習やルールが変わるのだ。東の方などどんななのだろう。
「朝鳴鳥の会ってのは、元々東の天秤領で行われていた、春告鳥の会、っていう春の訪れを祝うお祭りだったの。日暮れから日が昇るまでの間、踊ったりお酒を飲んだりして楽しく過ごすお祭り。
でもあるとき、祭りに寝坊した男がいたの。冬の寒さに耐えきれず、ずっと眠って過ごしていたんだけど、お祭り好きでどうしても出たかった。
急いで身支度をしたけど、顔は寝起きそのもの。困った男はその顔を隠すために、仮面を被ってお祭りに参加した。
それがなーんか知らないけどウケて、仮面をつけるルールが広まったのよ。春の訪れを祝うお祭り、から冬の眠りから目覚めるためのお祭り、に変わっちゃったの」
こんなふうに、ゾディアックでは独自のお祭りが多いらしい。元々あったルールを曲げて、各自で好き勝手やっているのだとか。実に冒険者らしい。
「アタシはこのお祭り好きなの! だから、どうやって神霊を倒そうとかどうやって先へ行こうとか考えながらは参加したくない。折角もう、諸手を挙げて大はしゃぎできるようになったんだから!」
ロートがはしゃいだ様子で言う。きっとあの三年間、心の底から祭りを楽しむことができなかったのだろう。今年はようやくそれらから解放された。リーダーとして、仲間の願いは叶えてやりたい。
「よーし! その祭りはいつなんだ?」
「一ヶ月後くらいね」
「それまでには三層の神霊ぶっ飛ばして! 祭りを楽しむぞ!!」
俺が拳を上げれば、ロートもおー! っと声を上げて拳を上げた。ロゼも俺達を見て腕を上げる。渋った後シュヴァルツ、無言でブラウも拳を上げた。
「僕達も、負けてられないよ」
「そーっすね。ねぇ、オランジェ君」
「当たり前だ。絶対、あいつらより先に──」
ニワトリ野郎と視線がぶつかる。新緑のような瞳は確かに俺を捉えた。
「あいつは絶対、俺達が倒す!!」