40 : 遭逢
走る、走る、走る。耳に届いたのは魔物の鳴き声。それとともに聞こえたのは、子供の声。
「──どうしてこんな迷宮に子供が?!」
もしかしたら、物凄く声が高いだけの冒険者かもしれない。しかし、どっちにしろ放っておくわけには行かない。
吊橋で騒ぐシュヴァルツ達はきっと、すぐに俺がいなくなったことに気がつくだろう。戻ればきっと怒られるのだろう。だが構っていられるか。そこにいる困った人を助けることが、何よりの優先事項なのだから。
浅い呼吸、意識を四方に向けながら声の主を探す。自身の走る音以外、枝の折れる音や葉の揺れる音を見つけろ。
微かに響いた音。地面を引っ掻くような、身じろぎするような音。発生源は──俺の右前方!
腰から二本のダガーを抜き取り、視界を塞ぐ枝葉を切り裂く。舞い散る破片の隙間から見えた光景。少し開けた広場、その中央で水色の体毛を持つデメモコモコの成体がいる。見上げる頭上、その口に咥えられる──子供。
「んなっ!!」
まだ十歳にも満たないだろう子供が、服をデメモコモコの嘴に引っ掛けられ振り回されている。子供が何故こんな迷宮にいる? 奇妙なことが多すぎる。だが、そんなことよりまずは助けることが優先だ!
地面を削りながらブレーキ、踏みしめ、両手を広げる。短剣使いでも、近接攻撃以外の手段はあるんだ! 両腕から短剣へ魔力を奔らせ、いつでも放てる準備をする。
血走った目がこちらを見た。そうだ、こっちに注目しろ。
俺は構えた両腕をほぼ同時に、交差させるように振りかぶった。
「クロスナイフ!!」
放たれたバッテン印の斬撃が、デメモコモコの首に突き刺さる。降り注ぐ血、しかし致命傷にはなりえない。嘴から子供を離そうとしない。
「クッソ!」
今の位置からその目を的確に狙うのは困難だ。斬撃では威力が落ちるし、なにより誤って子供に当たる可能性の方が高い。
どうする、どうする!? 考えろ、策はある! 俺が助けるんだ。俺が今助けなくて、どうするんだ!
子供の目がこちらを捉えた。それから、俺の背後を見て表情を緩ませた。
刹那頭上を横切る影。無数の枝葉と共に飛び出した人影。思わず顔を上げる。
真っ先に視界へ飛び込んだのは、銀。流れるような長い銀髪が空を塞いだ。それから、大きく開いた背中に見える、あれは、羽根? ロゼの背にあるような、器の民が持つ鳥の翼ではない。さらに、腰元から伸びる──尻尾?
頭上を飛ぶその銀は、微かに顔をこちらに向けた。その顔を覆う、民族的な化粧が施された木彫りの面。その目に当たる部分が俺を捉える。
「キミは……」
微かに聞こえた声。女だ。その言葉に疑問符が上がる。俺は、こいつのような人物と出会った心当たりが無い。
意識を呼び覚ますデメモコモコの咆哮。それに気がついた奴は、再び視線を奴に向ける。木から跳躍し、生身の人間ではありえない高度へと飛び上がる。
その手に持った──剣? 奴の身の丈、その半分はあるだろう。片刃。反りは無く、刀身は眩い光を放っている。その剣を頭の横まで大きく振りかぶる。
「月面墜とし!!」
まるで、果実に刃を通すが如く。
大きく弧を描いた刃は、すっぱりとデメモコモコの首を斬り落とした。
力の抜けた嘴からこぼれる子供、奴はその体を受け止め、崩れ落ちるデメモコモコの体を足蹴に地面へ降り立つ。それと同時に地面へ落ちる、デメモコモコの首。
奴の長い銀髪が揺れる。同じ視点になって気がついた。頭から伸びる、二本の短い角。あれはいったい、奴はいったい。表情のない面が、ただひたすらに俺を見る。
「お前は──」
「もう少しだけ、待って欲しい」
俺の問いを遮り、奴は言った。凛と張った声。そしてその剣先を俺に向ける。美しい、銀の刃。そこに映る空と、俺の姿。
「四層で、待っている」
確かに、そう言った。
「キミ達を待っている」
告げられた言葉。即座に奴の姿が消える。走り去ったのではない、俺の背後にあった木へと飛び移ったのだ。
もう少しだけ待つ? あと、何故奴は俺に向かって「キミ達」と言った? いつ俺が、仲間がいると言ったんだ? 俺のことを知っているような言動。その意味がわからない。
四層で待っている。その言葉を反芻する。四層、その三層の下、俺達にとって未知の領域。そこで何が待つ? 何が俺達を迎え撃つ?
生温い風がに混じる、デメモコモコの血の匂い。俺は奴が消えた方向を眺め続ける。
「ヴァイィィィィぃ────ッ!!」
響く叫び声。物思いに耽っていたせいで反応が遅れた。徐々に近づく声。茂みの中から飛び出した黒い人影が、俺に向かって飛び蹴りを放つ。脇腹に靴底がめり込んだ。この呼び名をするのは、一人しかいない。
「いってェ!!」
「勝手にウロウロすんなって! 散々言ってるだろうが! 何だこの状況はァ!」
シュヴァルツだ。地面に蹴倒し、胸倉を掴み上げて睨んでくる。思わずガキの頃の呼び方をする程度にはキレているらしい。両腕を上げて降参の合図。その後ろからロートとブラウ、ロゼが覗き込んでいた。
「それにしてもこれは……本当に、どういう状況です?」
ロゼがあたりを見回し問う。上手い返答は即座に思いつかず、とりあえず俺はシュヴァルツに降参のポーズを続けた。
「子供に、女ぁ?」
シュヴァルツは訝しげな声を上げる。それもそうだ。ここは迷宮三層、一層でも子供が入るだなんてことはありえ無いのに。さらに、大きく細身な片刃剣を振り回す、羽根に角を持つ仮面の女。
「……白昼夢でも見たのですか?」
そう言われるのも仕方ない。しかし、実際すっぱり首を落とされたデメモコモコの遺体が転がっているのだ。俺の短剣ではこうはならない。
「怪しいことこの上ないですが……」
「でも、うん、覚えはあるわ」
「ホントかロート!」
流石はロート! 頼りになるぜ!
「迷宮内で生活する種族がいる、という噂だけは昔からあるの。
──仲間からはぐれて彷徨っていた際、木の上から降ってくる木の実を辿ってたら、仲間と合流できたって話。魔物がいきなり目の前で倒され、即座に解体して持ち運ばれたって話。明らかに人間の手が加えられたであろう痕跡の数々……。
住処や生活様式はわからない。本当にいるのかも、都市伝説なのかもわからない。ただ断言できることは、いないという保証はないということだけ」
都市伝説、嘘か真かの噂話。そうして語り継がれるもの。迷宮内に住まう種族、俺にとっても、世間にとっても未知の存在。俺は生唾を呑み込んだ。
「にしても引っかかるわね。キミ達だなんて……あんた、自分のことも名乗ってないんでしょ?」
「おう。答える前に先に言われた」
「おかしいわよ。怪しいわよ」
「四層ですか……」
ここより遥か下、そこを目指すにはこの三層を守る神霊を乗り越えなくてはならない。二層の神霊、セトを切り抜けることすら俺達には精一杯だった。
「行かなくちゃ、いけないわね」
ましてや、半年も前から迷宮に挑んでいた鷹の目の連中が、あんなふうになって帰ってきているのを見た。どんな恐ろしい奴が潜んでいるのだろうか。
「ま、深く考えるだけ無駄だ!」
思考を切り替えるためにも大きく手を叩く。
「神霊のことも、その下のことも! とりあえず進んでから考えるぞ!!」
俺の言葉に、ロートとシュヴァルツは頭を押さえて溜息。
「カッコつけていってるけど、それただ面倒事を先送りにしてるだけだから!」
「あともう二度と勝手に走り回るなよ!? マジで!!」
「わーっとらぁい!」
ごちゃごちゃ言わずについてきやがれってんだ!




